エピローグ後編
翌日の朝、僕は妙な胸騒ぎを覚えながら教室へ向かった。
今日からコイムの妹が授業に参加する。
どんな子なんだろう。
コイムと正反対、凛々しくて男前、というのは聞いている。エルフの双子の妹。おそらく銀髪で、整った顔立ちなのだろう。
教室の扉を開けると、異様な空気を感じた。
女子生徒たちが黄色い歓声を上げている。その中心にいるのは、銀髪のエルフだった。
コイムと同じ色の髪。同じ色の瞳。しかし雰囲気はまるで違う。
ショートカットの髪、鋭い眼差し、背筋の伸びた立ち姿。凛々しい、という言葉がこれほど似合う人物を僕は知らない。
女子たちに囲まれながらも、その視線は一点に注がれていた。
コイムに。
「兄様っ!」
凛々しい声が響いた。
次の瞬間、銀髪のエルフがコイムに飛びついた。
「兄様、兄様、兄様! お会いしたかった! ずっとずっとお会いしたかったです!」
「ル、ルイム!? ちょ、みんな見てるから……」
「構いません! 兄様に会えたんです、我慢できるわけがありません!」
コイムに抱きついたまま、ルイムは離れようとしない。
その姿は、飼い主に再会した犬のようだった。尻尾があれば千切れんばかりに振っているだろう。
「あの、ルイム? ちょっと落ち着いて……」
「え? どうして?」
「いや、その、恥ずかしいから……」
「兄様が恥ずかしがる姿も素敵です」
完全に会話が成立していない。
僕は呆然とその光景を見ていた。
コイムと正反対、とは聞いていた。だが、まさかここまでとは。
「あなた」
突然、鋭い視線が僕に向けられた。
ルイムだ。コイムに抱きついたまま、こちらを睨んでいる。
「兄様と同室だと聞きました。飯場仲斗、ですね」
「あ、ああ。よろしく……」
「兄様と、どのような関係ですか」
「どのようなって、友達だけど」
「友達。友達ですか。それ以上の関係ではありませんね?」
「それ以上って……」
ルイムの眼光が鋭くなる。
殺気すら感じる。何だこの威圧感は。
「兄様は私のものです。それだけは理解していただきたい」
「いや、別に取らないけど……」
「ルイム、仲斗は大切な友達だよ。仲良くしてあげて」
コイムが困ったように言った。
その言葉に、ルイムの表情が一変する。
「……兄様がそうおっしゃるなら」
敵意が霧散した。ウソだろ、切り替え早すぎないか。
「仲良くしましょう、飯場仲斗さん。兄様のご友人であれば、私も敬意を払います」
「お、おう……」
「ただし」
ルイムの目が再び光る。
「兄様に変なことをしたら、容赦しません」
背筋が凍った。
この妹、本気だ。
「ルイムちゃん、かっこいい……」
「私、ファンになりました……」
周囲の女子たちが熱い視線を送っている。
男前な見た目、凛々しい態度、そしてブラコン。確かに、一部の層にはたまらない属性かもしれない。
「あら、面白いことになってるわね」
聞き覚えのある声がした。
氷の精霊族、クラーラ・キーンだ。時間停止のスキルを持つ彼女は、普段は無表情だが、今は目を輝かせていた。
「兄と妹……禁断の愛……素晴らしいわ」
「おい、変な妄想するな」
「妄想じゃないわ。これは芸術よ」
クラーラの瞳が危険な色を帯びている。腐女子の血が騒いでいるらしい。
「兄様から離れなさい、視線が気持ち悪いです」
ルイムがクラーラを睨んだ。
「あら、兄を守る妹……これも良いわね。尊い」
「兄を守るのは当然です。妹として」
「どっちでもいいわ。尊いものは尊い」
会話が成立していない。
「こら、ルイム。クラーラは友達だよ」
「でも兄様、この人の視線は明らかに……」
「友達」
「……分かりました」
コイムの一言で、ルイムは渋々引き下がった。
コイムの言うことには絶対服従らしい。ある意味、扱いやすいのかもしれない。
しかし、騒動はこれで終わりではなかった。
「コイム!」
教室の入り口から、大柄な女子生徒が駆け込んできた。
オーガ族のギラ・プレトラだ。料理上手で女子力が高い彼女は、コイムに好意を寄せている。
「新しい生徒が来たって聞いて……って、誰、その子!?」
ギラの視線が、コイムに抱きついているルイムに向けられた。
「ギラ、紹介するよ。僕の妹のルイム」
「妹……?」
「よろしくお願いします」
ルイムが会釈する。しかし、その目は冷たい。
「あなたがギラさんですか。兄様から聞いています」
「え、コイムが私のこと話してくれてたの?」
ギラの顔がパッと明るくなった。
「ええ。『しつこく言い寄ってくる女がいる』と」
「えっ」
ギラの顔が凍りついた。
「ルイム! そんな言い方してないよ!」
「では、何と?」
「えっと……『僕のことを気にかけてくれる優しい子がいる』って……」
「それは同じことでは?」
「違うよ! 全然違う!」
コイムが必死に弁解している。
ギラは涙目だ。ルイムは無表情。教室は混沌としていた。
「あなた」
ルイムがギラに向き直った。
「兄様に近づかないでいただけますか」
「な、なんでよ!」
「兄様は私のものです」
「妹でしょ!? 恋人じゃないでしょ!?」
「妹だからこそ、誰よりも兄様を理解しています。あなたのような……その、大きい方には負けません」
ルイムの視線が、ギラの胸元に向けられた。
オーガ族のギラは、大柄で恵まれた体格をしている。対してルイムは、エルフらしい細身の体型だ。
「な、何よ! 大きくて悪かったわね!」
「悪いとは言っていません。ただ、兄様の好みではないと思いまして」
「ぐっ……!」
ギラが言葉に詰まった。
コイムの好みが分からないのは、確かに痛いところだ。というか、コイムに恋愛的な好みがあるのかどうかすら怪しい。
「ルイム、ギラをいじめちゃダメだよ」
「いじめてなどいません。事実を述べただけです」
「ルイム」
「……分かりました。すみません、ギラさん」
コイムに窘められ、ルイムは渋々謝罪した。
しかし、その目は全く謝っていない。
「こ、コイム……私、頑張るから……」
「う、うん。ギラは優しいよね」
「優しいだけじゃダメなの!?」
「そういう意味じゃ……」
コイムが困り果てている。
僕は巻き込まれないよう、そっと距離を取った。
これから、学園はさらに賑やかになりそうだ。
◆◆◆
午後の授業は、実技訓練だった。
グラウンドには、既に生徒たちが集まっている。
そして、見慣れない人物が三人いた。
「よう、仲斗。久しぶりだな」
黒髪に剣を背負った男。
僕の父、飯場勇二郎だった。
「父さん!? なんでここに!?」
「なんでって、今日から教師だからな」
「は?」
「剣技の教師として赴任した。お前の暗黒剣、鍛えてやるぞ」
父がニヤリと笑った。
異世界から召喚された勇者。魔王封印に貢献した英雄。そして、僕に多属性の血を与えた人。
その父が、教師として学園に来た。
「お父さんったら、張り切りすぎよ」
隣から、艶やかな声がした。
黒い髪に、妖艶な美貌。
僕の母、ミルキラ・飯場だった。
「母さんも!?」
「ええ。保健の教師として赴任したの」
母は魔族だ。サキュバスの血を引いており、その色気は人間離れしている。
そんな母が、保健の教師。
嫌な予感しかしない。
「保健って……何を教えるの」
「あら、色々よ。体の仕組みとか、男女の営みとか」
「やめて」
「大丈夫、優しく教えるわ。女子たちには特に丁寧にね」
「絶対やめて」
母がウインクした。
ああ、女子たちが耳年増になる未来が見える。というか、男子も危ない。母の色気に当てられたら、まともな思考ができなくなる。
「仲斗、照れなくていいのよ。お母さんが学園にいれば、いつでも会えるでしょ?」
「照れてない! 心配してるの!」
「あらあら、素直じゃないわね」
母が僕の頬を撫でた。
周囲の生徒たちが、こちらを見ている。好奇の視線だ。
「おい仲斗、お前の母ちゃん、めっちゃ綺麗だな……」
「飯場先生って、あの伝説の勇者だよな? かっけえ……」
ひそひそ声が聞こえる。
穴があったら入りたい。
「ほっほっほ、賑やかじゃのう」
新たな声が響いた。
振り返ると、老婆が立っていた。
白髪を無造作に束ね、ボロボロのローブを纏った、小柄な老エルフ。しかし、その瞳だけは異様に鋭い。
背筋がゾワリとした。
この老婆、ただ者じゃない。
「お師匠様!」
コイムが駆け寄った。
「久しぶりじゃの、コイム。元気にしておったか?」
「はい! 魔王討伐、成功しました!」
「おお、そうかそうか。よくやったのう」
老婆がコイムの頭を撫でた。
師匠、ということは、これが森の魔女か。コイムに時空属性の魔法を教えた伝説の魔法使い。
「ヴェルダ殿、久しいのう」
校長の声が響いた。
幼い姿の校長が、大樹の根元から現れた。
「おや、アーカンダムか。また縮んだのう。どれ、肥料でもやろうか?」
「遠慮するのじゃ。ヴェルダ殿の肥料は、森を一つ消し飛ばす威力があるからの」
「あれは事故じゃ。今は改良しておる」
「信用できんのじゃ」
校長が本気で警戒している。
この老婆、何者だ。
「して、今日から教師として赴任したのじゃが、早速授業をしてもよいかの?」
「授業? 何を教えるつもりじゃ」
「基礎魔法の訓練じゃよ。心配せんでも、優しく教えるからの」
ヴェルダが杖を掲げた。
その瞬間、空が暗くなった。
雲が渦を巻き、雷が轟く。
「さて、これは『ちょっとした風』じゃ。これを避ける練習をするぞい」
「待て待て待て!」
父が叫んだ。
空から巨大な竜巻が降りてきていた。
「これのどこがちょっとした風だ! 町が一つ消し飛ぶぞ!」
「大丈夫じゃよ。死にはせん。たぶんの」
「たぶんって何だ!?」
生徒たちが悲鳴を上げて逃げ惑う中、ヴェルダだけが穏やかに微笑んでいた。
この老婆、やばい。本気でやばい。
「ヴェルダ殿、いい加減にせんか!」
校長が大樹の根を伸ばし、竜巻を捕縛しようとする。
父も抜刀し、魔剣で竜巻を切り裂こうとしている。
二人がかりで、ようやく竜巻は霧散した。
「なんじゃ、もう終わりか。まだウォーミングアップじゃったのに」
ヴェルダが不満そうに呟いた。
ウォーミングアップ。
あの竜巻が。
生徒たちは全員、地面に伏せて震えていた。
「ヴェルダ殿、お主の『優しい授業』は、わしらには刺激が強すぎるのじゃ」
校長が疲れた声で言った。
「そうかのう。コイムは平気じゃったが」
「コイムは特別なのじゃ! あやつは時空属性で逃げられるし、お主の訓練に慣れておる!」
「ふむ、では次は威力を半分に落とすかの」
「半分でも無理じゃ!」
校長が絶叫した。
結局、初日の授業は中止となった。
森の魔女ヴェルダ・ソーンウッド。
その名は、生徒たちのトラウマとして刻まれることになった。
◆◆◆
数日後、学園は相変わらず騒がしかった。
ルイムとギラの小競り合いは日常茶飯事になっていたし、クラーラはその様子を見て毎日妄想を膨らませていた。
ドラゴが校長の杖を借りて遊んでいたら、鍛冶屋のドワーフに気に入られて弟子入りを勧められたとか。
キャルがコイムの魔道具で召喚魔法を覚え、巨大ミミズを召喚できるようになったとか。
母の保健の授業が生徒たちに大人気で、教室が満員になったとか。
父の剣技の授業が厳しすぎて、生徒たちが悲鳴を上げているとか。
ヴェルダの授業は相変わらず危険すぎて、校長が監視役として常に付き添っているとか。
騒がしいが、平和な日々。
僕はそんな日常を過ごしながら、ずっと考えていたことがあった。
魔王のことだ。
アーサー・ヴァルゲイル。
かつては民を愛した英雄王。
家族を奪われ、裏切りに遭い、絶望の果てに魔王と化した男。
最後の瞬間、彼は何を思っていたのだろう。
考えても、答えは出ない。
でも、一つだけ確かなことがある。
彼の想いを、僕は受け取った。
だから、行かなければならない場所がある。
◆◆◆
魔王城遺跡は、かつてと同じように不気味な空気を纏っていた。
禁域として管理されているこの場所に、一般人が入ることはできない。
しかし僕は、魔王討伐の英雄だ。特別な許可を得て、ここに来ることができた。
瓦礫の中を歩く。
三百年前の栄華の残骸。かつて美しかったであろう城は、今や朽ち果てている。
中央の広間に辿り着いた。
ここが、魔王が最後に立っていた場所だ。
僕は膝を折り、地面に手を置いた。
「アーサー・ヴァルゲイル」
その名を呼ぶ。
「あなたの想いは、確かに受け取りました」
風が吹き抜ける。
まるで、応えるように。
「あなたは最後まで、民を愛していた。家族を想っていた。それでも、絶望に飲まれてしまった」
胸が痛む。
「でも、あなたの願いは叶えます。この世界を、守り抜きます」
誓いの言葉を口にした。
空が、わずかに明るくなった気がした。
魔王の魂が、安らかに眠れますように。
そう願いながら、僕は魔王城を後にした。
◆◆◆
学園に戻ると、いつもの騒がしさが僕を迎えた。
「仲斗ー! 鍋パーティーの準備できたよー!」
コイムが手を振っている。
「おお、飯場! 今日は俺の料理を堪能させてやるぜ!」
ドラゴが意気揚々としている。
「仲斗、お手伝いするわ」
リーラが優しく微笑んだ。
「飯場、貴様も手伝え。料理は共同作業だ」
ガルが腕を組んでいる。
「私も手伝うわ。鍋の具材、巨大ミミズはどうかしら」
「却下だキャル!」
全員が声を揃えて叫んだ。
ギラとルイムは相変わらず睨み合っているし、クラーラはその様子を見てニヤニヤしている。
父と母は生徒たちに囲まれているし、ヴェルダは校長に小言を言われている。
パフ先生は相変わらずグラウンドで昼寝をしているし、リル先生は今日も変なコスプレをしている。
騒がしくて、うるさくて。
でも、温かくて、楽しくて。
これが、僕たちの日常だ。
魔王討伐という大きな戦いを終えて、僕たちは新たな日常を手に入れた。
この平和が、いつまでも続きますように。
そう願いながら、僕は仲間たちの輪の中へ飛び込んだ。
「よし、じゃあ鍋パーティー始めるぞ!」
「「「おおおーっ!」」」
歓声が上がる。
夕日が学園を赤く染める中、僕たちの笑い声は夜空に響き渡った。
――そして、日常は続く。
新たな仲間と共に。
新たな挑戦と共に。
僕たちの物語は、まだ始まったばかりだ。
――完――




