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想ひ出のアヂサヰ亭  作者: 七海美桜
五膳目
14/65

泣いた顔も笑顔になる和風ポトフ・上

 事件は、次の日に起きた。授業が終わり、皆お腹を空かせて帰る尋常小学校の帰りの前。俺が、先生に西洋料理指南書を借りていた時だ。先日、「外国の料理の本が見たい」と言っていたのを、先生が覚えていて持って来てくれていたのだ。小さな丸い眼鏡をかけた、小林という男の先生だ。


「先生、大変だよ! しのちゃんが!」

 と、普段しのと仲が良い少女が教室に走って入って来た。確か、かよというボブカットの子だ。俺も会えば話くらいはする。だが、そんな事はどうでもよかった。

「しのが!? 一体どうしたんだ?」

 俺が声を上げて彼女の顔を見ると、かよは少し涙目だった。

(かわや)から出てきたら、けんちゃんがいたの。そのけんちゃんが、「異人の子は髪が光ってて汚ねぇ」って、急にしのちゃんに大きな石を投げてきて……しのちゃんの足に、その石が当たって、血が出て……」

 けんちゃんというのは、身体が大きな当時で言うガキ大将の健太だ。俺にも悪口や嫌がらせをしてくるが、相手をする気もなく普段は無視をしていた。しかしアイツ、しのにまで嫌がらせしていたのか!? 胸の奥で何かが弾けそうになったが、必死に堪えた。


「どこの厠だ、かよ」

 小林先生がかよを促すと、かよは走り出した。先生が付いて行き、本を抱えた俺も後に続いた。教室の近くの廊下の先で、子供たちが数人集まっているのが見えた。「やめてよ!」という女の子の声が、子供たちの会話の中で大きく響く。多分しのとかよと仲のいい三人娘の、ふみだろう。子供たちの隙間から、しのを庇っているふみの姿が見える。ふみは両方の耳の下で長い髪をくくった、背の高いかわいい顔立ちの子だ。そのふみに庇われているしのは廊下に座り込んで、大きな瞳から涙をぼろぼろ零しながら、痛みにじっと耐えているようだった。


「こら、健太!」

 小林先生が大きな声で呼ぶと、健太は「不味い」という顔になって逃げだそうとした。しかし俺は座り込んでいるしのの足から流れていた血を見て、プチンと何かが切れたように我慢できなくなった。無意識に、抱えていた本を廊下に落とした。そうして逃げる健太を追いかけて、後ろからその健太に飛びついて二人並んで転がった。

「離せよ! 異人の子供!」

「うるせぇよ! 外国の親がいたって、俺達は同じ人間だろ! 俺達とお前は、同じ人間だ! 差別なんかするな!」

 転がって俺が上になると、俺は握り締めた拳で思い切り健太の頬を殴った。


 そもそも、俺は喧嘩が好きではない。勿論、殴り合いなんて絶対にしたくなかった。でも、この時代には「話し合い」よりも「力の強さ」が、子供たちの間では絶対だったのだ。力の強いものが、子供たちのリーダーになる。それが、悪い奴でもだ。


 俺はそよとしのを護る為なら、喧嘩をする事も(いと)わなく思っていた。この時代に飛ばされて、俺を守ってくれたたった二人の大切な家族なんだ。

 じんじんと痛む拳より、胸の奥の怒りの方が熱かった。その勢いのままもう一度健太を殴ろうと、俺は拳を上げた。


「こら! 恭介も友達を殴ったら駄目だ、離れなさい!」

 小林先生にたしなめられて、俺はまだ全然怒りが収まらないが、仕方なく腕を下ろして健太の上から離れた。健太はいつも相手にしない俺が殴った事に驚いたのか、俺が殴った頬が赤いまま少しきょとんとしていた。

「しの、立てるか?」

 小林先生の言葉にしのはふみの手を借りて立とうとしたが、すぐに転びそうになる。

「骨にひびが入っているかもしれない。先生が()ぶるから、一緒に帰ろう。恭介は、しのの荷物も持ってくれ。かよは他の先生に、健太の家に連絡して事情を説明して貰ってくれ」

 しのの足に流れる血を、ふみが自分の手拭いで拭いてくれていた。小林先生がふみの代わりに、しのの手を握っていた。

「持ってきます! 先生、有難うございます――ふみとかよ、有難うな!」

 俺が二人に礼を言うと、ふみは少し顔が赤くなる。俺は落としていた料理の本を拾うと、慌てて教室に戻り、俺としのの荷物を手早くまとめた。そうして戻ってくると、騒ぎを見ていた子供たちはもう居なくなっていて、健太は女の先生と何か話していた。


「じゃあ、帰ろう。先生が、お母さんに説明するよ」

 小林先生に背負われたしのは、まだ泣いていた。その足には、ふみの手拭いが巻かれている。俺はしのの事が心配だったが、かよとふみに礼をしなきゃとも考えていた。彼女たちがいなかったら、しのはもっと大きな怪我をしていたかもしれないからだ。しかし彼女たちは、もう一人の別の先生に事情を聞かれていた。そこに声をかけるのは、申し訳ないような気がする。


「怒る気持ちは分かるが、暴力は卑しいことだ。力で抑えるのは、獣と同じだぞ。恭介が賢いことは、先生は知っている」

 俺達は長屋に向かって歩きながら、小林先生の話を聞いていた。

「でも先生、しのはこんな怪我したんだよ!」

 俺の怒りは、まだ収まっていない。反論しようとして声を上げたが、小林先生は首を横に振った。


「――あのな、恭介にしの……実は、先生の父も大陸の人でな。誰にも言わなかったが、ずっと胸にしまってきたことなんだ」

 意外な言葉だった。思わず俺は怒りの言葉を飲み込んだ。しのも、泣きじゃくっていたのだが、思わず泣き止んだようだ。

「先生のお父さんは、大陸の人だからね。見た目は、日本人と変わらないだろう? だから、先生は子供の頃はずっと隠していたよ。今も、話すことは滅多にない」

 ゆっくり歩く小林先生に続いて、俺も並んで歩いた。

英吉利(えいぎりす)の血が入っているお前たちは、隠せないから難儀(なんぎ)するだろう。西洋人は、髪が金色だったり目が青かったり緑だったりする。その血を受け継いでしまうから、見た目はどうしても他の子と違う――でもな、先生はさっき恭介が「同じ人間だ」と言った言葉に感動したよ。国は違うけれど、確かにみんな同じ人間だ。英吉利人は、日本に色んな事を教えてくれた、同じ島国――そして、同じ人間。先生のお父さんも、昔日本に色々教えてくれた。異国の血が入っているのを、恥ずかしがっちゃいけないな。先生は若い頃――お父さんを随分恨んでいたよ。でも、今度墓参りに行ってちゃんと謝るよ。先生は、恥ずかしい事をしていたんだ。教えてくれて有難うな、恭介」


 長屋が見えてくる頃には、俺の怒りは収まって何処か悲しい気持ちになった。



 差別は、何時の時代もいろんな形で世界中で残っている。どうして、争いが起こるのだろう。こんな理不尽が、大きな争いへと膨れ上がっていくのだろうか――俺は遠い独逸(ドイツ)にいる尊さんのことが心配になって、胸が苦しくなった。

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