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3 花が咲いたぞ!


「はぁぁああ~、昨日もガイウス様とお話しできなかった……」


 力ない呟きが、ため息と共にセレーネの口から零れ落ちた。


 ガイウスの屋敷に身を寄せてから、十日。

 婚約者の役に立ちたいという彼女の思いとは裏腹に、ガイウスとの距離は一向に縮められていない。


「やっぱり、私と顔を合わせるのが嫌なのかしら……」

「そんな! 旦那様ったらひどすぎます!」


 彼女の弱音に我がことのように憤慨しているのは、すっかり仲良くなった侍女のミアだ。

 粗忽(そこつ)なところはあるけれどいつも真っ直ぐな彼女は、セレーネのために本気で腹を立ててくれている。

 それだけで、セレーネの心は間違いなく救われていた。




「セレーネ様の、一体どこに不満があるというのでしょう!? 屋敷だって、こんなに素敵になったというのに……」

「それは私が勝手にやっていることだから……でも、心配してくれてありがとう、ミア」


 ミアの言う「屋敷が素敵になった」というのは、セレーネが最近取り組んでいる屋敷の模様替えのことを指している。


 もともと、この屋敷はガイウスが騎士団長の地位を授かったときに合わせて贈られたものだ。使用人もその際に雇われたものがほとんどで、セレーネが来るまで女性の使用人は一切居なかった。

 そんな彼らが主人の意向に従い実用性重視でととのえた屋敷は質実剛健で……言葉を選ばずに言うならば、明らかに殺風景であった。


 そこに花を活けたり、カーテンを替えたり、自作のレースを飾ったりと、セレーネは少しずつ華やぎをもたらしていっているのである。

 少なくともガイウス以外の使用人の反応は良い。……彼がこの変化をどう思っているのかは、わからないけれど。


 差し出がましい真似だということは、わかっている。

 でも、どうせ嫌われるのならできることをしてから嫌われたい。




 そこまで思ってから、心がちくりと痛むのを感じた。


 できることなら、今度こそ婚約者と心を通わせたいと思っていたのだ。

 それなのに、結局彼女は同じ失敗を繰り返している。


 かつての婚約者のことを思い出す。

 ()()()に比べれば、セレーネの歌を真剣に聞いてくれるガイウスの態度は誠実で優しいものだ。

 拙い彼女の歌を聞き流すことも酷評することもなく、ガイウスはじっと目を閉じて気持ち良さそうに彼女の歌に耳を傾けてくれる。


 ――その穏やかな時間が、セレーネは好きだった。

 そして好きだからこそ、ガイウスに拒まれている現状が悲しくて仕方なかった。

 ()()()相手には、そんな気持ちを覚えることなんてなかったのに。最初から諦めていたし、これは自分の務めなのだと割り切ることができていたのに。

 ガイウスの中途半端な優しさは、セレーネを却って責め立ててしまう。


(でも、せめて歌は……歌だけは彼に喜ばれ続けたい……)


 彼女の溜め息に呼応したかのように、花瓶のバラが一片の花びらを落とした。



○   ○   ○   ○   ○   ○   ○



 そんな二人の距離が近づくきっかけになったのは、なんてことない日常の一幕からであった。


「その。それは一体、何だ。ただの棒っきれにしか見えないが」


 ぶっきらぼうな声。珍しいガイウスからの問いかけに、セレーネは静かに微笑む。


「それはツェリムの枝です。よく見てください。(つぼみ)がついているでしょう? もう少しで咲きそうだったのに風で落ちてしまったのが可哀想で……こうして活けてあるのです」

「花を飾るのはわかるが、(つぼみ)なんて見ても楽しくないだろう」


 不機嫌そうな声色だが、彼が別に気分を損ねているわけでないことはこれまでの態度からわかっている。

 だからセレーネは、その言葉にゆったりと首を振った。


(つぼみ)というのも楽しいものですよ。毎日少しずつ色がほころんでいる様子を眺めるのは、とても良いものです。いつ咲くのだろうと楽しみながら毎日を送れますし、いざ咲いた時は何にも代えがたい喜びを感じられます」

「……そういうものか」


 不思議そうに首を捻るガイウスにセレーネは頷く。


「ええ。このお部屋に飾っておきますから、気が向いたらガイウス様も様子を見てあげてくださいな」




 それから日を追うごとに、枝の(つぼみ)はどんどん膨らんでいった。

 最初は枝の一部にしか見えなかった見た目も、徐々に花を予感させる色がこぼれていく。

 毎日のゆっくりとした、でも着実な変化。

 興味がないと思っていたはずのガイウスも、いつしかその開花を心待ちにするようになっていた。


 ――そして。


「セレーネ! 花が咲いたぞ!」


 ある日の朝――つまり本来なら彼と会うことのない時間に、興奮したガイウスが彼女のもとを訪れたのであった。


「花というのはいっせいに咲くのだな。重みで花瓶が倒れてしまいそうなほどに満開だ! (つぼみ)の色から紫の花を予想していたが、桃色の、可愛らしい花がいっぱい咲いている!」


 野太い声で、ガイウスは子供のようにはしゃぐ。

 初めて眼にするガイウスの笑顔は、セレーネの予想よりもずっと愛らしかった。




 しかし、ほら行こう、とセレーネに手を伸ばしたところで、彼は冷静さを取り戻したらしい。

 ぎくり、とその身体が強張り、「しまった!」という感情が露骨に顔に出る。


「行きましょう」


 そんな彼の反応に気づいていないフリをして、セレーネは彼の手を取った。

 怯えたように引っ込めようとする彼の手を、彼女はギュッと握って離さない。


 振り払われるかもしれないと思ったが、しばらくして意外にも彼はおずおずとその手を握り返してきてくれて。

 セレーネはそっと唇を緩めたのであった。





「……ああ。本当に、綺麗ですね」

「だろう? 今まで花に興味を持ったことはなかったが、花開くまで毎日成長を見ていたために感動もひとしおだ」

「ふふ、そうですね。それを、ガイウス様と一緒に見られるなんて嬉しいです」


 しっかりと目を見て、セレーネは飾らない心からの喜びを伝える。

 その笑顔に一瞬だけ釘づけになって、慌ててガイウスは頭を振った。その反応に、セレーネが悲しげな表情を作る。


「……ご迷惑ですか」

「いや、違う! アンタはよくやってくれている。屋敷は明るくなったし、使用人の信頼も篤い。歌のおかげで、俺の傷も痛みとは無縁になった」


 そう言いながらも、ガイウスの顔には苦いものが走る。


「だが、アンタは頑張りすぎだ。アンタに求めてるのは、歌だけだ。もっと自分のために時間を使ってくれ」




「セレーネです」

「?」

「私の名前、セレーネです。アンタではなく、名前を呼んでください」


 セレーネの言葉に、ガイウスは戸惑ったように目を(またた)かせた。

 しばらく迷うように視線を彷徨(さまよ)わせてから、彼は恐る恐る唇を開く。


「セレーネ……嬢」

「セレーネで」


 にっこりと笑うセレーネの佇まいには有無を言わせぬ圧があった。名前を呼ぶまでは逃さないと、無言のうちに強いメッセージが伝わってくる。

 諦めたように大きく息をついて、ガイウスはもう一度その名前を唇でなぞった。


「セレーネ」


 ただ名前を呼んだだけだというのに、ガイウスの心が跳ねる。カチリ、と感情の留め金が開く音が耳の奥で聞こえた。


 ガイウスの呼びかけに、セレーネは嬉しそうに笑みをこぼす。

 そっと彼の顔を見上げる彼女とガイウスの視線が、導かれるように合わさった。

 彼の目をとらえたまま、セレーネは静かに口を開く。




「はい。……では、申し上げますね。ガイウス様は自分のために時間を使えと言ってくださいましたが、私のこれまでの行ないはすべて自分のやりたいことに取り組んだだけです。どうぞ、お気遣いなく」

「だが……」


 ガイウスが反駁(はんばく)しようとするのを制して、セレーネは「そして」と、言葉を続ける。

 この絶好の機会を逃すわけにはいかない。今こそ、お互いの本音を晒す時だ。

 その結果、たとえ自分が傷つくこととなっても……。


「そして、私はできることならガイウス様に喜ばれたいとも思っております。その……ガイウス様がお嫌でなかったら」

「嫌なわけがない!」




 反射的に怒鳴るような否定の声を上げてから、ガイウスは信じられないと目を(みは)った。


「アンタは……セレーネは、俺が怖くはないのか……?」

「ええ、ちっとも。むしろ、お優しい方だと思っております。だからこそ、仲良くなれたらと」


 硬直するガイウスに、セレーネはそっと手を伸ばす。

 その手が自分の頬に触れる冷たい感触を感じながら、ガイウスは勘違いではないかと何度も自問自答を繰り返していた。


 ――目も耳も、常人より優れている自覚はある。

 それなのに彼女の言葉が、触れられているこの感触が自分の作り出した都合の良い幻にしか思えない。




「……ガイウス様?」


 セレーネが自分の名前を呼ぶ声が素通りしていく。


「ガイウス様、大丈夫ですか? ガイウス様――!」


 駆けつけたジルに頬をはたかれるまで、ガイウスは茫然自失の態でその場にずっと立ち尽くしていたのだった……。





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セレーネぐいぐいですね! やらない後悔よりやった後悔!前向き!
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