「突然ですが、私と婚約しているフリをしてくれません?」
「突然ですが、私と婚約しているフリをしてくれません?」
フェリシアは目の前の男ーーアイザックを見つめて言った。
アイザックは、鋭い目つきを一層鋭くし…すぐに目を伏せて、何事もなかったかのように手元の書類を見遣った。
「ちょ、ちょっと! 無視しないでくださいませ!」
フェリシアはアイザックの頬をむんずと掴み、顔を上げさせた。
アイザックの憮然とした表情は変わらない。
「…お出口はあちらです」
彼は、顔を掴まれたまま、目線だけドアのほうに投げる。思いがけない対応に、フェリシアは焦った。このままだと何の説明もできないまま追い出されてしまう。
「は、話だけでも聞いてくださらない?」
「興味ないので。それに、貴族の婚約ごっこに首突っ込みたくありません。面倒です」
はぁ、とわかりやすくため息をつき、アイザックは続ける。
「そもそも、人にお願いする時は、何か対価を提示してプレゼンすべきでは? 自分の要求だけ押し通そうなんて、虫が良すぎます」
そうか、アイザックとはこういう男なのか…。
フェリシアは少し絶望的な気持ちになる。
今、フェリシアと対峙している男はアイザック・グラハム。この国で1番大きなグラハム商会の長男。まだ学生だが、既に商人としてのノウハウを学んでいるせいか、かなりシビアな損得勘定をしてくる、という噂だった。
フェリシアはといえば、侯爵令嬢で蝶よ華よ…というほどではないが、それなりに温室育ちだ。正直、自分のお願いを断られるという経験をあまりしてこなかった。なので、ここからどう立て直していけば良いか、本音を言えば、ちょっとわからない。
「…お引き取りを」
フェリシアに顔を掴まれたまま、アイザックは冷たい表情で告げた。