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完璧な人間などこの世にはいない。
……という使い古された言葉が彼女の前では通用しないことは、この学園の生徒ならば――いや、この学園の関係者であれば、たった一人の例外を除き、全員が知っていることだった。
彼女の名を、『天女神奈』という。
文武両道であり、名だたる大学への進学実績を誇る名門校『創成院学園』の生徒会長を一年時から任されている彼女こそが、全校生徒憧れの『完璧』な人物である。
「あ、生徒会長よ!」
「今日も麗しい……」
天女と共に廊下を歩くと、遠巻きに一般生徒たちが憧憬を秘めた視線を向けるのが分かる。
自らが導くべき生徒から声をかけられた生徒会長・天女は、ニコリと微笑みで応じてから、
「ご機嫌よう、みなさん」
と、お淑やかに挨拶をした。
完璧である彼女は、その容姿も当然美しい。
黒曜石を思わせるロングヘアーと大きな瞳は、白磁の肌に映える。
まるで朱を差したような唇から紡がれる声は、天使の囁きのよう。
少女のような幼さを残しつつ、淑女のような気品を併せた彼女の笑顔は、男女問わずに見るものの心を奪う。
「……今、目が合った」
「いや、俺と目が合っただろ……」
「あの美しさで、文武両道、人望も厚く人柄も家柄も良いなんて……まさしく完璧」
「流石は我らが『女神様』……」
ため息交じりに聞こえる言葉。
完璧美少女『女神様』。
彼女を神格化し、そう呼び慕う者は少なくない。
そして――。
「……いつも思うんだけど、あの生徒会の男子ってなんて名前だったっけ?」
「ああ、陰山のことか。女神様の幼馴染であることだけが取り柄の男だだろ」
と、今度は俺に対する評価が耳に届いた。
幼馴染であることが取り柄になるなんて、そうそう無いと思いつつ、それも仕方ないことかと思案する。
成績は並、目立ったスポーツの成績はない上、コミュニケーション能力もすこぶる低い。
そんな俺がなぜ生徒会役員をしているかというと……。
「協調性のない幼馴染に少しでも人と接する機会を与えたくて、生徒会役員としてスカウトしたそうよ」
「なんて慈悲深いんだ……まさしく、完璧な存在」
……と、いうわけになっているのだ。
実際はそんなことはないのだが、俺としてはこの程度の噂話をされるのは、許容範囲だった。
「気にしているんですか?」
隣を歩く天女が、気品のある笑みを浮かべ、俺に問いかける。
「まさか」
彼女が『完璧』ではないことを知る、たった一人の例外である俺は無表情で答える。
その言葉を聞いて、「それなら良かった」と、彼女は一言、安心したように呟くのだった。
☆
放課後。
生徒会長の天女をはじめ、俺を含めた役員が生徒会室にて、執務をしていたときのこと。
コンコンコン、と唐突にドアがノックされる。
書類をチェック中だった手を止め、「どうぞ」と声を上げる天女。
すると扉は開き、一人の女子生徒が姿を現した。
彼女は「お仕事中失礼します」と言い、それから生徒会室へと踏み入る。
入室者した彼女を見ると右腕に包帯を巻いており、面倒事の臭いを俺は感じた。
「何か用?」
女子生徒にそう言ったのは、生徒会書記の早見紗希。
地毛と主張するには明るすぎる髪色の女子生徒。
チャラチャラしたギャルっぽい見た目に反し、責任感が強く成績もよい。
一見、天女とは正反対に見える彼女は、自他ともに認める天女の補佐役だ。
「私、女子テニス部副部長の二年生、西です」
浅黒く日焼けした、活発そうな女子生徒は自己紹介する。
「ええ、存じていますよ。西京子さん、いつも熱心に練習をされていて、1年生の新人戦でも、個人戦で優秀な成績を修めていましたね」
天女が西を見ながら言うと、「知っていたんですね、光栄です……」と、うっとりした様子で呟く西。
それから、ゆっくりと彼女は口を開いた。
「女神様……あ、そうじゃなく、天女会長にご相談がありまして」
天女の名を女神様と呼んでから、慌てて言いなおした女子生徒。
早見はそれを見て、「あー、いつものね」と呟く。
天女は、西の言葉を聞いて、ニコリと微笑んでから、
「それでは、ソファにおかけください」
と言った。
女子生徒は早見に案内され、生徒会室に設置された応接スペースのソファに座る。
その目の前に、天女も腰を下ろした。
「それで、相談とは何でしょうか?」
慈愛に満ちた微笑みを浮かべながら、天女は女子生徒に問いかける。
西は頷き、一度深呼吸をしてから告げる。
「この学園には珍しく、我が女子テニス部は弱小です。万年県大会二回戦負け、個人の成績も、私のベスト8が最高で、人数も団体戦に出るのがギリギリ。……なんですが、私がこのザマでして」
そう言って、西は自嘲気味に笑いつつ、包帯に巻かれた腕を軽く動かして見せた。
「このままでは、女テニス部は再来週末に開催される大会に出場することすらできません! そこで、次の大会……私の代わりに、天女会長出てくれませんか!?」
勢いよく西は頭を下げる。
その姿勢のまま、彼女は大声で続ける。
「昨年、女子バスケの助っ人として参加した試合でトリプルダブルを達成した伝説を、今一度……もう一度……!!」
完璧美少女生徒会長のあまねは、日々悩める生徒のお悩み相談や、部活動の助っ人を頼まれている。
「あー、そう言えばそんなこともあったかもねー」
気だるげな雰囲気だが、どこか嬉しそうな声で早見が言う。
「運動部の間では、伝説として語り継がれていますよ……!」
未だに頭を下げたままの西が、早見の言葉に反応した。
中々シュールな光景で、俺は少々笑いそうになった。
「伝説なんて、そんな……恥ずかしいです。あの時は、他のメンバーの方々が私に花を持たせてくれただけですよ」
分かりやすく照れながら俯く天女。
「……なんて謙虚な人なんだ」
頭を下げたままの西は、感心したようにそう言った。
お前はそろそろ頭を上げたらどうなんだ……?
コホン、と俺が咳払いをすると、ハッとした表情を浮かべ、天女は口を開いた。
「分かりました、その依頼、引き受けましょう」
天女は、はっきりとそう答えた。
西はその言葉を聞いてようやく顔を上げてから、再度問いかける。
「本当ですか!?」
「ええ。生徒一人一人に、より良い学園生活を行ってもらうためですから。私も尽力いたします」
「ありがとうございます、女神様!」
そう言って、西は激しく頭を上げ下げした。
美少女生徒会長の前でヘッドバンキングを行う西は、はたから見るととてもシュールだった。
「女神様は、止してください。……照れくさいじゃないですか」
と、慎み深く照れる天女。
「尊い……」
天女の反応を見てそう呟くのは、生徒会書記の早見だ。
俺は何も聞かなかったことにした。
「それでは、後日詳細を伝えますので、私はこれから部活動の様子を見てきます!!」
では、と言い残し、女子生徒は生徒会室を後にした。
生徒会室の扉が締められたのを見てから、早見は溜息を吐いて言う。
「神奈さ、そうやってすぐ安請負するの、良くないと思うけど。生徒会の業務も大変なんだから、ほどほどにしなよ?」
クールぶりつつ、早見は言う。
天女は反省したように言う。
「ええ、いつも迷惑を掛けてごめんなさいね、紗希」
天女の言葉に、早見は呆れたように溜め息を吐いた。
「こういう時はさ、ごめんじゃないよね?」
「……いつもありがとっ、紗希!」
満面の笑みを浮かべて天女が言うと、
「どーいたしましてー」
と、何でもない風を装っているものの、顔を真っ赤にして答えた早見。
その後、天女は腕にはめた腕時計を見てから、早見に問う。
「そろそろバイトの時間じゃないですか、紗希?」
「うん、今日の分の書類は机の上に置いとくから、後でチェックしててね」
そう言ってから、早見は書類を天女の机の上に置き、荷物をまとめる。
「これから帰るけど、二人もあんま遅くならないようにしなよ?」
「ええ、紗希もバイト、頑張って」
「うん、サンキュね神奈! カゲも頑張んなよー」
去り際、早見は俺にも声をかけた。
「ああ」と呟き応じると、彼女は「そんじゃ」と言い残し、生徒会室を去った。
それから、天女は会長席へと戻り、ふぅ、と一つ溜め息を吐いてから言う。
「司は知っていますか? 私が実はテニスが苦手だということを」
キリッ! とした表情を浮かべ、胸を張って言う天女。
「へー、そうか。苦手なのに助っ人なんて、生徒会長は大変だな、頑張れよ」
「ちなみに、私の得意なことを知っていますか?」
はぁ、またいつものが始まった。
心中で呆れた俺は、心底彼女を見下しつつ言う。
「土下座だろ?」
「へへ、流石司様! よくご存じで! この愚かな私に救いの手を差し伸べて下さいよ、司様ぁぁぁぁぁあああぁぁぁーーーーー!!!!」
俺の言葉に反応し、即座に土下座をした彼女は、とても美しい所作で土下座を決めてから、声高らかにそう宣言した。
彼女のコンパクトになった姿を見て、俺はいつもこう思うのだ。
――これほどの駄目人間は早々いないだろう、と。