泳げ! 浮舟ちゃん! 〜 そして羽ばたく超絶魂(ウルトラソウル)
薫大将からお手紙ついた♪
浮舟ちゃんたら、読まずに捨てた………ら
右近さんに、ジャンピングキャッチされてしまった。
運動神経、いいな?! 無表情なのに!
いやだって、読みたくないしイヤな予感しかしないし。
あえて労力を使わなくても右近さん待って? 胡桃を潰せる握力で、アイアンクローはやめて???
猫掴みで持ち上げられ、記帳台を前に正座させられた不肖浮舟22歳。手紙は差し出し人ごとに分けられている。
ふた山だけてんこ盛りだ。
山のひとつは薫さま。一応、私の旦那さま……らしいんだけど、山奥のこの館で囲われて数年。特に祝言をあげた記憶がない。
三日三晩ヤッた覚えもなければ、なにより新婚さんが食すお餅を食べてない! 食べ物に関する記憶なら、間違いないからねっ!
そんな薫さまは、「権大納言兼右大将」という偉い人だ。
先代冷泉帝の兄にあたる准太上天皇(光源氏)と降下された内親王三ノ宮の尼さまのご子息。
実父が宇治八の宮(皇族)で、育ての親が常陸の頭領(県知事)で、どっちにも認知されてない私とじゃ、結婚したら頭オカシイ身分差のお相手だ。
それが、何をトチ狂ったか、最近になって「4月10日に迎えにいくから、いい子で待ってろよ」とかほざき、知らぬ間に『浮舟ちゃん御殿』を建てられてしまった。らしい。
この山荘がすでに、常陸の頭領ハウスが3つくらい入りそうなんだけどね。地価の高い京都に御殿ていったい。
政界の若手トップエリートこええ!
土地付き寝殿造を愛人にポンって? それでも、正妻に配慮した慎ましい造り??? 金持ちの常識って、いったい。
もうひとつの山は、匂宮兵部卿から。
こちらはなんと、帝の三男! 皇子さまだよ! 親王殿下!!!
兵部卿っていう、歴代帝の血縁が拝命する御役職についてるみたい。薫さまの上司なんだって。部下の薫さまはだいたいいつも忙しそうだけど、匂宮さまは優雅だ。つうか、暇なのかな? 最近、しょっちゅう宇治に来るし。会いたくて震える系のラブレターを、てんこ盛りでよこしてくるし。片道3時間かかるらしいけど、いつ仕事してるんだろ? 名誉職かつ窓際族??? テレビ局の閑職に就く芸能人の息子みたいダナ。
ちなみに、彼には3月末に迎えにいくとか言われている。
行き先は、中宮か宮さまたちの寝殿。
女官するだけの簡単なお仕事です……て、匂宮さまの歴代愛人のコレクション置き場じゃん?!
いやあああ! 無理無理無理! 多分私、ダントツで身分が微妙ぢゃんな?! 父親の血筋が宮さまで認知されてないって、中途半端すぎてガチ虐められる案件じゃん?!
渡り廊下に、大便撒かれちゃうの?! ぶ、物理でやり返してさしあげても、いいのかな? ドキドキ。あら。右近さんが虚無顔でサムズアップしてるわ? ヤレってことかしら?
そんな、今をときめくそんな貴公子たちに求婚されてる私だけど、嬉し恥ずかしどうしましょう、という事態ではない。
「I have a 薫大将 from お手紙
I have a 匂宮兵部卿 from お手紙
うーん You are so bitch!!!!」
御手玉をしゃかしゃかして、肩を揺らしながら、真顔で歌い出す右近さん。地味にうまいのが腹立つなぁ。
恋文を頂くだけでビッチとは、これいかに。
……ヤッたからですね。
両方と。
てわけで、不肖浮舟22歳。
ふたりの殿方と結合かましました。
ビッチ否定できん。
ビッチが人生最大のピンチだよ!!
どーする? 自分。
現実逃避して窓の外を眺めれば、飛沫をあげて流れる宇治川。
ああ、水の流れが速いなあ。
この清流の流れは、私をビッチ化させた男たちと似ている。先へ先へと、忙しないところが。
薫さまからのお手紙最新号、マジこわいなあ。
あ、焦れたのか、右近さんが朗読はじめたよ。
「波こゆるころとも志らず末の松 待つらんとのみ思ひけるかな」
現代語訳
あなたが心変わりをしているとも知らず ただひたすらに私のことを待ってくださっているものと信じていました
直訳
浮気したな? この女
ばーれーたー!!!!
真顔のまま、封にしまう右近さん。
ライフがゼロな浮舟さん。
「姫さま…………宛先違い、ですよね?」
「……ソダネ。ソウイウコトニ、シテオコウカ」
「バレバレっすけどね!」
「このごじゃっぺが!かっくらかすぞ!!」
「出だー常陸弁! そーいや、薫大将さまって、常陸弁聞ぐどイヤな感じに笑い堪えるっぺな。『やれやれ、想像絶する東言葉を聞いてしまったよ』みだいな。まさに京男! 陰険! 厨二病!」
「薫さまについでは否定しねえけんど、全世界の京男には謝れ?」
「姫さまだけは、薫大将に謝罪しなぐんね。むしろ、選ばしなぐなんね。刺されるべ? 恋バナ刃物沙汰で、一族まるごど常陸がら追放されだ私が言うがらには、本当だよ。助平はいーけんど、婚約破棄ど浮気はいげねえよ?」
ハートウォーミングな常陸弁で語り合ったのちに、シラを切ったお返事を書いた。たった数行「人違いですよ」ってかえすだけなのに、右近さんからお墨付きをもらう頃には、日が暮れていた。
一刻も早くお返事するよう指示されてきたのか。右近さんは返事を袂に、足早に去って行った。
いやさ、浮気浮気言われてもさ。そもそも私って、薫大将の愛人でしかないじゃん?!
いうならば「宇治にいる愛人2号」だよ! 1号がどこにいるかは知らないけど。まあ、4号くらいまでいるんじゃない? パーマ◯かよ。2号はサルかよ。……違いないや。サルだし。
薫さましか知らなかった頃は、こんなもんかなー、だったんだ。お褥のことも、山荘放置ライフも。
そんな雑に隠された私を、匂宮さまが嗅ぎ当てて暴いた。
あの人、何がスゴイって恋愛上手! めちゃ甘い! クソ巧い! 頭がおかしくなるんじゃないかってくらい。
女に生まれてよかったって、35億回は言える!
けど、ほとばしる胸キュンワードに現実味があるかっていったら……微妙。
周囲の評価は、もっと微妙。
彼は、隠し事を嗅ぎつけると、暴きたくなる性格らしい。暴かれた機密の後始末は、もちろんしない。
他人が大事にしてるものほど欲しくなる。
でも、手に入れると割とソッコーで飽きる。飽きたら捨てる。捨てたら興味のゲージがゼロになる。らしい。薫さまと中君姉さまと、世間さまの噂曰く。
……どこの小学生?
私に対しては、強引な俺さまが執着してくる姿しか見せないから、正直ときめかざるをえない。ときめきトゥナイトなスキトキメトキスになってしまう。
けど、異口同音に「女遊びの後始末を中宮(皇后)に任せる、げにやんごとなきクソ皇子」とか言われると、ときめきが萎縮して現実に戻ってしまう。でも、直接会うとスキトキメトキス地獄に陥る。うわあ、我ながらチョロ!!!
つまり匂宮さまの長所は、顔面偏差値の高さと、口の旨さと地位と寝技。
それだけなら優良物件なのに、上回る残念さで高貴なる事故物件に成り下がっている、らしい。
匂宮さまの手に入らないものへの執着は、薫さまが発端……な、気がしないでもないんだけどね。
体臭が梅の花って特異体質で、どんな天才の調香もかなわない、奇跡のフローラル男子な薫さま。
匂宮さまは彼以上の素敵スメルを欲して、調香に並々ならぬ情熱を傾けている。正直やめた方がいい。クサイだけだから。
でも、やめない。飽きるまでは。そこも、長所になりそこなった短所なのかもしれない。
薫さまと自分、どっちが良い男か、散々聞かれたしなー。
しつこいくらい、言わされるし。
あの快楽地獄、拷問に使えると思う。まじで。なんで宮さまなん? ハニトラを武器に、帝の諜報員とかやればいくない? 腹芸ができないからムリなのかな? 馬とか鹿とか鶏の仲間だからかな?
そんなわけで、やんごとなき宮さまも薫さまにはなれない。
芳香だけじゃなくて、物欲の薄さや平常心も。
そんなん、勝手にメラメラさせときゃいーのに、薫さまも薫さまで宮さまを意識してるから、同じ穴のムジナ感がすごい。
だって、第一次女人争奪戦のターゲットは、匂宮さまが初めて夢中になった中君姉さまだったもん。
その、中君姉さまが逃げたから、第二次女人争奪戦がこっちに飛び火したともいう。あん畜生。
中君姉さま。政治的に失脚して宇治にひっこんだ宇治八の宮のお父さまから、やんごとなき上流教育を施された深窓の姫君。
見た目は庇護欲誘う系美少女だけど、大君姉さまの死で夢見る少女じゃいられなくなった異母姉。
「亡き大君お姉さまにこだわりすぎてキモいとはいえ、薫大将に嫁げば将来安泰でしたわね。けど、匂宮殿下の子どもを授かった今、ナイよりのナシですわ。いずれ殿下は私に飽きるでしょうけど、第一子の母になったからには後宮勝ち組ですの。だからね、薫大将には、浮舟ちゃんを紹介してさしあげたいの。浮舟ちゃんてば、大君お姉さまと瓜ふたつですもの。常陸の国では、あまり居心地がよくないんでしょう? 薫大将は俗聖詐欺のチョロ男ですもの。首から上がお姉さまでさえあれば、左団扇で贅沢させてもらえますわ?」
と、遠い常陸国から婚活で上京した私に、愛人道を薦める程度には腹黒い女人だ。
つうか、今だからわかるんだけどさ。
中君姉さま、薫さまと途中までヤッたな?
保身云々よりなにより、ヘタクソだって気がついたから、私に押し付けたな?!
……正解!!! 正解すぎるわ! さすが女狐!!!
匂宮兵部卿にメス堕ちさせられた女は、他の男じゃ満足できなくなる。
これ、宇宙の法則ね?
情事の最中、薫さまを意識した香が消えて、一匹の「オス」の匂いを発した彼を表現するなら、まさに「鬼神」
おぼこくて貞淑な小娘が、山猿ビッチに大変身させられましてございましたからねー。
最初から最後までクライマックスなアレしか知らない中君姉さまが、満足できるかっての。無理でしょ無理。薫さまって、アレレだし。
アレレ。
うん。
ここは声を大にして言ったらダメなんだけど、薫さまってぶっちゃけ「どヘタクソ」で「短小包茎」なんだよロバの耳ーーー!!!
清潔感がハンパないから、不快ではないんだけどね。
ただ、「違う、そうじゃない」と思った夜は、数知れず。
いい匂いだなー。なんか単調だなー。なんか、小さくね? 泳いでね? 私が動いた方がよくね? つうか、むしろこっちが愛でたい。ヒィヒィ泣かせて差し上げたい、みたいな?
けどまあ、私は宇治の暮らしに満足していたし、経済的に楽すぎるし、ごはんはおいしいし、薫さまに会いたくて震えるとかないから、年単位で放置されて不満もなかった。
たまーに会うとさ、こんなことも知らないのか、出来ないのかってバカにしてくる空気、あるしね。
薫さま、夭折された異母姉の大君姉さまにガチで入れ込んでたのね。見た目だけクリソツな私を、一目見て宇治に誘拐する程度には。
だからまあ、常に大君姉さまと比較されてるなーってのは、ある。
あからさまに失望されてるわ、と。
私、外見が儚い系だからなあ。舐められやすいのかも。
中身はチャキチャキの常陸っ子だけど。
あと、優柔不断に見えるらしい。あんま好みとかなくて面倒くさがりだから、決定権を他人に譲ってるだけなんだけど。
そんな見た目詐欺な儚げ女を、男は匿った。
人目に触れることも、噂にのぼることもない、宇治の山奥に。
薫さまはさあ。外堀を埋めるのが得意で頭もいいから、自分の落ち度を他人のせいにすんの、お手のものよねえ。
貴族の囲われ愛人てさ、自分からは男漁りできないの。物理的に。手引きする人がいないとね。
匂宮さまが忍んできたときもさ、私以外、誰一人として薫さまの匂いと違うって気がつかなかったの。どーなのよ?
花粉症でもわかるレベルじゃんな? ふたりの匂いの違いって。
屋敷の人間さえ主人の匂いを忘れるほど長時間、放置してたってことじゃん?!
そもそも、お忍びの宮さまが侵入できる程度の警備と女房の人選にしかしなかったあたりがね。もうね。
あー。でも最近は、検非違使さんが増えたなあ。
匂宮さまに執着されてから、愛玩具としての価値でも上がったのかしらねえ。
匂宮さまに見向きもされない私だったら、死ぬまでこの宇治に放置プレイしてもらえてたんだろうか。
ぴえん。
浮気なんかするんじゃなかった。好きでしたわけじゃないけど。
いや、2回目以降は、素直に快楽に流されたけど。
私も大概だけど、1番ひどいの、私を売り飛ばした中君姉さまだからね?
生活費を出してくれたこともあるから、感謝はしてるよ? 一度、拳で語り合いたい程度には。
ウチのお母ちゃんが、「尊い血を引く浮舟ちゃんを下賤の男には嫁がせたくない! 貴公子の紹介ヨロ」ってうるさかったのも、悪かったと思ってる。
死んだ親の妾から「異母妹の面倒を見ろ」って言われたら、そりゃハラも立つわな。
お母ちゃんたら、浮舟ちゃん御殿の話を聞いて、「薫大将のような高貴な背の君こそ、浮舟ちゃんにふさわしい」って大号泣してたよ。夫じゃねえよ。タダの愛人だよ。
お母ちゃんさあ。八の宮のお父さまからたわむれに手を出されてできた婚外子に、何を期待してるん?
戸籍の現実は『常陸介の妻の連れ子』よ? 頭領の養女でさえないの。お母ちゃんが探してきた夫候補が、異父妹に鞍替えしたって嘆いてたけど、私は納得してるよ?
実をいうと、お父ちゃんもね。
「おめはお父ちゃんが宮さまだがら。下手に養女の身分で結婚させるど、オラの手に負えねえ問題がおごるがもしれねえ」って、お母ちゃんがいないとこで呟いてたし。
オモテムキは冷遇だったんだけどねー。
妹も妹で「お姉さまには地味な装飾がお似合いだっぺ」って見た目が派手な模造品を強奪して、作りの良い高級品を置いていくツンデレぶりが可愛かったし。
求婚者は……若い2人で庭園におりた瞬間から、拳で語るライバルになったからなぁ。「迦陵嚬伽より愛らしき我が異父妹が欲しければ、私の屍を越えていけ」っていう。
そんなこんなで、お父ちゃんや妹夫妻とは、けっこー仲良しなのよ。手紙もこそっとくるし。
おじいちゃん(義父の父)の隠密が、たまに届けてくれるの。匂宮さまが宇治にわく前の薫さまより、よっぼど親密よ?
おじいちゃんたら、諸国漫遊が趣味でさあ。
縮緬屋の隠居を偽って、あちこち出掛けて、勢いで世直しして、ついでに宇治のお父さまとメル友になってたみたい。宇治のお父さまが亡くなってからは中君姉さまと。中君姉さま、好奇心強いからなあ。それで私の存在を知ってたってわけ。
おじいちゃん、未だに護衛ふたりと美人と隠密たちとうっかりした人を道連れに、ふらふらしてるよ。この間、宇治にも来て結婚祝い? を置いて行ったし。
「カッカッカッ! もし無体をされたら、この印籠の封印を解いておしまいなさい」って、八岐大蛇を仕込むなー!!! 手弱女の手に負えんわ! ちょっと裏山で修行してくるっ!!!
とまあ、実は私が常陸頭領ファミリーの皆さんと仲良しだってことを、お母ちゃんだけが知らない。
別に隠してないけど、お母ちゃんが頑なに認めたがらないっていうね。
うん、なんかさ。お父ちゃんが言ってたんだけど、娘を認知しない父親への怨みつらみなんだろうなあ。お母ちゃんもお妾さんの子だったから。宇治の父宮さまと常陸のお父ちゃんは、私を認知しない理由が違うんだけどねえ。
つまり、宇治の父宮さまは無責任で、お母ちゃんはバカなんだ。
ハイブリッドの私は、超無責任な大馬鹿ビッチに育った。
そんな女に、2人の貴公子がほざく。
「自分を選べ」と。
右近さんは、私が優柔不断かまして悩んでるって思い込んでるみたいけど、違うんだよ。
どっちも選びたくないんだよ。
性格的にはたぶん、自分と同レベルにバカな匂宮さまに惹かれてるんだけど。
匂宮さまについて行っても、幸先明るくないこともわかってるんだ。
あの腹黒女狐……じゃなくて大恩ある中君姉さまと、寵を奪い合うなんて、超怖……いや、メンドクサ……いや、畏れ多くてとてもとても(棒読み)
いやさ、匂宮さまって皇子さまだけど、政治の実権は源氏や藤原氏のものじゃんね。現状、権力も財力も、薫さまや中宮様や先帝様のお兄さまにあたる、夕霧右大臣が握ってるじゃんね。
そんな右大臣さまから『娘を正妻にしろ』って言われて、匂宮さまに断る術はなかった。
当時は、中君姉さま一筋だったらしいのにね。
んでも、右大臣が娘六の君さまは、正統派の美貌+あふれんばかりの教養+性格の良さ+揺るぎない後ろ盾を持つ、右大臣の最終兵器。
匂宮さまじゃなくても、陥落必須でしょ。
あの女狐が「六の君さまにだけは、歯が立ちませんわ」ってキリキリしてんの、マジでざまぁ。
とにかくさ、調香フェチで性技だけが得意な小童が、勝てる相手じゃないの。
そんな魔王夕霧……じゃない、右大臣の地位を継ぐだろうとされてるのが、薫大将なわけ。
匂宮さまは春宮の候補だから、今は宮さま宮さま言われてかしづかれてるけどさ。10年後には薫さまの傀儡って気がしないでもないんだよね。
賢い女が私の立場に立ったなら、間違いなく薫さまを選ぶんだろうなあ。
愛人にあるまじき御殿をもらって、一生贅沢させてもらって。
一度面倒見るって決めたら最後まで投げない主義だから、寵がなくなっても追い出される心配はないし。
だからといって、薫さまはイヤだけど。
絶対に、イヤだけど。
だって、私を人間扱いしたことないもん。たまーーーに愛人する分にはダメージないけど、近くに住むのは、ちょっと。
エッチだけの匂宮さまの方がずっとマシだよ。少なくとも、ひとりの女としての私に溺れてくれたから。彼が望む理想の女を、演じる必要はないから。
でもさ、匂宮さまも別に私が好きなわけじゃないんだよね。薫さまが隠したから、暴きたかっただけで。
たまたま体の相性はよかったけど、それだけだし。
なんだかんだ言って、宮さまには皇子さま以外の生き方ができないでしょうからねえ。
嫡男を産んだ中君姉さまと、右大臣の姫六の君さまから与えられる恩恵を捨ててまで、私を追いかけたりなんかしないっしょ。そこまでしてくれる人だったら、現時点で駆け落ち済みだわね。
あーあ。私も愛されたかったなあ。
妹みたいに。お母ちゃんみたいに。
あんなイケメンどもじゃなくていーから、一途な男に大切にされたかったな。
私の理想はお父ちゃんよ? 2番目は妹婿のあんにゃろうだよ。失恋を引きずってるわけじゃないけど。
ただ、私も、私だけを好きな人と添い遂げたかったんだよ。
薫さまも匂宮さまも、愛してるっていう。その言葉に酔って狂ったフリをしながら、いつも心の中で「嘘つき」って思ってきた。
匂宮さまなんか、たまに違う女の名前を呼ぶしね!
一回だけ「薫」って言われた時には、悪くなさすぎてどうしようかと思ったけど。
その薫さまには、最近、気になる人ができたんだって。
匂宮さまの実のお姉さまにあたる、一ノ宮内親王殿下。
一度、中君姉さまとご挨拶に伺ったことがあるけど、すっごい美人。匂宮さまクリソツ。いたずらな笑顔が特にね。
って、あれ?
なんだか、全然悪くない。
むしろ断然しっくりくる……?
その思いにたどり着いた瞬間、匂宮さまから教え込まれたエクスタシィを超える衝撃が、私を貫いた。
これは、何?
天啓なの?
ああ。この衝撃に、なんて名前をつけたらいいのだろう。
歓喜に似た悦びが、ひたひたとこみ上げてくる。
なぜ、私はふたりの男性を知ることになったのか。
形代だったから?
本当に繋がりたい相手とは結ばれないから、身代わりに抱く人形。
それが、私に与えられた役割だった?
ならばもう、私はいらない。
ふたりの間に、女人が存在する必要はないのだから。
私は震える指を組み、窓から身を乗り出して、神仏に祈りを捧げた。
春の夜の宇治川は、相変わらずゴウゴウと音を立てて流れている。
山奥から流れ出る、大量の雪解け水を運んで、大海をめざしている。
『浮舟』
その時、誰かに名前を呼ばれた。
優しい声。御仏だろうか。
闇夜に浮かぶ光がまぶしすぎて、姿が確認できない。
「光の人? 貴方……誰?」
『光、か。懐かしき言の葉なり。されど、今の我に名はあらず。ただ、ここに在るばかりの色なり』
「そこに在るだけの存在……?」
『対岸に、尼寺あり。君と同ぜむに、思ひき男らを慈しみ、ただ見守らばやと願ふ尼どもの庵が』
その声は神々しく、全ての愛を包み込むような包容力に満ちていた。
「ある者は思ひを絵に、ある者は物語に、男の心綾のみを描く。戒律は厳しく、ゆめゆめ女人を描くべからず。尼どもはその勤行を『美得』と呼び、真摯に励めり」
「まあ……! なんて尊い……」
思わず対岸を拝んでしまった。
薫さまと匂宮さま。
許されるならば、彼らに訪れるべき未来を、壁となり空気となり見守りたかった。それだけが、心残りかもしれない。
光の君の姿は相変わらず見えないけれど、柔らかくあたたかい存在感が増しているみたいだ。
「ならば、行きたまへ。801人の同志どものがり。寺の名は『綬臥の尼寺』君の思ひをぶつけば、定めて門は開くべし」
「御仏の、導くがままに」
私は何も持たずに外に飛び出した。
宇治の流れは、止むことをしらない。
夜に静寂をもたらさない。
嵐の後でもないのに、何て速さ。なんて水量。
でも、あの対岸に辿り着いたら、私がなりたい私になれる。
悪魔の囁きに魅入られ、川底に沈むとしても、この挑戦には意味がある。そんな気がする。
私は華やかな上掛けを肩から落とし、下袴を脱いだ。
ら、光の君が「なんと、オーパーツなり!」と呟いた。
オーパーツって何? 内ジャス(イオンモール水戸内原)で買った競泳水着よ?
瞼の裏に蘇るは、故郷の水場で兄たちと遊んで育った私。
兄たちをぶっちぎって泣かせた、霞ヶ浦横断水泳大会。
増水した小川に落ちて溺れそうになった妹を、後ろから抱き上げて褒められた武勇伝。
お姫さまなんて、柄じゃなかった。
私は浮舟。どんな濁流にも負けずに浮きあがる、小さな舟。
「浮舟、行きます!!!」
夜の川に飛び込む私。
跳ねる水音。春の盛りとはいえ、流れるは山の雪解け水。身を刺すような冷たさだ。
でも負けない。対岸の篝火を睨む。
水の流れはとてつもなく速いけれど、川幅は修行地の霞ヶ浦ほど広くない。私なら大丈夫! 必ず、辿り着いてみせる!!
お父ちゃん仕込みのバタフライで対岸を目指す私を、光の君が「ウルトラソウル ウルトラソウル」と、念仏を唱えて応援してくれた。
〜 完 〜
後日談1
戦慄の夜が明けました。
右近「大変です! 匂宮兵部卿との密会がバレたんで、姫さま夜逃げしやがりました。いろいろ燃やしてごまかしましょう」
浮舟母「そんな、むごいこと……!」
右近「証拠は隠滅すべきでは? 例えばこの『いとをかし! ポロリもあるよ?! 魅惑の寺稚児 28人衆』ですとか」
乳母「わ、悪くない……(ゴクリ)」
浮舟母「薙ぎ払え!!!」
後日談2
浮舟は、無事に尼さんになりました。
なんやかんやあって、薫大将に生存がバレました。
薫「そなたの姉上は、浮舟は、浮舟は私のことをなんと?!」
小君「その……記憶喪失で、家族も大将さまも覚えていない様子です」
薫「ハハッ……そんな馬鹿な、新しく男でもできたのかな」
小君「大将さま……(お前、姉ちゃんが描いた絵草紙の中では、蛸入道に誘拐されて、匂宮兵部卿に救出されて、アーッな展開目白押しだぜ?)……なんと、おいたわしや」