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叫び

 城門が、轟音と共に破られた。


「王女を出せ!」


「呪いの魔女を殺せ!」


 松明を掲げた群衆が、城内に雪崩れ込んでくる。

 その数は数百。

 いや、千を超えているかもしれない。

 怒りに燃える目。

 憎悪に歪んだ顔。

 もはや人の群れではなく、一つの巨大な獣だった。


「何事だ!」


 寝所から飛び出したアーサーは、窓から広がる光景に息を呑んだ。

 城の中庭が、松明の海に沈んでいる。

 悲鳴と怒号が入り混じる。

 どこかで剣撃の音が響いていた。


「陛下! 民衆が城門を破りました!」


 血塗れの衛兵が駆け込んでくる。


「我々では抑えきれません。数が多すぎます」


「なぜだ。なぜ民が城を襲う」


「分かりません。ただ、『王女を殺せ』と叫んでおります」


「リリィを……?」


 アーサーの顔から血の気が引いた。


 ◆◆◆


 王妃の寝所。

 セレスティアは、怯えるリリアーナを抱きしめていた。


「お母様、怖いよ。外で怖い声がする」


「大丈夫よ、リリィ。お母様がついているから」


 セレスティアの声は震えていた。

 窓の外から聞こえる「王女を殺せ」という声。

 なぜ、こんなことになっているのか。

 扉が開き、アーサーが飛び込んできた。


「セレスティア! リリィ!」


「あなた!」


「お父様!」


 アーサーは二人を抱きしめ、すぐに離れた。


「時間がない。隠し通路から逃げろ。私が民衆を止める」


「あなた、何を言っているの。一緒に逃げましょう」


「駄目だ。私が出なければ、彼らは収まらない」


 アーサーは妻の肩を掴んだ。


「私は王だ。民と話し合う義務がある。きっと何かの誤解だ。説得すれば分かってもらえる」


「でも……」


「リリィを頼む。必ず守ってくれ」


 アーサーは娘の頭を撫でた。


「リリィ、父はすぐに追いつく。母上と一緒に先に行っていなさい」


「お父様も来てね。約束だよ」


「ああ、約束だ」


 アーサーは微笑んだ。

 それが、家族で交わす最後の笑顔になるとは、誰も知らなかった。


 ◆◆◆


 アーサーは、城の正面に立った。

 眼下には、怒りに燃える民衆の群れ。

 松明の炎が、夜を昼のように照らしている。


「皆の者、聞いてくれ!」


 アーサーは声を張り上げた。


「私はアーサー・ヴァルゲイル。お前たちの王だ。何があったのか、話を聞かせてくれ」


「話など聞くか!」


 群衆から石が飛んでくる。

 アーサーの頬を掠め、血が滲んだ。


「お前は呪われている! 娘に呪いをかけられているんだ!」


「だから俺たちを見捨てたんだろう!」


「税を倍にしやがって! 俺の家族は餓死したぞ!」


「娘を出せ! あの魔女を殺せば、全てが元に戻る!」


 アーサーは愕然とした。

 税を倍に? 

 民が餓死? 

 何の話だ。


「待ってくれ、私はそんな命令を出していない! 何かの間違いだ!」


「嘘をつくな!」


「呪われた王の言葉など信じられるか!」


 群衆の怒りは、もはや言葉では止められなかった。

 彼らの目には、アーサーは「民を苦しめる暴君」としか映っていない。

 長年蓄積された恨みと怒りが、一気に噴出していた。


「陛下、危険です! お下がりください!」


 騎士たちが盾を構え、アーサーを守ろうとする。

 けれど群衆は止まらない。


「騎士も王の手先だ! 殺せ!」


 狂気に駆られた民衆が、騎士たちに襲いかかる。

 武器を持たぬ民が、素手で、農具で、石で。

 数の暴力が、訓練された騎士たちを圧倒していく。


「やめろ! やめてくれ!」


 アーサーは叫んだ。

 しかし誰も聞いていない。

 目の前で、忠実な騎士たちが一人、また一人と倒れていく。

 彼らの血が石畳を濡らす。

 断末魔の叫びが夜空に響く。


「くっ……」


 アーサーは剣を抜いた。

 民を斬ることはできない。

 けれどこのままでは皆殺しにされる。

 せめて、妻と娘が逃げる時間を稼がなければ。


「来い! 相手になってやる!」


 アーサーは、群衆の中に飛び込んでいった。


 ◆◆◆


 隠し通路。

 セレスティアは、リリアーナの手を引いて走っていた。


「お母様、お父様は大丈夫?」


「大丈夫よ。お父様は強いから」


 そう言いながらも、セレスティアの心は不安で押し潰されそうだった。

 あの怒号。

 あの殺意。

 夫は無事でいられるのか。

 通路の先に、出口の光が見えた。

 もう少しで外に出られる。

 そこから森に逃げ込めば――


「やあ、王妃様」


 光の中から、人影が現れた。

 痩せぎすの長身。

 鷹のような目つき。

 黒いローブ。


「モルドレッド……」


 セレスティアは、リリアーナを背中に庇った。


「なぜ、ここに」


「なぜ? 決まっているでしょう」


 モルドレッドは、にやりと笑った。


「あなたを迎えに来たのです。王妃様」


「何を言っている」


「王は死にます。民衆に殺されるか、私が殺すか。どちらにせよ、今夜で終わりです」


 モルドレッドは一歩、また一歩と近づいてくる。


「そして新しい王には、新しい妃が必要だ。あなたは私のものになる」


「狂っている……」


「狂っている? ええ、そうかもしれませんね」


 モルドレッドの目が、暗い炎に燃えていた。


「あなたをずっと見ていました。あの美しさ、あの儚さ。王には勿体ない。私こそが相応しい」


「お母様……」


 リリアーナが、セレスティアの服を握りしめる。

 小さな身体が震えている。


「安心しろ、王女」


 モルドレッドは、懐から短剣を取り出した。


「お前の苦しみは、すぐに終わる」


 刹那、モルドレッドが動いた。

 短剣がリリアーナに向かって突き出される。


「リリィ!」


 セレスティアは、咄嗟に娘を突き飛ばした。

 そして、自らが刃の前に立ちはだかる。

 鮮血が飛び散った。


 ◆◆◆


「お……お母様……!」


 リリアーナは、信じられない光景を見ていた。

 母の胸から、短剣の柄が突き出ている。

 白いネグリジェが、見る見るうちに赤く染まっていく。


「逃げ……なさい……リリィ……」


 セレスティアは、それでもモルドレッドにしがみついていた。

 刃が胸を貫いたまま、腕で男の身体を拘束している。


「逃げて……森に……お父様が……必ず……」


「お母様! 嫌! お母様を置いていけない!」


「行きなさい!」


 母の悲痛な叫びが、リリアーナの足を動かした。

 涙で前が見えないまま、リリアーナは走り出した。


「ち、離せ!」


 モルドレッドはセレスティアを振りほどこうとする。

 しかし瀕死の王妃は、驚くほどの力で離さない。


「この……!」


 短剣を引き抜き、何度も何度もセレスティアを刺す。

 それでも、セレスティアは離さなかった。

 娘が逃げる時間を、一秒でも長く稼ぐために。

 やがて、セレスティアの腕から力が抜けた。

 床に崩れ落ちる王妃。

 その顔には、微かな笑みが浮かんでいた。

 娘は、逃げた。

 それだけで、十分だった。


「くそっ……!」


 モルドレッドは舌打ちし、リリアーナの後を追った。


 ◆◆◆


 隠し通路の途中。

 アーサーは、壁に寄りかかる妻を見つけた。


「セレスティア!」


 駆け寄り、妻を抱き起こす。

 その身体は血に塗れ、もはや息も絶え絶えだった。


「あな……た……」


「喋るな! 今、治療を――」


「間に合わない……」


 セレスティアは、震える手で夫の頬に触れた。


「リリィを……お願い……森に……逃がした……」


「リリィは森に? 分かった、すぐに追いかける。だから、お前は――」


「聞いて……」


 セレスティアの目から、涙が溢れた。


「嘘を……ついて……ごめんなさい……」


「嘘? 何の話だ」


「私……あなたの闇を……ずっと……取り込んで……」


 アーサーは息を呑んだ。

 妻のスキルは「癒し」だと思っていた。

 けれど違ったのか。


「スキルを……使うたび……私も……蝕まれていた……でも……あなたに……心配かけたく……なくて……」


「セレスティア……」


「リリィが……私を……浄化して……くれていたの……だから……今まで……保てた……」


 全てが繋がった。

 妻が時折見せていた疲労の色。

 娘が毎晩母の元に通っていた理由。

 二人は、自分を守るために、秘密を抱えていたのだ。


「なぜ、言ってくれなかった……」


「あなたは……王……弱みを……見せられない……でしょう? だから……私が……」


 セレスティアの目が、遠くを見つめた。


「モルドレッドが……裏切り者……彼が……全部……仕組んだ……」


「モルドレッドが……?」


 妻の血が、赤い霧となってアーサーに流れ込んでくる。

 途端、全てが見えた。

 モルドレッドの陰謀。

 ヴィクターとの結託。

 偽の税。

 民衆への嘘。

 そして、妻を手にかけた男の歪んだ欲望。


「……っ!」


 怒りで視界が赤く染まる。

 けれど今は妻の傍にいなければ。


「セレスティア、しっかりしろ!」


「リリィを……」


 セレスティアの手が、力なく落ちた。


「お願い……」


 それが、最後の言葉だった。


「セレスティア……? セレスティア!」


 返事はない。

 アーサーは、冷たくなっていく妻の身体を抱きしめた。

 嗚咽が漏れる。

 しかし悲しんでいる時間はなかった。

 リリィ。

 娘を守らなければ。

 アーサーは妻の遺体をそっと横たえ、森へ向かって走り出した。


 ◆◆◆


 森の中。

 リリアーナは必死に走っていた。

 息が切れる。

 足がもつれる。

 涙で前が見えない。

 それでも、走らなければ。

 お母様が時間を稼いでくれた。

 無駄にしてはいけない。

 けれど運命は、残酷だった。


「いたぞ! 王女だ!」


 松明の光が、森の中に差し込んでくる。

 民衆の一部が、森に逃げ込んだ王女を追ってきていたのだ。


「逃がすな! 呪いの魔女を捕まえろ!」


 リリアーナは悲鳴を上げ、さらに奥へ逃げようとした。

 しかし小さな足では、大人に敵わない。


「捕まえた!」


 腕を掴まれ、引き倒される。

 落ち葉の上に転がり、見上げると、松明を持った男たちが取り囲んでいた。


「お願い、離して! リリィ、何も悪いことしてないよ!」


「嘘をつくな! お前が王に呪いをかけたんだろう!」


「違う! リリィは、お母様を助けてただけ!」


「母親? 王妃にも呪いをかけていたのか!」


 男の顔が、憎悪に歪む。


「この悪魔め。お前のせいで、俺の家族は死んだんだ」


「知らない……リリィ、そんなこと知らないよ……」


「黙れ!」


 拳が、リリアーナの頬を打った。

 小さな身体が吹き飛び、木の幹に叩きつけられる。


「がっ……」


「まだだ。これだけで済むと思うな」


 男たちが、次々とリリアーナに殴りかかる。

 蹴り、踏みつけ、石を投げる。

 幼い少女に対する暴力は、留まることを知らなかった。


「やめて……痛い……痛いよ……」


 リリアーナは丸くなって耐えようとした。

 けれど暴力は止まらない。


「俺の息子を返せ!」


「俺の妻を返せ!」


「お前のせいで、全部お前のせいで!」


 民衆は、自分たちの苦しみを全てこの少女にぶつけていた。

 重税で家族を失った怒り。

 飢えに苦しんだ日々。

 希望を奪われた絶望。

 その全てが、無抵抗の少女に向けられていた。

 白いドレスが、血で赤黒く染まっていく。

 金髪が泥と血にまみれる。

 紫の瞳は涙と血で滲んでいた。

 美しかった王女の姿は、もはや見る影もなかった。


「まだ息があるぞ」


「しぶとい魔女だ。もっとやれ」


 誰かが、鋭利な農具を持ち出した。


「苦しめ。俺たちが苦しんだ分、苦しめ」


 その時だった。


「や、やめろ! 子供に何をする!」


 群衆の中で、一人の老人が叫んだ。

 白髪に皺だらけの顔。

 村で長年畑を耕してきた、温厚な農夫だった。


「これはおかしい! いくら何でも、子供にこんなことを!」


「黙れ、ジジイ!」


 若い男が老人を突き飛ばす。

 老人は他の民衆に押しのけられ、地面に倒れ込んだ。


「お、お前たち……正気か……」


 老人の声は震えていた。

 けれど誰も聞いていない。

 群衆は既に、個人の意思を失っていた。

 ただ一つの巨大な憎悪の塊と化していた。


 ◆◆◆


 森の奥から、悲鳴が聞こえた。


「リリィ!」


 アーサーは、全速力で駆けた。

 枝が頬を切る。

 石に躓きそうになる。

 それでも止まらない。

 やがて、松明の明かりが見えた。

 人だかりができている。

 その中心に――


「リリィ!!」


 アーサーは剣を抜き、民衆に斬りかかった。

 もはや説得など頭になかった。

 娘を傷つける者は、誰であろうと許さない。


「う、うわあああ!」


「王だ! 王が来た!」


 民衆は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 アーサーは追わなかった。

 今は、娘の元へ。


「リリィ……リリィ!」


 駆け寄り、娘を抱き起こす。

 そして、息が止まった。

 変わり果てた姿だった。

 全身に無数の傷。

 折れた骨が皮膚を突き破っている箇所もある。

 顔は腫れ上がり、元の愛らしい面影はほとんど残っていない。

 白いドレスは血で真っ赤に染まり、もはや原型を留めていなかった。


「リリィ……嘘だろ……嘘だと言ってくれ……」


 アーサーの声が震える。

 こんなことがあっていいはずがない。

 こんな理不尽が許されていいはずがない。


「……お……とう……さま……」


 リリアーナの唇が、かすかに動いた。


「リリィ! 生きているのか! 待っていろ、すぐに治療を――」


「……ごめん……なさい……」


「謝ることなど何もない! お前は何も悪くない!」


 リリアーナの腫れた目から、涙が溢れた。


「リリィ……お母様を……治せなかった……力が……弱くて……」


「そんなことはどうでもいい! 今はお前のことだけを――」


「お父様……」


 リリアーナの手が、アーサーの頬に触れた。

 その小さな手から、淡い光が漏れ出す。


「リリィ……お父様のことも……治したかった……」


「やめろ、リリィ。スキルを使うな。お前の身体が持たない」


「だから……ずっと……練習してたの……」


 虹色の光が、二人を包み込む。

 リリアーナの『魂の浄化』が発動していた。


「強くなって……お父様の中の……悪いものを……全部消して……」


「やめろ! やめてくれ!」


 アーサーは娘の手を掴んだ。

 けれどリリアーナは止めなかった。


「お父様……笑って……リリィ……お父様の笑顔……好き……」


「リリィ……」


 アーサーは思い出していた。

 娘が初めて歩いた日。

 初めて「お父様」と呼んでくれた日。

 二人で庭を歩いた、あの春の午後。

 ――あの笑顔を、もう一度見たい。

 けれど心の奥で、分かっていた。

 もう、遅い。


「約束……また……遊んで……ね……」


 光が、一際強く輝いた。

 そして、消えた。

 リリアーナの手が、力なく落ちる。


「リリィ? リリィ!」


 返事はない。

 瞼が閉じられ、穏やかな表情だけが残されていた。

 最期の瞬間まで、父を救おうとしていた。

 それが、十歳の少女にできる、精一杯の愛だった。


「嘘だ……嘘だ……嘘だ……」


 アーサーは、娘の亡骸を抱きしめた。

 体温が、急速に失われていく。

 妻を失った。

 娘を失った。

 守るべき全てを、奪われた。

 なぜだ。

 何が間違っていた。

 民のために戦ってきた。

 弱者を守ってきた。

 正しく生きてきたはずだ。

 それなのに、なぜ。

 娘の血が、赤い霧となってアーサーに流れ込んでくる。

 最後の想いが、心に刻まれる。


 ――お父様を助けたい。

 ――お父様を治したい。

 ――お父様の笑顔が見たい。

 ――大好き。


「ああああああああああああっ!!」


 慟哭が、森に響き渡った。

 アーサーの中で、何かが壊れた。

 心の奥底に押し込めていた闇が、堰を切ったように溢れ出す。

 魔物から取り込んだ憎しみ。

 怨念。

 絶望。

 それらが、妻と娘を失った悲しみと混ざり合う。

 一つの巨大な感情と化していく。

 憎い。

 許せない。

 殺してやる。

 全てを。


 ◆◆◆


 森の中を、民衆が逃げ惑っていた。


「に、逃げろ! 王が来る!」


「殺される! 殺されるぞ!」


 けれど逃げ場などなかった。

 闇の中から、王が現れる。

 その姿は、もはや人のものではなかった。

 金髪は漆黒に染まっている。

 碧眼は深紅に燃えている。

 全身から黒い瘴気が立ち昇り、周囲の草木を枯らしていく。


「モルドレッドォォォォォ!」


 王の咆哮が、森を震わせた。


 その声を聞いた民衆は、本能的に悟った。

 これは、もう王ではない。

 人の形をした災厄だ。


「ひ、ひいいいいっ!」


 逃げようとした男の首が、一瞬で刎ねられた。

 血飛沫が舞う。

 赤い霧となって、王に吸い込まれていく。


「お前たちが……お前たちが、リリィを……」


 王の剣が閃くたび、民衆が倒れていく。

 一人、また一人。

 抵抗する間もなく。

 返り血を浴びるたび、王の瘴気は濃くなる。

 力は増していく。


「許さない……許さない……許さない……」


 虐殺は、夜明けまで続いた。


 ◆◆◆


 森の外れ。

 モルドレッドは、その光景を遠くから見ていた。


「化け物め……想定以上だ」


 民衆を王にぶつければ、消耗して倒しやすくなると思っていた。

 しかし現実は逆だった。

 民衆を殺すたび、王は強くなっていく。


「仕方ない。私も不死となるか」


 モルドレッドは懐から小瓶を取り出した。

 ヴィクターから分けてもらった、不老不死の呪いの薬だ。

 一気に呷る。

 刹那、激痛が全身を貫いた。


「がああああっ!」


 身体が変貌していく。

 皮膚が黒ずむ。

 骨格が歪む。

 人としての姿が、醜く変わっていく。

 けれどそれと引き換えに、不死の力を得た。


「これで……殺されることはない……」


 モルドレッドは立ち上がり、王の元へ向かった。


 ◆◆◆


「見つけたぞ、モルドレッド」


 森の中央。

 死体の山の上で、二人は対峙した。


「陛下……いえ、もう王ではありませんね」


 モルドレッドは、醜く変貌した顔で嘲笑する。


「セレスティア様は、実に良い女でした。最期まで、娘を守ろうとしていた」


「貴様……」


「あの美しい身体を、もっと堪能したかったのですがね。惜しいことをしました」


 殺意が、爆発した。


「死ねえええええ!!」


 アーサーの剣が、モルドレッドを両断した。

 けれど傷口はすぐに塞がる。


「無駄ですよ。私は不死だ。何度斬られても死にません」


「ならば、何度でも斬る!」


 アーサーは狂ったように剣を振るった。

 腕を斬り、足を斬り、首を刎ね。

 そのたびにモルドレッドは再生し、嘲笑う。


「諦めなさい。あなたには私を殺せない」


「黙れ!」


 激闘が続く中、アーサーは気づいた。

 モルドレッドの血を浴びるたび、不思議な感覚がある。

 血が霧となって自分に流れ込む。

 そして――魔力が、増えていく。


「……そうか」


 アーサーは剣を止めた。


「私のスキルは、血から魂を取り込む力だ」


「何を……」


「お前が不死でも、魂まで不死ではあるまい」


 アーサーは、モルドレッドの胸に手を突き入れた。


「な、何を……がああああああ!」


 直接心臓を掴む。

 血を強制的に取り込む。

 モルドレッドの血が、赤い霧となってアーサーに流れ込んでいく。


「お前を、魂ごと食ってやる」


「や、やめろ……やめてくれ……」


 モルドレッドの身体が、崩れ始めた。

 不死の呪いがあっても、魂が抜かれれば肉体は維持できない。


「ひ、ひいいいっ……俺は……俺は王に……」


「黙れ。お前の言葉など、聞く価値もない」


 最後の血が吸い込まれ、モルドレッドは崩れ落ちた。

 ただの肉塊となって、地面に転がる。

 そして、アーサーはモルドレッドの記憶を全て知った。

 陰謀の全容。

 ヴィクターとの結託。

 各地で行われた悪行。

 加担した貴族たち。

 民衆を騙した手口。

 全てが、明らかになった。


「ヴィクター……貴様も、許さん」


 ◆◆◆


 同じ頃。

 ヴィクター・ゴールドハイム公爵は、財宝を馬車に積み込んでいた。


「急げ! もっと積め!」


 状況が悪くなったと見るや、真っ先に逃げ出そうとしていた。

 金さえあれば、どこでもやり直せる。

 他国に逃げて、また贅沢に暮らせばいい。


「公爵様、民衆が!」


「何?」


 館の外から、怒号が聞こえてくる。


「ゴールドハイムを殺せ!」


「お前も王の仲間だろう!」


 民衆の一部が、公爵の館に押し寄せてきていた。

 彼らはようやく気づいたのだ。

 税を引き上げたのは王ではなく、この公爵だと。


「ば、馬鹿な……なぜバレた……」


「モルドレッドの使い魔が消えたのです。情報統制ができなくなりました」


「くそっ……!」


 ヴィクターは懐の小瓶を取り出した。

 不老不死の薬。

 これを飲めば、殺されることはない。

 けれど躊躇した。

 飲めば、姿が醜く変貌する。

 あの美しい装飾品も、贅沢な衣服も、似合わなくなる。

 それは、ヴィクターにとって死よりも恐ろしいことだった。


「ま、待て! 話を聞け! 俺は味方だ!」


 館に雪崩れ込んできた民衆に、ヴィクターは必死に叫んだ。


「王を倒すために協力したんだぞ! お前たちのためにやったんだ!」


「嘘をつくな!」


「お前が税を上げたんだろう!」


「俺の家族を返せ!」


 民衆は聞く耳を持たなかった。

 彼らは真実を求めていたのではない。

 怒りをぶつける対象を求めていたのだ。

 王女が死に、王が化け物となった今、新たな標的が必要だった。


「や、やめ――」


 民衆が、ヴィクターに襲いかかった。

 殴り、蹴り、刺し、引き裂く。

 かつて彼が民衆にしてきたことが、そのまま返ってきた。


「ぎゃあああああ!」


 断末魔の悲鳴が上がる。

 やがて静かになった。

 公爵の死体は、原型を留めていなかった。

 皮肉にも、彼が蒔いた憎しみの種が、彼自身を滅ぼしたのだった。


 ◆◆◆


 夜が明けた。

 アーサーは、廃墟となった城の玉座に座っていた。

 周囲には、無数の死体が転がっている。

 民衆。

 兵士。

 騎士。

 誰彼構わず殺した。

 モルドレッドの記憶から、陰謀に加担した者たちの名を知った。

 貴族たち。

 商人たち。

 役人たち。

 そして、民衆を殺した者たち。

 全員の居場所を突き止め、必ず殺す。

 けれどそれだけでは足りない。

 民衆は騙されていた。

 それは分かっている。

 しかし騙されたからといって、娘を殺した罪は消えない。

 あの子は何も悪くなかった。

 母を助けようとしていただけだった。

 それなのに、あんな目に遭わせた。

 許せない。

 許せるわけがない。

 民衆だけではない。

 人間という種族そのものが信じられなくなった。

 簡単に嘘を信じ、簡単に暴力を振るい、簡単に命を奪う。

 そんな存在が、生きている価値があるのか。


「……全て、滅ぼしてやる」


 アーサーは立ち上がった。

 彼の中で、無数の魂が蠢いている。

 騎士たちの魂。

 魔物たちの魂。

 モルドレッドの魂。

 殺した民衆たちの魂。

 その全てが、混ざり合い、一つの巨大な力となっていた。

 瘴気が溢れ出し、城全体を包み込む。

 黒い霧が立ち昇り、空を覆っていく。

 英雄王アーサー・ヴァルゲイルは、この日死んだ。

 そして、魔王が誕生した。


 ◆◆◆


 夢の中で、リル・リルは声を上げて泣いていた。

 純粋な愛が、歪んだ悪意によって踏みにじられた。

 幸せな家族が、陰謀によって引き裂かれた。

 そして、英雄が魔王へと堕ちた。

 けれど夢の中の彼女には、何もできない。

 ただ、見届けることしか。

 涙で視界が滲む中、リル・リルは気づいた。

 アーサーの中で、妻と娘の魂が静かに寄り添っている。

 彼は気づいていない。

 けれど二人は確かにそこにいる。

 どれだけ闇に染まっても、その魂だけは失われていない。

 ――いつか、きっと。

 リル・リルは、そう祈った。

 いつか、この魂が彼を救う日が来ると。


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