校長先生
誰も近づかない場所がある。
魔王城遺跡——かつて世界を恐怖に陥れた魔王が眠るとされる廃墟。その地下深くには、光すら届かない闇が広がっていた。
静寂。
何百年も変わらぬ静寂が支配する空間で、それは起きた。
床一面を覆う黒い水晶の欠片——魔王の遺骸とも呼ばれるそれが、微かに脈動した。まるで心臓が鼓動するように、闇の中で淡い光が明滅する。
一度。
二度。
三度——
やがて光は途絶え、再び静寂が戻る。しかし、それを見届ける者はいない。
世界はまだ、何も知らない。
◆◆◆
春の陽気が眩しい。
今日は全校生徒集会。校長先生が全生徒と教師たちの前で演説をする日だ。
会場となる中央ホールには、背後にそびえる巨大な老木を囲むように、温室のようなガラス張りの巨大ドームが広がっている。無数の木々が柱となり、色とりどりのステンドグラスが陽光を受けて輝く。荘厳、という言葉がこれほど似合う場所を俺は知らない。
今は春。ホール中の木々が色とりどりの花を付け、新入生を歓迎するかのように花びらを散らしていた。
「ねえ仲斗、校長先生ってどんな人なの?」
隣に立つコイムが、期待に満ちた瞳で俺を見上げてくる。
「知らない。父さんからは『会えばわかる』としか聞いてない」
「えー、つまんないなぁ」
コイムは頬を膨らませたが、すぐに視線をステージへと戻した。
俺も同じだ。魔王討伐のために学園に来た以上、校長がどんな人物かは気になる。父さんを勇者として召喚した張本人でもあるのだから。
しばらくすると、ホール前方のステージに一条の光が差し込んだ。
そこにあった巨大な花の蕾が、ゆっくりと開いてゆく。中から現れたのは、背中に無数の花々をまとった人影だった。
若さと美貌を兼ね備えた、超絶イケメン。
魔法使いのローブは若葉のような色合いで、葉脈を思わせる繊細な模様が走っている。まるで若木の化身がそのまま人の形を取ったかのようだ。
「きゃあああっ!」
「今年も素敵……!」
「えっ! あの人誰?」
女子たちから黄色い歓声が上がる。
俺は呆然としていた。校長といえば、もっと年を取った威厳のある姿を想像していたからだ。
「あれが校長先生? めちゃくちゃ美形じゃん」
コイムも目を丸くしている。エルフのこいつが言うのだから、相当なものなのだろう。
やがてその美形の男は、優雅に手を上げて生徒たちを静めた。
「皆、静粛にするのじゃ」
……は?
「今から重要な発表をするからのう、心して聞くのじゃ」
見た目に反して、言葉遣いが完全にジジイだった。
さっきまで騒いでいた女子たちが、一斉に固まる。あまりにもギャップが強すぎて、理解が追いついていないのだ。さっきまでの俺のように。
一方で上級生たちは落ち着いた表情を保っていた。毎年この光景を見ているのだろう。
「ぷっ……あははっ! なにあれ、最高じゃん!」
コイムが肩を震わせて笑いを堪えている。こいつは本当に遠慮がない。
「今年入学した新入生の諸君、わしが魔法学校の校長、アーカンダム・ユグドラシルであるぞ。年齢は……忘れたがのう。魔王よりかは年上かのう」
魔王より年上。それがどれほどの年月なのか、俺には想像もつかない。
「少しばかり自己紹介をしておこうかの。最初に言っておかねばならん事があるのじゃが、わしはトレント族じゃ」
トレント族。木の精霊が長い年月をかけて知性を得た種族だと、父さんから聞いたことがある。
「皆の目の前に生えておる巨木じゃが、これがわしじゃ。ここにおるのは分身でのう、今は春じゃから若木が生えておるが、冬には葉も落ちて枯れてしまう。驚いてはいかんぞ」
女子たちの間に悲しそうなため息が広がる。あの美形が枯れてしまうのが惜しいのだろう。
だが一部の女子は、なぜか期待に満ちた表情を浮かべていた。年齢の好みには個人差があるということか。
「それと、皆が生活しておる校舎もわしの体が変化したものでのう。壊したりいたずらしたりはせんでくれよ。お年寄りは大切にのう」
「僕たち、校長先生の中に住んでるってこと?」
コイムが小声で呟く。俺も同じことを考えていた。
どうりで凝ったデザインの木造建築だったわけだ。魔法で火事でも起こそうものなら、校長先生が大変なことになる。くれぐれも気をつけよう。
軽い笑いを誘った後、校長先生の表情が引き締まった。
「さて、自己紹介はこのくらいにして本題に移るとしよう」
空気が変わる。
先ほどまでの和やかな雰囲気が消え、ホール全体に緊張が走った。
「生徒諸君。魔王復活の時が近い」
その一言で、会場が静まり返る。
「もうすぐそこまで迫ってきておる。復活がなされた時、もしも討伐に失敗すれば、世界そのものが滅んでしまうじゃろう」
隣でコイムが息を呑む気配がした。俺も拳を握りしめる。
これが、俺がこの学園に来た理由だ。魔王を倒す力を身につけるために。
「急がねばならぬ。じゃから、先生方も少々手荒な授業をしてしまっておるようじゃ」
手荒どころの話ではない。いきなりドラゴンと戦わされた身としては、もう少し考えてほしいところだ。
だが、その理由が魔王復活への備えだったのなら、文句は言えない。
「そこで、今回は皆に手軽に実践経験を積んでもらおうと思うておる」
校長先生が右手を掲げた。
瞬間、ホール中に立体的な森の映像が浮かび上がる。木々の間を縫うように、光の点が幾つも動いている。
「名付けて――魔法バトルロワイヤルじゃ」
ざわめきが広がる。
俺の心臓が、どくんと大きく跳ねた。
「二人一組のペアを組んで、森の中で戦ってもらう。最後まで生き残ったペアが勝利者となる。わしは森の全てを見通せるからの、敗者はわしが転送魔法で助ける。心配せずに思いっきり戦うと良いぞ」
全校生徒が対象。つまり、上級生とも戦う可能性があるということだ。
だが、俺は怯えるどころか、体の奥から熱いものが込み上げてくるのを感じていた。
「ただし、ダンジョンなどの木が無い所は目が届かんでの。そこでは用心するのじゃぞ」
警告の言葉だったが、俺の耳にはほとんど入ってこなかった。
頭の中はすでに、どう戦うかで埋め尽くされている。
「生徒諸君、健闘を祈るぞい」
校長先生が両手を広げた瞬間、まとっていた花と葉が一斉に舞い散り、その姿が光の中に溶けていく。
後に残ったのは、背後にそびえる老木だけ。まるで我々を見守るかのように、静かに佇んでいた。
◆◆◆
集会が終わり、生徒たちがざわめきながらホールを出ていく。
俺は動けずにいた。胸の内で渦巻く感情を、どう処理すればいいかわからなかったからだ。
バトルロワイヤル。
全校生徒を相手にした実戦形式の試験。
これは、チャンスだ。
入学してから、俺はずっと焦りを感じていた。
勇者の息子。魔族の血を引く者。周囲の期待は大きい。だが蓋を開けてみれば、周りはチート能力持ちばかり。俺の多重属性は中途半端で、まともに力を発揮できない。
このままで本当に魔王と戦えるのか。俺は必要とされているのか。
その答えを、この戦いで証明する。
「仲斗くん」
名前を呼ばれて振り向くと、コイムが期待に満ちた表情で立っていた。
笑顔の中に吸い込まれそうな青い目がらんらんと輝いている。
「ペア、僕と組んでくれる?」
当然だ、と言おうとした。
だがコイムは、俺が答える前に続けた。
「僕ね、試したいことがあるんだ。そうすれば色々と証明できることがあるから」
俺の顔を真っ直ぐに見つめるその目には、俺と同じ熱があった。
何を証明したいのかは聞かない。コイムにはコイムの事情があるのだろう。それは俺も同じだ。
「ああ、俺からも頼むよ」
俺が手を差し出すと、コイムは両手でそれを包み込んだ。
冷たい指先。だが、込められた力は熱かった。
「よし、やってやるか。勝つぞ、コイム」
「まかせて。勝利は僕たちのものさ」
コイムが不敵に笑う。
その笑顔がちょっと心配になるが、こいつがいれば心強い。
周囲では、あちこちでペアを組む相談が始まっている。
熱気がホールに満ちていた。
戦いの幕が、今まさに上がろうとしている。




