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♢西暦二千四九年――……。
四月十九日――(月)……。
一〇時五九分。
「あーややっ、どうしたの? 早く中に入ろうよ」
「ぇ……?あ、うん……」
三限目が始まる五分前。
もうすぐ休み時間は終わろうとしていた。
渡り廊下を過ぎ、本校舎の向かい側に聳え立つ第二校舎の二階。
今でこそ、第二校舎などと言われているが、嘗ては女子短期大学の校舎であった。女子短大が廃校し、しばらくして新校舎の増築工事が完了――――その後新校舎が本校舎となり、特別教室を旧校舎(第二校舎)に設けることとなった。
旧校舎と言っても、まだ比較的キレイな方だった。旧校舎と言えば、薄暗くて、埃っぽく蜘蛛の巣がそこら中に張り巡らされ、打ち付けられた板や、床の抜けた廊下、如何にも出そうな雰囲気なものを想像するが、実際はそうでもなかった。
けど例外に、やっぱり新校舎に比べると、多少の薄暗さはあった。
使い物になる電球も限りがあり、所々に点滅していたり、あるいはそもそも点かない。帰するところ、太陽が大きな雲に覆われた日には、とても薄暗くて、まともに授業を受ける生徒の方が少なかった。大体影に隠れて寝ていた。
また、どこか黴臭さがあるような気がした。
化学室前の廊下で、浅野彩愛は教科書を胸に抱き、窓の外を眺めるように、呆けていた。
その日は生憎の天気に包まれて、おり、空はドンヨリ鼠色に染まっている。さもなくば、こんなにも気分の上がらない日は無い。
また思った。
薄墨色にくすんだ空に霏霏として降る灰色の霜の花。
炬燵に火を灯し、蜜柑を他所に骨牌を捧げる。
戦時中の空の色を思い出した。そういえば、二限目は世界史だったっけ。確か先生が戦時中の貴重映像を見せてくれた気がする。クレショフ効果というやつだろうか。
薄っすらと、涅色の機体の戦闘機が空を横切った気がした。
ザァザァと、強く窓を打ち突ける大粒の雨。
窓越しに伝わるけたたましい程に、天気は酷く悪かった。
菜種梅雨だろうか。
窓硝子にスルリと辷る滴り落ちる雨粒はまだ、窓硝子に付着した砂ぼこりを取り切れていなかった。
「………………あ! わかったっ!! あやや、好きな先輩の事でもみてたんでしょォ???」
福地由唯――――彩愛と同じクラスの仔。由唯とは高校の入学式の日に初めて知り合った。
♢
入学式初日、盛大に遅刻してきた由唯は、式の途中で静かに体育館に来、汗だくになりながら彩愛の隣の空席に、静かに腰を下ろした。
窮めた様子の由唯に驚きつつも、彩愛はまた、呆けていると――「な、何の話をしていたんですか?」と、由唯の方から話しかけてきたのが始まりだった。
♢
比較的クラスの中でも小さい方の彩愛と比べても、由唯は小柄で、背はいつも前から一、二番目の仔だった。女の子と言えば、女の子とでもなく、彩愛と由唯とでは肉の付き方が大きく相違していた。程よく恵まれた彩愛に対して、由唯は潅漑に飢えていた。燻るバカリで、一向に窈窕には恵まれず、おべっかを言うのにも少し無理がある程だった。
彩愛の癖っ気のある長い黒髪ロングに対して、ゆるふわにカールのかかったボブの由唯――――――そんな彩愛と由唯、二人の組み合わせは、校内でも中々の人気を誇るものだった。言わば二大女神とでも、強いて、乃至は世界一推したい姉妹とまでも謳われていた。あしらわれる暁には、とうとうついにはレズとまでも言われる次第に。
尤も、彩愛も由唯も同性愛者でなければ、どちらも恋愛対象は、異性に値した。
もちろん、姉妹なワケでもない。が、傍から見たらそうそう、なものでもあったのだろう。こじ付けだった。
「ふぇぁッ!? なななななななな、なにを言っているんだ由唯ちゃんッ?!」
由唯の荒唐無稽に包み隠さず、あからさまな動揺に続き、彩愛の周章狼狽ぶりには、朗らかに微笑みかける由唯も。さして仄かに赤らんだ頬を化学の教科書で隠そうものなら、真赤に染まった耳がバレバレだった。頬を隠して耳隠さず、とは些か安直にも程があるな、と思いつつも、イタズラに微睡んだ由唯は誰も止められない程に、完全にスイッチが入っていた。が、言うなれば、誰も敢えて止めに入らなかったのかもしれない。
「ビンゴ!!」
健気に大きくガッツポーズを決めて、幼気な瞳で、破顔一笑すると、自分より少し背の高い彩愛を見下し始めて。果てには、欣喜雀躍と、さながら大船に乗った気になって小バカにし始めた。
「あっららぁー、あやちゃん。ヒョットシテ……動揺しちゃってるゥ?? 口調がおかしくなっていますよ、オホホホホ」
福地由唯は赤らんだ頬の彩愛を、これ見よがしに彩愛の周りをクルクル回り、踊り出す――――はぁ~回レ回レ回レ回レ回レ回レ回レ回レ回レ!
華麗に花弁散らすように、由唯は手に持つ化学の教科書で彩愛を煽ぎ始めた。
「んーーーっ!! 由唯ちゃんのバーカバーカ、アホ、ドジ、マヌケ、オタンコナス」
切歯扼腕に、地団太を踏みたい彩愛も黙っておらず、不撓不屈に口汚く由唯を罵り始めた。
「おたんこなすって今日日聞かないよ……彩夢ちゃん」、と心の内で嘲笑いつつも、彩愛のお腹に飛んで抱き着いて、頬を子猫のようにして摩った。
またしても、姉妹の噂が吹聴に、斯くして彷徨った。