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2 私、あの方と上手くやっていけると思う


「お部屋にご案内します」


 そう言って先を行く侍女は、セレーネと同じくらいの年代の少女であった。


 応接室を出たときは寡黙(かもく)で伏し目がちだった彼女はしかし、実のところ好奇心の強いタイプだったらしい。

 チラチラとセレーネを気にしながら歩みを進め、やがて部屋まで案内を終えたところで我慢できなかったように口を開く。


「その、お嬢様が血塗れ候のお嫁さんになるんですか?」

「血塗れ侯なんて……」


 思わず呆れた声がセレーネの口から飛び出した。

 確かに口さがない世間でガイウスがそんな呼ばれ方をしているのは承知しているが、だからといって使用人が声に出して良い呼び方ではない。


「もしかして貴女、使用人になって日が浅いの?」

「なんでわかったんですか!? そうなんです。血塗れ侯の屋敷がお嫁さんを迎えるって急遽侍女の募集があって。怖い人だからって敬遠していたんですけど、お給料が良かったから」


 えへへと笑う彼女に、悪気は一切見えない。




「自分の主人のことをそんな呼び方をしては、いけないわ。本人の前でなくっても」

「そうなんですか? 気をつけます。それで……」


 叱られたというのに相変わらずキラキラと好奇心に満ちた視線を向ける彼女に、セレーネは苦笑する。


「ええ。私がガイウス様の婚約者。これからよろしくね」

「やっぱり、そうなんですね! 身の危険を感じたら、すぐ言ってください。私はお嬢様の味方ですので!」


「味方って……」

「だって、あの血塗れ侯……は言っちゃダメだった、野蛮で残忍なことで有名な旦那様と結婚なんて……絶対大変じゃないですか! ちょっとでも機嫌を損ねたら暴力を振るわれそう! こんなお淑やかなお嬢様がそんな目に遭うなんて、私、心配で心配で……」

「…………」





 ――野蛮で残忍。

 悪気なく口にされたその言葉に、セレーネはじっと考え込んだ。


 確かに、ガイウスの評判はあまり良いものではない。

 男爵家の三男でありながら、圧倒的な力で騎士団長の地位に就いたガイウス。しかし、その戦のやり方は残忍で、味方ですら(おのの)くものだったと伝えられている。


 特に彼の騎士団長就任のきっかけにもなった、西方のクーデターの話は有名だ。

 人数差を(くつがえ)した彼の活躍は凄まじく、身体中に返り血を浴びながら叛逆する豪族たちを捩じ伏せ、血祭りに挙げていった姿はまさに鬼神。

 彼が居なければクーデターは未だ鎮圧できていないのではないか、とすら言われている。


 そんな功績を称え、ガイウスは騎士団長就任と同時に一代限りとはいえ侯爵位まで授かったのである。

 しかしそれは同時に、「血塗れ侯」という彼の不名誉な呼び名まで有名なものとしてしまった。

 実際、セレーネも先ほど初めて彼に(まみ)えた瞬間はその迫力に震え上がったのだが……。




「本当に、恐ろしい方なのかしら」

「え?」


「口数は少なかったけれど、あの方の言葉はどれも私のことを尊重したものだったの。お顔も怒っているわけじゃなくてただ吊り目で表情が乏しいだけだと思えば、怖くはなかった。だから……」


 侍女の顔を真っ直ぐに見て、セレーネは笑む。


「私、あの方と上手くやっていけると思う」


 ……そう。彼の視線に、蔑みや嫌悪の色はなかった。

 たとえ彼の目的が、自分の歌声だったとしても。それは、今までの状況よりもずっと心安らぐものだ。


「私のこんな歌でも、お役に立てるなら」


 驚きで言葉を失っている侍女を気にせず、セレーネはそっと、自分に言い聞かせるように呟く。


 ――私は、あの方に喜んでほしいと思ったのだ。



○   ○   ○   ○   ○   ○   ○



 一方の書斎では。

 セレーネたちの微笑ましい会話とは真逆の、緊迫した空気が流れていたのであった。


 険しい顔で腕を組み、ガイオスは相手を射殺(いころ)しそうな鋭い視線を向ける。

 ぐわりと吊り上がった眉に、獣のように見開かれた赤い瞳。その凶悪な面構えは、亡霊も裸足で逃げ出すであろうほどに恐ろしい。

 だというのに、そんな視線を向けられていることをまるで意に介さずジルは微笑んだのであった。


「良かったですね、旦那さま。婚約者さまが素敵な方で」

「お前は……口の利き方に気をつけろと言っただろうが!」


 呑気なジルの言葉に、ガイウスの叱責が飛んだ。それに多少首を竦めながらも、ジルは平然としたままだ。

 長くガイウスに仕えている彼は、今更その程度の大声に怯むことはない。


「もちろん、私も自分の失言については反省しておりますとも。ただ、旦那さまがあまりに口下手で話が進まないために私が口を挟まざるを得なかったという状況も、少しは理解していただきたいのです」

「…………」


 その言葉に、ガイウスは気まずそうに目を逸らした。ジルの言うことが一理あることも、実のところ理解しているのである。

 どうも自分は喋るのが苦手で、言葉が上手く出てこない。そんな口数が少ないところが人に怖がられる原因のひとつだと、自覚はしているのだが……。




「それで、旦那さまはいかが思われました? ご自身の婚約者について」

「……美しい、と」


 ジルの質問がからかいを含んだものであることには気づいていたが、ガイウスは正直に胸の内を吐露した。


「あんなに繊細で、可憐な女性がいるのかと驚いた。彼女は本当に人間の女性か? 妖精か天使の化身かと思ったぞ。俺が触れたら砕けてしまいそうだ」

「突然、詩人のようなことを平気でおっしゃいますね……」


 呆れたジルの声を受けても、ガイウスは真顔だ。


「彼女を前にしたら、誰だって詩人になる。あの美しい銀色の長い髪、神秘的な紫色の瞳、折れそうに細い腰……その歌声も含め、彼女は本当に、聖女という称号に相応しい佳人(かじん)だ」


「まぁ旦那さまのお気に召したのであれば、幸いです。では、結婚までの手続きを無理に遅らせる必要もないですね」

「ああ。俺のような男と結婚しなければならない境遇にある彼女には気の毒だが……」


「何をおっしゃいますやら。むしろ旦那さまと縁づいたことは、彼女にとっても幸せとなるはずです」

「まあ、必要以上に顔を合わせることのないように配慮しよう」




「旦那さま??」


 予想外の宣言に、ジルは目を白黒させる。


「せっかくセレーネさまを気に入られたというのに、わざわざ彼女を避けるのですか?」

「当然だ。彼女はこの結婚の最大の被害者だからな」


 ギンっと虚空を睨み、ガイウスは唸る。


「不本意な婚約だとは、わかっている。だからせめて、彼女が快適に過ごせるように配慮してやらねば」

「顔を合わせないようにすることが配慮とは……」


「俺のような野蛮な男が居たら、気も休まらないだろう。彼女に会うのは歌の奇跡をいただくときだけ……それで、十分だ。さっきは不用意に彼女に触れてしまって、申し訳ないことをした」




 淡々と述べてから、ガイウスは苦しそうに顔をゆがめた。


「辛そうな表情につい身体が動いてしまったが、迂闊(うかつ)なことをした。悲鳴を上げられなかったのが不思議なくらいだ」

「旦那さまの慰めに心打たれているように見えましたが……」

「馬鹿なことを言うな」


 ジルの言葉を一蹴して、ガイウスはとん、と机を指で叩く。


「とにかく、使用人には彼女をできるだけ甘やかしてやるように伝えておけ。遠くから彼女の笑顔を見られれば、俺はそれで良いから」


「そのセリフはちょっと気持ち悪いですよ、旦那さま。そう思うのであれば、旦那さま自らが動くべきです」

「同じ話を何度もさせるな。それだと彼女が可哀想だと言ったはずだ」


 冗談交じりのツッコミに真剣に答える主人に、ジルは内心で肩を竦めた。

 子供の頃から周囲に敬遠され、怖がられてきたガイウスの固定観念をひっくり返すことは難しい。

 どんな言葉を重ねようと、その方針をすぐに変えさせることはできないと悟ったのだ。




 これまでガイウスと婚姻の話が持ち上がった女性たちは皆、実際の彼に出会った瞬間に悲鳴を上げたり泣き出したりと話にならなかった。

 それを思えば、彼と理性的に言葉を交わしていたセレーネという存在のなんと貴重なことか。


 そんな彼女であれば彼と心を通わせることもできるのではないかと、ジル個人としては非常に期待しているのだが、肝心の主人がこの調子では……。

 小さくため息をつき、ひとまずのところは諦めることにする。


 これから彼らは結婚するのだ。いずれ、時が解決の方向に動いてくれることだろう。


「かしこまりました。ですが、毎日セレーネさまの歌をお聞きになることだけは怠らないでくださいね」

「ああ。彼女には悪いが、俺はそれが楽しみでならない」


 ガイウスはそう言って獰猛(どうもう)な笑みを洩らす。

 ……いや、本人としては微笑みのつもりなのだが、どうしても生来の凶悪な顔つきはそれを柔らかな笑みにはしてくれないのである。


「ええ。私もです」


 そんな誤解を受けやすい主人に同情の念を覚えつつ、ジルは深く頷く。



 ――セレーネの気持ちなどつゆ知らぬガイウス。

 そうして二人の気遣いはすれ違ったまま、新しい生活は始まったのであった。



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