王太子はボンクラなのだ
それ以上何も言えないまま、フェリシアはとぼとぼと図書室を出た。
ここ数日、アイザックが一人になるタイミングを狙っていた。さすがにツテもないのに自宅に突撃するわけにもいかず、さきほど、彼が図書室にある個別自習室に入るのを見て、思い切って突撃してみたのだ。
「わたし、そんなに魅力がないのかしら……」
そんなことを考えながら廊下を歩いてると、ひとりの少女が駆け寄ってきた。
「お嬢様、首尾はいかがです?」
ニコニコと期待に満ちた瞳でフェリシアを見る。丸顔とカールした焦茶色の髪が、なんだか犬を思わせる可愛らしい少女だ。
フェリシアは静かに首を振った。
「ええ? お嬢様のプロポーズを断ったんですか?!信じられない!!!」
「しーっ! 声が大きいわ!」
「だって……」
あわてて、少女の腕を掴んで建物の影に隠れる。
「対価がないとイヤなんですって」
「な! なんて不幸者! お嬢様みたいな可憐な女子のお願いを断るなんて!」
少女は怒りのあまり鼻息が荒くなっている。
彼女はミーア。フェリシアの侍女だ。年が同じなので、同じ学園に通っている。
「たしかに話すのが突然すぎたもの…。断られて当然よ。まずは前置きすべきだったわ」
「それで、これからどうするんです?」
ミーアが不安そうにこちらを見た。
「そうね…早くしないと、結婚が決まっちゃう…」
その縁談が持ち上がったのは、2日前のことだった。
「フェリシア、お前に縁談がきている。……王太子との縁談だ」
とうとう来てしまった……。それが最初の感想だった。
王太子と年が近く、身分的にも釣り合う貴族令嬢は、極端に少ない。
ジベルローズ侯爵家のフェリシア、マクベス侯爵家のスカーレット、ブラック公爵家のジャッキー、あとは伯爵家に数人。
他国から王女を娶るというパターンもあるだろうが、フェリシアたちの住むアースグラヴィア王国は、正直なところ、小国で、資源も少ない。政略結婚で、アースグラヴィアの王女が他国に嫁ぐことはあっても、逆はほとんどない。
「あんなボンクラ王太子にお前を嫁がせねばならぬとは……」
父の遠いつぶやきがきこえる。
そう、王太子はボンクラなのだ。
なんというか、アホなのだ。見た目は金髪碧眼なのでまぁまぁイケメンなのだが、人の話は聞かない、2桁の計算ができない、祭礼などの厳格な場で鼻をほじる、おまけに18になった今でもマザコン。そして、ものすごくワガママ。そのせいでこの歳になるまで婚約者が決まらなかった。なまじイケメンなだけに中身とのギャップが残念すぎた。
おかげで王宮主催の舞踏会でも、令嬢たちからは遠巻きに見られるだけである。
おそらくは、そんなボンクラ王太子をフォローできる存在として、フェリシアに白羽の矢が立ったのだろう。
フェリシアの成績は学年二位。品行方正で、花嫁修行もほぼ終わらせている。
やや癖っ毛ではあるがふわふわとした銀髪は美しく、目はぱっちり、見た目は悪くない。
ただ、美人度で言えばスカーレット・マクベスの方が上だったので、これまで王太子妃の第一候補はスカーレットだと目されてきた。
だが、王太子がスカーレットとの顔合わせで何かやらかしたらしく、破断になったというのがもっぱらの噂だった。
マクベス家は王妃の実家なので、断りも入れやすいのだろう。
あぁ…なぜ私が…。
あまりの衝撃にフェリシアは魂が抜けかけていたが、はっと気づく。
私も破談になるような何かをすれば良いのでは?
お見合いの場でとてつもなく下品な言葉を言ってみるとか…いやそれは社会的に死にそうだ。
お見合いまでにプラス12キロくらい太ってみるとか…王太子がデブ専だったらマズイ…。
あーでもないこーでもないと考えていると、父が重い口を開いた。
「……フェリシア、正式なお返事をするまで、1週間の猶予がある。
それまでに、お前の婚約者を探そう」
「えええええ」
んな無茶な。
「私は有望そうな貴族の子息の釣書をありったけかき集めるから、一通り見てほしい」
「……」
「そうと決まれば行動だ!」
父は勢いよく部屋を出て行った。