入学初日
「父さん、行ってくる」
「おう! かわいい彼女作れよ!」
「……まあ、成り行きで」
俺は苦笑しながら家の玄関を出ようとした。
が――
「待ちなさぁーい!」
背後から聞こえる母の声。嫌な予感がする。
「マミーも一緒に行くー! 仲斗と同じ部屋に住むー!」
「却下だ」
即答する。振り返ると、サキュバスの母が涙目で俺の腕に抱きついてきた。頭の角、背中の羽根、そして妖艶な衣装。街の人々の視線が痛い。
「やだやだー! 寂しいー!」
「母さん、俺はもう16歳だぞ」
「まだまだ子供じゃない!」
「どっちが子供だ」
むぎゅっと抱きしめられる。サキュバスの魔力が無意識に漏れ出しているのか、通りすがりの人々が次々と振り向いていく。
「うほっ!」
「すげえ……」
「おっぱいでけえ!」
やめてくれ、俺が恥ずかしい。
「母さん、離してくれ。息が……」
「やだー!」
首に絡みついてくる。物理的に息が止まる。
「父さん……助けて……」
「おう、任せろ」
どこからともなく現れた父が、母を優しく引き剥がした。さすが勇者、仕事が早い。
「ミルキラ、仲斗を信じてやれ」
「でも勇二郎ぉ……」
「大丈夫だ。それに、俺たちには今夜やることがあるだろ?」
「……! そ、そうね!」
母の顔が一瞬で赤くなる。
父さん、それ、子供の前で言うことじゃないから。
「仲斗、頑張れよ! お前なら大丈夫だ!」
「うん、行ってらっしゃい! 早く帰ってきて孫の顔見せてねー!」
「まだ早い」
俺は両親に手を振り、一目散に家を後にした。
◆◆◆
気を取り直して、俺は魔法学園へと向かう。
俺の名前は飯場仲斗。人間と魔族のハーフで、勇者の息子だ。
父は日本という異世界から召喚された英雄で、魔王を討伐した実績を持つ。母はその魔王とは敵対していた魔族のサキュバス。まあ、色々あって結婚して、俺が生まれた。
俺には父のような剣の才能はない。魔剣に触れることすら出来なかった。その代わり、母から受け継いだ闇属性の魔法が使える。それ以外にも、いくつかの属性を扱えるが、どれも中途半端だ。
今日から俺は魔法学園で魔法を学ぶ。
目的はひとつ――いずれ復活すると言われている魔王を討伐する力を得ることだ。
街道を歩きながら、俺は父の助言を思い出す。
「入学初日には何かがある。路地裏を通れ。困っている女の子がいたら助けてやれ。ただし無理はするな」
異世界人らしい助言だが、まあ悪くない。
俺は細い路地裏へと足を向けた。
◆◆◆
そして――目の前に、予想通りの光景が広がっていた。
「ちょっと付き合ってくれない?」
「いやっ、通してください!」
青いワンピースを着た白髪のエルフが、四人のオーガ族に囲まれている。少女は怯えた様子で後ずさっていた。
オーガ族は腕っぷしだけでなく魔力も強い。正面から戦えば厳しい相手だが――
「そこまでにしてもらおうか」
俺は落ち着いた声で言った。
オーガたちが振り向く。
「あん? 何だお前」
「ガキが首突っ込むんじゃねえよ」
一人のオーガが苛立った様子でエルフの少女を突き飛ばした。
少女の身体が宙を舞い――
バシャン!
路地の水たまりに倒れ込む。青いワンピースが泥水に染まった。
「きゃっ……!」
その光景を見た瞬間、俺の中で何かが切れた。
「――よくも」
闇の魔力が身体の奥から湧き上がる。
「女の子相手に、よくもそんな真似が出来るな!」
俺は地面を蹴って突進した。
「おっと、やる気か!」
オーガの拳が迫る。
「暗黒シールド!」
闇の防壁を展開する。だが――
ゴッ!
衝撃で身体が吹き飛ばされた。さすがオーガ、防御魔法ごと殴り飛ばされる。
「がっ……!」
壁に叩きつけられ、視界が揺れる。
「おらおら、どうした勇者様?」
「さっきの威勢はどうした!」
四人のオーガが笑いながら迫ってくる。
まずい――だが、ここで引くわけにはいかない。
俺は立ち上がり、再び暗黒シールドを展開した。
だが四人のオーガに囲まれ、次々と殴られる。防御魔法を維持するだけで精一杯だ。
「くそっ……!」
このままではジリ貧だ。何か、何か打開策を――
その時、目の前のオーガの足元に隙が見えた。
「――今だ!」
俺は低い姿勢からタックルに入る。
「なっ!」
オーガの巨体が崩れる。そして――
ゴンッ!
頭を壁に打ち付け、そのまま動かなくなった。
一人倒した。だが妙だ。オーガにしては、あまりにも呆気ない。
「おい、テメエ!」
残り三人が怒りに任せて襲いかかってくる。
俺は咄嗟に足元に転がっていた石ころを拾った。
「風よ――」
石に風の魔力を込め、全力で投げる。
「加速しろ!」
風魔法で加速した石が、銃弾のような速度でオーガの額に命中する。
バキィン!
「ぐあっ!」
二人目が倒れた。
やはりおかしい。反応が鈍すぎる。
「くそっ、舐めやがって!」
残り二人が同時に襲いかかってくる。
俺は再び石を拾い、投げた。
「――!」
だが今度は避けられる。
「甘いんだよ!」
しかし――
「軌道変更!」
俺は風魔法で石の軌道を曲げた。
ビュン!
石が弧を描き、背後からオーガの後頭部に命中する。
「がっ!」
三人目が崩れ落ちた。
「テメエ、許さねえ!」
最後の一人が怒りに燃えて迫る。
だが――もう一つ、使える魔法がある。
「雷よ、降り注げ」
俺は手を天に掲げた。
バリバリバリッ!
路地裏に雷鳴が響き、オーガの頭上に雷が落ちる。
「ぐあああああ!」
四人目が痙攣しながら倒れた。
――やった、のか?
俺は膝をついた。魔力を使い果たし、身体が重い。
だが、何かが引っかかる。
オーガにしては、弱すぎる。確かに俺も複数の属性を使えるが、それでもオーガ四人を相手にして勝てるとは……。
運が良かったのか? 最初から動きが鈍かったような……。
「大丈夫……?」
声に振り向くと、エルフの少女が心配そうにこちらを見ていた。
「ああ、何とか……怪我は?」
「大丈夫。服が汚れちゃっただけ」
少女が泥だらけのワンピースを見下ろす。
「すまない、もっと早く動ければ……」
「ううん、助けてくれてありがとう」
少女が微笑む。空のように透き通った青い瞳が、俺を見上げていた。
「名前を聞いてもいいか」
「コイム。コイム・ミィストリス」
「俺は飯場仲斗。魔法学園の新入生だ」
「わあ……私も!」
コイムが嬉しそうに笑う。
「良かった、同じ学園なんだ。でも、服が汚れちゃったから……先に学園に行って着替えるね」
「ああ。気をつけて」
コイムが駆けていく。
俺はその背中を見送りながら、もう一度倒れたオーガたちを見た。
違和感が拭えない。
だが今は考えている余裕もない。俺も学園へ向かわなければ。
◆◆◆
魔法学園は丘の上にそびえ立っている。
ゴシック様式の巨大な建築物で、中心からは樹齢数千年を超える巨木が天を突いている。伝承によれば、この木こそが学園の創設者で、現在の校長でもあるという。
俺は入学手続きを済ませ、属性検査を受けた。
巨大な水晶球に手を当てると、闇の魔石が強く輝く。母譲りの闇属性だ。他にも風、雷などの反応があったが、どれも中途半端だった。
「次、コイム・ミィストリス」
聞き覚えのある名前に、俺は顔を上げた。
さっきのエルフが検査台に進む。制服に着替えて、さっきより綺麗に見える。
コイムが水晶球に触れた瞬間――空間の魔石が輝き始めた。
だがその輝きは異常だった。魔石から放たれる光が波紋のように広がり、部屋全体の空気が震える。
「時空属性……それも極めて純度が高い……!」
検査官が息を呑む。
周囲の新入生たちもざわめいた。空間属性を持つ者は多くない。しかもここまでの力となると……。
コイムはこちらに気づいて、小さく手を振った。
時空魔法――
俺の脳裏に、あの路地裏の光景が蘇る。
オーガたちの不自然な弱さ。まるで動きが鈍っていたような……。
まさか、コイムが何かを?
いや、でもコイムは突き飛ばされて倒れていた。魔法を使える状況じゃなかったはずだ。
考えすぎか。
検査が終わり、俺は208号室の鍵を受け取った。
◆◆◆
荷物を持って寄宿舎へ向かう。
208号室の扉を開けた瞬間――
「わあ! 同じ部屋だ!」
部屋の中に、コイムがいた。
「……なぜ君がここに?」
「ルームメイトだよ、仲斗くん!」
コイムが嬉しそうに駆け寄ってくる。
「待て待て。ここは男子寮だぞ」
「それがどうしたの?」
「だから、これはまずいよ」
「ん?」
コイムが首をかしげてきょとんとする。
「まさか、君のしわざなのか?」
「ふふっ」
コイムが小さく笑った。
そして、ゆっくりと俺に近づいてくる。
「仲斗くんさぁ」
その声が、さっきまでと違う。
甘く、蠱惑的で、どこか危険な響きを帯びている。
「どうしてそんな事言うの?」
コイムが一歩、また一歩と近づく。
俺は後ずさろうとしたが、既に背中が扉に当たっていた。
「一緒の部屋、嫌だった?」
コイムが俺の目の前まで来る。
距離が近い。花のような、甘い香りが鼻をつく。
「いや、嫌とかそういう問題じゃなくて……」
「安心して」
コイムが俺の肩に両手を置いた。
柔らかい手の感触。白い指が、制服の肩口を優しく撫でる。
「いいこと教えてあげる……」
コイムの顔が、ゆっくりと近づいてくる。
心臓が跳ね上がる。
透き通った青い瞳が、俺を見つめている。長い睫毛、桜色の唇――
コイムの唇が、俺の耳元に迫る。
温かい息がかかる。
そして――
「僕、男の子だから」
耳元で、囁くように。
「一緒の部屋でも、大丈夫だよ」
その声は、甘く蕩けるように響いた。
「――えっ?」
俺の思考が停止する。
男? 今、何て?
「え、男……?」
「うん」
コイムが顔を離し、いたずらっぽく微笑む。
「僕、男の子。だから一緒の部屋でも問題ないでしょ?」
コイムがくるりと回って見せる。スカートが翻る。
「いや、待て。男なのにスカートを……」
「可愛いでしょ? 僕、こういう服が好きなんだ」
屈託のない笑顔。
俺は額を押さえた。
「……そうか」
状況を整理しよう。目の前にいるのは、時空属性の天才魔法使い。そして、男。だが、どこからどう見ても美少女にしか見えない。
しかもたった今、妙に色っぽく誘惑されたような気がする。
これから、この相手と同じ部屋で生活する。
「嫌だった?」
「いや、別に……驚いただけだ」
「良かった! じゃあ、これからよろしくね!」
コイムが俺の手を取る。柔らかくて、温かい。
「ああ、よろしく」
俺は努めて冷静に答えた。
だが、心の中では大混乱だ。というか、さっきのは何だったんだ。あの雰囲気は、明らかに意図的に……。
「あのね、仲斗くん」
コイムが窓辺に移動し、外を眺める。
「さっきは助けてくれてありがとう。強いんだね」
「いや、大したことは……」
そこで俺は、ずっと胸に引っかかっていた疑問を口にした。
「なあ、コイム」
「ん?」
「あのオーガたち、妙に弱かった気がするんだが……」
コイムが振り返る。
「君、何かしたのか?」
一瞬の沈黙。
コイムがふわりと微笑んだ。
「……気づいてた?」
「やっぱり」
「僕は魔法で脳を揺らしただけだよ」
コイムが窓辺に腰を下ろす。
「空間魔法で、ほんの少しだけ。君が注意を引いてくれたから出来たんだ」
「脳を……揺らす?」
「うん。頭蓋骨の中の脳を、空間魔法でほんの数ミリ揺らすの。そうすると平衡感覚が狂って、力が入らなくなる」
なるほど、だからあの不自然な弱さか。
「それができるなら、最初から一人で……」
「無理だよ。相手が四人もいたから、注意を引いてくれる人が必要だった」
コイムが嬉しそうに笑う。
「だから、ありがとう。君が来てくれなかったら、僕、本当に危なかったと思う」
その笑顔は無邪気で、さっきの妖艶な雰囲気とはまるで違う。
「そうか……」
俺は少し安心した。
だが同時に、コイムの空間魔法の精密さに驚く。脳を数ミリ揺らすなど、尋常な技術ではない。
「でもね」
コイムが不意に真顔になった。
「君、魔王を倒すために来たんだよね」
「……ああ、そうだ」
俺は頷く。だがコイムの瞳が、深い闇を宿す。
「魔王?」
コイムが呟く。
「そんなの、ちっぽけだよ」
空気が凍りつく。
「僕が欲しいのは――」
コイムの瞳が、俺を貫く。
「世界を壊す力だ」
――世界を、壊す?
俺は息を呑む。
何を言っている? この少年は、一体……
「ふふっ、冗談だよ」
コイムがいつもの笑顔に戻った。
「そんな怖い顔しないで。荷物の整理、手伝うね」
明るい声でそう言うと、コイムは部屋の奥へと歩いていく。
俺は動けなかった。
今の言葉は――冗談には聞こえなかった。
あの瞳に宿っていた闇。あれは、何だ。
コイム・ミィストリス。
この小悪魔エルフは、一体何者なんだ?
予想以上に、波乱の学園生活になりそうだ。




