初めてのお客にトマトぶっかけ素麵・中
塩と酒をささみともやしに振りかけ、鍋の上に蒸篭を置いて一緒に蒸し上げた。火が通ると取り出して、少し置いておく。その間に胡瓜と大葉を千切りにする。その間にしのに頼んで、少し冷めたささみを食べやすい大きさに割いているもらう。それが終われば、しのには続いて赤茄子をサイコロ状に切ってもらった。
りんさんに叩いてもらった梅干しは、水にさらして貰っていたので塩辛さが和らいでいた。この時代の梅干しは、本当に塩辛い。夏の汗をかくときの塩分補給と保存を兼ねて塩が強いのだ。しかし、やっぱり短時間しか水にさらしていないので少ししょっぱい。
でも、今は夏だ。スーツをしっかり着込んでいるから汗もかくだろうし、塩分は少し強くてもいいだろう。それに控えめの醤油と味醂、砂糖を加えて鰹節を入れる。その中にささみと胡瓜を入れて混ぜたら副菜は完成だ!
「二人とも、味見してよ」
この時代、あまりない調理法だろう。二人は不思議そうな顔のまま摘まむと口に含んだ。途端、二人は笑顔になった。
「美味しい! 暑いときにこれはいいねぇ。さっぱりして食べられる。鳥肉が入ってるから、腹持ちもいいんじゃないかい?」
「梅が酸っぱいけど少し甘みもあって、夏に食べるにはいいね。本当に、美味しいよ。これ、次は薬研製薬の人や長屋の人たちにも、食べてもらおうよ! きっと、みんな喜んで食べるんじゃないかな?」
りんさんとしのに好評だったので、俺は自信が出た。
さて、次は素麺だ。りんさんがすでに、茹で上がった素麺を水で洗ってくれていた。この時代の素麺を食べる時、醤油に味醂や出汁を合わせためんつゆに砂糖が加えられたものを使っていた。江戸時代では、砂糖が使われていなかったんだって。今の味醂にはお酒の成分が多く入っているから、軽く火にかけてアルコール分を飛ばした。それを、井戸の水でなるべく冷ます。その間に、俺は醤油と出汁を合わせる。
「兄ちゃん、あたしたちは何をしたらいい?」
「じゃあ、しのは玉葱をみじん切りにして水にさらしておいてくれ。りんさんは、素麺を硝子の器に入れてくれないか?」
「あいよ!」
手が空いたしのが、俺に何をするか尋ねてくれた。二人は返事をしてすぐに取り掛かる。薬研氏が揃えてくれた蕗谷亭の食器の中に、お洒落な硝子製の器が五個あったのを俺はその時思い出した。りんさんも覚えていたのかそれを引っ張り出して、綺麗に洗ってくれた。そして手拭いで水気を切って、素麺をくるりと巻いて綺麗に入れてくれた。
俺は二人の作業が終わるのを待ってから、冷えた味醂をめんつゆに入れる。そしてサイコロ切りにしたトマト、みじん切りにした玉ねぎと千切りの大葉を入れ、味を調えるように塩を振り青柚子の絞り汁を少しかけた。トマトを潰さないように気を付けながら混ぜて、素麺にかける。余った胡瓜も彩りになるように、最後に素麺の上に乗せた。
よし、完成だ!
「お待たせしました」
俺が持っていくより、りんさんやしのに持って行って貰う方が、おいしく見えるだろう。俺はドキドキしながら、初めての客が食べる様子を見ていた。
「おや? これは……もしかして、素麺なのかな?」
口髭の男性が、不思議そうな顔で目の前に置かれたガラスの器を見た。夏に硝子の器を使うと、涼しく感じるのが不思議だ。
「はい。素麺に赤茄子と店主の特製ソースをかけて、夏に合うものにしました。小鉢は、鶏肉を梅で和えて、夏でも爽やかに食べられる味にしています」
さすが、てんぷら屋さんで働いていただけある。客に尋ねられたりんさんは、自信に満ちた顔で客に説明した。俺の作る料理を信じているりんさんだからこそ、こんなに堂々と提供してくれているのだろう。俺は、嬉しくて少し泣きそうになった。
「素麺を赤茄子で食べるのは初めてだ。まるで、洋風料理のようだ」
「うん、見た目は味が濃そうに見えるが……」
二人の紳士は不思議そうな顔をしながら、それでも箸を手にしてまずは素麺を食べ始めた。
「んん、これはいい! 素麺はめんつゆなのに、醤油が濃すぎず夏に食べやすい味だ。赤茄子がめんつゆを和らげているんだね。それに時折歯に当たるのは、みじん切りの玉ねぎか! うん、歯ごたえもあっていいな」
「いいな、これは。それにこの香りは――柚子かな? 今なら、まだ青いものだね。この爽やかな青柚子の香りとほんのり感じる柑橘の味は、赤茄子と大葉と相性がいい。さっぱりとしていて、暑い夏でも食欲をそそる。この素麺は、普段食べるものとは全然違うな。赤茄子を素麺に使うとは……うん、とてもいい考えだ。さて、小鉢はどうかな?」
茶色のスーツの男性は、小鉢に箸を伸ばした。
「ほぅ! これは、確かに梅肉和えだな。しかし、うまみが強くて酸っぱさが気にならない。鰹節のおかげだろうか? 鶏肉もささみだな。栄養があるのに、さっぱり食べられる。これなら、こんな暑い日でも気にならずに口に入るね。それと、この………シャキシャキしたのは野菜はなんだろう? これは、何の野菜なんだい?」
大豆もやしを知らない二人が、りんさんに尋ねた。当然もやしを知らないりんさんは、奥から覗いている俺に視線を向けた。俺は慌てて二人のそばに向かい、説明をした。
「これは、大豆の若い芽です。畑で育てずに、清潔な水で育てると、こんな野菜になるんです。もやしって言います。特徴的な味があるわけではないので、触感を楽しんでもらうために入れました。もちろん、安心して食べられますよ。最近、港の近くで栽培が広まっているそうです」
もやしは、以前は薬草扱いで乾燥したものを使われていたそうだ。最近ようやく、食用として出回っている。しかし傷みやすいのが難点だ。まだ高値で手に入りにくいもやしだったのだが、俺は簡単に栽培できる方法を知っていた。だから、まかないに躊躇いなく出していた。こうして、初めての客にも出せたんだ。
「ほう、もやしか。それは知らなかった。畑で育てないとは、とても不思議な育て方だね。勉強したのかい?」
口髭の男性は感心したように頷いてから、改めて俺をよく見た。
「はい……あの、俺の父さんは外国から来て……それで、外国の料理を知りたくて、勉強しているんです」
「なるほど」
見た目から、俺がハーフだと想像できていたようだ。しかし、薬研社長と取引している人たちらしく、俺の家庭事情を詳しく詮索するような野暮な真似はしなかった。ただ、にっこりと微笑んだ。
「とてもおいしかったよ。また次に薬研製薬を訪れるときに、寄らせてもらおう。君の名前は?」
「ひ……蕗谷恭介です! どうぞ、御贔屓にお願いします!」
突然名前を聞かれたものだから、思わず現代の名前を言いそうになった。俺は慌てて言い直して、二人にお辞儀した。




