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想ひ出のアヂサヰ亭  作者: 七海美桜
二膳目
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しのも喜ぶ南瓜コロッケ・中

数え年齢は、現代の誕生日の感覚と少し違います。

産まれた年が一歳、と計算します。(現代では0歳。これを、満年齢と呼びます)

※明治35年に出来た法律にでは、公的な場では満年齢で計算するようになりました。しかし、日常生活では数え年も使われていました。満年齢に統一されるのは、昭和24年頃です。

本文内で年齢が出ていますが、読む方に分かりやすくするために満年齢で統一表記しています。

「おっかさんは、明治十三年の夏生まれだよ。まあ、おっかさんの親の記憶があやふやだから、ちょっと違うかもしれない。おっかさんは小さい頃体が弱くて、七つまで生きるか分からないって言われて、お役所に届けるのが遅くなったんだって。それからおっかさんは、十歳で芸者の見習いになったんだ。三味線が上手で、お座敷でも評判になってね。それに、おっかさんはあの見た目でしょ? すぐに人気が出て売れっ子になったそうだよ」


 明治十三年生まれ……って、ほぼ江戸時代に近いな。いや、それより今は明治三十九年。ということは、この夏に母親は二十六歳? 二十六歳で十歳の子供の母……ん!? つまり、十六歳で俺たちを産んだことになるのか? お座敷に出てすぐじゃないのか!?


 しのの話を聞きながら、俺は軽くパニックになった。内心動揺している俺を気にするでもなく、しのは話を続けた。

「偉い人のお座敷に呼ばれることも多くて、外国人のお接待にも呼ばれたそうだよ。英吉利(えいぎりす)の偉い人のお座敷で、セオドア・ヒューズっていう貿易商人に見染められたの。それが、あたし達のおとっつあん。十五歳で、あたし達を産んだって言ってた」

 俺は、タイム・スリップしたかもしれないという衝撃の事実以上に驚く事はないと思っていたが、この体――この『恭介』という人間の両親の出会い方にも驚いた。しかし、昔は女性の結婚は早かったと、現代の祖母や母の言葉がうっすら頭を()ぎった。


「あたし達が三歳頃までは、おとっつあんの住んでいた洋館で一緒に生活してたらしいよ。おっかさんも、その頃は芸者の仕事は辞めてたって。けどおとっつあんには、お国に家族が居たんだって。おっかさんとあたし達を残して、英吉利に帰ったの。それからあたしたちは、ここで住んでる。おっかさんは、芸者の仕事をまた始めたよ。あたし達を育てる為には、お金が必要だからね」

 この時代に、女一人で双子を育てるなんて大変だっただろう。俺は母であるそよを不憫に思い、そしてそれでもしのたちを一生懸命に育ててくれている事に感謝もした。いい加減な親だったら、俺はここで生きて行けるか分からない。中身は二十歳の男だが、明治時代の事は全く分からないのだから。


「おっかさんは綺麗でいないと、仕事にならないでしょ? だから、あたし達が協力して家の事やってるの――どう? 思い出した?」

 そこまで話して、しのは不安そうに俺の顔を見た。俺は、曖昧に笑った。

「うーん、まだ頭がはっきりしないな。でも、何とかなりそうだよ。ありがとう、しの。俺、何とか頑張って思い出すよ」

「そっか……あたしが、何時でも助けるからね。兄ちゃんとあたしは、産まれた時から一緒なんだから!」


 ああ、可愛い。こんなに健気で可愛い妹がいた『恭介』を、何だか羨ましく思った。しかし、今は俺の妹だ。恭介の代わりに、この可愛い妹を俺が守らないといけない。


 俺たちが話していた時、戸口に誰かの気配がした。

「おや、まだ食ってたのかい?」

 ガラガラと建付けの悪い音を立てて、引き戸が開いた。

 石油ランプなんて、この家にひとつきりだ。陽の落ちた室内は闇に沈んでいて、俺たちは長火鉢の明かりを頼りに話をしていた。さっきまでよく見えていたしのの顔が、今はぼんやりとしか見えていない。

 けど、夜遅く帰るそよは明かりがなくても平気らしい。暗い時代で育ったせいと、慣れがあるのだろう。


「お帰り、おっかさん。今日は随分早かったね」

 俺は箸を置いて、石油ランプに火を点けた。それを手に、しのは玄関に向かう。どうやら、そよが仕事から帰ってきたようだ。掛け時計を見ると、午後六時前だ。そよの仕事の日は、帰りが何時も零時近い。

「今日はねぇ、客が食あたりで倒れてお座敷が閉まっちまったんだよ。本当に、災難だよ……ま、ちゃんとお代とお土産は貰ったからね」

 最初は困ったように笑うそよの表情は、不器用ながら子供達に笑顔を向けているのだ。と、最近分かってきた。三味線を持っていないもう片方の手には、何かの紙包みがあった。

「あ! バター(バタ)と牛乳! どうしたの、これ」

「お店で使わなくなったから、貰って来たんだよ。最近はコロッケが人気じゃないか。あんた達、作ってみなよ。簡単な作り方も、料理人に書いて貰ったからさ。でも、作り方を見てもコロッケにはバタも牛乳もつかないみたいだね。まつさん辺りにでも、いい使い道がないか聞いてごらん」

 そよはそう言うと、帯を解くために隣の部屋に向かう。その時、しのと俺の頭を優しく撫でてくれた。そよは髪を結った時の椿油で、傍に居るといい香りがする。練香水も使っていると聞いた。

 そよは尋常小学校には通っていなかったが、簡単な読み書きと計算は出来る。見習いの時には客から、ヒューズと会った時には周りから、不便ないくらいには教えてもらったそうだ。


「兄ちゃん、明日作ってみようよ!」

 嬉しそうに、しのはバター? と牛乳を抱えて俺の所に来た。


 コロッケ――洋食。


 そよの言葉を聞いて、俺の心が厨房に居た時を思い出して騒ぎ出した。和食しかないと思っていたここ(明治時代)で、洋食が作れる!


「ああ! 俺が美味しい洋食を作って、おっかさんとしのに食べさせてやるよ!」

 一気に元気が出た。帯を解いたそよは、俺が久し振りに元気になったのを見て嬉しそうに目を細めた。

「おや。恭介は洋食が作りたいのかい?」

「うん、作りたい! おっかさん、明日楽しみにしててよ!」

 そよは、ふっと口の端を上げた。けれどそれは客に向ける艶やかな笑みとは違い、どこかぎこちなくて困ったような表情だった。子供にどう笑えばいいのか分からない――そんな不器用さがにじんでいる。それでも俺には、その笑顔が何より温かく思えた。

 きっとそよは、俺たちにどう笑いかければいいのか分からないのだろう。仕事で見せる笑みだけは、俺たちに見せたくなかったのかもしれない。

 そんな笑みを浮かべたまま、そよは俺の頭をもう一度撫でてくれた。

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