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スキル獲得

 息ができない。

 水が肺を満たし、意識が遠のいてゆく。

 体を動かす力はもう残っていなかった。

 ああ、僕はここで終わるのか——

 薄れゆく意識の中で、僕は思い出していた。

 決して忘れることの無い、大切な記憶。


 ◆◆◆


 あれは、まだ僕たちが幼かった頃のこと。僕には妹がいた。


「お兄ちゃん、見て見て!」

 妹のコイムが両手いっぱいの木の実を抱えて走ってくる。金色の髪が陽光に透けて、長い耳がぴょこぴょこと跳ねていた。


「こんなにいっぱい取れたよ!」

「すごいな、コイム。でも関所の向こうまで行っただろ? 危ないって言ったのに」

「大丈夫だよ、お兄ちゃんが教えてくれた隠れ方、ちゃんとできるもん」

 得意げに胸を張る妹の頬には泥がついていた。僕はそっと拭ってやる。


「ほら、顔が汚れてる」

「えへへ、お兄ちゃんありがとう」

 コイムは僕の手を取って、一番大きな木の実を握らせた。


「これ、お兄ちゃんにあげる。一番おっきいの選んだんだよ」

「ありがとう。大事にするよ」

「食べていいんだよ? 大事にしすぎて腐らせちゃダメだからね」


 笑いながら走り出す妹の後ろ姿を、僕は眩しそうに見つめていた。

 双子として生まれた僕たちは、いつも一緒だった。森を駆け回り、川で遊び、夜は同じ部屋で眠った。コイムの笑顔が、僕の世界のすべてだった。

 だからこそ——あの日、父の言葉を聞いたとき、僕の世界は崩れ落ちた。

 

 ◆◆◆


「何でコイムなんだよ!」

 父の部屋で、僕は声を荒げていた。


「これは領主としての務めなんだ、ルイム」

 父の声は重く沈んでいた。

「里を見てみろ。疫病で作物は枯れ、病に倒れる者が増えている。このままでは皆が死ぬ」


「だからってコイムを生贄にするのかよ!」


「山の神との契約だ。娘を捧げれば疫病を止め、二度と災いを起こさないと約束された」

 父は震える手で一枚の羊皮紙を見せた。禍々しい紋様が刻まれ、赤黒い染みがこびりついている。

「この契約書には互いの血と魔力が込められている。破れば倍の反動が返る呪の契約だ。もし破れば——エルフの里そのものが滅ぶ」


「そんなの、向こうが守るとは——」


「だから呪いなのだ!」

 父が机を叩いた。その目に涙が滲んでいるのが見えた。


「お前の気持ちは分かる。私だって……私だって娘を失いたくない。だが領主として、里の民すべてを見殺しにはできないのだ」

 父の手が震えている。歯を食いしばり、涙を堪えているのが分かる。

 でも、僕には関係なかった。

 このままではコイムが死んでしまう。

 僕が何とかしなければ。


◆◆◆


 その夜、僕はコイムの部屋を訪ねた。

 暗い部屋の中で、妹は膝を抱えて座っていた。


「コイム」


「あ、お兄ちゃん……」

 振り向いた顔は、無理に作った笑顔だった。目元が赤く腫れている。


「逃げよう、コイム。森の奥に隠れれば見つからない。契約なんか知らない、里のことなんか——」


「お兄ちゃん」

 コイムが僕の言葉を遮った。


「いいの。コイムが行くから」

「何言ってるんだ!」

「里のお友達ともお別れしてきたんだ。みんな泣いてくれたよ」

 妹は窓の外を見つめながら続けた。

「ねえ、お兄ちゃん。コイムね、怖くないよ。みんなが助かるなら、コイム一人くらい——」


「嘘つくなよ」

 僕は妹の手を握った。その手は、小刻みに震えていた。


「お前が怖がってるの、分かるんだよ。双子なんだ」

 コイムの目から涙がこぼれ落ちた。


「……怖いよ。すごく怖い。死にたくない。お兄ちゃんと離れたくない」

 僕は妹を抱きしめた。

 こんな小さな体で、里のために死のうとしている。

 そんなこと、させてたまるか。


「大丈夫だ、コイム。僕が何とかする」

「お兄ちゃん?」

「約束する。絶対に、お前を死なせたりしない」


 その時、僕は決めていた。

 山の神を——僕が殺す。


 ◆◆◆


 翌日の夜明け前、僕は家を抜け出した。

 山の神が棲む洞窟へと続く道を、一人で歩く。コイムの代わりに生贄となり、油断した神を討つ。それが僕の計画だった。

 洞窟に近づくにつれ、異臭が強くなる。川には魚や小動物の腐った死骸が流れていた。

 かつて、この山の神は里の守護者だった。病を癒し、森を浄化し、民を見守ってくれた優しい存在。幼い頃、僕の病気を治してくれたこともある。

 それが今では、里に疫病をもたらす厄災と化している。

 何が神を変えてしまったのか——考えても仕方がない。僕にできるのは、コイムを守ることだけだ。


 洞窟の奥へと進む。

 やがて開けた空間に出た。かつては美しく飾られていたであろう祭壇は、今では穢れに覆われている。

 そして、そこに神は居た。

 赤黒く半透明の巨体がうねっている。長く生きたスライムの上位種——その頭部には、禍々しい白い仮面がへばりついていた。

 既に邪神となってしまった存在は僕を見つけ、仮面を近づけてくる。


「ヌシが供物の娘か」

 地の底から響くような声。

「ヌシの苦しみがワシの苦しみを癒す。存分に、いたぶってやろう」


「そうだ、僕が契約を果たしに来た」

 僕は恐怖を押し殺して言った。

「簡単にやられるつもりはないけどね」


「ヒヒヒ……生きがいい。実に旨そうだ」

 邪神の体がぶるぶると震える。その表面から肉片が千切れ飛び、僕に向かってきた。

 空間を歪めて軌道を逸らす。しかし次々と飛んでくる肉片を、すべて捌くことはできなかった。


「ぐあっ!」


 かすっただけで激痛が走る。ただの肉片ではない。毒も含まれている。


「痛かろう、痛かろう。まだ傷つけはせぬぞ。苦しめるだけじゃ」

 邪神の笑い声が洞窟に響く。

 僕は邪神を甘く見ていた。

 力の差は歴然だった。無数に飛んでくる肉片を避けきれず、僕はただ邪神を喜ばせる餌になるしかなかった。

 やがて邪神は触手を伸ばして四肢に絡みつける。僕は磔のように宙に持ち上げられた。


「ギャアアアッ!」

 肌を焼く激痛。気を失いたいのに、新たな痛みが意識を引き戻す。


「良い声だ。実に心地よい。さて、そろそろ肉を溶かしてやろうか」

 終わりだ——そう思った時。


「やめてぇぇぇっ!」


 叫び声と共に、強烈な光が洞窟を照らした。


 ◆◆◆


 光の中に、コイムが立っていた。

 両手を前に突き出し、全身から光を放っている。


「お兄ちゃんを離せぇっ!」

 光魔法——コイムの得意とする魔法が邪神を押しのけた。触手が解け、僕は地面に崩れ落ちる。


「コイム……なんで……」

「お兄ちゃんのバカ!」

 コイムが駆け寄ってきた。その目には涙が溢れている。


「私の役目なのに! 私の代わりに来るなんて……そんなの、ずるいよ……」


「ごめん……でも、お前を死なせたくなかったんだ」


「私だって同じだよ! お兄ちゃんが居なくなるなんて、絶対に嫌!」


 邪神の笑い声が響いた。


「感動の再会か。良い、実に良い。二人まとめて苦しめてやろう」


 無数の触手が迫る。コイムが僕を庇うように立ち、光の障壁を展開した。


「コイム、逃げろ! 僕のことはいいから!」


「嫌だ! 一緒に帰るの!」


 触手が障壁を叩く。コイムの体が震える。


「くっ……」


「どうした娘、もう限界か? ヒャハハハッ!」


 光の障壁が薄れてゆく。コイムの顔が青ざめている。

 体内に蓄えた魔力が、尽きかけているのだ。


「コイム……」


「大丈夫……まだ、まだ頑張れる……」


 嘘だ。双子だから分かる。コイムはもう限界だ。


「僕も手伝う。一緒に魔法を——」


「ダメ! お兄ちゃんは怪我してる。私が守るから……」


 障壁が消えた。

 触手がコイムに襲いかかる。僕は空間を歪めて弾くが、数が多すぎる。


「きゃあっ!」


 コイムの悲鳴。見たくなかった光景が目の前にある。


「やめろっ! 契約は僕だけだろ! 契約を破ったら呪われるんじゃないのか!」


「呪い? ヒャハハッ! ワシは既に呪われておるわ!」


 邪神が哄笑する。


「その娘は魔力切れじゃ。まずはお主の前で嬲り殺してやろう」


「コイム、逃げろっ!」


「逃がさぬよぉぉぉっ!」


 コイムの全身に触手が絡みつく。

 僕は必死に空間魔法で払おうとするが、自分も傷だらけで思うように力が出ない。


「お兄……ちゃん……」


 コイムが苦しそうに呻く。

 ダメだ。このままでは二人とも死ぬ。

 攻撃するしかない。邪神の注意を僕に向けて、コイムが逃げる隙を——


「相手は僕だろう!」


 僕は渾身の力で空間を捻じ曲げ、邪神の仮面を歪ませた。


「グアアッ! おのれ、よくもワシの顔を!」


 怒り狂った邪神が僕の首に触手を巻きつける。

 息ができない。視界が暗くなる。

 でも、これでいい。コイムが逃げてくれれば——


 その時、見えた。

 コイムが逃げるどころか、僕に向かって這い寄ってくる。


「コイ、ム……にげ、ろ……」


「嫌だ……お兄ちゃんを……置いていけない……」


 コイムが僕に抱きついた。

 もう魔力は空っぽのはずだ。それでも、その手は魔法を紡ごうとしていた。


「コイム……やめろ……」


「お兄ちゃん……ごめんね……」


 コイムの目が決意に燃えている。その瞬間、僕は悟った。

 コイムが願っている。 

 スキル、神からの贈り物、心からの願いで一つだけ得られる力。

 

「やめろコイム! 死ぬぞ!」


「いいの……お兄ちゃんが助かるなら……」


「ダメだ! そんなの——」


 その時。

 コイムの体から、今まで見たことのない光が溢れ出した。


 ◆◆◆


 それは、この世のものとは思えない美しさだった。

 虹のすべての色を内包した、透明な輝き。

 コイムの体を包み込み、洞窟全体を照らし出す。

 邪神すらも、その光に目を奪われて動きを止めた。


「これは……」


 邪神が呟く。


「スキル……神の祝福……」


 光の中で、コイムの目が見開かれていた。

 その瞳には、何か大きな存在が映っているかのようだった。


「コイム……」


 僕の声に、コイムがゆっくりと微笑んだ。


「お兄ちゃん……私、分かったよ……」


 光が一点に収束してゆく。コイムの両手に。


「命を光に変えられるの……お兄ちゃんを、守れるの……」


「やめろ! コイム!」


 僕の制止も届かない。

 コイムの放った光が、邪神の仮面に向かって一直線に飛んだ。

 僕は咄嗟に空間を捻じ曲げ、その光を絞り込んだ。

 二つの魔法が融合し——仮面に突き刺さった。


 凄まじい轟音。

 仮面に小さな穴が開き、そこからひびが広がってゆく。

 そして——


 仮面が、砕け散った。


 ◆◆◆


「グオオオオオォォォォッ……!」


 邪神が断末魔の叫びをあげる。

 しかしその声は、怒りではなく、苦しみから解放される安堵のようだった。

 邪神の体を覆っていた赤黒い瘴気が霧散してゆき、かつての清らかな青い輝きが溢れ出す。そこに新たな仮面が浮かび上がった。

 穏やかで、優しい表情の仮面。それは、幼い日に僕の病を治してくれた、あの優しい神の姿だった。


「……少年よ」


 邪神の声が変わっていた。地の底から響く声ではなく、静かで落ち着いた響き。


「すまなかった。魔王軍が遺した呪いの仮面を取り込んでしまい、恨みの念に支配されていた」


「神様……元に戻ったんだね」


「お前たちが、私を救ってくれた」


 神が触手を伸ばし、僕の傷を癒してくれる。温かく、優しい感触だった。


「ありがとう、神様。でも——」


 僕はコイムに目を向けた。

 妹は僕の腕の中で、静かに目を閉じている。満足そうな微笑みを浮かべて。


「コイムを……コイムも治してください」


 神は長い沈黙の後、言った。


「……すまない。それはできない」


「どうして⁉ お願いします神様! 妹を——」


「この娘はスキルを得た。命を光に変える力を。そして、その力でお前を守るために……自らの命のほとんどを使い果たしたのだ」


 僕の頭が真っ白になる。


「そんな……嘘だ……」


「私の力は浄化と治癒。しかし、命を与える力は、私にはない」


 コイムの顔を見る。確かにまだ温かい。息もかすかにしている。

 でも、その命の灯火が消えかけているのが分かる。


「コイム……コイム……」


 僕は妹を抱きしめた。涙で視界が歪む。


「嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だ……」


 思い出が溢れてくる。

 一緒に森を駆け回った日々。川で魚を追いかけた夏の日。同じ布団で眠った夜。

 木の実をくれた時の、あの眩しい笑顔。


「コイムを失いたくない……どうか死なないでくれ……」


 僕の大切な妹。僕の大切な家族。僕のすべて。

 こんな形で失うなんて——


「僕の命をあげるから!」


 その瞬間だった。

 僕の体の奥深くで、何かが生まれるのを感じた。


 再び、あの光が現れた。

 虹色の透明な輝きが、今度は僕の体を包み込む。


「……スキル」


 神が呟く。


「お前もまた、祝福を受けたのだな」


 僕には分かった。これが何なのか。

 命を分け与える力。

 僕が今、最も欲していた力。


 迷いはなかった。

 僕はコイムの唇に、そっと自分の唇を重ねた。

 そして、自分の命を——半分、流し込んだ。


 全部あげたい。でも、そうしたら今度はコイムが悲しむ。

 だから半分。僕たちは双子なんだから、半分こだ。



 ◆◆◆



 コイムがゆっくりと息を吸い込んだ。

 頬に色が戻る。長い耳がぴくりと跳ねる。

 そして——目を開けた。


「……お兄、ちゃん……?」


 生きている。コイムが生きている。


「コイム……」


「あれっ……私、神様をやっつけ……あっ、神様元に戻ってる! やったねお兄ちゃん!」


「ああ……やったよ……」


 涙が止まらなかった。こんなに泣いたのは生まれて初めてだ。


「お兄ちゃん、そんなに嬉しかったの?」


「当たり前だろ……お前が死んでしまうかと……」


「そっか…… 私、お兄ちゃんに助けられたんだ」


「お前は命を使って魔法を撃ったんだ。あれは……すごかった。でも、二度とやるなよ」


「うん……分かった」


 コイムが僕の頬に手を伸ばし、涙を拭ってくれた。


「お兄ちゃん、泣き虫」


「うるさい……」


 僕たちは抱き合って笑った。生きている。二人とも生きている。

 しかし——


「少年よ」


 神の声で、僕たちは現実に引き戻された。


「喜ばしいことだが、問題が残っている。契約の呪いだ」


「……そうだった」


「契約の内容は、娘を私に捧げること。たとえ私が娘を受け取らずとも、娘が里に戻れば契約違反となる。里は滅ぶだろう」


 コイムの表情が曇った。


「私……帰れないの……?」


「里に帰ることは許されぬ」


 僕は考えを巡らせた。契約の文言。娘を捧げる。つまり——


「神様、一つ聞きたい。契約は『娘』を対象にしてるんだよね?」


「そうだ」


「なら……僕とコイムが入れ替わったら? 名前と、性別を」


 神はしばらく沈黙した。


「契約を騙す、か……可能かもしれん。だが、容易ではない」


「どうすればいい?」


「契約の呪いは血と魔力で結ばれている。それを欺くには、お前たち自身の血と魔力で偽装を施す必要がある。そして——お前は二度と里には帰れない」


 つまり、コイムが里に帰れるには、僕たちが入れ替わったまま生きなければならない。


「構わない」


 僕は即答した。


「コイム、聞いてくれ。お前は今日から『ルイム』だ。僕の名前を使って、里に帰るんだ」


「お兄ちゃんは……?」


「僕は『コイム』になる。里の外で契約を破る方法を探す。魔法学園で勉強して、呪いの仕組みを解明する。絶対に、お前を本当の名前で呼べる日を取り戻してみせる」


 コイムの目に涙が浮かんだ。


「……分かった。私、待ってる。お兄ちゃんが方法を見つけたら、教えて。私が契約なんかぶっ壊すから」


「ああ、約束だ」


 神が厳かに言った。


「では、儀式を始めよう。互いの血を交わし、名を交換せよ」


 僕たちは手のひらを切り、血を混ぜ合わせた。

 神の力が僕たちを包む。

 奇妙な感覚が体を駆け巡り——気づけば、何かが変わっていた。


「これで契約を欺くことができる。だが忘れるな。この偽装は、お前が契約そのものを破壊するまで続く」


「分かりました。……神様、一つお願いがあります」


「何だ」


「僕を導いてください。契約を破る方法を見つけるために、学ぶべきことを」


「私では力不足だ。だが、古い知り合いがいる。森の魔女——かの者なら、お前を導けるだろう」


「ありがとうございます」


 コイムが——いや、今日から『ルイム』が、僕に抱きついた。


「お兄ちゃん……ううん、『コイム』。絶対に、また会おうね」


「ああ。待っててくれ、『ルイム』」


 妹は涙を拭い、無理に笑顔を作った。


「それじゃあ、里に報告してくるね。疫病ももう治るんでしょ? みんな喜ぶよ」


「ああ。気をつけて」


「……あっ、そうだ。私の服送るね。女の子らしくしなきゃいけないんでしょ?」


「分かった。それから、僕のぬいぐるみは取るなよ」


「あはは、分かってるよ」


 妹——ルイムは、洞窟の出口に向かって走り出した。

 途中で振り返り、大きく手を振る。


「いってきます、コイム!」


「いってらっしゃい、ルイム」


 その姿が見えなくなるまで、僕は手を振り続けた。


 いつか必ず、あの契約を壊す。

 そして、妹を本当の名前で呼べる日を取り戻す。

 そのために僕は——今日から『コイム』として生きる。


 ◆◆◆


 意識が戻る。

 水を吐き出し、激しく咳き込む。


「がはぁっ! げほっ、げほっ……」


 目を開けると、三つの顔が覗き込んでいた。

 心配そうなギラ。申し訳なさそうなクラーラ。そして、全身ずぶ濡れで口元を拭っている仲斗。


「コイム! よかった、息を……」


「……ありがとう」


 僕は仲斗を見た。


「人工呼吸、してくれたんだね」


「なっ……息が止まってたから仕方なくだ! 変な意味じゃ——」


「分かってるよ。ありがとう、仲斗」


 不思議と、涙が出てきた。

 死にかけた時、人は大切な記憶を思い出すと言う。今、僕は溺れかけながら、妹との約束を思い出していた。そして今度は仲間が救ってくれた。

「あれ……どうしたの、コイム?」


「ごめん……なんでだろう……止まらないんだ……」


 僕は三人に抱きついた。

 僕を助けてくれた仲間たちに。

 僕を大切に思ってくれる人たちに。

 あの日、妹を抱きしめたように。


「ありがとう……本当に、ありがとう……」


 あの日から、僕はずっと一人だった。

 森の魔女のもとで修行し、魔法学園に入学し、契約を破る方法を探し続けてきた。

 でも今は——


 一人じゃない。


 僕には仲間がいる。


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