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4 俺の婚約者が可愛すぎる


 ――そうして、数日後。


「俺の婚約者が可愛すぎる」


 唐突な主人の呟きを、ジルはひとまず黙殺することにした。

 ちらりと目を上げ、そして何事もなかったかのように自分の業務を再開する。迷いのない、流れるような動作だ。


「聞いているか? 俺のセレーネが可愛いという話だ」


 しかし、その冷淡な反応を気にも留めず、ガイウスはもう一度繰り返した。

 ぎょろりと睨みをきかせてジルの反応を促す彼に、小さくため息をつく。どうやらこれは返事を返すまで諦めなそうな気配がする。




「はいはい、お話伺っておりますよ。仕事がありますので、手短に願いますね」

「彼女はまず、性格がものすごく良い」


 ジルの返事をまるっと無視して、ガイウスは食い気味に語りはじめた。


「優しさに満ちていて、気遣いが細やかだ。屋敷のちょっとしたことまで見ていて、使用人の体調不良にもすぐさま反応している」

「おかげさまで、旦那さまのことを怖がっていた使用人の忠誠心もうなぎ登りですね」


「そして次に、声が良い。彼女の喋る声は鈴をふるようで、聞いているだけで夢見心地になる。その声で歌われる奇跡の歌は、ここが天国ではないかと思うほどには素晴らしい」

「ええ、ええ。部屋から漏れ聞こえてくる歌声だけでも、身体から力がみなぎるように感じます」


「さらに、言うまでもなく見た目も可愛らしい。世の芸術家たちは何をしている? ここにこの世の愛らしさをすべて集めたような存在が居るというのに。……もちろん、俺の婚約者を衆目に晒すことなどしないが」

「本当に可憐で美しい方ですね。こちらに来てから表情もどんどん柔らかくなって、ふんわりとした笑顔はお日様のようです」




 ガイウスはかつてないほどの口数で、流れるようにセレーネの美点を挙げていく。

 無口で何を考えているかわからないと(ささや)かれる凶悪騎士団長の姿はそこにはない。

彼は今や、婚約者の可愛らしさにひたすら目を細める情けない男に成り下がっていた。


 らしからぬ主人の姿に呆れはしたが、とはいえジルも彼の言葉に特に異論はない。何度も頷いて同意を示す。

 しかし尽きぬ彼の賛辞に、この話はどこに行くのだろうという不安がチラリとよぎった。


「最後に、彼女の性格だ! あんなに奥ゆかしく淑やかでありながら、彼女は豪胆でもある。周囲から恐れられる俺を前にして、目を逸らすこともなく笑いかけてくれるんだぞ?」

「逆に旦那さまがタジタジになってます姿をよくお見かけしていますね」




 ジルの減らず口を完全に無視してガイウスは「だからこそ」と話を続ける。


「不思議でならない。何故彼女は歌う時にあんなに悲しそうな顔になる? 何故歌い終えた後に怯えた表情を浮かべる? 俺では力になれないのだろうか……」

「それを心配するなら、旦那さまはまずセレーネさまへの態度を見直すべきです」


 彼の懸念に対して、ジルが言い放ったのはシンプルな忠告であった。

 数十年仕える主人とは、気安い関係だ。世間では凶悪騎士団長と畏怖されるガイウスだが、そんな彼もジルにしてみればいまだに「可愛い坊ちゃん」でしかない。

 かねてから問題視していたことを、良い機会だとばかりに挙げはじめる。


「セレーネさまは旦那様に歩み寄ろうと、はたから見ても健気な努力をなさっています。それなのに、旦那さまときたら! 会話はあっという間に切り上げてしまうし、笑いかけられれば不自然なくらい慌てて目を逸らすし、いまだにセレーネさまの好きなものひとつ訊くことのできない(てい)たらく……ひとまず食事は共にするようになりましたが、その程度の関係でセレーネさまを気遣うとは、片腹痛い」


 まだまだ言いたいことはあるが、ひとまずそこで息をつく。

 ガイウスは気圧されたように硬直して、彼の苦言を受け止めていた。




「……仕方ない。彼女は可愛すぎる!」


 しばらく項垂(うなだ)れてからガイウスが吐き出したのは、開き直りの言葉であった。


「俺の手の中に転がり込んできた、幸運の天使。迂闊(うかつ)に近づいたら、発作的に彼女を抱き締めてしまいそうだ。もっと彼女の存在に慣れてからでなければ……」

「旦那さまが慣れる前に愛想尽かされる方が早そうですが」


 勢いづいて言い訳を重ねようとするガイウスに、ジルはちくりと一言差し込む。その指摘に、ガイウスはぎくりと身体を強張らせた。


「やはり、マズイ……か?」

「ええ。このままでは確実に」




 しばらく苦しそうに黙り込んでから、ガイウスはゆっくりと顔を上げた。

 覚悟を決め、自身の中の弱さを排除した研ぎ澄まされた表情があらわになっていく。そこにあるのは、彼が戦を生き抜いてきた時と同じ不屈の闘志だ。


 戦場の鬼神と言わしめた、周囲を震え上がらせるほどの闘気。

 それは、これまでも彼の道のりを切り開く原動力となってきたものであった。


「……ああ、そうだな。向き合わなければ、進展はない」


 己に言い聞かせる落ち着いた声は、静かな決意に満ちていた――。



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