痕跡
「…約束だったろ。王太子の婚約が決まるまでって」
それはそうだが、言葉が出てこない。
つらくて、くるしくて、何も考えられない。
「最後に、ゼファーで思い出が作りたかった」
優しい瞳で、アイザックがゼファーの街を眺める。
「ゼファーは綺麗な国だろ?それに自由な国だ。貴族と平民というくくりはあるけど、婚姻も自由だし、上とか下とかそんなの関係なく…」
「嫌です!!!!」
「フェリシア?」
「絶対に嫌!!!離れたくないんです!!!!わたし…わたし…アイザック様のことが…好きなんです…だから…」
みっともなく、アイザックの服の袖を掴んで叫んでしまう。ここで離したら、一生会えなくなるような気がして。
「俺だって…俺だって、あんたのことが好きだよ」
フェリシアがはっと顔を上げる。
アイザックはひどく辛そうだ。
「じゃ、じゃあ…」
「愛してる、フェリシア」
なによりも欲しかった言葉を貰えた。嬉しいのか、悲しいのか、もうわからないが、とめどなく涙が出てくる。
「私も愛してます…アイザック様…。だから、だからこのまま」
「愛してるから、だめなんだ。あんたを巻き込みたくない」
「どうして…どうして!」
「俺は武器商人だ。人を傷つけるモノを扱ってる。俺は…あんたには綺麗な世界で生きていて欲しい。知らなくていい世界があるんだ」
アイザックの言葉には、有無を言わせない強さがあった。
「…ごめん。婚約破棄の慰謝料は、もちろんいらない。俺のことも、商会のことも、忘れてくれていい。侯爵家との取引も、全て手を引く」
アイザックは、フェリシアの人生から、己のすべての痕跡を消そうとしている。なんて残酷なんだろう。
でも、その残酷さが、優しさから来ていることを、フェリシアは理解していた。理解していたが、わかりたくなかった。
「そんなの…いや…」
自分の人生すべてから、アイザックの痕跡がなくなるなんて考えたくもなかった。
「ごめん、もう、行く。ミーアを呼んでくる」
フェリシアの手を振り払って、アイザックが去っていく気配がした。
フェリシアはその背中を見送ることしか出来なかった。




