寒い冬に温か茶わん蒸し・下
俺は竈に火を点けながら、しのに百合根を洗いながら一枚ずつ剝がしてくれと頼んだ。指示通り下準備をしてくれた百合根を受け取った俺は、えぐみをとる為に湯がく事にした。
お湯に少しのお酢を入れた鍋に、その百合根を入れて軽く湯がく。そしてそれを竹で作られたザルに上げると、粗熱を取る為に横に置いた。
「兄ちゃん、あたしもっと何かするよ」
おっかさんと並んでいたしのが、台所で作業する俺に声をかけてくれた。
「なら、卵を三個割って泡が出ないように混ぜてくれるか? それに、湯飲み三杯分の一番出汁を入れて混ぜ合わせてくれ」
確か三人分の茶碗蒸し作るには、出汁は五百ミリリットルくらいを使うはずだった。なら、卵一個に対して一合くらいになるだろう。叔父さんの店で覚えたのだが、一合は大体百八十ミリリットルくらいだ。つまり、計量カップがないこの家で一合を計算するには、湯飲み一杯分と思えばいい。
叔父さんの店は洋食屋だが、まかないで和食を作ったり洋風茶わん蒸しを時折提供していた。だから、作り方は何となく分かる。
「分かった!」
しのは素直に、俺の言う通りに卵に手を伸ばした。俺は胡蘿蔔をいちょう切りにしようとして――時節柄の梅の花に似せて飾り切りした。不器用で少し歪んでいるが、それも愛嬌だな。それを、切った椎茸と一緒に出汁で煮る。胡蘿蔔は火が通れば取り出して、残った椎茸の煮汁に醤油と砂糖を入れて落し蓋をしながら甘辛く煮た。
本当なら別の鍋で別に味付けをするのだが、家庭料理の家での食事にはこれで十分だよ。
台所には、腹が鳴りそうないい煮詰まった醤油の香りが漂った。まだ寒い冬なのに、台所は湯気と竈の火で温かくなる。そのおかげか、俺達は陽気な気分のままだ。おっかさんは、煙管で煙を吐きながら時折鼻歌をしていた。
「ありがとうな、しの」
俺の言う通りに作業をしてくれたしのに礼を言うと、余っていた不揃いの茶碗に甘辛い椎茸と、出汁の風味がほんのり残る胡蘿蔔、えぐみのない百合根、それと先に切ってメリケン粉をまぶしていた鶏のささみ肉を入れる。それから塩、醤油、酒を加えた出汁の混じった卵液を、味噌を溶く竹ザルで越して泡が立たないように注いだ。
「どうして泡を立てたら駄目なの?」
不思議そうに聞くしのの頬は、この狭い台所の熱気で赤くなって可愛らしかった。俺はそのしのに笑いかけながら教えてやる。
「茶わん蒸しに、空気の穴が出来ないようにさ――さ、出来るまであと少し!」
竈にかけた鍋に竹ザルを浮かせる。その上に、茶わん蒸しを乗せて蓋になる様なものを探したが――適当なものは平皿しかなかった。バランスを確認しながら蓋をして、強火で二分ほど。それから少し火加減を緩めて、十五分ほど蒸した。
その合間に、長火鉢の部屋にちゃぶ台を出して竈の灰を少し火鉢に乗せる。随分とこの生活にも慣れてきた、おかげで手早く用意が出来た。時計を見ると、午後一時前。すこし遅くなってしまった。
「あちぃ!」
気を付けていたが、蓋代わりの平皿を取る時に蒸気で火傷しそうになった。しのが慌てて桶の水を持ってくる。「有難うな」と礼を言ってから冷たい水で冷やし、竹串で刺して中を確認する――うん、ちゃんと火が通ってる!
手拭いを何枚も重ねて、そろそろとお盆に茶わん蒸しを乗せる。そのお盆を抱えたしのは、気を付けながらちゃぶ台まで運んだ。俺は直ぐに、固くなったお櫃の麦飯を竹ザルに広げて残りの蒸気で温めた。
「漬物を切っておくね」
しのも、昼を待っているおっかさんの為に手早く動く。今日は、温かな麦飯、同じく熱い茶わん蒸し、定番の漬物だ。しかし、茶わん蒸しは本当の茶碗を使っているので結構な量がある。
「いただきます」
ほかほかの湯気が舞う食卓に、俺達は並んだ。おっかさんに倣ってしのと一緒に手を合わせた。
「あちち!」
木の匙で茶わん蒸しを口に入れたしのが、声を上げる。
「気を付けろよ、まだ熱いから」
しのは猫舌だが、俺は猫舌ではない。匙ですくった茶わん蒸しを、軽く吹いてから一口をすぐに食べた――うん、出汁がしっかり効いてて、本当に美味しい! 上出来だな、と笑顔になる。
「――うん、美味しいね。茶わん蒸しに百合根が入ってるのはあまり食べた事ないけど……ホロリと口で崩れるのがいいね。椎茸も、味が濃くて良い。それに――梅の花かい? 上手じゃないか」
同じようにおっかさんが茶わん蒸しを口にして、そう呟いた。俺の作った梅の花の胡蘿蔔を匙ですくって俺に見せると、にこりと笑う。
「卵、ふわふわだね! あたしが泡出ないように混ぜたんだよ! それに、鶏肉も美味しいね。柔らかくて食べやすいよ。お出汁の味がすごくして、麦飯も炊きたてみたいで美味しい!」
むね肉やささみは、火を通すと固くなる。それを抑えるため、そぎ切りにして薄くメリケン粉をまぶしておいた。こうする事で、肉は保護されて柔らかいままだ。現代で言う、水晶鳥だな。
漬物は塩味が強いから、茶わん蒸しはあえて関西風に出汁の味を強くした。卵の部分だけ食べても十分食材の味を引き立たせてくれていて、ぷるりとして軽やかに喉を通る。おっかさんが褒めてくれたように、百合根はほろりと崩れて、砂糖と醤油で甘辛く煮た椎茸が、この茶わん蒸しを引きしめてくれる。
俺達は、ニコニコしながら食事を味わった。
「恭介もしのも、本当に料理が上手だね。家事が下手なあたしの分、家の事をやってくれてありがたいよ。本当に、毎日お疲れ様」
突然、おっかさんは改めて俺達の顔を見比べると、すまなそうにそう言った。
「あたし、家の事するの好きだよ!」
しのが、泣きそうな顔になる。おっかさんの顔は、困ったままだ。
「三人で、ちゃんと分担してるよ。おっかさんは仕事に行ってくれてるし、俺達は家の事をする。皆、同じだよ。おっかさんが謝る事はないよ。俺たち、家族なんだから!」
俺は、本当にそよを尊敬していた。俺の時代なら、高校生が子供を産んで子育てから仕事までこなしているのと同じだ。俺の時代より女性の立場が弱く、助成金もない不便なこの時代で、たった一人で。
育ててくれている事を感謝こそすれ、謝られるのは違う筈だ。
「恭介……しの……」
「ほら、おっかさん。温かいご飯が冷めないうちに食べよう!」
俺は、麦飯を口いっぱいに頬張った。それを見たしのが楽しそうに笑って、おっかさんもようやくきごちなく微笑んだ――いつもの、おっかさんの顔だ。
「日本一あったかい食卓だね」
それは、そよの本心からの言葉だろう。俺は、この家にタイムスリップが出来て良かったと本当に思った。
おっかさんの息子で、しのの兄で本当に良かった。