ドキドキ2人きりの初登校
翌朝、フェリシアが玄関ホールに降りると、目の下に盛大なクマを作ったアイザックが既に身支度を整え、待っていた。
玄関ドアにもたれかかって、腕を組んでいる。
結局、侯爵に朝まで付き合わされたらしい。とても気だるげな顔をしている。
「行くぞ」
「行くってどちらへ…?」
「決まってるだろ、学校だよ」
意味がうまく呑み込めず、フェリシアはおずおずと問い返す。
「えっと……一緒に登校するってことです?」
「ほかにどこに行くってんだよ。馬車、先に乗ってるぞ」
昨日の丁寧さはどこへやら、疲れのせいか、口調がかなり雑になっている。フェリシアは申し訳なく思いながら、アイザックの後を付いていった。
ガタンガタンと馬車が走り出す。
ミーアは今日用事があるとかで、遅れて出発するそうだ。馬車の中はアイザックとフェリシアの二人きりになった。3人でも気まずかったのに、2人だと何を話していいかわからない。でも、何か話題を作らないと…。
「昨日は結局、何を話してたんです?」
おずおずとフェリシアは尋ねた。アイザックは昨日と同じく、窓の外を見つめたまま話し始める。
「かなり親ばかだな、あんたの親父さん」
「え」
「小さい頃のアルバムを片っ端から見せられた」
「え」
「おむつしてたぞ、アンタ」
「え」
恥ずかしすぎる。なんというものを見せてるのだ、父は。フェリシアは真っ赤になってうつむいた。アイザックがニヤリと微笑む。
「…冗談だよ。親父さんの話を聞いて、大切に育てられたんだなって分かったよ。よかったな」
思いがけず、穏やかな声色にはっとする。
疲れた表情のままだが、アイザックの瞳はとても優しい色をしていた。
「…あ、ありがとうございます…」
アイザックは目を伏せて、ふっと、ひとつため息をついた。
「…娘を頼む、って酔って泣いてたよ。娘の結婚相手と飲み明かすのが夢だったんだってさ」
ずきん。胸が痛む。そんな父をだましている。その事実が胸に突き刺さる。それはアイザックも同じようだった。
「…早く、本物の婚約相手を見つけるこった。俺よりも良い男を見つけて、親父さんを安心させてやれよ」
自嘲するようにアイザックは微笑む。でも、その瞳は、やはり優しい色を湛えていた。
それきり、何も話す気になれず、二人で押し黙ったまま学園に到着した。
いつも通り御者がドアを開ける。
「お嬢様、お手を…」
「待ってください」
アイザックがそれを制止した。
「今日は、それ、僕がやります」
「承知しました」
御者は察しがいいのか、すぐに引いた。フェリシアは少し怖気づく。
「そ、そこまでしていただかなくても…」
「…あのさ」
アイザックはフェリシアをまっすぐに見つめる。
「…こういう時に、婚約してるんだってとこを周りにアピールしとかないと、話に信ぴょう性がなくなるだろ」
「それはそうですが」
単純に恥ずかしい。男性にエスコートされるなんて、父と兄、従者以外にしてもらったことがない。
もじもじしていると、アイザックの紫色の瞳に、からかうような色が宿る。
「あんたの家から朝帰りしてる時点で、今更だろ。何を恥ずかしがる必要がある?」
フェリシアは真っ赤になって撃沈した。
その日、フェリシアが馬車から出てくるまで、30分ほどかかったという。