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想ひ出のアヂサヰ亭  作者: 七海美桜
二膳目
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しのも喜ぶ南瓜コロッケ・上

 俺がタイム・スリップしたあの日から、数日経った。ここでの生活に慣れるべく、周りを見て覚えながら過ごしていた。


 俺たちが住んでいるのは、三軒長屋が共同の井戸を挟んで向かい合い、六軒が一つのまとまりになっていた。俺が住んでいるのは、多分西向き並びの端の家。隣には小浜(こはま)松吉さんとまつさんの夫婦が暮らしていて、三歳と五歳の子供がいる。賑やかで世話焼きなまつさんは、特に母のそよを気に入って何かと気にかけてくれていた。夫婦は色々な品物を扱っている店を開いている。

 その奥は、八百屋の磯野源三さんが一人で住んでいる。

 向かいの長屋の人たちとは、滅多に顔を合わせる事がなかった。


 俺達の朝は早かった。学校に行く前に、しのは井戸の前で洗濯。俺は朝飯の用意をする。釜で麦飯を炊き蒸らさないといけないので、五時には起きていた。と言っても、俺は毎日しのに起こして貰っていたんだけどね。

 朝飯の用意で大変なのは、麦飯を炊く事だけだ。蒸らしている間に、出汁を取って大根や菜っ葉で味噌汁を作り、糠漬(ぬかづ)けを出して切るだけ。そして、昨日の夜の残りのおかずを足して、それを食べて俺達は尋常小学校に行く。


 朝から昼までは、尋常小学校で小学校レベルの簡単な授業を受けた。算数は小学生と変わらないので苦ではなかったが、読み書きに使われている旧漢字や古い文体は手を焼いた。

 それと、俺としのには特定の数人の友人しかいなかった。俺達を「異人の子」と呼んで、避ける子供が多かったからだ。俺としのの見た目から、何となくそんな気はしていた。

 しかし「異人の子」という言葉の重さは、当時の子供にとって軽いものではなかったみたいだ。その言葉は、言われ慣れていない俺の心も暗くした。きっとしのの方が、辛かっただろう。


 授業が終わり学校から帰ると、朝炊いた麦飯が硬くなっているので、簡単にお茶漬けにしてそれを食べた。その頃にはようやくそよも起きてきて、眠そうに俺達と並んで一緒に食べる。家族団欒(かぞくだんらん)は、この時間位だ。毎日ではないが、夜になるとそよは仕事に行く。俺達は(まき)や火種を探しに行く事もあれば家の前で遊んですごした。辺りが暗くなる前に、俺達は二人そろって夜飯を作ってそれを食べ、すぐに布団にもぐった。

 風呂は、適当にそよが休みの日に一緒に近くの銭湯に行った。菖蒲(しょうぶ)柚子(ゆず)などが風呂に入っている時もあって、俺は風呂に行く時が一番の楽しみだった。毎日入れない銭湯の湯気と香りに包まれる時間が、俺にとって数少ない贅沢なんだ。


 そうして、寝る時。俺は長火鉢の部屋で寝て、しのはそよの部屋で一緒に寝ていた。まだ雪が時折降り、薄い布団では隙間風を防げずに随分体が冷えた。しかし『恭介の体』はそれに慣れているのか、風邪をひいたりしなかった。


 しかし。数日経っても、『恭介』の人物像があまり分からない。俺はどうやってしのから聞くか悩んで悩んで、夕ご飯を一緒に食べている時に勇気を出して聞く事にした。


「なあ、しの。俺、馬に蹴られてからおかしいだろ?」

 今日の晩飯は、南瓜と小豆のいとこ煮だ。「売れ残りだから安くするよ」と、同じ長屋で八百屋をしている源三さんから、とても売れ残りと思えない大きな南瓜を買ったのだ。口数が少ない彼も、俺の事を心配してくれていたようだ。

「そうだねぇ……うん。兄ちゃん、当たり前の事まで聞くようになったね」

 しのは困りながらも、そう答えてくれた。

「どうも頭を強く打ったみたいで、昔のことが思い出せないんだ」

 俺の訊ね方は間違ってないか、しのの顔色を見ながら何度も考えた言葉を続けた。俺の言葉を聞いたしのの箸から、ポロリと小豆が茶碗に落ちた。

「え!? 兄ちゃん、お医者さんの所に行く!?」

 しのは茶碗と箸を置いて、身を乗り出して俺に話しかけた。やっぱり、しのは不安に思っていたようだ。本当に心配した顔をしていた。

「いや、身体は大丈夫なんだ。でも、本当に記憶だけなくてさ……俺たちの事とか、教えて欲しいんだ。そうしたら、思い出すかもしれないだろ?」

 俺は慌てて首を振り、しのを安心させる。事実、馬に蹴られたというのに身体に異常は感じなかった。


「……おとっつあんの事も、覚えてない?」

 悲しげな顔をしているしのの声が、かすかに震えている。俺は申し訳なく思いながらも、小さく頷いた。


「それじゃあ、あたしが知ってること……兄ちゃんも知ってたこと、話すね」

 しのはそう言うと、長火鉢の上で沸かしていたお湯を、二人分の湯のみに入れた。

「おっかさんと、おとっつあんの出逢いから話すね。あたし達が産まれたきっかけだから、あたし達の人生の始まりだよ」

 しのは、温かいお湯を飲んで話し始めた。

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