別れ
それは、唐突に起こった。
アーサー王と家族の再会を見守っていた仲斗の背後で、禍々しい気配が膨れ上がる。
背筋を駆け上がる悪寒。
振り返った瞬間、仲斗は息を呑んだ。
魔王の体が崩れ落ちた場所――そこに、黒い血の塊が蠢いていた。
脈動するように膨らみ、縮み、そして――人の形を成していく。
「何だ……あれは……」
血の塊から、一人の男が這い出てきた。
痩せぎすの長身。鷹のように鋭い目つき。黒いローブを纏った、影のような存在。
その姿は、まるで死そのものが具現化したかのように禍々しい。
「く、くく……」
男の口から、低い笑い声が漏れた。
「ようやく……出られた……三百年……三百年も、待ったのだ……!」
アーサー王が、その姿を見て目を見開いた。
金色の瞳が、驚愕と怒りで揺れる。
「モルドレッド……!」
モルドレッド・シャドウクロス。
三百年前、王を裏切り、王妃を殺し、全ての悲劇を引き起こした男。
魔王の中に取り込まれ、その一部となっていた魂が――今、解き放たれた。
「久しぶりだな、陛下」
モルドレッドが、嘲るように笑った。
その笑みには、狂気と憎悪が滲んでいる。
「いや、もう陛下ではないか。魔王でさえなくなった、ただの亡霊だ」
「貴様……」
「三百年、貴様の中で待ち続けた。この時を、ずっと待っていたのだ」
モルドレッドの体から、禍々しい魔力が溢れ出す。
闇よりも深い、絶望の色をした力。
それは魔王が取り込んできた無数の魂――その憎しみ、その怨念の集合体だった。
「貴様が魔王として取り込んだ全ての魂――その憎しみ、その怨念、全て私のものだ」
闇が膨れ上がる。
モルドレッドの体が、変貌していく。
人の形を保ちながら、その存在感は――魔王に匹敵するほどに膨れ上がった。
「さあ、始めようか」
モルドレッドが両手を広げた。
「この世界を、絶望で満たす宴を」
◆◆◆
モルドレッドの手から、闇の波動が放たれた。
波動が地面に触れた瞬間――魔物が湧き出した。
一体、二体、三体……数え切れないほどの魔物が、地面から這い出てくる。
かつて魔王が取り込んだ魂たち。その怨念が、魔物となって具現化していた。
「くそっ……!」
ガルが立ち上がった。
疲弊した体に鞭打ち、雷を纏う。
「まだ終わりじゃねえのかよ……!」
「文句を言っても始まらないでしょ」
クラーラが氷の刃を生成する。
手が震えている。魔力も体力も、もう残っていない。
それでも、彼女は戦う意志を捨てなかった。
「やるしかないよ」
ギラが拳を握りしめた。
仲間たちが、魔物の群れに立ち向かっていく。
疲れ切った体で、それでも戦い続ける。
「仲斗くん」
コイムが、仲斗の隣に立った。
「あいつは、君に任せるよ」
「コイム……」
「僕たちは魔物を抑える。だから――」
コイムが、仲斗の背中を押した。
「行って」
仲斗は頷いた。
そして、モルドレッドに向かって駆け出した。
◆◆◆
仲斗の暗黒剣が、モルドレッドに迫る。
闇を纏った刃が、空気を切り裂いて閃光を描く。
「ほう」
モルドレッドが、片手でそれを受け止めた。
素手で。まるで子供の遊びを受け流すかのように。
「闇属性か。私と同じだな」
「俺の闇と、お前の闇を一緒にするな」
仲斗が歯を食いしばる。
「同じだよ。闇は闇だ」
モルドレッドが、仲斗を弾き飛ばした。
仲斗の体が地面を転がる。
痛みが全身を駆け巡った。
「お前も、いずれ私のようになる」
モルドレッドが、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「闇に飲まれ、全てを憎むようになる。それが闇属性の宿命だ」
「ならねえよ」
仲斗は体勢を立て直し、再び斬りかかった。
「俺には、守りたいものがある。大切な人たちがいる」
「くだらん」
モルドレッドの闇が、仲斗を包み込もうとする。
黒い霧が四方から迫り、呼吸さえ奪おうとしてくる。
「そんなものは、いずれ失われる」
モルドレッドの声に、一瞬だけ――悲しみが滲んだ。
「私がそうだったようにな」
「お前は――」
仲斗は、暗黒剣を振り抜いた。
「お前は、最初から何も持っていなかっただろうが!」
刃がモルドレッドの胸を貫いた。
確かな手応え。心臓を捉えた感触。致命傷のはずだ。
しかし――
「くくく……」
モルドレッドが笑った。
胸に開いた穴が、見る見るうちに塞がっていく。
肉が蠢き、骨が再生し、皮膚が覆っていく。
「無駄だ。私は不死だ」
「なっ……」
「貴族の薬から得た呪い。何度殺されても、私は蘇る」
モルドレッドの手が、仲斗の首を掴んだ。
締め上げられる。息ができない。
仲斗は必死にもがいたが、モルドレッドの力は圧倒的だった。
「死ね、勇者の息子」
視界が暗くなっていく。
意識が遠のいていく。
――俺は、ここで終わるのか……
その時――
「仲斗!」
聞き覚えのある声が響いた。
閃光。
モルドレッドの腕が、切り落とされた。
「がっ……!?」
モルドレッドが後退する。
切断面から黒い血が噴き出すが、すぐに再生が始まった。
仲斗は地面に落ち、咳き込みながら顔を上げた。
そこに立っていたのは――
「母さん……!?」
ミルキラ・飯場。
仲斗の母親が、戦場に立っていた。
まだ顔色は悪い。神殿での治療から、完全には回復していないはずだ。
それでも、その目には強い意志が宿っていた。
「遅くなって、ごめんね」
母が、優しく微笑んだ。
「母さん、その怪我は――」
「家族が戦っているのに、じっとしてなんていられないでしょう?」
母の背後で、淡い光が揺れた。
二つの小さな光。まるで、誰かが寄り添っているかのように。
「大丈夫。私には、心強い味方がいるから」
リリアーナとセレスティアの魂が、母に力を貸していた。
同じ母親として。同じ家族を守りたいと願う者として。
◆◆◆
モルドレッドの腕が、完全に再生していく。
骨が、筋肉が、皮膚が――元通りになっていく。
「また邪魔者か……」
鷹のような目が、ミルキラを睨みつけた。
「何人来ようと同じだ。私は不死だ。お前たちでは――」
「黙れ!」
仲斗が再び斬りかかり、今度は首を狙う。
次の瞬間、刃がモルドレッドの首を切り落とした。
頭部が宙を舞い、地面に転がる。
――やった!
だが。
首のない胴体が、動いた。
切断面から新しい首が生えてきた。
肉が盛り上がり、骨が形成され、顔が再構築されていく。
「言っただろう。無駄だと」
仲斗の背筋が凍る。
さらに――地面に転がっていた元の首が、笑った。
「一つ教えてやろう。私は何度でも再生する」
元の首が溶け、闇となって胴体に吸収されていく。
「くそっ……どうすれば……!」
クラーラが氷の槍を放つ。
ガルが雷の矢を撃ち込む。
ギラが炎の拳で殴りつける。
全てがモルドレッドを貫く。
体に穴が開く。
だが、すぐに再生する。
「何度やっても無駄だぁ!」
モルドレッドが哄笑した。
「何をしても、私は死なない! 不死こそが私の力だ!」
仲間たちの顔に、絶望が広がっていく。
魔王を倒した後に、さらに強大な敵。
しかも不死。
「もう……どうすれば……」
クラーラが膝をついた。
魔力が尽きたのだ。
「畜生……! 我が力及ばず……!」
ガルも、雷を纏えなくなっていた。
モルドレッドが、勝ち誇ったように笑う。
「諦めろ。お前たちに、私は倒せない」
◆◆◆
「あの魔法を使うしかあるまい」
新たな声が響いた。
子供の姿をした校長先生が、戦場に現れる。
「校長先生……」
「ミルキラよ、手を貸してくれ。お主が来てくれたのでこの魔法が使える」
校長が、地面に手をかざした。
地面に、巨大な魔法陣が浮かび上がる。
金色の光を放ちながら、複雑な紋様が描かれていく。
「異世界召喚の魔法陣じゃ。新たな勇者を呼び寄せる」
「召喚……? でも、それじゃ――」
「分かっておる」
校長が苦い顔をした。
「焼け石に水じゃ。新たな勇者が来たところで、不死の敵には意味がない。じゃが、他に手が――」
「あります」
コイムの声が響いた。
魔物との戦いの合間を縫って、コイムが駆け寄ってくる。
「コイム……?」
「この魔法陣……僕に見せてください」
コイムが、魔法陣を食い入るように見つめた。
その瞳が、輝きを増していく。
「この紋様は魔石の構造と同じ……しかもこの配置、時空魔法の基本構造だ」
コイムの手が、魔法陣の上を這う。
指先が紋様をなぞっていく。
「やっぱり……これなら……」
「何か思いついたのか?」
仲斗が問いかける。
「うん」
コイムが頷いた。
「召喚魔法は、何かを呼び寄せる魔法だよね」
「そうじゃ」
「なら――逆もできるはずだ」
校長の目が見開かれた。
「逆……? まさか――」
「異世界追放の魔法」
コイムが、魔法陣の中に踏み込んだ。
「紋様の配置を反転させれば、召喚の逆――追放の効果が得られるはず」
「しかし、そんなことが可能なのか……」
「僕は魔法陣のことなら誰よりも詳しい」
コイムが自信に満ちた笑みを浮かべた。
そう言って自慢の魔道具――魔法陣に魔石を埋め込んだ小さな布を披露する。
すると校長は感心した目で食い入るように見つめる。
一方セレスティアは、リリアーナの目を塞いだ。
さすがに王女には見せられないようだ。
コイムの手が、魔力を込めながら魔法陣に触れ、紋様を上書きしてゆく。
一つ、また一つと、紋様の位置が書き換えられていく。
金色の光が揺らぎ、別の色へと変わり始める。
「リーラ! 手伝って!」
「分かったわ!」
リーラが駆け寄り、コイムと共に魔法陣に魔力を込める。
時空属性の二人の力が合わさり、魔法陣が変貌していく。
光の色が変わった。
召喚の金色から、追放の漆黒へ。
「できた……!」
コイムが叫んだ。
「異世界追放の魔法陣――完成です!」
◆◆◆
魔法陣から、黒い渦が立ち上った。
虚無への門。異世界へと繋がるゲート。
その向こうには、何もない世界が広がっている。
「これは……」
モルドレッドの顔に、初めて動揺が浮かんだ。
「何をした……」
「お前を追放する」
仲斗が、暗黒剣を構えた。
もう魔力は残っていない。体も限界だ。
それでも――これが最後のチャンスだ。
「不死だろうが何だろうが、この世界からいなくなれば関係ない」
「馬鹿な……そんなことが……」
「できるんだよ」
仲斗の隣に、父が立った。
意識を取り戻した勇二郎が、魔剣を握りしめている。
「親父……」
「まだ動ける」
勇二郎が、不敵に笑った。
「息子の晴れ舞台を見届けないわけにはいかないだろう」
仲斗は、父の横顔を見た。
疲労と傷で満身創痍の体。
それでも、その背中は頼もしかった。
「……ああ」
仲斗も笑った。
「一緒に行こう、親父」
「当然だ」
二人の目が合った。
言葉はいらない。
何を考えているか、分かり合える。
それが、親子というものだ。
「行くぞ」
「ああ」
父と子が、同時に地を蹴った。
魔剣と暗黒剣。
光と闇の刃が、一つの軌跡を描く。
相反する属性が、今この瞬間だけ――融合する。
「双星烈斬――」
仲斗の声と、勇二郎の声が重なった。
「「――喰らえ!」」
二つの刃が、モルドレッドを捉えた。
光と闇が螺旋を描き、一つの閃光となって敵を貫く。
斬撃の衝撃が、モルドレッドを虚無のゲートへと吹き飛ばす。
「がはっ……!」
モルドレッドの体が、ゲートに引きずり込まれていく。
「馬鹿な……私は不死だ……! こんなところで……!」
モルドレッドが、必死にもがく。
指が地面を引っ掻き、少しずつゲートから這い出してくる。
「くっくっく……! こんなもの、私に通用するものか……!」
その時――
モルドレッドの背後に、一人の男が立った。
金髪碧眼。精悍な顔立ち。
アーサー・ヴァルゲイルの霊が、モルドレッドの背後に現れていた。
「陛下……!?」
モルドレッドの顔が、恐怖に歪んだ。
「な、なぜ……貴方は……もう……」
「モルドレッド」
アーサー王の声が、静かに響いた。
「お前には、三百年分の借りがある」
「ま、待て……! なっ……何を!」
「妻を殺した」
王の声に、怒りが滲む。
「娘を殺した」
拳が握られる。
その拳に、光が宿る。
拳は実体化し、金属のような鈍い輝きを放つ。
「民を騙し、国を滅ぼした」
「ヤメロ……! 私は……あなたの家臣だぞ……!」
アーサー王が、拳を振りかぶった。
「消えろ、裏切り者」
拳が、モルドレッドの顔面に叩き込まれた。
骨が砕ける音。
肉が潰れる音。
三百年分の怒りを込めた一撃が、モルドレッドの顔を粉砕した。
「ぎゃあああああああっ!」
断末魔の悲鳴。
モルドレッドの体が、虚無のゲートに飲み込まれていく。
「覚えて……いろ……! いつか……必ず……!」
その声は、闇の中に消えていった。
ゲートが閉じる。
虚無への門が、完全に消滅した。
モルドレッドは――もういない。
◆◆◆
静寂が、戦場を包んだ。
魔物たちが、次々と消えていく。
モルドレッドが消滅したことで、魔物を維持する力が失われたのだ。
「終わった……」
誰かが、呟いた。
「本当に……終わったんだ……」
仲斗は、その場に膝をついた。
全身から力が抜けていく。
もう、立っていられなかった。
「仲斗!」
リーラが駆け寄ってきた。
「大丈夫……?」
「ああ……大丈夫……」
仲斗は、疲れ切った顔で笑った。
「終わったんだな……」
「うん」
リーラも、涙を浮かべながら笑った。
「終わったよ」
コイムが、二人の元にやってきた。
「お疲れ様、二人とも」
「コイム……お前のおかげだ」
「僕は魔法陣をいじっただけだよ。戦ったのは君たちだ」
コイムが、仲斗の肩を叩いた。
「君は本当に、凄い奴だね」
仲間たちが、集まってきた。
ガル、クラーラ、ギラ、キャル、ドラゴ。
全員が疲れ切っていたが、その顔には安堵の表情が浮かんでいた。
「やったな」
ガルが、珍しく素直に言った。
「お前のおかげだ、仲斗」
「ガル……」
「次は俺が活躍する番だ。覚えておけ」
ガルが、不敵に笑った。
仲斗も、笑い返した。
◆◆◆
アーサー王の霊が、仲斗の前に立った。
「若き勇者よ」
王の声が、穏やかに響く。
「礼を言う。お前のおかげで、私は救われた」
「俺は……何も……」
「謙遜するな」
王が微笑んだ。
「お前の言葉が、私の心を開いた。『呪いではなく、贈り物だ』――あの言葉、忘れない」
王の隣に、妻と娘の魂が寄り添っていた。
「仲斗くん、だっけ?」
リリアーナが、にこりと笑った。
「ありがとね。おとうさまを助けてくれて」
「リリィの言う通りよ」
セレスティアが、優しく頷いた。
「あなたのおかげで、私たちは家族に戻れました」
仲斗は、三人の姿を見つめた。
三百年の時を超えて、ようやく一緒になれた家族。
「これから……どうするんですか?」
「私たちは、もう現世にはいられない」
アーサー王が答えた。
「この魂は、いずれ消えていく。だが――」
王は、妻と娘の手を取った。
「今度こそ、三人一緒だ。それだけで、十分だ」
三人の姿が、光に包まれていく。
「さらばだ、若き勇者よ」
アーサー王が、最後に言った。
「この世界を――頼んだぞ」
光が、空へと昇っていく。
騎士団の霊たちも、王に続いて消えていった。
仲斗は、その光を見送った。
涙が、頬を伝っていた。
◆◆◆
夜明けの光が、学園を照らしていた。
戦いは、終わった。
魔王は救われ、モルドレッドは追放された。
長い長い夜が、ようやく明けたのだ。
仲斗は、仲間たちと共に立っていた。
リーラが、そっと手を握ってきた。
「……ありがとう、仲斗」
「何が?」
「全部」
リーラが、微笑んだ。
「あなたがいてくれて、よかった」
仲斗は、照れくさそうに頭を掻いた。
そして――リーラの手を、強く握り返した。
「こちらこそ。お前がいてくれたから、俺は戦えた」
リーラの頬が、ほんのり赤く染まる。
「さあ、帰ろう」
コイムが、明るく言った。
「みんな、疲れたでしょ?」
「そうだね」
仲斗は頷いた。
仲間たちと共に、歩き出す。
新しい朝が、始まろうとしていた。




