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想ひ出のアヂサヰ亭  作者: 七海美桜
二十膳目
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陸軍新設部隊とジャーマンビーフ・中

 俺が準備しようとしているのは、少し手間がかかる料理だ。人数はそう多くはないけれど、よく食べる人が多い。仕込みの関係で、今日の昼定食は臨時休業に決めた。他の客の料理を作る時間が、取れないからだ。無理して作ったら、きっと尊さんたちが満足できる料理が作れない。俺は、尊さんには妥協した料理は作りたくなかった。

 しのとりんさんにまかないの料理は任せて、尊さんたちの料理は俺が一人で大半を作ることにした。配膳はおっかさんが手伝ってくれるので、しのやりんさんは休んでもらえる。


 尊さんに貰ったお金は、二十円。本当に、この一家の金銭感覚はどうなっているんだろう? けど、これで良い牛肉が買える。俺は朝起きると真っ先に、開店したばかりの馴染みの肉屋へと向かった。


 蕗谷亭は元々茶屋だったおかげで、一般家庭の台所よりはずっと広い。まかない料理と同時に作るのは大変だが、朝にしのが手際よく昼の分の下ごしらえをしてくれていた。おかげで、昼のまかない作りの時間と重なってもまな板は俺が十分に使える。しのは本当に優秀だ。現代の飲食店なら、一人で三人分の人件費が浮くかもしれない。


 今日、俺が作るのはハンバーグ。叔父さんの店『アジサイ亭』でも人気の定番メニューだ。小さな頃に俺は叔父さんの店のハンバーグを食べて、料理ってすごいって感動したんだ。それから、自分から料理に触れる機会が増えた。叔父さんの店でバイトをすると決めたのも、この事が大きい。

 だけどそれからの俺は、母さんのハンバーグでは満足しなくてよく拗ねながら食べていたと、ばあちゃんが笑っていたのも思い出した。母さんが作るのは、母さんがレシピ本で作ったハンバーグだ。叔父さんのハンバーグは、『アジサイ亭』の、昔ながらの作り方。俺の舌には、こちらの方が合った。

 この時代のハンバーグを作ろうと俺が調べた限り、やっぱり俺が知っている作り方じゃなかった。まあ、当然だ。この時代の材料に合わせて、いつものように俺流にアレンジすることにした。


 まずは、牛肉と豚肉を包丁で叩く。ミンチ肉を使う、というレシピではないんだ。それに、豚肉は入れない。この時代は牛肉のみで作るんだけど、牛肉の脂が出るのは焼いている時の高い熱さの時だ。しかし豚肉は、体温ぐらいの熱でも脂が溶ける。少し冷めても口の中に脂があふれて美味しく食べられるのは、合いびき肉なんだ。この方が、絶対に美味しく食べられる!


「兄ちゃん、あたしは何を手伝ったらいい?」

 まかないの方は、ほとんど終わったようだ。りんさんが小鉢に出来上がった煮物を取り分けていて、しのは手が空いたらしい。

「なら、玉葱を切ってくれるか? みじん切りで頼む」

 俺は、脇の竹ザルの中で転がっている玉葱を指差した。しのは黙ったまま頷いて、玉葱の皮を剥き始めた。

「あの、男前の薬研様の息子さんも来るんだよねぇ。目の保養だよ」

 りんさんは、すっかり尊さんのファンになったようだ。尊さんが今日店に来ると知っているから、朝から機嫌がいい。でも、一番好きなのは勝吉さんなんだって。女心って、やっぱり難しいなぁ。


「どんな料理を作るの?」

「ジャーマンビーフと、馬鈴薯の素揚げ、塩昆布とキャベツの和え物、卵入りの牛乳スープ、パンだよ」

 この時代、ハンバーグはジャーマンビーフと言われている。ジャーマンは独逸のこと。簡単に言えば、独逸風ステーキという意味だ。尊さんは向こうで食べたかもしれないからこそ、あえて俺はこれを作ることにしたんだ。俺の作るハンバーグの方が、絶対に美味いから! って、自信だ。


 サラダに使う塩昆布も、実はこの時代にもある。現代のものとは、見た目も味も少し違うけどね。塩昆布は平安時代からの昆布利用の風習を背景に、明治時代に大阪の老舗・神宗が商品として売り出したんだ。

 塩昆布も、うま味を上手く取り入れられるから重宝する。これは勿体ないとは思わずに、売っていれば買ってストックを常に店に置いていた。独逸といえばザワークラウトだけど、さすがにこれのアレンジはそう簡単に思い浮かばなかった。だから日本らしく、キャベツの塩昆布和えに変えたんだ。


「すごい量だね。でも、あの人たちなら食べちゃうか」

「勇さんなんて、いつも白米を三杯は食べるからね!」

 しのとりんさんは、楽しそうに話しながらも手を止めずに笑っていた。美味しそうに、たくさん食べてくれる人を見ると俺は嬉しくなる。これが、料理人の気持ちなんだろうな。この時代、食べ物を残す人なんてまずいないから当然かもしれないけど、やっぱりにこにこして食べている人の顔を見ると安心する。


 ジャーマンビーフは、塩胡椒した肉を小判型に成形し、玉葱を周りに押し付けてバターで焼くレシピだ。だけど俺は、やっぱり玉葱をしっかり焼いて甘みを出したい。つなぎになる卵パン粉も入ってないし、こうして作っているとステーキの分類に近いのかもしれない。

 尊さんと、五人の部下。それと、同じく尊さんの部隊に入ったという陸奥さん。七人の、体力を使う軍人さんの料理だ。俺は、たくさんのジャーマンビーフを用意した。

 焼くのは、彼らが着いてからだ。焼きたての方が、絶対に美味しいからね。


「あたしも、こっちの支度は終わったから手伝うよ。スープを、作るね」

 りんさんはさっきまで煮物が入っていた鍋を洗ってくると、バタと牛乳を脇に置いて俺が書いたメモを手にした。二人にも頼ろうって決めてから、俺は自分が作ると決めている分もメモに書いて置くことにしていた。

「ありがとう、りんさん! お願いします」

「あいよ」

 素直にりんさんへ礼を言う俺に、しのが優しく微笑んでくれた――いつもの、兄を慕う妹の優しい顔だった。そんなしのに、俺も笑ってみせた。

 三人で用意すると、やっぱり早い。昼の時間になり、薬研製薬の人がまかないを食べに来た。続いて長屋のみんなも。


 そうして、十三時前。蕗谷亭の前がにぎやかになった。その頃、風邪が治ったおっかさんも三味線を手に店に来てくれた。お座敷の時の化粧よりずっと控えめだけど、相変わらず綺麗だ。

「いらっしゃいませ!」

 引き戸が開くと、俺としのは明るい声を上げた。さあ、彼らはどんな反応を見せてくれるんだろう? 俺は少しドキドキした。初めて自分が作った料理を『アジサイ亭』に出したときのように。


 あれ? そういえば、あの料理は誰が食べたんだっけ?

日本最古の記録が残っているハンバーグのレシピ参考:明治28年発刊の婦人雑誌「女鑑」12月号参考


塩昆布の歴史:

明治十四年に上野で開催された第二回内国勧業博覧会、延期で明治三十六年に大阪で同じく開催された第五回内国勧業博覧会で、大阪の昆布を扱っていた老舗の神宗という店が塩昆布を初めて売り出した

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