パン切り包丁の断罪
ミトンをはめた左手が、熱くて厚いパンをまな板の木目の上に柔らかく抑えこむ。右手に優しく持ったパン切り包丁の波状の刃が、小窓から差し込む朝日に反射し妖しく光る。
ザクッ。と小気味の良い音を立てて熱いパンに切れ目が入る。私はそのまま丁寧にパン切り包丁を前後させ刃を重力に任せて沈み込ませていく。数回のストロークの後、こてん、と二センチほどの厚みで切断されたパンの耳がまな板の上にコケた。
内包されていた焼いた小麦の香りが溢れ出して小さなキッチンを夢うつつに甘く包む。その芳醇な香りは、自宅がパン屋さんだったらこの憂鬱な朝がどれほど幸せな時間に変わるのだろうと何度も不毛に妄想した中学時代の通学路を私に思い起こさせた。
美しい日曜の朝だった。一日平均八時間弱、週五日ないし六日もの退屈な労働は全てこの朝の時間のための長い長い前座でしかない。そう思えるほど私はこの朝を愉しむことができている。
私は均等に切り分けた一斤分のパンを皿に盛りアプリコットジャムの詰まった瓶と共にテーブルに並べた。同級生の結婚式の引き出物で貰ったマリメッコのカップには、ミルク入りのホットコーヒーが湯気を立ててこの朝の光景にささやかな苦味の花を添えている。私はスマートフォンを構えて早速この理想の朝の景色を記録に収めようとする。もちろんSNSへと上げるためだ。
しかしパンの山の向こうに、壁に立てかけてあるピンボケのエレキギター(フライングV)が映り込んでしまいこの素朴で文化的な景観を損ねてしまったため、私はしかめ面でスマホの角度を下げファインダー越しに映える素敵な世界からギターを蹴り出す。
なんて美しいんだろう。
無事に理想の写真を撮り終えた私は、たまらなくなって山のてっぺんのパンを一つ取り、まだほんのりと温かいそれを見つめる。
あぁ、やっぱり美しい。なんて美しい切断面。
不意に溢れそうになった涙を溢さぬよう、私は低い天井を見上げた。
税込千百円。何度も何度も手に取っては棚に戻した、進学より就職より、は、言いすぎたけれど大学時代の元カレとの別れよりは悩んだ買い物。
本当に、買ってよかった。愛しのパン切り包丁。
三ヶ月前、初めて貰った冬のボーナスを銀行口座という懐に入れたことで気を大きくした私は、近所の家電量販店でホームベーカリーを衝動買いした。
はじめての自家製パンは予想以上にふっくらと焼き上がり、私は小さなキッチンで一人で跳ねて喜んだ。
しかし、容器から引っ張り出したそのパンに包丁を突き立てた次の瞬間。
ぶにっ。と、なんとも心地の悪い感触が私を襲った。
パンが切れなかった。
四月からのこの数ヶ月間、野菜も、魚も、鶏肉の皮でさえ軽々と引き裂いてきた私の相棒とも言える包丁が、事もあろうにこんないたいけなパン一つに刃が立たなかった。
相棒の無様な姿に焦った私は何度も力任せに包丁をストロークさせ、引き裂くようにしてパンに刃を立て続けた。私に切り落とされることを頑なに拒否し逃げようとするパンの首根っこを掴み、ゴリゴリと無理矢理に切断していく己の猟奇に全身は震え、落としたパンの首から鮮血が飛び散る幻覚にも苛まれた。
数分後、私は凄惨な現場で包丁を片手に泣いていた。
目の前にはラスコーリニコフが見たであろう景色が広がっていた。
生まれた時はあんなにもふっくらもちもちとした姿だった無垢のパンは、ぺたんこに押しつぶされ歪に裂かれこの世の不条理を全て詰めた哀れな老婆の斬死体のような姿に成れ果ててしまった。
私が産んだはじめての大切なパンを私の未熟さが醜く切り潰してしまった。
だから、私にはパン切り包丁が必要だった。
しかしその一歩はしばらく踏み出せなかった。
だって税込千円を超えるのだ。消費税が上がり、年金問題は有耶無耶になり、流行病が世界を塞ぎ、明日の自分すらも見えなくなってしまったこの現代に、たかがパン切るためだけの包丁が千円を超えるのだ。
私は優柔不断が服着て化粧してヒールを履いて歩いているような人間だった。そんな私がどうしてパン切り包丁などという、生きる上において必要性も緊急性も限りなくゼロに等しい代物にぽんっと大切な千円を投げうてようか。ぶっちゃけパンもそんな好きじゃないし。
ナポレオンならこんな時、なんの躊躇いもなく税込千百円のパン切り包丁を買うのだろう。そして夜中のうちにホームベーカリーに仕込んでタイマーをセットしていたパンをサクサクと切り分けてバターをたっぷり塗ってテレビの前にでんっとあぐらをかいて優雅にサンデーモーニングとか観るのだろう。きっとそうだろう。
そう考えると悔しかった。私だってもう二十余年もこの複雑な人間社会の荒波を航海しているんだ。たとえパリに革命は起こせなくてもこの六畳間の世界にパン切り包丁を住まわせるくらいのバイタリティはあるはずだ。そうだ。私は私を変える。世界を変えることはできなくても自分を変える。己に革命を起こす令和のナポレオン。それが私だ。いや、今のはダサいからそれはやっぱ無しで。
そんなこんなと想い募らせ迎えた二日前の金曜日。その日はいつものように仕事帰りに一週間分の買い出しをするため寄った行きつけのスーパーが棚卸し日で終日閉店していた。
心を削る労働地獄でヘトヘトになっていた私の体は徒歩十分ほど離れた場所にある小さなスーパーへと向かうことを余儀なくされる。棚卸しが憎い。自分の人生に棚卸しを憎む日が来るなんて。世を呪った。
ようやく辿り着いたその店にゾンビのような足取りと死んだ魚の干物のような目で押し入った私が捉えたのは『こちらのワゴン内商品全て半額』の文字とそこに投げ捨てるように置かれたパン切り包丁だった。
運命。宿命。神の導き。脳裏に鉄砲水のように溢れたそんな言葉達の中で何が相応しいのか私にはわからなかったが、この日このタイミングでいつもとは違うスーパーへと足を運んだ私に対して、神が褒美のようにしつらえたとしか思えない出会い。この符合が偶然だとは思えなかった。
気がつくとカゴの中にパン切り包丁を突っ込んでいた。今思うと半死人のような様子の女が怪しく笑いながら刃物をカゴに突っ込む様は、さぞ閑静な店内に恐怖を与えた事だろう。これがただの包丁であったならば私は通報されていたかもしれない。パン切り包丁でよかった。
ともかくもそれが私とパン切り包丁の始まりだった。
そして今日、はじめて使ったパン切り包丁は私に幸せの味を教えてくれた。初めてできた彼氏にすら教えてもらえなかった幸福をパン切り包丁が教えてくれた。
三ヶ月前のあの日見たグロテスクな朝の食卓は、今、パン切り包丁によってもたらされた幸福の香りによってグロリアスな朝となって私の涙腺をくすぐり、25いいねを稼いだ。
その邪な考えが浮かんだのは、パンに満たされた腹をコーヒーで宥めている時だった。
もしも、パン切り包丁で他の食材を切ったらどうなるのだろう?
私は黒猫の柄が入った深緑のマグカップを両手で支えながら考える。
普通の包丁が手も足も出なかったパンをいとも簡単にスライスしてしまうパン切り包丁。その恐ろしさすら覚えるほどの切れ味が、もしもパン以外に向けられたらどうなってしまうのだろうか。
たとえばトマト、たとえばナス、たとえばアボガド、そんなものたちを切ることはパンの繊細さに比べればきっと容易い。その程度の食材ならばパン切り包丁にかかればもはや切ったという感覚すらもなく、万有引力任せにストンストンと下に落とすだけで切れてしまうのではないだろうか。
ならば肉はどうだろうか。それも常温の肉。これは野菜とは難易度が桁違いだ。切るというより引き裂く感覚に近い。難敵だ。いかなパン切り包丁といえどもそう易々と切れる相手ではないはずだ。
しかし、と私は先程の右手の感覚を思い出す。
あの柔らかいパンをさくりさくりと簡単に切り落とした独特の感覚。あれがもし、肉にも通用するならば……。
世界が変わるかもしれない。そう感じた。
キッチンに、革命が起きる……?
次の瞬間、私はテーブルにマグカップを勢いよく置いてキッチンへと駆けた。
冷蔵庫からトマトと鶏肉を取り出しまな板の上に載せる。心なしか呼吸が荒くなっている。
一つ深く酸素を吸って流しの下の引き出しを開き、先程念入りに拭いて仕舞い込んだばかりの美しく愛おしいパン切り包丁を取り出した。
パン切り包丁の刃はやはり波状で、仕事を終えた今もなおそれは光を反射し己が切れ味を視覚に訴えかけてくる。
私はトマトに左手を乗せて、ゆっくりとその表面にパン切り包丁の刃を当てる。
鼓動が速くなっているのがわかる。パン切り包丁とトマト。この不条理、背徳感、今までにない光景と感覚。
やはりこれは革命だ。パンを切るしか脳がないと思われたパン切り包丁がトマトを切った日、それはパン切り包丁の下剋上であり独立であり革命の日なのだ。遠い未来、今日という日が祝日になり教科書に載るのかもしれない。
が、しかし、私が力をこめようとしたその瞬間、刃が止まった。いや、正確に言えばある考えが電流のように海馬に流れ、私の右腕がこの行為を拒否した。
今、トマトが切れてしまったらこのパン切り包丁はそれでもまだパン切り包丁と言えるのか———
私の体は硬直する。今浮かんだこの恐ろしい発想が私の体に金縛りをかける。
そうだ……トマトを切った時点でこのパン切り包丁は、パン・トマト切り包丁へと成り下がってしまうのではないだろうか。
その後にナスを切ったらパン・トマト・ナス切り包丁だ。
続いて、アボガドを切ればパン・トマト・ナス・アボガド切り包丁。
更に刃は走り、キウイを、ドラゴンフルーツを、馬肉を、雲母を、ミドリムシを、落花生を、畳を、立て続けに切れば、パン・トマト・ナス・アボガド・キウイ・ドラゴンフルーツ・馬肉・雲母・ミドリムシ・落花生・畳切り包丁となるだろう。パンが遠く揺らめいて霞みに消えていく。世相を斬った日には風刺包丁となりもはやパン切り包丁はこの世からその実体すらも失ってしまう。
私は震えた。なんて恐ろしいことをやろうとしていたんだろう。あれほど葛藤し、逡巡し、ようやく手にしたパン切り包丁で、パンを作られる為に削られ打たれ鍛えられ磨かれたパン切り包丁で、トマトを切ろうなどと、そのような背徳、悪魔の所業だ。魔が差したで済む話ではない。パン切り包丁の妖しい切れ味にあてられて、私は魔女になってしまったのだろうか。
私はその場に膝から崩れ落ち、愛しのパン切り包丁を抱き寄せ確かめる。
その波打つ長い刀身、右手に馴染むダークブラウンの持ち手、全てがパンを切るためだけに存在しているものだ。
特化の美。この均された現代においてこれほどまでに己が一点の使命だけに刃を尖らせ続けた物を私は知らない。だからこそ私はパン切り包丁に憧憬した。
いつかの私も尖っていたかった。そんな大人になれると思っていた。身の程もわきまえず夢を語った時期もあった。しかし、歳をとるごとに増えていく脳みそのシワは、夢を諦める言い訳ばかりを生み出した。いつか出そうと思っていた本気は、ついにその機会を失い、受験をし、就活をし、仕事をし、社会に均されていった。
偏差値で選んだ大学で、学食の向かいの席を埋めるための友人と市民権を得るための彼氏を作り、知名度で選んだ会社に削られた心の穴をSNSで埋める私は一体誰なのだろう。
輪郭を外から世間に打ち削られ下流にひしめく石ころの如く尖を失なった私にパン切り包丁の刃の輝きは眩しかった。だから惹かれ焦がれたのかもしれない。なのに、私はこの純粋で美しいパン切り包丁にトマトを切らせナスを切らせて名を失った凡刃にしようとした。
パン切り包丁にパン以外のものを切らせることは、木を切るための斧に老婆の首を切らせることと似ている。
目の前が霞み揺れる。頬を伝い床に落ちた雫は、未来に夢を見ていた過去の私のカケラだろうか。けれど、私は最後の一線で踏みとどまることができた。パンを切るための刃を私自身の心に振り下ろすまえに気づくことができた。
私が切り捨てようとしていた過去の私が、首の皮一枚で今の私と繋がっている。
小窓から、登り始めたばかりの幼い太陽の光がこの小さな部屋に差し込む。それはまるで天然のスポットライトのように壁の一点に注がれ、そこに立てかけてあるフライングVの尖ったソリッドボディを眩しく光らせていた。