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率先垂範

 ドラゴとキャルの二人が騒がしい。

 興奮を隠しきれない様子で、クラーラとギラに詰め寄っていた。


「なあなあ、ちょっとだけ俺にも試させてくれよ」

「ああ~もぉ~凄っごい魔力を感じたんだぁ、私も使ってみたいよぉ」


 校長先生から貰った杖。二人はそれを試し撃ちしたくてたまらないらしい。


「ちょっと待ってよ、危ないって」

「アンタが使ったら、校長先生ごと丸焼けになるのが見えるわね」

 クラーラが冷たく言い放つ。ギラも困った顔で首を振っている。


「いやだぁ、使いたい使いたい、使わせてぇ!」

「頼むよぉ、ほんの少し、先っちょだけでもいいからさ」

 まるで子供がおもちゃをねだるように駄々をこねる二人。その光景に、思わず笑みがこぼれる。


 そんな光景を、ガルは冷めた目で眺めていた。

「そんなものに頼らずとも、我が魔法は十分に強い。ふん、今回はしてやられたがな」

 リーラはそんなガルを見て、穏やかに微笑んでいる。

 魔法バトルロワイヤルでの出来事は、あくまで学校行事だ。争いではない。生徒たちは皆、それぞれの結果を受け入れ、一回り成長した手応えを感じているようだった。


 そこに突然、リル先生がやってきた。

 顔は青ざめ、額に汗を浮かべ、息を切らしている。慌てふためく様子は尋常ではない。いつものコスプレも準備する暇がなかったのか、上下ともジャージ姿で、髪は後ろにまとめたままだった。


「皆さん、緊急事態です。今すぐ森の中に避難してください」

「先生、一体何があったんですか?」

 俺が問うと、リル先生は間髪入れずに答えた。

「魔王が来ます。生徒たちはすぐに避難してください」


 魔王。

 その言葉に、理解が追いつかない。

 魔王は封印されているはずだ。母さんが封印し、三百年は出られないと聞いた。

 いや、校長先生は魔王が今にも復活すると言っていた。

 俺は事態の深刻さを理解していなかったのだ。

 校長先生の言葉は生徒を鼓舞するためのものだと、心のどこかで思っていた。

 魔王を倒すなどと息巻いていたが、それは遠い未来の話で、今日明日に起こることだとは考えていなかった。

 その魔王が来る? ここに? 今?


「すぐに移動するんだ。僕についてきて」

 呆けている俺の手を、コイムの華奢で細い腕が力強く引いた。

「先生はどうするんですか? 校長先生はどうやって避難を」

 リーラがリル先生に食い下がる。

「校長先生は動けません。先生全員で迎え撃ちます。大丈夫、私たちは強い。早く移動して」

「嫌です。私も残って戦います」


 リル先生はリーラの顔を両手で包み込んだ。そして真っ直ぐに見つめ、微笑む。

「あなたの心配は、先生には見えています。でもそうはならないことを、先生は約束します。どうか信じて。先生に心配をかけさせないで」

「……わかりました。ごめんなさい」

 リーラはそう言うと、振り向いて走り出した。目に涙を溜めながら。

 俺たちは後ろ髪を引かれる思いで、校舎を後にする。

 振り返ると、リル先生は真っ直ぐに俺たちを見つめていた。その瞳に何を映していたのか。俺たちには、わからない。


 森に入る手前で、パフ先生の念話が響いてくる。

『生徒諸君、森に入ったら決して外に出ぬように。森の外では安全を保証できぬ。忘れるな――魔王との戦いを、その目に刻め』

 生徒たちの足が止まった。悔しさと悲しさが入り混じった表情。しかし、先生たちが全力を出すためには、俺たちは邪魔だ。足手まといを抱えて勝てる相手ではない。

 そんなこと、分かっている。

 でも――

「ああっ……!」

 ギラが拳を地面に叩きつけた。

「あの杖…… 校長先生から貰った、あの杖、部屋に置いたまま……」

「あれがあれば……」

 クラーラも唇を噛みしめる。その瞳には涙が浮かんでいた。

「私たちだって、戦えたかもしれないのに……!」

「馬鹿ね」

 キャルが静かに言った。その声は震えている。

「アンタたちが戦ったって、足手まといになるだけよ。……私も、同じだけど」

 ガルは何も言わず、ただ校舎の方を睨みつけていた。拳を握りしめ、全身を震わせている。その目には、悔しさと無力感が滲んでいた。


「覚悟を決めなきゃ……」

 俺は呟いた。

「何のこと? 何をするつもりなの」

 コイムが不安げな顔で俺を見る。

「全部さ。これから起こること、これから見ること。全部受け入れる覚悟だよ」

「先生たちは、身を挺して俺達を守ろうとしている。そして魔王の脅威と力、その戦い方を教えようとしている」

「俺達は見届けなきゃならない。先生たちの覚悟を、目をそらさずに見るんだ」

「そして、魔王に抗う力を手に入れなければならない」


 俺達は振り返る。森の外、学園の周辺には暗雲が立ち込め始めていた。


 ◆◆◆


 森の中、木々の隙間から俺たちは息を呑んで戦場を見つめていた。

 学園の上空。黒い雲が渦を巻き、稲妻が走る。その中心に、一つの影があった。

 黒髪に深紅の瞳。圧倒的な悪の存在、魔王ヴァルゲイル。

 その姿を見た瞬間、全身が凍りついた。圧倒的な威圧感。遠く離れているのに、呼吸すら忘れそうになる。

「これが……魔王」

 誰かが呟いた。声が震えている。

 魔王の視線が学園を見下ろす。その瞳には、何の感情も宿っていないように見えた。いや、違う。あれは――絶望だ。全てを諦めた者の目。

 魔王が腕を振り上げた。

 その動きだけで、森にいる俺たちの肌が粟立つ。何かが来る。何か、とてつもなく恐ろしいものが。

 漆黒の波動が学園に向かって放たれた。


 ◆◆◆


 ――その時だった。


 学園の中心、巨大な老木が眩い光を放った。

 校長先生――アーカンダム・ユグドラシル。学園に根を張る世界樹の化身が、その真の力を解放したのだ。

「時の流れよ、空間の理よ――我が声に応じよ」

 校長先生の声が響く。普段の穏やかな語り口とは違う、威厳に満ちた重低音。大地そのものが震えているような響き。

 老木から無数の光の枝が伸び、学園全体を包み込んだ。魔王の黒い波動が光の結界にぶつかり、弾け散る。

 だが、校長先生の反撃はそれだけでは終わらなかった。

「時空断層――『永劫の檻』」

 空間が歪む。魔王を中心に、時間と空間が捻じ曲がり、巨大な檻を形成していく。過去と未来が混ざり合い、魔王の周囲に無数の亀裂が走った。

 魔王の動きが止まる。いや、止められたのだ。時空の牢獄に囚われて。

 魔王を閉じ込めた光の檻が、徐々に収縮していく。時空の断層が魔王の体を削り取っていく。


 だが、その時――


「――くだらん」


 魔王の声が響いた。時空の歪みの中から、平然と。

 深紅の瞳が光る。

 次の瞬間、檻が内側から砕け散った。

「な……」

 校長先生の声が震えた。

 魔王が檻から解放される。その体には傷一つない。

「三百年前と同じ手を使うか、老木よ。だが同じ手は二度と通用せん」

 魔王が腕を振るう。漆黒の斬撃が校長先生の本体――巨大な老木に向かって放たれた。


 その時、巨大な影が魔王に突撃した。

 パフ先生だ。

 エンシェントドラゴンの巨体が、魔王の斬撃を遮る。赤い鱗が火花を散らし、衝撃を受け止めた。

『魔王よ、貴様の相手は我だ!』

 念話が響き渡る。威厳に満ちた声。

 パフ先生が口を開く。業火が渦を巻き、魔王に向かって放たれた。

 火炎のブレス。全てを焼き尽くす竜の息吹。

 魔王がそれを切り裂く。だが、パフ先生は怯まない。尻尾を振るい、爪を振り下ろし、執拗に魔王に食らいつく。

「竜か。懐かしいな」

 魔王が漆黒の剣を構える。

 攻防が繰り広げられる。パフ先生の鱗が魔王の攻撃を弾き、魔王がパフ先生のブレスを切り裂く。

 だが、誰の目にも明らかだった。パフ先生が押されている。徐々に傷が増え、動きが鈍くなっていく。

 それでもパフ先生は退かない。

『まだだ……まだ終わらん……!』

 まるで何かを待っているように。

 ついに魔王の剣が竜の鱗を突き破る。

 パフ先生は首に深々と剣を突き立てられ、血しぶきを上げ地面へと落ちてゆく。

 しかしその顔には、無念の色は無かった。むしろ、何かを成し遂げたような――そんな表情。


 学園の中心から、眩い光が立ち上った。

 校長先生の老木を中心に、無数の魔法陣が浮かび上がる。それは一つではなかった。炎の赤、氷の青、雷の紫、風の緑――あらゆる属性の光が渦を巻き、一点に収束していく。

 パフ先生が時間を稼いでいたのは、このためだったのだ。

 校長先生の声が、大気を震わせて響く。

「我が身は器。全ての力を一つに束ねん――」

 収束した光が、一本の槍となった。

 純白に輝く、巨大な光の槍。先生たち全員の魔法を束ねた連携魔法。

「――『天穿つ聖槍』」

 光の槍が放たれた。

 槍はその速さで天を結ぶ線となり、魔王に向かって突き進む。

 魔王が迎撃しようと腕を振るう。だが、間に合わない。

 光の槍が魔王の胸を貫いた。

 凄まじい爆発。閃光が視界を覆い尽くす。


 ◆◆◆


 衝撃波が森を揺らし、木々がざわめく。

 俺たちは思わず目を閉じ、腕で顔を覆った。

「や……やった……!」

 歓声が上がった。生徒たちが飛び跳ねる。

 光が収まった後、そこには魔王の姿がなかった。跡形もなく消し飛んだのだ。

「勝った……のか?」

 俺は信じられない思いで呟いた。

「す、すごい……」

 リーラが震える声で呟いた。

「これが校長先生の本気……時空属性の極致」

 コイムも息を呑んでいる。同じ時空属性を持つ者として、その凄まじさを誰よりも理解しているのだろう。

 先生たちの連携魔法。それは確かに魔王を消滅させた。

 だが、パフ先生が地面に倒れ込んでいる。全身に深い傷を負い、赤い鱗が血に染まっていた。


 ◆◆◆


「パフ先生……!」

 リル先生がパフ先生に駆け寄る。

『我のことは……よい。魔王は……倒したのだ……』

 弱々しい念話。だが、その声には安堵が滲んでいた。

 勝ったのだ。先生たちは、魔王を倒したのだ。


 そう思った、その時だった。


 パフ先生の体から流れ出た血が、不自然に蠢いた。

 地面に広がった血溜まりが、一点に向かって吸い込まれていく。

「な、何だ……?」

 リル先生が戦慄の声を上げた。

 血が集まった場所に、黒い靄が立ち上る。

 そして、その靄の中から――魔王が姿を現した。

「馬鹿な……」

 リル先生の悲鳴が響いた。

 魔王は平然と立っていた。胸に空いていたはずの穴は、跡形もなく塞がっている。それどころか、さっきよりも気配が強大になっていた。

「竜の力か。悪くない」

 魔王がゆっくりと手を見つめる。

 パフ先生の血から、力を吸い取ったのだ。

「血によって魂を取り込む……これが魔王の能力」

 リル先生が震える声で言った。

 倒しても意味がない。血を吸って回復し、さらに強くなる。

 どうすればいい。どうやって勝てばいい。

 絶望が広がっていく。


 その時、リル先生が立ち上がった。

 ジャージ姿の細い体が、魔王の前に立ちはだかる。

「リル先生! 逃げて!」

 誰かの叫び声が聞こえる。だが、リル先生は動かない。

 魔王がゆっくりとリル先生に近づく。

「邪魔だ」

 漆黒の剣が振り上げられた。


 その時、リル先生が魔王を見上げた。

 瞳が金色に輝く。

 魔眼――心を読むスキル。しかし読むだけではなかった。


「あなたの心に入ります」


 リル先生の瞳が魔王の深紅の瞳と交差した。

 一瞬、時が止まったように見えた。

 魔王の動きも止まっている。まるで操られているかのように。


 そして――

「あ……ああ……」

 リル先生の顔色が変わった。青ざめ、そして蒼白になっていく。

 涙が溢れ出す。止めどなく。

「そんな……そんなこと……」

 リル先生の体が震え始めた。ガタガタと、抑えきれない震えが全身を走る。

「なんて……いやだ、やめて……」

 リル先生の膝が折れた。

 その瞳からは光が消え、虚ろになっていく。

「あなたは……これほどの……」

 それが最後の言葉だった。

 リル先生の体が崩れ落ち、そのまま動かなくなった。


「ようやく出ていったか。……何を見た」

 魔王が静かに問いかける。その声には、かすかな動揺が混じっているように聞こえた。

 だが、リル先生は答えない。気を失ったまま、涙だけが頬を伝い続けていた。

 魔王はしばらくリル先生を見下ろしていた。

 そして、剣を振り上げた手を、ゆっくりと下ろした。

「……我が苦しみを味わえ」

 魔王が背を向ける。

 暗雲が渦を巻く空の下、魔王は静かに佇んでいた。

 その背中には、途方もない孤独が滲んでいるように見えた。


 ◆◆◆


 森の中、俺たちは呆然と立ち尽くしていた。

「リル先生……どうなったんだ……」

 俺は震える声で呟いた。

 魔王の心の中で、何をされたのか。

 その何かでリル先生は倒れてしまった。

 その時、俺は気づいた。

 自分の無力さに、勇者の血を受け継いでいながら、今ここで何もできない自分に。

 ただ見ていることしかできない。

 だが、今は見届けるしかない。

 先生たちの覚悟を。魔王の絶望的な力を。

 そして、その先にある――希望を見つけ出すために。


 暗雲が渦を巻く空の下、戦いはまだ終わらない。


 ◆◆◆


 リル先生の意識は、闇の底に沈んでいた。

 だが、その瞳の奥には、今も鮮明に焼きついている光景があった。


 ――金髪の青年が、玉座に座っている。

 その顔には穏やかな笑みが浮かび、傍らには銀髪の女性が寄り添っていた。

 青年の膝の上では、幼い少女が無邪気に笑っている。

 青年は優しく少女の頭を撫で、女性は幸せそうに微笑んでいた。

 それは、どこにでもある幸福な家族の姿。


 リル先生の閉じた瞼から、また一筋の涙がこぼれ落ちた。


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