表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
想ひ出のアヂサヰ亭  作者: 七海美桜
二十膳目
59/65

陸軍新設部隊とジャーマンビーフ・上

※サクマ式ドロップ:佐久間製菓株式会社は令和5年1月20日に廃業しました。


サクマ式ドロップを生み出した「佐久間製菓」は昭和19年大東亜戦争の物資難で廃業。

1948年に従業員だった実業家の横倉信之助氏が佐久間製菓を設立・再興。また旧佐久間製菓を経営していた山田弘隆氏の三男・隆重氏が1947年にサクマ製菓を創業。これにより、「サクマ式ドロップ(赤缶)」と「サクマドロップ(緑缶)」が産まれる事になりました。サクマドロップは、現在も販売されています。


サクマ式ドロップの歴史参考

https://mainichi.jp/articles/20221118/k00/00m/020/136000c

https://okashi-to-watashi.jp/post/1728

https://ms-service-blog.wew.jp/2021/07/28/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%81%8A%E8%8F%93%E5%AD%90%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B24-%E6%98%8E%E6%B2%BB%E3%80%9C%E7%8F%BE%E4%BB%A3/

 伊藤博文が暗殺されたのは、明治四十二年十月二十六日。清の吉林省(きつりんしょう)浜江庁(ひんこうちょう)ハルビン市|(現在の中華人民共和国黒龍江省ハルビン市南崗区・道裏区)の駅で、列車を降りたところを、韓国の独立運動家に射殺された。


 この事件は日本国内では大きなニュースになって、號外(ごうがい)が日本のいたるところで配られていたらしい。俺がそれを知ったのは、尊さんの使いだと蕗谷亭に来た、陸軍の妹尾兄弟の弟の博中尉と平塚曹長に教えてもらったからだ。配られていた毎日電報號外を持って、十一月の初めに蕗谷亭まで昼飯を食べに来てくれた。


「岸田大尉もここに来たいって言っていたんですけど、今日は新しい部隊の拝命式に行った後の会食に薬研少佐と向かわれました」

 秋に入り、暑さも和らぎ、風が肌寒く感じる季節になった。これからは暖かい麺類がよく出るだろう。だって二人も他の大半の客と同じで、山菜と舞茸の天ぷら蕎麦定食を美味しそうに食べてくれていた。

 彼らは尊さんが指揮する新しい部隊に入り、その着任式? に午前は行っていたらしい。華族の尊さんの新設部隊に着任したことにより、尊さんの部隊の皆は階級が上がったそうだ。普通は一階級しか上がらないが、平塚さんは兵から下士官の曹長まで、三階級も上がったそうだ。こんな事は、ほとんどあり得ないと博中尉が笑っていた。それでも軍の仕組みがよく分からない俺は、ただすごいことなんだ、と平塚曹長におめでとうとだけ声をかけた。

 尊さんも将校の少佐になった。もちろん、これも異例だ。独逸(ドイツ)に行く前に陸軍に入ったそうだから、三年の間に階級が上がったようになっていたのかな? 詳しいことは一般人には教えてもらえないらしい。


「けど、どうして伊藤公の訃報の記事なんか?」

 尊さんに持って行ってくれとだけ言われたらしい二人は、その事に不思議そうだった。確かに、俺たちのような庶民の子供が元総理大臣の訃報を気にするなんて、不思議に思うに違いない。そもそも彼らには、料理ばかりしている俺たちにこの話題が気になるような要素を想像してなかったのだろう。蕎麦の湯気でロイド眼鏡を曇らせながらそう聞いてきたのは、博少尉だ。

「いえ、お客さんで號外を読みたい人がいるので。持って来て下さり、ありがとうございます。店に置いておきますね」

 俺はそう言ってごまかすしかなかった。しのは何も言わず、二人にお茶を淹れていた。


 これで、尊さんは俺の話を信じてくれるだろう。俺は、自分の記憶が間違っていないことに安堵した。それに、ようやく本当の自分の店が持てる期待で、少し興奮している。俺たちの洋食屋を作れば、これからは今より商売に専念できる。おっかさんやしのに、もう少しいい生活をさせてあげられる。おっかさんが芸者の仕事を辞められるくらい、頑張って稼ぎたい。


 でも、勿論長屋のみんなのまかないは変わらず続けるつもりだ。俺のここでのスタートは、長屋の皆の『家族の食事』だからね!

「新しい駐屯地の飯が、美味しくないんですよ」

 蕎麦を食べ終わった平塚曹長は、丼を置いて満足そうに笑顔を見せた。やっぱり、現代のばあちゃんによく似た笑い方だった。彼を見ると、俺はほとんど忘れそうになっている令和を思い出す。

「岸田大尉なんか、飯の時はよくため息を零していますよ。ここの飯は美味いうえに、よひらさんがいるのに、って」

 幸い、そのおっかさんは、今日は昼定食の手伝いには来ていない。気温が下がったことで、少し熱が出たので寝てもらっている。今日のお座敷は休みなので、体が休まるようにゆっくり寝かせてあげたかった。


 岸田大尉は、薬研氏に連れられて初めて蕗谷亭に来て以来、よく顔を見せてくれるようになった。ひとりで来ることもあれば、部下を連れて来ることもある。

 以前、破落戸(ごろつき)が暴れそうになった時があったのだが、その日は軍の昼飯を断ってうちに食べに来た岸田大尉が丁度居て、俺たちを助けてくれた。

「この店になんかしたら、陸軍の俺たちを敵に回すってことだからな」

 そう言った岸田大尉の声は頼もしく、しのとりんさんが思わず見とれていた。

 軍の名前を出してもいいのかと俺は内心ひやひやしたが、当の本人はおっかさんにお礼を言われて照れくさそうに笑っていた。その姿を、しのはよく思い出しては「かっこよかったね」と笑っていた。

 最初は大柄な体格に驚いていたしのだったが、俺たちに優しく接してくれる彼に今ではすっかり懐いている。おとっつあんの記憶がほとんどないしのは、きっと岸田大尉の姿に父という面影を重ねているのかもしれない。


「ほら、おみやげだ」

 岸田大尉はそう言って、よくお菓子を手土産に持ってきてくれた。なかでも、俺としのがいちばん喜んだのは、国産のドロップだ。

 それまでは英吉利から輸入された高価なものしかなく、庶民の口にはなかなか入らなかった。けれど明治四十二年、佐久間惣治郎氏が日本で初めて「サクマ式ドロップス」を作った。この頃は砂糖の値が下がりお菓子の種類も増えて、ようやく俺たちでもお洒落な飴を楽しめるようになったのだ。

 佐久間式ドロップは、現代のような缶には入っていない。六キロ以上のドロップが入るブリキ缶が販売店に置かれていて、ばら売りなんだ。

 岸田大尉が天紙に包まれたサクマ式ドロップを差し出してくれると、俺たちは喜んで食事の支度の合間に口へ放り込んだ。甘くて、懐かしいような味がした。

 俺たちが嬉しそうにしているのを見ると、おっかさんは必ず「贈り物はいりませんよ」と言いながらも微笑んで礼を言った。岸田大尉はそのたびに、まるで子どものように嬉しそうな顔をするのだった。その顔が、俺もしのも大好きだ。



「それでさ」

 梅おにぎりを食べていた博少尉が、何かを思い出したらしい。食べかけのおにぎりを一度皿に置いて、軍服のポケットから封筒を取り出して俺に差し出した。

「僕たちの新設部隊の祝いの料理を、作ってくれない? これは、その準備のお金だよ。薬研少佐から預かってきたんだ。たくさん食べるみんなが満足する、美味しい料理をね。君なら、作れるだろう?」

 俺としのは、顔を見合わせた。しのは、いつものように俺を安心させるように、にっこり笑って俺に頷いた。

「分かりました! 頑張って作ります!」

「楽しみだなぁ。自分は、肉料理が食べたいな」

 隣の平塚曹長が、人の良さそうな笑みを浮かべた。そうだ。軍で働く人たちには、肉料理が一番だな。そうなると、洋食がいい。


「楽しみにしていてください! 美味しい肉料理、たくさん作ります!」

 俺はそう言って、笑顔のしのに頷いた。それを聞いた博少尉も平塚曹長も、嬉しそうに笑ってくれた。

「そう言ってくれて、ありがとう。君なら喜んで準備してくれると、少佐から聞いていたからね」

 博少尉の言葉に、俺以上に俺のことが分かっている尊さんが以前のままな事に安心して、嬉しくて笑みを深くした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ