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想ひ出のアヂサヰ亭  作者: 七海美桜
十六膳目
48/65

チキンライスと岸田中尉・中

 軍服には階級を表すものがあると思うんだけど、それがどんなものか俺にはよく分からない。薬研氏が座り、軍人たちは五人とも彼の正面に座った。執事の門田は、部屋の隅の方に座った。

「さあさあ、まずは乾杯をしようではないですか。ここの料理は、儂も認める絶品ですから、たくさん食べて下さい」

 おっかさんがビール瓶を二本、しのがコップの乗ったお盆を抱えてその席に向かう。俺は(さかな)になるように糠漬けを出して切りながら、植物油を鍋に入れて温めた。やっぱり、準備をしていた分では足りないようだ。念のため用意しておいた、唐揚げがやっぱり必要だろう。


「皆さんご存じかな? この方は、赤坂芸者のよひらですよ」

「よひら! なんと、文芸俱楽部(くらぶ)の美人投票で三位になったお人じゃありませんか!」

 大柄の軍人が、驚いた声を上げた。そのままおっかさんに視線を向けるが、おっかさんに笑いかけられて耳まで赤くなった。おっかさんは笑顔のまま、まずは薬研氏のコップに麦酒を注ぐ。それから順に麦酒を注ぐが、大柄の軍人はうっとりとおっかさんの姿を見つめていた。俺が大慌てで切った糠漬けを、しのが運ぶ。

「恭介、紹介だけさせてくれないか」

「はい!」

 俺は油から目を離すのが不安だったけど、まだ低温だ。名乗ってすぐ戻ればいいと薬研氏の元に向かった。


「よひらと、その子供の恭介としのだ。英吉利(えいぎりす)人の父親だから、目鼻立ちが良くそれに頭がいい双子だ。今は――十三歳か。だが、ここで昼間は食堂を経営している。薬研製薬や長屋のまかない飯も、毎日三度きちんと作ってくれている。尊も彼らを気に入って、可愛がっているよ。尊と同じく、仲良くしてくれ」

「蕗谷恭介です」

「妹のしのです」

 俺たちは、まるで薬研氏が俺たちの事を父親が子供を自慢するように紹介してくれたのが気恥ずかしくて、名前だけ名乗って揃って頭を下げた。

「自分は、岸田(いさむ)中尉です」

 そう名乗ったのは、おっかさんに見惚れていた大柄の男性だ。

「自分は、杉谷(すぎたに)一郎中尉です」

 そう名乗ったのは、細身だがしっかりした筋肉が付いた背の高い男性だ。無駄に男前なのがうらやましい。

「自分は、妹尾(せのお)(ひろし)少尉です」

 しのと同じ、ロイド眼鏡をかけた少し小柄な男性。少し軍服が大きく見える。

「自分は妹尾(あきら)少尉です。博とは兄弟で、自分が兄です」

 晃と名乗った男性は、岸田中尉と同じくらい愛想がいい。彼も、背が高く筋肉がしっかりついている。

「――自分は、平塚(ひらつか)恭作(きょうさく)です。今年衛生部から異動した上等兵です」


 え?


 博少尉と変わらないくらい少し小柄で、多分男性でこの中では一番若いだろう。他の四人より少し自信無さげだが、俺たちに丁寧に頭を下げてくれた。それよりも――それよりも、『平塚恭作』だって?


 俺は驚いて、彼の顔をまじまじと見つめた。おばあちゃんのおじいちゃん――つまり、アジサイ亭二代目の高祖父(こうそふ)と同じ名前じゃないか!?


 同姓同名なんて、たくさんある。でも興奮した俺は、心臓がドキドキして顔が少し赤くなってしまった。物語みたいに、俺が明治時代にタイムスリップして……そこで、俺の親族と同じ名前を聞くなんてそんな都合がいい事があるのか? 待てよ、高祖母(こうそぼ)の名前を忘れている――なんだっけ?


「兄ちゃん、油大丈夫?」

 平塚上等兵を見つめていた俺は、黙り込んでじっとしていた。台所の心配をしたしのがこっそり声をかけてくれたので、油を火にかけたままだった事をようやく思い出した。

「あ、皆さんよろしくお願いします! 俺、さっそく料理の準備してきます!」

 俺は慌てて頭を下げると、しのと台所に向かった。

「元気な息子さんですね、よひらさん」

「普段は、大人しい子なんですよ。軍の方を見て、緊張しているのかもしれません」

 岸田中尉に麦酒を継ぎながら、おっかさんは芸者の顔になって微笑んだ。そのおっかさんに、岸田中尉はますますうっとりとした顔になった。


「どうしたの、兄ちゃん。知ってる人?」

「――いや、違うよ。今日はたくさん用意しなきゃって思ってさ」

 俺は下手な嘘を言って、ふきんをかけて漬け込んでおいた唐揚げ用の鶏肉を出した。しのは不思議そうな顔をしていたが、それ以上は聞いてこなかった。

「岸田さん、おっかさんに一目惚れだね。あんなに大きくて男らしい軍人さんなのに、おっかさんのご機嫌(うかが)って可愛いね」

 しのはこそっと俺にそう言うと、一生懸命おっかさんに話しかけている岸田中尉を見てくすくすと笑った。


 偶然だよな。俺は変な期待をしないようにして、しのに「そうだな」と笑い返した。多分、まかない食堂は続かない。大きな会社なのだから、きっときちんとした寮をすぐに作るはずだ。そうなれば、薬研製薬のまかない作りは終わる。そのとき俺が自分の店を開けられるように、薬研氏は人脈づくりを手伝ってくれているのだろう。

 だから、俺はそれに応えられる料理を作っていくしかない。


 温まった油に、俺はメリケン粉をまぶした唐揚げ用の肉を入れた。じゅわわ、と油のいい音と香りが食堂に響いた。


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