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想ひ出のアヂサヰ亭  作者: 七海美桜
四膳目
11/65

寒い冬に温か茶わん蒸し・上

貨幣価値参考:明治時代の「1円」の価値ってどれぐらい? (//manabow.com/zatsugaku/column06/)

芸者花代参考:花柳流の歴史 (//www.tokyo-geisha.com/html/article/history02.php)

 事件は、次の日に起きた。尋常小学校の授業が終わり、皆お腹を空かせて帰る準備を始めだす時間だ。俺はその時、先生に料理の本を借りていた。先日、「料理の本が見たい」と言っていたのを、先生が覚えていて持って来てくれていたのだ。先生は、和食の本と洋食の本を用意してくれていた。小さな丸い眼鏡をかけた、物静かな小林という、三十代後半だろう男の先生。


「先生、大変だよ! しのちゃんが!」

 と、普段しのと仲が良い少女が教室に走って入って来た。確か、かよというボブカットの子だ。俺も会えば話くらいはする。だが、そんな事はどうでもよかった。

「しのが!? 一体どうしたんだ?」

 俺が声を上げて彼女の顔を見ると、かよは少し涙目だった。

(かわや)から出てきたら、けんちゃんがいたの。そのけんちゃんが、「異人の子の髪は目立つから汚い」って、急にしのちゃんに大きな石を投げてきて……しのちゃんの足に、その石が当たって、血が出て……」

 けんちゃんというのは、身体が大きくて短気な当時で言うガキ大将の健太だ。俺にも日常的に悪口や嫌がらせをしてくるが、相手をする気はなく無視をしていた。

 しかしアイツ、しのにまで嫌がらせをしていたのか!? 

 俺は、キレそうになるのを何とか耐えた。


「どこの厠だ、かよ」

 小林先生がかよを促すと、かよは走り出した。先生が急いでかよに付いて行くように小走りになり、本を抱えた俺もその後に続いた。

 少し進むと、教室の近くの廊下の先で子供たちが数人集まっているのが見えた。「やめてよ!」という女の子の声が、子供たちの会話の中に大きく響く。多分しのとかよと仲のいい三人娘の、ふみだろう。子供たちの隙間から、しのを庇っているふみの姿が見える。ふみは両方の耳の下で長い髪をくくった、背の高い綺麗系の顔立ちの子だ。そのふみに庇われているしのは廊下に座り込んで、大きな瞳からボロボロ涙を零して痛みに耐えているように見えた。


「こら、健太!」

 小林先生が大きな声で呼ぶと、健太は「不味い」という顔になって逃げだそうとした。しかし俺は座り込んでいるしのの足から流れていた血を見て、プチンと何かが頭の中で切れた。抱えていた本を廊下に落とすと逃げる健太を追いかけて、後ろからその健太に飛びついた。逃げようとする健太の体を抑え込み、二人並んで廊下をゴロゴロと転がった。


「離せよ! 異人の子供! 汚い手で俺に触るな!!」

「うるせぇよ! 外国の親がいたって、俺達は同じ人間だろ! 俺達とお前は、同じ人間だ! 差別なんかするな!」

 転がって俺が上になると、俺は叫びながら握り締めた拳で思い切り健太の頬を殴った。


 そもそも、俺は喧嘩が好きではない。勿論、殴り合いなんて絶対にしたくなかった。でも、この時代には「話し合い」よりも「力の強さ」が、子供たちの間では絶対だったのだ。力の強いものが、子供たちのリーダーになる。それが、悪い奴でもだ。ここで俺が勝つためには、健太を投げって俺の言葉を聞かせるしかなかった。


 俺はそよとしのを護る為なら、喧嘩をする事も(いと)わなく思っていた。この時代に飛ばされて、不安で心細かった俺を守ってくれた、たった二人の大切な家族なんだ。

 殴った拳が痛いが、もう一度健太を殴ろうと拳を上げた。


「こら! 恭介も友達を殴ったら駄目だ、離れなさい!」

 小林先生にたしなめられて、下ろそうとした俺の腕が止まった。俺はまだ全然怒りが収まらないが、仕方なく荒い息のまま健太の上から離れた。健太はいつも煽りに反応しなかった俺が殴った事に驚いたのか、赤くなった頬を気にすることなく少しきょとんとしていた。

「しの、立てるか?」

 小林先生の言葉にしのはふみの手を借りて立とうとしたが、血が出た足が痛いのかすぐに転びそうになる。

「骨にひびが入っているかもしれない。先生が()ぶるから、一緒に家に帰ろう。恭介は、しのの荷物も持ってくれ。かよは他の先生に事情を話して、健太の家に連絡してほしいと伝えてくれ」

 小林先生がしのの体を支えると、しのの足に流れる血をふみが自分の手拭いで拭いてくれていた。ふみの手ぬぐいは、すぐに血が滲んでふみが悲しげな顔になった。


「俺たちの荷物、急いで持ってきます! 先生、ありがとうございます――ふみとかよも、ありがとうな!」

 俺が二人に礼を言うと、ふみは少し驚いてから頬を赤く染めた。

 健太を追いかける時に落としていた料理の本を拾うと教室に戻り、俺としのの荷物を手早くまとめて風呂敷に包んだ。そうして戻ってくると、騒ぎを見ていた子供たちはもう居なくなっていて廊下は静かだった。健太は廊下の隅で、女の先生と何か話しているみたいだ。


「じゃあ、帰ろうか。今日の事は、先生がお母さんに説明するよ。かよもふみも、もう家に帰るように言っておいたからね」

 小林先生に背負われたしのは、まだ少し泣いていた。その足には、ふみの手拭いが巻かれている。俺はしのの事が心配だったが、かよとふみにちゃんと礼をしなきゃとも考えていた。彼女たちがいなかったら、しのはもっと大きな怪我をしていたかもしれない。しのを守ってくれたのは、しのとかよだけだ。


「怒る気持ちは分かるが、殴っちゃだめだ。恭介、殴ったらお前は健太と同じ事をした事になる。暴力で解決するのは、悪いことだよ」

 俺達は、長屋に向かって並んで歩いている。少し歩いてから、小林先生はゆっくりと話し出した。

「でも先生、しのはこんな怪我したんだよ!」

 俺の怒りは、まだ収まっていない。反論しようとして声を上げたが、小林先生は首を横に振った。


「――あのな、恭介にしの。先生のお父さんも……実は、外国の人なんだよ」

 意外な言葉だった。思わず俺は怒りの言葉を飲み込んだ。しのも、思わず泣き止んだようだ。涙をためた大きな瞳で、自分を背負う小林先生を見つめていた。

「先生のお父さんは、大陸の人だからね。見た目は、日本人と変わらないだろう? だから、先生は子供の頃はずっと隠していたよ。今も、話すことは滅多にない」

 ゆっくり歩く小林先生に続いて、俺も並んで歩いた。

英吉利(えいぎりす)の血が入っているお前たちは、隠せないから難儀(なんぎ)するだろう。西洋人は、髪が金色だったり目が青かったり緑だったりする。その血を受け継いでしまうから、見た目はどうしても他の子と違う――でもな。先生はさっき恭介が「同じ人間だ」と言った言葉に、とても感動したよ。国は違うけれど、確かにみんな同じ人間なんだ。英吉利人は、日本に色んな事を教えてくれた、同じ島国――そして、同じ人間。先生のお父さんも、昔日本に色々教えてくれた国の人だ。自分の体に異国の血が入っているのを、恥ずかしがっちゃいけないな。でも先生は若い頃――お父さんを随分恨んでいたよ。お父さんが亡くなってから、墓参りに全然行ってなかった」

 小林先生の言葉は、どこか懐かしい話をしているような――静かで、優しげで、少し悲しげだった。


「今度お父さんの墓参りに行って、ちゃんと謝るよ。先生は、恥ずかしい事をしてごめんなさいって。教えてくれてありがとうな、恭介」


 長屋が見えてくる頃には、俺の怒りは収まって何処か悲しい気持ちになっていた。



 差別は、何時の時代もいろんな形で世界中で残っている。どうして、争いが起こるのだろう。そうして、その争いがいつか大きなもの――戦争と呼ばれるものとして動き出す。


 俺は遠くの地である独逸(ドイツ)にいる尊さんの事が、とても心配だった。

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