属性矯正
光が、暴走していた。
施術室に白い閃光が満ちる。壁に刻まれた魔法陣が悲鳴を上げるように明滅し、空気が焼けるような熱を帯びた。
リーラは施術台の上で、苦悶の声を漏らしていた。
「リーラ! 魔力を抑えなさい!」
父の声が響く。だが、リーラには届かない。
腰に巻いたベルトが、異常な光を放っていた。コイムから貰った魔道具。光以外の属性を光に変換する装置。
それが今、施術の魔力と干渉し、制御を失っている。
「あ……ああ……っ!」
リーラの体から、二つの力が噴き出していた。
白い光。そして——歪んだ空間。
光属性と時空属性。本来なら反発し合うはずの二つの力が、魔道具の中で衝突し、増幅されていく。
「なんだ!? この魔石は一体……」
父の顔が驚愕に歪んだ。
「なぜだ……何故こんな物を身に着けている!」
リーラは答えられなかった。体中を魔力が駆け巡り、意識が遠のいていく。
ベルトの魔石が、ひび割れた。
「いけない——」
母の声。
銀髪の女性が飛び出し、リーラを抱きしめた。
「セレナ! 離れろ!」
父が叫ぶ。
次の瞬間——魔道具が砕け散った。
爆発的な光が部屋を満たす。リーラの意識は、そこで途切れた。
◆◆◆
どれくらい時間が経っただろうか。
リーラが目を覚ましたのは、自室のベッドの上だった。
「……お母様……?」
枕元に、母の姿があった。
セレナは疲れ切った顔をしていたが、娘の目覚めに安堵の表情を浮かべた。
「よかった……目が覚めたのね……」
「私、施術の途中で……」
「大丈夫。もう終わったわ」
セレナがリーラの手を握った。その手は、かすかに震えていた。
「魔道具が……壊れてしまったの」
リーラは自分の腰を見た。
ベルトがあった場所には、何もない。
「コイムくんの……」
「残骸は、お父様が回収したわ」
セレナの声が沈んだ。
「あの魔道具で……お父様は全てを知ってしまった。あなたの時空属性が、学園に知られてしまった事を」
リーラの胸が冷たくなった。
仲間が私のためにしてくれたこと、それに報いることが出来ないばかりか、それを失ってしまった。
「お父様は、激怒していたわ」
セレナが目を伏せた。
「あなたが学園で『穢れた魔道具』を使っていたこと。時空属性を知られた証拠だと。全てが……許せないと」
「お父様は……今、どこに……」
「施術室よ。より強力な矯正の準備をしているわ」
リーラの顔から血の気が引いた。
「より強力な……?」
「時空属性を完全に消し去るための施術。今までとは比べものにならないほど過酷なものになるわ」
セレナの目に涙が滲んだ。
「私は止めようとしたの。何度も。でも、お父様は聞いてくれなかった」
「お母様……」
「ごめんなさい、リーラ。私には……お父様を止める力がないの」
セレナがリーラを抱きしめた。
その体が震えている。母もまた、苦しんでいるのだ。
「お母様」
リーラは母の背中に手を回した。
「私、学園に……戻りたいです」
セレナが息を呑んだ。
「仲間が、待ってるんです。飯場くんが、コイムくんが……みんなが」
「リーラ……」
「だから……諦めたくない」
リーラの目から涙が溢れた。
「私、諦めたくないんです……」
セレナはしばらく黙っていた。
やがて、娘をそっと離し、その目を見つめた。
「……わかったわ」
セレナが立ち上がった。
「私にできることは少ないけれど……」
窓の外を見る。空は夕暮れに染まり始めていた。
「あの学園の校長先生に、全てを伝えるわ。あなたの本当の属性のこと、施術のこと、そして——あなたが学園に戻りたがっていること」
「お母様……!」
「お父様には内緒よ」
セレナが微笑んだ。その笑顔は悲しげだったが、どこか決意に満ちていた。
「あなたの仲間たちが……助けに来てくれるかもしれない」
◆◆◆
翌朝。
俺は学園の廊下を歩いていた。
リーラの退学から数日が経っていた。
コイムたちと情報を集めているが、決定的な手がかりは見つからない。リーラが毎晩「施術」を受けているという噂だけ。
「飯場くん」
声をかけられて振り返った。
リル・リル先生が立っていた。今日のコスプレは——聖騎士。白銀の鎧に、光り輝く剣。
だが、その顔は真剣そのものだった。
「先生」
「少し、話があるの。ついてきて」
いつもの軽い調子がない。
俺は黙って頷き、先生の後について歩いた。
◆◆◆
先生が俺を連れてきたのは、校長室だった。
巨大な窓から差し込む光の中に、一本の木が立っている。
校長先生——アーカンダム・ユグドラシル。
「来たか、飯場仲斗」
校長が俺を見た。その目は、いつになく真剣だった。
「座るのじゃ」
促されるまま、椅子に腰を下ろす。先生も隣に座った。
「リーラ・ブライトのことじゃ」
校長が切り出した。
「お前は、あの子を助けたいと言っておったな」
「はい」
「ならば、知っておくべきことがある」
校長が目を閉じた。
「昨晩、セレナ・ブライト——リーラの母君から連絡があった。全てを打ち明けられたのじゃ」
リーラの母親から?
「リーラの本当の属性は——時空じゃ」
俺は息を呑んだ。
「時空……? でも、リーラは光属性の——」
「矯正されておるのじゃ」
校長の声が重くなった。
「時空属性を、光属性に。毎日、毎晩、あの子は施術を受けておる。自分の属性を殺すための施術を」
矯正。
その言葉の意味が、ようやく理解できた。
「矯正とは、魔力の一つを体内で暴走させ、もう一方を打ち消す施術じゃ。副作用として、強い苦しみと共に魔力の不安定化が伴う」
リーラの顔色が日に日に悪くなっていた理由。それは——
「あの子は、毎日苦しんでいたのか……」
「そうじゃ。そして——」
校長の声が一層沈んだ。
「コイムが作った魔道具が、施術中に暴走して壊れたそうじゃ」
俺の心臓が跳ねた。
「コイムの魔道具が……?」
「あの魔道具は、光以外の属性を光に変換する仕組みだったな。じゃが、矯正の施術と干渉してしまったのじゃ。結果——リーラが時空属性を使ったと露見してしまった」
つまり——
「俺たちのせいで……リーラの秘密がバレたってことか……」
「責めるでない」
校長が首を振った。
「コイムも、お前も、リーラを助けようとしたのじゃ。結果が裏目に出たとしても、それは誰のせいでもない」
「でも……!」
「今は、過去を悔やむ時ではない」
校長が俺を見据えた。
「問題は、これからじゃ」
「これから?」
「レイモンドは、魔道具の存在を知って激怒したそうじゃ。『穢れた道具』でリーラの時空属性が学園に知られたことを恥じ、娘を退学させた」
それが——退学の本当の理由か。
「そして今、レイモンドはより強力な矯正を行おうとしておる。時空属性を完全に消し去るための施術じゃ」
「完全に……?」
「成功しても、リーラは二度と魔法を使えなくなるかもしれん。失敗すれば——」
校長は言葉を切った。だが、その沈黙が全てを物語っていた。
「セレナ殿は、施術を止めようとしたそうじゃ。何度もレイモンドに訴えた。じゃが、聞き入れてもらえなかったと」
「なぜだ……! 母親の言うことも聞かないのか……!」
「レイモンドは、娘を守るために矯正を選んだのじゃ」
校長の声は静かだった。
「ブライト家は光属性の名門。時空属性は『闇に近い忌むべき属性』として蔑まれておる。レイモンドは、そうした偏見から娘を守ろうとしておるのじゃ」
「守る? あれが?」
怒りが込み上げてきた。
「毎日苦しめることが、守ることなのか」
「レイモンドはそう信じておる。この世界の闇属性や時空属性への偏見は、それほど深く根付いておるのじゃ」
校長が窓の外を見た。
「わしは何度も、矯正をやめるよう進言した。じゃが、レイモンドは聞き入れなかった。家の名誉のため、娘の将来のため——そう言っての」
「くそ……」
俺は拳を握りしめた。
「それで、リーラはどう思ってるんですか。リーラ自身は」
校長の目が、少しだけ和らいだ。
「セレナ殿から聞いたのじゃが——リーラは、学園に戻りたいと言っておるそうじゃ」
俺の心臓が熱くなった。
「仲間が待っている、と。飯場くんが、コイムくんが、みんながいる——だから諦めたくない、と」
「リーラ……」
「セレナ殿は、娘のその言葉を聞いて、わしに全てを打ち明ける決意をしたのじゃ。レイモンドには内緒での」
リーラの母親は、娘のために動いてくれたのだ。
俺は立ち上がった。
「行かせてください」
「仲斗」
「リーラを助けに行きます」
「待つのじゃ」
校長が手を挙げた。
「レイモンドは強い。光魔法騎士団の元団長じゃ。お前一人では——」
「それでも行きます」
俺は校長を真っ直ぐに見た。
「リーラは俺の仲間です。仲間が苦しんでいるのに、何もしないなんてできない。それに——」
拳を握りしめる。
「俺たちの魔道具が、リーラの秘密をバラしてしまった。責任がある」
「仲斗くん……」
リル先生が心配そうに俺を見た。
「責めるでないと言うたじゃろう」
校長が言った。だが、俺は首を振った。
「責められなくても、俺は行きます。リーラを助けたい。それだけです」
校長がしばらく俺を見つめていた。
やがて、その口元に微かな笑みが浮かんだ。
「……お前の父親に似てきたのう」
「親父に?」
「勇者飯場勇二郎。あやつも、仲間のためなら何でもする男じゃった」
校長が立ち上がった。枝葉がさわさわと揺れる。
「行くがよい、飯場仲斗。じゃが、覚えておれ」
「何をですか」
「レイモンドは悪人ではない。方法を間違えておるだけの、不器用な父親じゃ。そして——」
校長の目が、真剣な光を帯びた。
「セレナ殿もまた、苦しんでおる。娘を守りたいのに、夫を止められぬ自分を責めておる。二人とも、リーラを愛しておるのじゃ。ただ、その方法が——」
「わかってます」
俺は頷いた。
「俺は、リーラの両親を敵だと思っていません。ただ——間違いを正したいだけです」
校長が満足げに頷いた。
「よく言うた。ならば、行くがよい」
「先生」
リル先生が立ち上がった。
「私も行きたいところだけど……これは、あなたが行くべきね」
「先生……」
「リーラを頼んだわよ」
先生が微笑んだ。その目には、期待と信頼が込められていた。
「行ってきます」
俺は校長室を飛び出した。
◆◆◆
ブライト公爵邸。
俺は再び、あの白亜の屋敷の前に立っていた。
夕暮れの光が、門の紋章を橙色に染めている。
「また来たのか」
門の前で、衛兵が俺を睨んだ。
「レイモンド・ブライトに会わせてくれ。飯場仲斗だ」
「公爵は取り込み中だ。帰れ」
「帰らない」
俺は一歩も引かなかった。
「リーラに会わせろ。さもなければ、この門を壊してでも入る」
衛兵の顔が強張った。俺の手に、闇の魔力が渦巻いている。
本気だと、伝わったようだ。
「……少々お待ちを」
衛兵の一人が屋敷に走っていった。
しばらくして、門が開いた。
レイモンド・ブライトが現れた。
昨日と同じ威厳ある風貌。だが、その目の下には隈があり、顔色も優れない。眠れていないのだろう。
「また来たか、勇者の息子」
「リーラに会わせてください」
「断る」
レイモンドの声は冷たかった。
「あの子は療養中だ。誰にも会わせん」
「療養? 違うだろ」
俺はレイモンドを睨んだ。
「矯正だ。時空属性を消すための」
レイモンドの目が見開かれた。
「……誰から聞いた」
「そんなことはどうでもいい。リーラを苦しめるのをやめてくれ」
「苦しめる、だと?」
レイモンドの声に、怒りが滲んだ。
「私は娘を守っているんだ。時空属性などという忌まわしい力から」
「忌まわしい? リーラの力が?」
「そうだ」
レイモンドが一歩前に出た。その手に、何かを握っている。
「これを見ろ」
レイモンドが手を開いた。
そこには——砕けた魔石と、焼け焦げた革の破片があった。
コイムの魔道具の残骸だ。
「これが何かわかるか」
「……コイムが作った魔道具だ」
「そうだ。お前の仲間が作った——穢れた道具だ」
レイモンドの声が低くなった。
「この道具のせいで——、リーラに時空属性など無い。リーラにこんなものは必要ない。そうするための施術だ」
俺は唇を噛んだ。
「あの道具は、リーラを助けるために——」
「助ける?」
レイモンドが嗤った。
「結果はどうだ。リーラの秘密はバレ、学園を去ることになった。お前たちの『助け』が、娘を追い詰めたのだ」
その言葉が、胸に突き刺さった。
だが——
「それでも」
俺は顔を上げた。
「俺たちは、リーラを助けたかった。リーラの力を認めて、一緒に戦いたかった。それが間違いだったとは思わない」
「綺麗事を」
「綺麗事じゃない」
俺はレイモンドに詰め寄った。
「あんたは、リーラの時空属性を『穢れ』だと言う。でも、俺はそう思わない。リーラの力は——リーラ自身の力だ。親から貰った、大切な贈り物だ」
レイモンドの顔が歪んだ。
「贈り物だと? 忌まわしい属性が?」
「俺も同じだ」
俺は拳を握りしめた。
「俺は半魔族だ。人間と魔族のハーフ。闇属性を持って生まれた。あんたみたいな奴に、何度も蔑まれてきた」
レイモンドが目を細めた。
「だが、俺の両親は俺を褒めてくれた。闇属性の才能があると喜んでくれた。これはお前の力だ、大切にしろって」
親父と母の顔が浮かんだ。
「俺の属性は、両親からの贈り物だ。リーラの属性だって同じはずだ。なのにあんたは、その贈り物を奪おうとしている」
「黙れ」
レイモンドの声が低くなった。
「お前に何がわかる。この世界の現実を知らんくせに」
「現実?」
「そうだ。時空属性がどう扱われるか、知っているのか」
レイモンドの目に、苦悩の色が浮かんだ。
「社交界では『闇の血筋』と蔑まれる。政界では発言権を奪われる。婚姻すら断られる。私は——娘をその苦しみから守りたいだけだ」
「だからって、毎日苦しめていいのか」
「一時の苦しみで、一生の幸せが得られるなら——」
「幸せ?」
俺の声が大きくなった。
「あんたが決めるのか? リーラの幸せを、あんたが?」
「親だからだ」
「親なら、娘の話を聞けよ!」
俺は叫んだ。
「リーラは学園に戻りたがってる! 仲間と一緒にいたいって! あんたの奥さんだって、施術を止めてくれって頼んだはずだ! なのにあんたは——」
「セレナの言葉を、どこで……!」
レイモンドの顔が強張った。
「あいつが、校長に……」
しまった——セレナさんのことを言ってしまった。
だが、もう引き返せない。
「セレナさんは、リーラを助けたかったんだ。あんたに聞き入れてもらえないから、他の方法を探したんだ」
「余計なことを……!」
「余計じゃない!」
俺はレイモンドに詰め寄った。
「あんたの家族は、二人ともあんたを止めようとしてる。それでもわからないのか!?」
レイモンドが黙った。
その拳が、震えていた。
「……わかっている」
低い声だった。
「わかっているんだ。セレナも、リーラも、私のやり方を望んでいないことくらい」
「なら——」
「だが、私には他の方法がわからん」
レイモンドが顔を上げた。
その目に——苦悩と、わずかな迷いが見えた。
「時空属性を持ったまま、この世界で生きていく方法が。娘を守る方法が。私には——わからんのだ」
俺は言葉を失った。
レイモンドは——本当に、リーラを守りたいだけなのだ。
方法が、間違っているだけで。
「俺に任せてくれ」
気づけば、そう言っていた。
「は?」
「俺が、リーラを守る」
レイモンドが俺を見つめた。
「お前に、何ができる」
「わからない。でも、一つだけ言える」
俺は真っ直ぐにレイモンドを見た。
「俺は、リーラの力を否定しない。時空属性を『穢れ』だなんて言わない。リーラの全てを認めて、一緒に戦う。それだけは、約束できる」
長い沈黙が流れた。
夕暮れの風が、二人の間を吹き抜けていく。
「……戯言を」
レイモンドが口を開いた。
「お前は私に勝てん。守ると言うなら——」
その目が、鋭い光を帯びた。
「証明してみせろ」
「証明?」
「私と戦え。お前が私に勝てたなら——」
レイモンドの体から、凄まじい光の魔力が溢れ出した。
「リーラを、お前に任せよう」
決闘。
光魔法騎士団の元団長との。
勝てる見込みは、ほとんどない。
だが——
「受けて立つ」
俺は答えた。
「いつやる」
「今すぐだ」
レイモンドが手を振ると、門が大きく開いた。
その奥に、広大な中庭が見えた。
「来い、勇者の息子」
レイモンドが歩き出す。俺もその後に続いた。
「お前の覚悟——この私が試してやる」
屋敷の中庭で、俺とレイモンドは向かい合った。
夕暮れの光が、二人の影を長く伸ばしている。
戦いが、始まろうとしていた。




