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想ひ出のアヂサヰ亭  作者: 七海美桜
十三膳目
39/65

初めてのお客にトマトぶっかけ素麵・中

 塩と酒をささみともやしに振りかけ、鍋の上に蒸篭を置いて一緒に蒸し上げた。火が通ると取り出して、少し置いておく。その間に胡瓜と大葉を千切りにする。その間にしのに頼んで、少し冷めたささみを食べやすい大きさに割いているもらう。それが終われば、しのには続いて赤茄子をサイコロ状に切ってもらった。

 りんさんに叩いてもらった梅干しは、水にさらして貰っていたので塩辛さが和らいでいた。この時代の梅干しは、本当に塩辛い。夏の汗をかくときの塩分補給と保存を兼ねて塩が強いのだ。しかし、やっぱり短時間しか水にさらしていないので少ししょっぱい。

 でも、今は夏だ。スーツをしっかり着込んでいるから汗もかくだろうし、塩分は少し強くてもいいだろう。それに控えめの醤油と味醂(みりん)、砂糖を加えて鰹節を入れる。その中にささみと胡瓜を入れて混ぜたら副菜は完成だ!


「二人とも、味見してよ」

 この時代、あまりない調理法だろう。二人は不思議そうな顔のまま摘まむと口に含んだ。途端、二人は笑顔になった。

「美味しい! 暑いときにこれはいいねぇ。さっぱりして食べられる。鳥肉が入ってるから、腹持ちもいいんじゃないかい?」

「梅が酸っぱいけど少し甘みもあって、夏に食べるにはいいね。本当に、美味しいよ。これ、次は薬研製薬の人や長屋の人たちにも、食べてもらおうよ! きっと、みんな喜んで食べるんじゃないかな?」

 りんさんとしのに好評だったので、俺は自信が出た。


 さて、次は素麺だ。りんさんがすでに、茹で上がった素麺を水で洗ってくれていた。この時代の素麺を食べる時、醤油に味醂(みりん)や出汁を合わせためんつゆに砂糖が加えられたものを使っていた。江戸時代では、砂糖が使われていなかったんだって。今の味醂にはお酒の成分が多く入っているから、軽く火にかけてアルコール分を飛ばした。それを、井戸の水でなるべく冷ます。その間に、俺は醤油と出汁を合わせる。

「兄ちゃん、あたしたちは何をしたらいい?」

「じゃあ、しのは玉葱をみじん切りにして水にさらしておいてくれ。りんさんは、素麺を硝子の器に入れてくれないか?」

「あいよ!」

 手が空いたしのが、俺に何をするか尋ねてくれた。二人は返事をしてすぐに取り掛かる。薬研氏が揃えてくれた蕗谷亭の食器の中に、お洒落な硝子製の器が五個あったのを俺はその時思い出した。りんさんも覚えていたのかそれを引っ張り出して、綺麗に洗ってくれた。そして手拭いで水気を切って、素麺をくるりと巻いて綺麗に入れてくれた。

 俺は二人の作業が終わるのを待ってから、冷えた味醂をめんつゆに入れる。そしてサイコロ切りにしたトマト、みじん切りにした玉ねぎと千切りの大葉を入れ、味を調えるように塩を振り青柚子の絞り汁を少しかけた。トマトを潰さないように気を付けながら混ぜて、素麺にかける。余った胡瓜も彩りになるように、最後に素麺の上に乗せた。


 よし、完成だ!


「お待たせしました」

 俺が持っていくより、りんさんやしのに持って行って貰う方が、おいしく見えるだろう。俺はドキドキしながら、初めての客が食べる様子を見ていた。


「おや? これは……もしかして、素麺なのかな?」

 口髭の男性が、不思議そうな顔で目の前に置かれたガラスの器を見た。夏に硝子の器を使うと、涼しく感じるのが不思議だ。

「はい。素麺に赤茄子と店主の特製ソースをかけて、夏に合うものにしました。小鉢は、鶏肉を梅で和えて、夏でも爽やかに食べられる味にしています」

 さすが、てんぷら屋さんで働いていただけある。客に尋ねられたりんさんは、自信に満ちた顔で客に説明した。俺の作る料理を信じているりんさんだからこそ、こんなに堂々と提供してくれているのだろう。俺は、嬉しくて少し泣きそうになった。


「素麺を赤茄子で食べるのは初めてだ。まるで、洋風料理のようだ」

「うん、見た目は味が濃そうに見えるが……」

 二人の紳士は不思議そうな顔をしながら、それでも箸を手にしてまずは素麺を食べ始めた。

「んん、これはいい! 素麺はめんつゆなのに、醤油が濃すぎず夏に食べやすい味だ。赤茄子がめんつゆを和らげているんだね。それに時折歯に当たるのは、みじん切りの玉ねぎか! うん、歯ごたえもあっていいな」

「いいな、これは。それにこの香りは――柚子かな? 今なら、まだ青いものだね。この爽やかな青柚子の香りとほんのり感じる柑橘の味は、赤茄子と大葉と相性がいい。さっぱりとしていて、暑い夏でも食欲をそそる。この素麺は、普段食べるものとは全然違うな。赤茄子を素麺に使うとは……うん、とてもいい考えだ。さて、小鉢はどうかな?」

 茶色のスーツの男性は、小鉢に箸を伸ばした。

「ほぅ! これは、確かに梅肉和えだな。しかし、うまみが強くて酸っぱさが気にならない。鰹節のおかげだろうか? 鶏肉もささみだな。栄養があるのに、さっぱり食べられる。これなら、こんな暑い日でも気にならずに口に入るね。それと、この………シャキシャキしたのは野菜はなんだろう? これは、何の野菜なんだい?」

 大豆もやしを知らない二人が、りんさんに尋ねた。当然もやしを知らないりんさんは、奥から覗いている俺に視線を向けた。俺は慌てて二人のそばに向かい、説明をした。


「これは、大豆の若い芽です。畑で育てずに、清潔な水で育てると、こんな野菜になるんです。もやしって言います。特徴的な味があるわけではないので、触感を楽しんでもらうために入れました。もちろん、安心して食べられますよ。最近、港の近くで栽培が広まっているそうです」

 もやしは、以前は薬草扱いで乾燥したものを使われていたそうだ。最近ようやく、食用として出回っている。しかし傷みやすいのが難点だ。まだ高値で手に入りにくいもやしだったのだが、俺は簡単に栽培できる方法を知っていた。だから、まかないに躊躇いなく出していた。こうして、初めての客にも出せたんだ。

「ほう、もやしか。それは知らなかった。畑で育てないとは、とても不思議な育て方だね。勉強したのかい?」

 口髭の男性は感心したように頷いてから、改めて俺をよく見た。

「はい……あの、俺の父さんは外国から来て……それで、外国の料理を知りたくて、勉強しているんです」

「なるほど」

 見た目から、俺がハーフだと想像できていたようだ。しかし、薬研社長と取引している人たちらしく、俺の家庭事情を詳しく詮索するような野暮(やぼ)な真似はしなかった。ただ、にっこりと微笑んだ。


「とてもおいしかったよ。また次に薬研製薬を訪れるときに、寄らせてもらおう。君の名前は?」

「ひ……蕗谷恭介です! どうぞ、御贔屓(ごひいき)にお願いします!」

 突然名前を聞かれたものだから、思わず現代の名前を言いそうになった。俺は慌てて言い直して、二人にお辞儀した。

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