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第一部

登場人物


私・・・・・・・・・・・・・・生物学者

通草コノハ・・・・・・・・・・研究補佐員・大学附属高校の生徒

椚カレハ・・・・・・・・・・・研究補佐員・大学附属高校の生徒

アレン・トリーニ・・・・・・・怪物調査依頼人・研究員

シィナ・ライト・・・・・・・・大学付属博物館館長

コートニー・キャンベル・・・・大学附属中学の生徒・キャンベル教授の娘

クレイ・フェンネル・・・・・・特殊探査機操縦士

ペンクロフト・ヒューベル・・・特殊探査機担当技師・工学博士

カハール博士・・・・・・・・・生物学者

モーリス・キャンベル・・・・・考古学者

クリス・アルメール・・・・・・クレイの子供時代の友人

アーベル・・・・・・・・・・・謎多き少年

  Nautilusnautes supplemental report: the secret of Mosasaurus bay


挿絵(By みてみん)


 1―雨の依頼人

 私は博物館の三階にある研究室でぼんやりと雨音を聴いていた。

 ぱらぱらと水滴が当たるガラス窓の向こうは秋の雨に霞んでいる。

 来客を待っているところだった。今日の三時にここで会う約束をしている。

 最近いろいろあったせいで私自身もほぼ忘れていたのだが、私がこの島に来た理由は先の事変で襲ってきた怪物の調査である。この島にまだ生き残りがいる可能性を検証するため、島の人々から様々な話を蒐集して、島の調査を行ってきた。

 今回もそうした怪物調査の依頼だ。

 調査の補助をしてくれている女子学生の通草(あけび)コノハ、通称コノハ助教は、今日はあいにく留守だった。大学の図書室に用があると言って、午前中から出かけている。

 この博物館の館長であるシィナ・ライト女史も既に本館に戻っているので、この別館には私一人が残っていた。

 深淵の小島(リール・ド・ラビーム)はすっかり秋であった。

 ノーチラス島は現在高緯度地方に向けて進んでいる。そのせいでみるみる季節が変わっていった。長い夏が終わるやいなや、秋が訪れ、それもあっという間に過ぎていく。あと一週間もしないうちに冬になるだろう。

 私がいるリール・ド・ラビームはノーチラス島に付随する小島である。緑豊かな小島なのだが、奇妙なことにアイスクリームをスプーンで掬ったように一部がえぐれていた。そこに海水が入って円い内海になっている。内海をぐるっと半周するように木製の回廊があり、切り立った崖を背にして博物館が作られていた。この博物館は本島にあるレプティリカ大学付属博物館の別館であり、アルザス風の三階建ての建物と、展示棟、そして巨大なガラス温室があった。

 まるで高級リゾートみたいだ。だがここはノーチラス島の中心地であるアルケロン市から見てちょうど島の反対側にある。粗末なトロッコ列車で密林の中を一時間かけてようやく来られる場所だ。そんな辺鄙な場所にある博物館は、まるで深山の奧に建つ仏教寺院か、切り立った岩山の天辺にある修道院みたいで、人を寄せ付けぬ秘蹟のような雰囲気を漂わせていた。

 博物館を囲む垂直の崖に生えている木々は既に紅葉をはじめていた。雨が内海に降り注いでいる。内海の中にはとりわけ深いところがあった。そこがこの小島の名前の由来になった深淵だ。

 暗く蒼い深淵は晩秋の雨に霞んでいた。

 秋から冬への季節の変わり目は得てして物寂しいものだが、私はとりわけ憂鬱であった。

 あと四ヶ月足らずで私はこの島を去らなければならない。

 そのことを考えるとどうしても気が重くなる。

 私はため息をついて、自分でコーヒーを煎れた。コートニーがいれば美味しいコーヒーが飲めるのだが、あいにく彼女は忙しいようで、ここ数週間ほどご無沙汰していた。

 先の調査で一緒だったメンバーとも最近はあまり会ってない。皆、かなり大変な目に遭ったせいか、ここに寄りつこうとしない。いや、さすがにそんなことはないか。たぶん先の調査の結果の処理に追われているのだろう。カハール博士なんかは目が血走っていた。

 今の彼女にはあまり会いたくない。

 そういえば、フェンネル操縦士の学位論文の審査を依頼されていた。発表会まであと一ヶ月あまりか。数日前に送られてきた原稿を早く見て返さないと、また彼女の機嫌が悪くなりそうだ。

 そうこうしているうちに、ドアをノックする音がした。

 来客が来たらしい。時刻は午後三時ちょうど。客は律儀な人物のようだ。

「どうぞ」

 私が返事をすると、ドアが開いた。

「失礼します」

 そう言って入ってきたのは、若い男性だった。

 大学院生かポスドクくらいに見える。痩身で、神経質そうな雰囲気を漂わせていた。私の研究室の中を警戒するように見回している。まるで何かに怯えているようだ。

 私は名乗ってから、「どこかの研究機関の方ですか」と尋ねた。

「はいそうです、アレン・トリーニといいます」

 彼は少し緊張したような声で答え、この島に共同出資している国の名前を告げた。その国から派遣されてきた研究員のようだ。

 だがかなり若い。学位を取ってすぐにこっちに来たのだろうか。

「雨の中、ここに来るのは難儀だったでしょう?ここじゃなくて街の大学に来てもらっても良かったのに」

「はあ、まあ、そう、ですね」

 トリーニ氏は気まずそうにしたので、私は「私は全然迷惑じゃないですが」とフォローした。

 彼は黙っている。内気な性格をしているようだ。私も似たようなものなので気持ちはよくわかる。だが、とてもやりにくい。

「とりあえずコーヒーでもどうですか。飲みながら話を聞かせていただきましょうか」

 私は席を立って、先ほど煎れたコーヒーを来客に差し出した。

「どうも」

 トリーニ氏は礼を言う。私が部屋の中程にある椅子を勧めると、彼はそこに座った。ただその間も落ち着きなく周囲を見回している。

「どうしました?この部屋が何か?」

「い、いえ、何でもないのですが、ちょっと、何というか・・・・。博士、あのドアはどこに繋がっているのですか?」

 そう言って彼は部屋の隅にある骨董品みたいなドアを指さした。

 私は少しギクッとする。あのドアは精霊さんに作ってもらったもので、あの地底世界に通じている。でも何の変哲も無いドアのはずだ。この人物は何故、あれが気になるのだろう?

「あれは物置のドアですが、それが何か?」私ははぐらかした。

「い、いえ、何でもありません、ちょっと怖い気がしただけで」

「はあ、そうですか」

 確かに、古風な作りのドアなので、アレを開けて何かが出てきそうな、そんな雰囲気はある。

「それで、話というのは?」

 私が改めて尋ねると、彼は少し逡巡してから口を開いた。

「あの、この話はもしかしたら、博士が調べておられる『先の事変の生き残り』とは関係がないかもしれないのですが・・・・」

「ああ、構いませんよ、関係ないと思われることでも、調べてみたら繋がっていたということがありますからね」

「はあ」

「だから、なんでも遠慮なく言ってください、あなたは何かを見たのですか?」

「見たというか・・・・あの、こんなこと、信じてもらえないかもしれないのですが・・・・」

「大丈夫です」

「でも」

 その依頼人がもったいを付けるので、私は「いいから」と先を促した。

「いいですから、この調査では実にいろんな話を聞く。心配しなくていいから話してください」

「・・・・・はい」

 そして彼はようやく口を開いた。

「実は、モササウルスがいるみたいなんです」

「は?」

 聞き間違いかと思った。

「ええと、すみません、仕事がら、単語が動物の名前に聞こえることがあって・・・困りますね、ははは・・・・・モササウルスと聞こえてしまいました。すみません、何と仰いましたか?」

「モササウルス、です」

 私はまじまじと依頼人を見た。きっと目を丸くしていただろう。

「本当に?」

 私が問い返すと、依頼人は頷き、話を始めた。


「モササウルスだって?」

 コノハ助教が食事の手を止めて目を丸くした。

 私は頷く。

 私達はカフェで夕食をとっているところだった。

「何でまたそんなものが?」

 コノハ助教は口をもぐもぐさせながら尋ねた。私もパスタを口に運びながら答える。

「よくわからないが、本人は大真面目だった」

「モササウルスって、あれだろう?太古の地球にいた・・・」

「そう、海棲爬虫類だ。現在のオオトカゲに近い系統だな」

「かなり大きいんじゃなかったっけ?」

「10メートルを超える種もいたみたいだ。さすが、よく勉強しているな」

「お陰様でね。それが、ここに、この島に?」

「ああ、本人はそう言ってる」

「本当なのか?」

「わからないな」

 私は今日の依頼人の話を反芻した。

「ぼくもちょうど君と同じことを尋ねたよ。本当ですか、ってね。するとトリーニ氏はモササウルス目撃の経緯を話してくれた」

「ふんふん、夕食時に面白い話を持ってきたじゃないか、是非聞かせてくれ」

 コノハ助教は目を輝かせる。あの異世界の一件で彼女はかなり苦労したはずなのだが、未知の事物に関する好奇心は前より強くなったみたいだ。いいことなのか悪いことなのか、よくわからない。

「彼が言うにはだね、どうやら地質調査の一環で、島の後端の海岸を調べていたようなんだ。あそこはまだ未調査の領域があるからね。そしたら、水中からこちらを見上げているものがいたらしい」

「ほう、それはびっくりしただろうな」

「ああ、肝が潰れたと言ってた。そりゃ、船に乗ってるときに、海中から何かがこっちを覗いていたら怖いだろうさ。で、彼が言うには、それは巨大な口を開けていたらしい。その様子が、地球の博物館で見たモササウルスに似ていたそうだ」

「ふんふん、それから?」

「それだけだ」

「・・・え・・・・、それだけ?」

「ああ、それだけだ」

「なんだ、目撃証言だけじゃないか。それはあまり当てにならないだろう?ただでさえ海面は波打っている。海中は見えにくいはずだ。そんな状況で口みたいな物が見えて、さらにそれがモササウルスに『似ていた』だけなんだろう?勘違いじゃないかな?」

「うん、ぼくもそう思った、だから本人にも君と同じことを言った。だが、彼は間違いないと言うんだ、そこで・・・・」

「そこで?」

「確認のために、モササウルスの画像を見せた」

「図鑑か何かの?」

「ああ。ぼく自身がイラストも描いて一緒に見せた」

「そしたら、どうした?」

「これに間違いないと仰った」

「ほほう」

 コノハ助教は椅子に背をもたせかけて唸った。

 ちなみに今の彼女は秋の装いをしている。寒くなってきたから街で買ってきたそうだ。以前のアルザス衣装はどこか常人離れした雰囲気があったが、今はごく普通の少女が椅子に座っているように見える。赤い瞳と縦長の瞳孔をしていなければ、彼女が人外の存在だということに誰も気づかないだろう。

「じゃあ、君はその話を信じるのか?」

「いや、ちょっと難しいかな。確かにこの島には地球ではもはや絶滅したとされる種が見られる。でもそれらのほとんどは無脊椎動物で、脊椎動物はごく僅かだ。魚類が少しと、それから鳥類かな。だがこれらはいずれも小型のものばかりだ。彼が言うような巨大な絶滅種はこれまで見つかっていない。この島が発見されてから半世紀以上が経っている。こんな小さな島だ。今までモササウルスみたいな目立つ生き物が見つかっていないのはおかしい」

「ふうん、君は信じていないわけだ」

「ああ、でも、依頼人は大真面目で、引き下がってくれなかった。だから、とりあえず調べてみることにした」

「その、依頼人が言った海域をか?」

「そう」

「どうやって?フクラスズメを使うのか?」

 フクラスズメは今も例の地底湖に置いてある。地底湖は地上には繋がっていないので、これまでフクラスズメはあの地底世界でしか使えない、いわば異世界専用機であった。だが今は、私が偶然得た権能のせいで、こっちに持ってくることができる。

「いや、そんなことはしないよ」

「じゃあ、あの二人組の探査機を借りるのか?」

 あの二人組とはヒューベル博士とフェンネル操縦士のことだ。

「それも考えた。ぼくがこの島に来た本来の目的は先の事変で襲来した怪物の調査だ。そのために彼らの探査機を使う許可を得ている。だから、今回のモササウルスについても、『怪物調査』の名目なら彼らの探査機を借りられる、でも・・・・」

「そうしないのかい?」

「そこまでするほど、信じていないんだ、だから、今回はとりあえず依頼人の船に乗せてもらうことにする。・・・・・どうする、君も参加するか?とりあえず明日、街で打ち合わせをすることになってるんだが」

 彼女はさっき興味津々だったので、私はそう尋ねてみた。

「行っていいなら、そうさせてもらうよ。この目は君にもらったカラコンで誤魔化すとしよう」

 彼女が快諾してくれたので、私は少し嬉しくなった。こんな島だが、彼女にとって楽しいことがあるならそれに越したことはない。だが、人前に出るときにいちいち変装しなければならないのは不便ではないのだろうか?

 これについては少し前から考えていた。

「コノハ助教、君が今よりも簡単に人前に出られるようにはならないのか?たとえばほら、アーベル君に貰った『スーツ』とやらがまだあるんだろう?その中に何か便利なのはないのか?」

 コノハ助教の本体は白い外骨格を持つ生命体だ。そのままでは球体関節を持つ節足動物みたいな容姿をしている。今は「スーツ」なるものを外皮として纏っているのだ。

「ああ、あれね。あるにはあるんだがね」

 コノハ助教は思案するように天井を見た。彼女の視線の先に屋根裏部屋がある。そこには木箱がいくつか置かれていて、「スーツ」はその中に入っているようだ。前に彼女だったかカレハ助教だったかが、スーツは何種類かあると言っていた。

「そうだな、いい機会だからちょっと着てみるか」

 そして彼女は食事を終えると、「よっこらせ」といって席を立った。

「準備するから、そうだねえ、あと30分くらいしたら私の部屋に来てくれ」

「30分?そんなに時間がかかるものなのか?」

「ちょっと特別なやつなんだ、下準備がいるんだよ、じゃあ後で」

 そう言って彼女はカフェを出ていった。


 カフェで食器を片付けたが、彼女が指定した時間にはまだ間があったので、私は三階にある研究室に行った。そこには私の机と簡単な実験器具がある。壁際には本棚があった。その隣に、最近できたばかりのドアがある。

 さっきの依頼人が妙に怖がっていたドアだ。このドアが、あの地底世界に繋がっていた。そこで出会った精霊さんがつくったものだ。あの一件以来、私が頼めば精霊さんはどこにでもこうして他の場所に繋がる通路を作ってくれた。それはあの地底世界にも、ノーチラス島のなかにも、さらには地球にまでも通すことができる。精霊さん達はこれまで地球の事物を地底世界の「野外博物館」に集めてきたのだから当然と言えば当然だ。しかしそれは見れば見るほど、知れば知るほど、恐ろしい能力であった。

 ただ、私がその権能を使うにはちょっとした制限があった。すなわち、異界に通じる通路には「ドア」が必要なのである。精霊さん達はそんなもの無くても通路を拓けるのだが、何もないところから別の場所に渡ることを私の脳がなかなか認識してくれない。私はこれまで生きてきた常識から、どうしても他所に行くには「ドア」とか「門」といったものが必要だと思い込んでいるのだ。だから、精霊さん達が私を他所に送るためには、どこかにドアを作る必要がある。たいへん申し訳ない気がするが仕方が無い。人間が未知の力を行使するのだから、こうした弊害が生じるのは仕方ない。他の人ならもっと難しいかもしれない。これでも私はがんばっている方だと思うのだ。

 だから、門やドアが作れないだだっ広い場所、例えば海の上とか、砂漠の真ん中だと、私は他所に転移できない。

 これを何とかできないかと私は日々考えていたのだが、今のところいい考えは浮かばない。

「どうしたもんかね」

 私はつぶやいた。私の周囲には今も見えない精霊さんたちがいるのだろうか?時々気配を感じるからいるのだろう。でも見えない。これもなんとも具合が悪い。


 彼女が指定した時間になったので、私は屋根裏部屋に上がり、彼女の部屋のドアをノックした。

 だが、返事はない。

 再びノックする。でも返事がない。

 何だか少し前にもこんなことがあったような気がする。あの時はカレハ助教がいたんだったか。今回も、もしかしたら返事ができない事情があるかもしれない。でもとにかく、「30分後に来い」と言ったのは彼女だ。だから入ることにした。

 こんなとき、空気を読めるまともな人間ならどうするのだろう?

「コノハ助教、入るよ、ダメならそう言うか、そっちから鍵をかけてくれ」

 そう言って暫くしてドアノブを回す。ガチャッとノブが周り、ドアが開いた。

 部屋の中は綺麗に整頓されている。人間ではないとはいえ、女性の部屋を夜に訪れるのは気が引けた。明日にした方が良かっただろうか?

「やあ」

 すると、部屋の隅の方で声がした。

 私はそっちに目をやり、愕然とした。

「こ、コノハ助教、その格好は?」

 彼女が何かをやるといつも驚かされるが、今回のは別格だった。私の前には、小さな女の子が立っていた。だぼだぼの衣装を纏っている。年は十歳くらいか。まだ初等部といった感じだ。でも髪の毛はコノハ助教と同じ灰色で、大きな瞳も赤い。でも、瞳孔は縦長ではなかった。顔だけ見ると完全に人間の少女だ。

「え、君、本当に、コノハ助教なのか?」

「そうだよ」

 少女が答える。その声は年相応に幼く聞こえた。

「ど、どうした?なんでそんな、小さく?」

「君、質量保存の法則というのを知っているかね?」

「あ、ああ、それくらいは」

「このスーツには、胴体以外の付属物があるんだ。それを装備するためにリソースを割り当てたら、質量保存の法則により、胴体を小さくしないといけない」

「付属物だって?なんだそれ?」

「これさ」

 コノハ助教は自分の斜め後ろを指さした、すると、コノハ助教の背後から何かがUFOみたいにす〜っと伸び上がってきた。

「そ、それ、なんだ?」

 私は唖然とした。それはまるでチョウチンアンコウのチョウチンのように見えた。長い柄の先が大きく膨らんでいて、そこが発光している。さらにそこには奇妙な突起やよくわからない触手みたいなものがたくさんついていた。それが空中にふわふわと浮かんでいる。

「これか?いわゆる尻尾だよ。尾の先が膨らんでこんなになっているのさ」

「う、浮かんでいるんだが」

「先端に気嚢があってヘリウムガスが入ってる。あの世界の生き物と同じで、浮かべるようになっているんだ。発光器があるから明かりも点けられるし、触手でものも持てる。例えば武器だって持てるぞ」

 そう行っている間にも、提灯のような物がユラユラと空中を漂う。何だか発光するクラゲみたいだ。よく見ると確かにそれは少女のスカートの裾から蔓草みたいに伸び出ていた。だぼだぼの服のせいでどこから出ているのかはわからないが、きっと地球の脊椎動物の尾椎と同じく、腰のところから伸びているのだろう。

 クラゲの傘みたいに膨らんだ尾の先は結構大きい。少女の頭よりも大きかった。なるほど、確かにこれだけの物を限られたリソースで作ろうとしたら胴体部分の骨格を小さくしなければならないだろう。骨格が小さくなったせいで声帯に相当する場所も小さくなり、声もより幼くなったのだ。

 少女はとことこと歩いてこっちに来た。

「どうだい?」両手を開いてくるりと回る。その姿は幼い少女そのもので愛らしかったが、頭上に浮かんでいるチョウチン様の物体が極めて異様であった。ちなみにチョウチンアンコウのそれは専門用語でエスカという。

「すごい、確かに瞳は縦長じゃないから、顔は人間に近くなってる、でもこれじゃあ・・・」

 こんなエスカみたいな尾がついていたら、ますます人間離れしてしまう。

「そうなんだ、これじゃあ人間に擬態できないんだよ、しかも体は小さくなるし、私はあまり好きじゃない。発光器がついてるから夜に出歩くときには便利かもしれないが、それだって懐中電灯を持てばいいだけの話だ」

「確かに」

「そんなわけで、今まで放置していたのさ。君にはこいつを活用できるようないいアイデアがあるかい?」

 私は暫く考えて、首を横に振った。

「だめだな、思いつかない」

「やっぱりか」

 そう言って、コノハ助教は自分の尾を風船みたいに引っぱった。

 引っぱる度に上のチョウチンがぼよんぼよんと上下した。

 おや、もしかしたら、チョウチン部分を縁日とか土産物屋で売ってるバルーンみたいにしたら擬態できるかも?

「その先端を、『くまのプーさん』みたいな形にできるか?」

「なんだそれ?」

「いや、それじゃなくてもいいから、何かこう、可愛らしい形にできないか?そしたら女の子が風船を持っているように見えるかも」

「ふうむ」

 コノハ助教は思案するような顔をした。するとチョウチンの先端の形が変わっていく。今この瞬間、裏ではカレハ助教がコノハ助教の作ったイメージを表出するべく悪戦苦闘しているのだろう。この灰髪の少女には脳が二つあって、それぞれ通草コノハと(くぬぎ)カレハという人格が宿っている。いつもはどちらか片方が「表」に出ていて外部からの情報を集めて適切な指令を出し、もう片方が「裏」で体を操ってその運動指令を実行する。その分業のお陰で彼女達は人間よりもはるかに速くしかも高度な行動が出来るのだ。ただ、制御には得意下手があって、コノハ助教は「表」の仕事が得意で、カレハ助教は「裏」の制御が上手い。今はカレハ助教が裏だから仕事の相性がいいはずだが、今回はこれまでに経験したことが無い指令が来ているようで、動きがぎこちなかった。がんばれ、カレハ助教。

 私の前でそれはグニャグニャと形を変えてゆき、しばらくすると、それは歪な人型になった。

「どうかな?」

「うっ」

 私は恐怖のあまり絶句した。彼女の尾の先が、白い死体みたいに見える。顔の部分は目と口が真っ黒な穴になっていた。空に浮かぶ首吊り死体を幼い少女が持っているような感じになっている。

「やめてくれ、怖すぎる」

 夜に見るにはあまりにも刺激が強すぎた。二人には悪いが、あんなこと言わなきゃよかった。

「だめか」

 コノハ助教はがっかりしたように呟いて、「じゃ、着替えるから出てってくれ」と言った。

「ああ、お邪魔しました」

 私は、今日は絶対にこれに関する悪夢を見るだろうと確信して部屋を出た。

「おお〜い、ちょっと」

 部屋を出ると、コノハ助教の声がした。

 さっき退室しろと言ったのに、どうしたのだろう?

「どうした」

「ちょっと戻ってきてくれよ」

 そう言われたので、私は再び部屋に入る。すると、コノハ助教は少し困ったような顔をしていた。

「ちょっと、残っているんだけど」

「は?」

「ほら、そこ」

 コノハ助教は部屋の一角を指さす。でも何も見えない。

「どこだって?」

「そこだよ、見えないのか?あ、そうか、君には見えないんだったな」

 コノハ助教は顔をしかめた。そうだ、精霊さんか。私には見えないが彼女にはうっすら見えるらしい。

 でも変だ。精霊さんはいつも私と一緒にいるはずなのに。コノハ助教のところに残るなんて、これまでにはなかった。

「精霊さん、残ってるのか?」

「ああ、いつもは君と一緒に出ていくんだが、今日は何故かそこにいる」

 コノハ助教が指さす先には、確かに微かな気配があった。

 精霊さんは、あの野外博物館を運営してきただけあって、かなりの人数がいるようだった。でもこの場にはあまり多くの気配を感じない。いるとしても一体か二体くらいか?

 ただ、精霊さんに果たして一体、二体、という区別があるかどうかはわからない。あの異世界で私に接触してきた精霊にも、まるで複数の精霊が一体に収束したような、何だか集合意識みたいな雰囲気があった。

 よくわからないが、今はとにかく、

「何人いる?」

「一体だけだな」

「ちなみに、どんな姿をしているんだ?」

 前にコノハ助教は精霊さんを称して「あの触手怪物よりずっと酷い」と言っていた。私はまだ精霊さんの詳細な姿を教えてもらっていない。具体的にはどんな姿なのだろう?

「う〜ん」

 コノハ助教は少し思案してから、口を開いた。

「君は、ハワード・フィリップ・ラブクラフトという米国人が書いた怪奇小説を読んだことはあるかね?」

「・・・・・・・・・わかった、もう何も言わなくていい」

 私は全て納得して、その話を終わりにした。

「しかし、何故精霊さんが残ってるんだ?」

「わからないよ、でも私を見てる、気がする」

「気がする、とは?」

「目みたいなものがいっぱいあるけど、どれが本物の目なのかわからない」

「そうですか」

「とにかく、いいから連れ出してくれ、そいつを疑うわけじゃないが、この姿だと君に何かあっても対処できないぞ」

 コノハ助教は少し苛立っていた。

「わかった、精霊さん、行こう」

 私はそう言って、部屋を出た。

 ドアを閉めて、私の部屋に向かう。何かが側にいる気配がする。精霊さんはついてきたようだ。

 やれやれ

 でも、何が精霊の気を引いたのだろう?


 2―冬の花

 翌日の朝、私が博物館の一階に降りると、図書館の前でシィナ・ライト館長と鉢合わせした。

「あ」

 美少女がびっくりして数歩下がる。

「あ、失礼しました」

 私も跳ねるように後ずさった。

「あ、博士、おはようございます」

 館長は図書館の横にあるドアから出てきたところだった。

 実はこのドアも精霊さんが作ったもので、本島にある博物館本館に繋がっている。館長は本館とここを掛け持ちで管理していて、これまでは日々トロッコ列車で通勤していた。それでは大変だろうと思ったので、本館とここを繋げたのである。館長は精霊に纏わる私の秘密を知っているので問題はない。

 だから館長は、本館とここを自由に行き来できる。彼女は当初、意味不明の仕組みで繋がったドアを使うことを躊躇していたが、利便性が理性に勝ったらしい。今では普通に利用している。まあ彼女は魔法使いなので非科学的なものへの親和性が高かったのかも。私にとっても好都合で、大学に行くときに島を横切る必要がなくなった。今はこのドアを開けて本館に行き、そこから街までトロッコ列車で移動している。

「お出かけですか?」

 私が本館へ繋がるドアの前にいたからだろう、館長が尋ねた。

「あ、はい、昨日ちょっと変な依頼を受けまして、その打ち合わせで街まで」

「変な依頼、ですか?」

 そこで私は昨日の出来事をかいつまんで話した。

「モササウルスですか」

 館長は首をかしげる。そういえばこの少女はノーチラス島の動植物のことにとても詳しい。何をさておいてもまず彼女に尋ねるべきだった。

「そんな生物の目撃報告はこれまでありましたか?」

 館長は暫く記憶を辿るように宙を見ていたが、やがて、

「ありませんね」と言った。

「やっぱり、そうですか」

「モササウルスといえばかなり大型の種ですから、目撃されたら大きな騒ぎになるでしょう。それに・・・・」

「それに?」

「モササウルスは鱗竜類の一系統です。ヘビやトカゲの仲間ですから、肺呼吸です。呼吸の度に水面に顔を出すはずなので、目撃されやすいでしょう。なのにこれまで何等の報告もないということは、つまり」

「そんなものはこの島にいない」

「はい」

 さすが館長だ。いろいろ詳しい。私はモササウルス目撃譚が偽情報である思いを強くした。でも昨日の依頼人は真面目そのものであった。

 どういうことだ?なら彼は一体何を見たというのだ?


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