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想ひ出のアヂサヰ亭  作者: 七海美桜
十二膳目
35/65

初夏にさっぱり鯖の卸煮・上

「うん、いい感じに育って来たな!」


 俺は畑を見渡して、満足げに頷いた。しのとりんさんは、昼飯の後の洗い物をしてくれていた。俺の前には、赤茄子(トマト)胡瓜(きゅうり)茄子(なす)がそろそろ実をつけて育ち始めていた。ピーマンはまだこの時代にはなく、南京(なんきん)は育てるのには手がかかる。その代わり、西瓜(スイカ)を育てていた。

 西瓜を育てたのは、しのの為だ。しのは、夏のフルーツでは西瓜が一番好きなんだ。一年目の畑にしては、植えた野菜たちが上手に育っていた。


 季節はもう、初夏だ。温かく水仕事は楽になったが、夏に向けて食べ物が痛まないようにする事に気を付けていた。


 俺達が食堂を始めて、もう二カ月が過ぎて三か月目になっていた。最初はやはり大変で、俺達三人は一日が終わるとどっと疲れていた。「出来ませんでした」は許して貰えないし、令和の食堂でアルバイトだけど調理をしていたプライドもある。

 ある日疲れた顔で洗い物をしている時、おっかさんに言われた。


「恭介――嫌な事はしなくていい。好きだった料理が嫌いになったら、あんたも悲しいだろうしあたしも悲しいよ。それに、誰もあんたを責めないさ」


 その言葉は、本当に俺の姿を見てくれていたおっかさんだからこその言葉だった。毎日三食のまかないを作る大変さで、確かにこの時の俺は料理を苦痛に感じ始めていた。だけど、俺はおっかさんとしのを護るって、『この時代の本当の恭介』に約束したんだ。連絡が取れないから、俺が勝手に約束しただけなんだけどさ。

 でも、おっかさんのこの言葉は――沁みた。俺はしのやりんさんを、どこかで信用してなかったんだ。俺が一人で頑張らないと。って、少し意地になってて二人を頼らなかった。でもおっかさんにその言葉を言われた時、俺は自分が情けなくなって反省した。


 だから俺は次の日の朝一番、蕗谷亭で二人に「今まで、頼らなくてごめんなさい」と謝った。そうして「二人を頼ってもいいかな? 俺を助けて欲しい」と、素直にそう言葉を口にして頭を下げた。

 しのとりんさんは顔を見合わせた後、ぷっと吹き出した。そしてりんさんは、ホッとした顔になって俺の頭を上げさせた。

「恭ちゃんは、一人で頑張りすぎだよ。頼んないかもしれないけど、あたし達を使いなって! 三人で頑張ろうって、約束したじゃないか」

「あたしも、包丁の使い方も味付けも兄ちゃんに教わって上手になったんだよ? 兄ちゃん、三人でこれからも一緒に頑張ろうよ!」


 二人の優しさに、泣かされそうになった。そう。このまかない食堂は三人で頑張ろうって、最初に約束したんだから。

 それから二人にも、メインの調理も任せることにした。献立と味付けは、紙に書いて貼っておくようにした。主に俺としので米を炊く。その間に、りんさんが味噌汁を作る。主菜や副菜は、その都度手が空いてる者が率先して作る。(かまど)が四基もあって、本当に助かった。

 そうして三人で力を合わせる事で、俺達の疲れはグンと減った。こうして、畑仕事も毎日出来る余裕が少し出来た。


 どんなに頑張っても、俺はまだ(とう)の小僧だもんな。大人や誰かに甘えることも必要だ。

 今日の仕入れが届くまで、俺は雑草を抜いていた。余分な葉を切って実を太陽に当たる様に手入れをして、懐中時計で時間を確認して蕗谷亭に戻った。



「すまん、恭ちゃん! 仕入れを変えてくれないか?」

 俺達は毎月、次の月の毎日の献立を薬研製薬に提出して、仕入れを任せていた。今日の夜はアジフライがメイン料理だ。しかし、魚屋の(しげる)さんが困った顔で蕗谷亭に桶を持って来た。

(あじ)が初ものだから、仕入れたものがすぐに高値で売れちまったんだ。今日は(さば)でもいいかな? 詫びとして、おまけも付けるからさ」

「おやまぁ、()()()()鯖かい」

 俺としのが米を洗って、りんさんが糠漬けの瓜を出そうとしている時に、すまなそうに茂さんはそう頭を下げた。茂さんは、長屋の人ではないが源三さんの店の近くで魚屋さんをしている。蕗谷亭を始める前から、通っていた魚屋だった。馴染みだから、こういう我儘(わがまま)もお互い言える。

「何をおまけしてくれるんだい?」

「わかめ……でもいいかい?」

「茂さんが悪い訳じゃないから、鯖にしようよ!」

 しのは、申し訳なさそうな茂さんを庇う。本当に、こういう所が優しくていい子だな。と、改めて可愛い自慢の妹だ。

「構わないよ、今日の小鉢はわかめの酢の物に変えよう。でも、鯖かぁ……何にしようかな」


「なら、卸煮(おろしに)はどうだい?」

 首を横に傾げる俺に、茂さんは手を打ってそう提案してくれた。

「少し暑くなってきたし、さっぱりしていいかもね。いいんじゃない、恭ちゃん」

 りんさんは、塩鯖や鯖の味噌煮は飽きたらしい。大根おろしを作るのは少し手間だが、分担するなら大丈夫だろう。この季節の大根は、おろすのが一番だ。

「有難うね。この桶に入っているから、よろしく!」

「おや。しっかり持ってきてるじゃないか」

 りんさんが、商売人の手腕にケラケラと笑った。

 

 今の時代、冷蔵庫は家庭にない。大きな氷を入れて冷やす冷蔵庫もまだないのだ。確か、昭和になってからじゃなかったかな? それに、冷蔵庫一個で大豪邸が買える価格だったらしい。その為この時代水揚げされた魚は、生きたまま水を張った桶で調理するまで生かす。氷で保管する技術もないので、鯖の様な青魚は直ぐ腐るので夏は嫌われるのだ。


「いっそ、昼と夜の献立を変えないかい?」

 昼は、(ふき)とがんもどきの煮付けがメインだ。確かに、傷みやすい鯖を夜にするより、昼にした方がいいな。

「よし、急な変更だけどよろしく!」

「あいよ!」

 俺達は急な変更でも気にせずに、朝飯の支度の続きを始めた。

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