泣いた顔も笑顔になる和風ポトフ・中
小林先生に負ぶわれたしのと、その足に血の滲んだ手拭いが巻かれているのを見て、おっかさんは眉を顰めた。俺はしの守れなかったことに、悔しくてうなだれていた。
「あたしは先生と家の中で話をするから、恭介は外で遊んでな」
「でも……」
「いいから、ちょっと外で遊んでおいで」
おっかさんは、普段はおっとりとしているが本気で怒ると怖いようだ。俺は長火鉢の部屋に降ろされてまだ泣いているしのに一度視線を向けてから、仕方なく荷物を置いて長屋を出た。
「そうだ!」
俺はどう時間を潰そうかと考えてから、ふみとかよへしのを助けてくれた礼をする為の買い物に行くことにした。先日、薬研尊という華族の少年が買ってくれた、俺が作った南瓜コロッケの代金の一円札の存在を思い出したからだ。生活費にしてくれとおっかさんに渡したが、「お前が稼いだお金だ、無駄使いしちゃいけないよ」と俺に持たせてくれていた。
それは無くさないように、兵児帯にずっと挟んでいた。
しのの礼だから、無駄じゃないよな?
俺は取り敢えず、何でも屋の浜松商店に向かった。店はまだ昼休憩前なのかまだ開いていて、まつさんが棚の片付けをしている所だった。松吉さんと、清と治郎の姿は見えなかった。
「おや、お帰り恭介。何か買い物かい?」
俺に気が付いたまつさんは振り返り、明るく豪快に笑った。
「うん。今日しのがいじめられて、足を怪我したんだ。それを庇って自分の手拭いでしのの血を拭いてくれた子に、新しい手拭いを買って返してあげたくてさ。手拭いに付いた血は、綺麗に落ちないだろ?」
この時代には、血をきれいに落とす薬なんて無い。大根の汁でこするのが一番いいって本で読んだけど、それでも真っ白にはならないだろう。それでは、あまりにもふみに申し訳ない。
女の子の持ち物として、申し訳ない。ふみの家も、あまり裕福ではないから、買ってそのお礼をした方がいいような気がしたんだ。
「おや、そうかい……怪我の具合は? しのちゃんは、無事なのかい?」
「分からない。今、先生とおっかさんが話をしてる。俺は外に居なさいって」
あまりにもしょんぼりして見えたのだろう。まつさんはにっこり笑うと、竹で編んだ葛籠を取り出した。そうして中から手拭いを何枚も取り出して、比べるように俺に見せてくれた。
「女の子にあげるなら、可愛いのが良いだろうね。どんな子だい?」
俺はふみの事を話すと、まつさんは薄い紫色の矢絣の手拭いを取り出した。背が高く少し大人びて見えるふみには、良く似合うだろう。さすが、女性の感覚だ。俺ならどれがいいか分からなかったに違いない。
「あと、金平糖も二個頂戴!」
今は、手軽な駄菓子がそう多くなかった。日露戦争時代に普及したビスケットや金平糖、ラムネなどが一般的だ。俺は二人の好みをよく知らないから、無難な金平糖を買った。
「恭介は、良い男になるねぇ。ちゃんと礼が出来るのは、良い事だよ」
俺は少しまけてくれたまつさんに一円札を渡して、釣りと品物を貰った。カバンがないから買ったものを持ちにくく、仕方なく追加で俺用の風呂敷も買った。唐草模様がいかにも時代劇に出てくる盗賊の風呂敷みたいで、少し恥ずかしかった。だがこのまま、飯の用意をする為に食材を買いにも行きたかったから、どうしても必要だった。勿論、同じ長屋の源三さんの八百屋にだ。
「よぅ、恭介。買い物か?」
店先に、野菜や果物が入っていたらしい木の箱を椅子代わりに腰かけた源三さんが、煙管を手にして俺に声をかけてきた。丁度客が買い物を終えて、一服していたみたいだ。
「うん。しのの為に、何か美味しいもの作りたくてさ。今は何がお薦め?」
源三さんは強面でぶっきらぼうな話しかけ方をするが、根は良い人で――シャイなんだと俺は分かってきた。しのが懐いているし、俺たちを見る源三さんはいつも優しい目をしていたからね。
「瑞々しいキャベツだ、丸くて甘いぞ。あとは――蕪だな」
源三さんの話を聞きながら、俺は家にまだある鶏肉を使う事を考えていた。しのは冬は寒いから暖かいものが食べたい、とよく口にしている。猫舌の癖に、と俺はくすりと笑った。
キャベツ、蕪、鶏肉――あと家には、馬鈴薯と胡蘿蔔もあるな。鍋にしようか……と考えていて、ふとある料理を思い付いた。
「源三さん、キャベツと蕪ください!」
「あいよ、待ってな」
源三さんはそう答えると、手早く俺の風呂敷にキャベツと蕪を入れてくれた。
おっかさんは食が細い方だ。だけど、夜中まで仕事をしているからしっかりご飯を食べて欲しい。成長期の俺達は、野菜も肉も食べた方がいい。俺が思いついたこの料理なら、バランスよくみんなで食べられる! しかも、しのが喜んでくれるはずだ!
俺がウキウキとしながら家に戻ると、医者のような格好をした男と小林先生、知らない女の人と健太が長屋から出てきた。女の人は不機嫌な顔をしていて、健太を引っ張るようにどこかへ向かった。多分、健太の母親かもしれない。後から出てきたおっかさんは、医者らしい人と小林先生に頭を下げていた。
「おっかさん!」
その男二人が去ってから、俺はおっかさんに駆け寄った。怒っていた雰囲気が、少し和らいでいる。俺に視線を移してから、呆れたような顔になった。
「随分大荷物だね、何を買ってきたんだい」
確かに風呂敷には、お礼と今日の献立の野菜がずっしり入っている。俺は、おっかさんにふみとかよの話をした。
「そうかい、それはちゃんとお礼しなきゃいけないね。有難うよ、恭介」
おっかさんと並んで、俺は家へと向かう。まだ寒くて、枯れた葉が冷たい風に吹かれて舞っていた。
「しのは? さっきの男の人は、お医者さん?」
「ああ、そうだよ。しのに石を投げた子と母親が来て、先生が呼んでくれていた医者の代金払ってくれたよ。幸い、骨は大丈夫みたいだ。でも――怖がってるから、しのを頼むよ」
おっかさんの言葉を聞いて家の中に入ると、泣き疲れたのかしのは包帯を巻かれた足を伸ばして、すやすやと眠ってしまっていた。
※かよとふみの為に佐久間式ドロップを買う描写を初校で書いていましたが、明治41年発売だったため、金平糖に変えました。佐久間式ドロップは別で登場します。すみませんが、よろしくお願いします!




