華族の薬研家! 牛鍋をご一緒に・上
「美味しそうな匂い……何を作ったの?」
ガラガラと引き戸が開けられて、小さい男の子がさらに小さい男の子の手を引き、家に入って来た。隣のまつさんの子供の清と治郎だ。俺達はたまにまつさんに頼まれて遊び相手をしているので、よく知っている。
「おや、良い所に来たね。恭介、二人にもおあげ」
そよは二人に気が付くと、俺にそう言った。幸い、三人では食べきれない量を作ってしまった。それに、いつも世話になってるまつさんの子供だ。俺は、程よく冷めたものを半分に切って二人にあげる事にした。
「まだ熱いから、気をつけて食えよ? コロッケっていうんだよ」
差し出されたそれを、二人は笑顔になって受け取った。そして、熱さに気をつけながらそろそろと齧った。
「南瓜だ! 甘じょっぱくて、美味しいねぇ!」
清が笑顔のままそれを飲み込むと、嬉しそうに俺にそう言った。まだ小さい治郎は苦労しながら、それを齧っている。そうだ。治郎は、三歳だったはず。この大きさは食べにくいだろう。
そう気付いた俺は一旦それを治郎から取ると、一口用に包丁で切って椀に乗せて再び渡し直した。
「うま……もっと!」
椀からそれをようやく口にできた治郎の顔も、ぱっと輝いた。
それを見ていた俺は、自分が作った食事が誰かに喜んで食べて貰える事を思い出して、嬉しさに心臓が跳ね上がった気がした。懐かしい――ふと、叔父さんのアジサイ亭の厨房が、コロッケから漂う薄靄の向こうからふっと浮かび上がった気がした。
――作りたい。食べてくれる人が笑顔になる料理を、もっと沢山……!
「バタと牛乳が入ってるから、甘くなって食べやすいよね」
しのが笑って、口の周りに南瓜が付いている治郎の頭を撫でた。清は、夢中で食べている。
「おや、ここにいたのかい? 清、治郎!」
そこに、まつさんの声が聞こえてきた。まつさんはふくよかな身体で、この時代の女性にしては少し身長が高い。割烹着姿で、慌てて家に入って来た。
「すまないねぇ、うちの坊主が邪魔をして――ん? いい匂いだね、揚げ物をしたのかい?」
自分の息子が何かを食べているのに気が付き、そして部屋に漂う香ばしい香りにまつさんはそよに声をかけた。その横から、まつさんの夫の松吉さんも姿を見せた。「松同士で縁起がいい」と、よく分からない理由で縁談をして夫婦になったと聞いた。
松吉さんもひょろりと背が高く、まつさんと違って細身の体だ。言葉数が少なく嫁の尻に敷かれているが、夫婦仲が良い事は長屋ではみんなが知っている。名字の「浜」と二人の名前の「松」を合わせて、『浜松商店』という雑貨店を営んでいる。
「うちの息子がね、美味しいコロッケを作ったんだよ。その辺で食えるようなコロッケより、ずっと美味しいんだよ。よかったら、二人も食べないかい?」
そよは、どこか嬉しそうに微笑んでいた。それは、俺の間違いでなければ――息子を自慢している母親の顔、そう見えた。
「え? 恭介が作ったのかい? うちの息子にまでくれたんだね、ありがとうね。そんなに美味しいなら、あたし達も貰ってもいいかい?」
まつさんは隣の松吉さんを見てから俺に視線を向けて、にっこり笑った。松吉さんもぺこりと頭を下げる。そう言えば、昼時だったからまつさん達も帰ってきたのだろう。長火鉢の部屋に掛け時計をちらりと見やると、針は十三時を少し過ぎていた。
「是非食べて、感想聞かせて下さい!」
俺は二人にも、半分に切った熱々のコロッケを渡した。二人はそれを受け取ると、衣を確認してからふぅふぅと息を吹きかけてコロッケを齧った。
「ん! これは、変わったコロッケだねぇ。コロッケは馬鈴薯で作るんじゃないのかい?」
食品や小物みたいなものを取り扱っている雑貨屋を営んでいる上に、話好きなだけある。食べたことがなくても、コロッケの事を知っているようだ。まつさんの問いは、当然正確だった。
「うん。南瓜と豆の煮ものの南瓜を使って、コロッケにしたんだ。バタと牛乳をいれて、メリケン粉を付けてから卵をつけて、まつさんに用意して貰ったパンを粉にしたものを最後に付けて揚げたんだよ」
この時代、南瓜のいとこ煮は「南瓜と豆の煮もの」と呼ぶらしい。昨日の夕飯の時煮物を作っている時に、しのがそう教えてくれた。
「煮物に、バタと牛乳だけの味付けなのか? って言っても、バタも牛乳もあまり口にしたことはないけどな。これは甘じょっぱくて、良いおかずになりそうだ」
松吉さんが「酒の肴にもいいかもなぁ」と付け加えながら、まつさんに続いてそう聞いてきた。俺の時代なら醤油は使わずに砂糖を入れるからもっと甘く、女性には人気だが男性には甘すぎる様に感じるだろう。だが煮物を使うことで醤油の味を生かし、甘さは南瓜に任せることにした。醤油のカドを和らげるのに使ったバターと牛乳が、思いのほかよく馴染んでくれた。
「これは、お店に出せるほどの上物だよ! 恭介、あんたすごいね。うちの店で出せばきっと儲かるよ! 考えてみないかい?」
まつさんはそう言うと、がははと豪快に笑った。松吉さんも笑って頷いている。それで俺は――俺の作る味が、この時代でも通用すると確認出来て安堵した。そよもしのも、まつさんの言葉に嬉しそうな顔になる。その二人の笑顔が、俺にもっと安堵を与えてくれた。
この頃なんだか、二人が本当の家族に思え始めていた。
俺たちが楽しげに話している中、突然馬の蹄の音と鳴き声が聞こえてきた。ガラガラと音がするので、馬車なのかもしれない。
「長屋に馬車なんて、珍しいねぇ」
さっきまで柔らかな笑みを浮かべていたそよの顔が、一瞬にして曇った。




