泣いた顔も笑顔になる和風ポトフ・下
寝ているしのは起こさず、おっかさんに頼んで寒そうなしのの小さな体に布団をかけて貰った。今日は時間がかかるだけで凝った料理でもないし、俺一人で作れる。
「恭介、昼飯を作るならあたしも手伝おうか?」
「いいよ、おっかさんは今日から仕事だろう? 俺一人で出来るけど、少し時間がかかるから待っててくれな?」
おっかさんは、今夜からまた仕事だ。だから俺は、それまでは休んで欲しかった。おっかさんは何かを言おうとしたみたいだが、煙管を手にいつものように少し困った笑顔を見せた。
俺は先に馬鈴薯や胡蘿蔔を竹籠に入れて、空の桶と共に井戸にまで行った。そこで、固まった泥を綺麗に洗う。冷たくてあかぎれに沁みて寒いが、仕方がない。そうして、その籠と水を汲んだ桶を持って戻ってきた。
「おっかさんは、嫌いな食べ物なかったよね」
冷たい所に置いていた鶏肉は、半分凍っている。俺はその鳥の骨とむね肉を使う為、もも肉と分けた。もも肉は明日使う事にして、切り分けるとまた古新聞に包んで風呂敷をかぶせて、同じ所に直しておく。手際よく竈に火を点け、お水を入れた鍋を乗せて沸かす。
「ないよ。嫌いなものがあったら、あたしの子供の頃は、飯抜きになるからねぇ。食べるものも、今ほど贅沢じゃなかったよ。文明開化ってのは、本当にすごいもんだねぇ」
竈で付けた火種を、長火鉢に少し分ける。そうすれば、この狭い家の中は温まる。それに気まずい話し合いの後だし、きっと煙管を吸いたいに違いない。案の定おっかさんは俺にそう返事すると、長火鉢の火から煙管に火を点けた。
この時代、煙草を吸う人がとても多い。男も女も、日常的に吸っていた。江戸時代は、もっと煙草を吸っている人が多いと聞いた。現代の俺にとっては最初は驚きだったのだが、今では煙草の煙はすっかり慣れてしまった。
鶏肉がこの寒さで少し凍っているのは、有難い。俺はいつもの包丁でその鶏肉を小さく切ると、まな板の上でミンチになるように叩く。菜切り包丁だが、これは叩くので特に切れ味は問題ない。そうしてある程度細かくなったらまな板の端に寄せて、生姜をみじん切りにしてそれに混ぜた。本当は大蒜も欲しかったが、残念ながら今はない。それらを大きめの器に入れると、鶏卵一個に酒、醤油、塩、片栗粉を目分量でミンチに混ぜると、手を突っ込み揉み込む。
ソーセージの代わりに、鳥肉団子にすることにしたのだ。今日の献立は、和風ポトフだ! あっさり食べれて、栄養もあるし何より温かい。
お湯が沸いてきたらそれを、鳥の骨が入った盥に少し分けてかける。熱湯をかけて血や内臓の残りを落とし、雑味を取るんだ。
残りのお湯は沸騰させずに、薪を調節する。この頃には、竈の火加減の調整も上手に出来るようになっていた。そこに、汚れを取った骨と葱の青い部分、生姜を切ったのを入れた。
しばらくして鶏肉の骨から出た灰汁は、白から茶色くなる頃にお玉でなるべく丁寧に取る。骨から美味い出汁が出るのだが、強火で沸騰させてしまうと雑味も増える。本当は三時間くらい煮たいが、それは流石に時間の掛け過ぎだ。一時間ほど煮て、さらしを乗せた竹ざるで漉した。うん、澄んだいい色の鳥の出汁がとれた。
今度は鍋に、その出汁と朝に取った一番出汁を合わせる。酒、醤油、塩で味を調え、皮を剥いた蕪、皮付きの馬鈴薯、同じく皮付きの胡蘿蔔、千切りにしたキャベツを、しのたちが食べやすい大きさに切って煮込む。本来なら馬鈴薯はスープの色が澱粉で濁るから、店では入れない事が多い。だけど家庭料理なんだから、美味しければいい!
ある程度火が通ってくると、匙で鳥の団子を丸く形取り、煮込んでいる鍋に落とす。これらからも灰汁が出るので、それも綺麗に取った。蕪の皮は、繊維質が多くそのまま食べると繊維が口に残り気分が良くない。しかし勿体ないので、皮は夕食のきんぴらにしよう。
二時間近くかかって、ようやく出来上がった。
「おっかさん、お待たせ。出来たよ! ほら、しのも起きて」
俺はポトフを饂飩や蕎麦の時に使う大き目の椀に一人分ずつ入れると、長火鉢の部屋に来た。おっかさんはしのの上から布団を抱え上げて脇に置いて、ちゃぶ台の用意をする。しのは「うーん」と小さく呟いてから、ゆっくり体を起こした。
ずっと泣いていたので、しのの大きな目は赤かった。
「わぁ、良い匂い!」
狭いこの家の中は、確かに鳥の出汁の香りで一杯だ。竈を長く使っていたから、家の中はまだ温かい。後は麦飯を用意して、今日は十分だろう。
「兄ちゃん、一人で作ったの? ごめんね、あたし寝てた」
「いいよ、今日ぐらい。ほら、早く食べないと冷めるしおっかさんの仕事の準備があるだろ?」
俺がお盆に乗せた茶碗と箸を並べると、しのはすまなそうに「ごめんね」ともう一度言った。こんなところも、健気可愛いと思う。
「ほら、食べるよ。恭介、これは――洋食かい? 何だか、見た事がある様な気がするんだけど……思い出せないねぇ。すぅぷの一種かい?」
ポトフはフランス料理だ。だが、イギリス人の父と洋館に住んでいた頃に、口にしたことがあるのかもしれない。
「ポトフっていう料理を、和食風に作ってみたんだ――仏蘭西料理だよ」
「美味しい!」
俺がおっかさんに説明している間に、しのはふぅふぅと吹いて冷ました鳥団子を早速齧った。さっきまでめそめそと泣いていたのに、鶏団子を口に入れると、途端に花が咲くような笑顔になる。まだ寒い冬なのに、湯気の中でその笑顔は春のように温かかった。
「洋食なのに、お醤油の味がするね。お醤油使ってるから、和風なの? 出汁の味がすごく濃くて、ご飯が進むね! えい!」
冷たくて固い麦飯を、しのはポトフの中に入れた。「おやまぁ」とおっかさんは笑って、俺はしのの為に匙を取りに台所に行った。
「うん、鳥の味が濃いけど獣臭くない。昆布のお陰かい? 野菜も柔らかくて、食べやすい。醤油を使い過ぎてないから、全体的にしょっぱくなくてちょうどいい塩梅だよ。確かに、洋食のすぅぷに大きな具が入っている料理だ。蕪が甘くて、とろり。と、とけるよ。キャベツも細く切ってくれているから、味が染みて美味しいねぇ」「この鳥団子美味しいし、野菜にもその味がうつって、どれを食べてもいしいね。やっぱり、兄ちゃんの料理は最高だよ! キャベツも蕪も、源三さんのところの? 瑞々しくて口の中が幸せだね!」
おっかさんとしのに絶賛されて、俺は何だか気恥ずかしくなった。苦労したのは、出汁を取る所くらいで、大した事はしていない。
「兄ちゃん」
しのに呼ばれて視線を向けると、まだ赤い目のまましのはにっこり笑っている。
「健太を殴ってくれて有難う。兄ちゃん、とっても格好良かった。でもあたし、もういじめられても泣かないよ! 兄ちゃんがいるからね」
「ああ。俺達は、ずっと兄妹だからな! いつでも、俺が必ずしのを守ってやるからな」
頷くしのの頭を撫でて、俺はそう励ました。
もうすぐ、二月になる。この寒い冬が、早く終わってくれるといいな。大人になれば、おっかさんやしのをもっと守れる。二人がもっと笑顔になるように、俺は頑張る。
そう、決意した昼飯の日だった。