人買いではありません
そしてそれから2日後の、今日。フェリシアは玉砕したのだった。
フリを頼みに行っただけなのに、なぜかこっぴどく振られたような気になるのは、気のせいだろうか。
「お嬢様、慰謝料の話はしました?」
ミーアが冷静に問いかけてくる。
「あ! 忘れてたわ」
アイザックだって対価がどうのと言ってたではないか。
「今から話をしてきます!」
フェリシアはスカートをはためかせて今きた道を戻って行った。
決めたらすぐ行動するところは、お父上そっくりだな…とミーアは遠い目をして、その姿を見送った。
「お金を払いますっ!!!」
フェリシアは個室のドアを開けるなり、そう言い放った。
アイザックは手元の書類を見たままだ。
「…人買いの方ですか?」
「え」
「お金を払って俺を買うのでは?」
「い、いやそういう意味ではなくて! さきほどお話した件ですが、婚約のフリをしていただく対価として、お金を払います!」
そのセリフを聞き、やっとアイザックがゆっくりと顔を上げた。顔には貼り付けたような笑みが浮かんでいる。
「…詳しく聞きましょうか、お嬢様」
金が絡むと分かった瞬間、何故かアイザックの口調が丁寧になった。
「……それで、ほとぼりが冷めるまで婚約者のフリをしてほしいと。
そのお礼として金銭の支払いあり、と」
ふーむとアイザックが顎に手を当てて考えている。
切れ長の目、淡い茶色の髪、澄んだアメジストの瞳、細い輪郭。体の線は細く、一見女性的な見た目だが、ふしくれだった大きな手に、男性らしさを感じる。
「期間は?」アイザックが尋ねる。
「えっと…少なくとも半年ほどは必要かと。王太子殿下の次の婚約者が確定するまでは、婚約を継続していただきたいのです」
「ということは半年の後、さらに3ヶ月は次の婚約はできないということか。ふむ」
この国では婚約破棄後、3か月は新規婚約を結ぶことはできない。婚約の濫用を防ぐためだ。
そうか。もしやお心に決めたお相手がいるのかも…フェリシアは、そこまで考えていなかった自分の浅慮を恥じる。
「あ、あの、申し訳ありません…アイザック様の婚約者のことをすっかり忘れておりました…。
もし不都合ありましたらこのお話はなかったことに…」
しどろもどろになりながら、アイザックの機嫌を損ねぬように話す。
「いや、相手はいませんし、俺も学園を卒業したら親の決めた相手と適当に結婚する予定なのでお気になさらず」
「て、てきとう?」
結婚が適当で大丈夫なのだろうか。
「親がうちの商売にベストな相手を見つけてくると思うので任せてます」
そ、そんなものだろうか。シビアだ。
「ただ、代金はそれなりに高くつきますよ。貴族相手に婚約破棄したとなると、商売の信用に関わりますので…信用商売ですから。商会うちは」
それもそうだ。平民の方なら貴族よりはカンタンに婚約できるかと思っていたのだが、なかなか難しいのかもしれない。
「あの、具体的にはおいくらほど…」
「現金以外にも、色々と便宜を図っていただければと思います。うちの商品を優先的に購入、公の場で身につけていただく、なんなら侯爵家公認の印章をうちの商品につけていただくなどなど」
なるほど、そういう手もあるのか、と、関心する。
「…あとは、婚約破棄の時に、うちの商会には一切責任はない、破棄した後も侯爵家御用達業者として使い続ける旨、念書を書いていただく。こういう感じでしょうか」
「それは…その通りでございます…」
フェリシアには返す言葉もない。やっぱり、こんな話、受けてもらえないだろうか。半ば諦めつつ、黙ってアイザックが次の句を紡ぐのを待つ。
「決めました。この話、謹んでお受けします」
アイザックが営業スマイルでにっこりと笑う。
「ほんとですか! 助かります!!!」
フェリシアはアイザックの手を掴んでぶんぶんと上下に振る。
アイザックは少し固まってから、その手を振り解き、咳払いをした。心なしか、耳が赤い。
「…ごほん。総合的に見て、我が家にも充分メリットのあるお話だと判断いたしました」
あくまでも冷静に、取引の話として、アイザックは言う。それでも、フェリシアは飛び上がらんばかりにうれしかった。これであのボンクラと結婚しなくて済むし、王妃として愛想を振りまかなくても済む…!!
とりあえず相手は決まった。次は…!
「それでは早速、父に会っていただけますかっ」
アイザックの笑顔が少し固まったのは、気のせいではないかもしれない。