剣鬼と呼ばれた男に育てられた愛娘
外はしんしんと雪が降り続いている。庭はうっすらと白銀色に染まっていた。
そんな寒さに震える日も、私は無駄に広い民家の一室で剣を振り続ける。何度も、何度も。
いつの頃からか習慣となっていたその鍛錬は、十八になったいまでも忘れることなく続いている。
いまは無き父の教えを体に覚え込ませるように、忘れないように。
私が父から貰ったものは三つ。
一つ目は戦う力。
二つ目は名刀”夜叉丸”。
最後は何かの報酬でもらったと言っていた高価そうなかんざし。
――それだけ。ああ、あとはこの家も。
物心つく前に母を亡くしていた私は男手一つで父に育てられた。
父との思い出は厳しい修行の日々ばかり。
私が甘え下手だったことも一つの原因だろうけど、優しくしてもらった記憶なんて思い出すこともできない。
私は愛されていたんだろうか。
剣を継がせるだけの存在でしかなかったんじゃないか?
……たまにそんなことを考えるときがある。
一通りの鍛錬を終えて縁側に出て外を覗くと、いつの間にか雪が止んでいた。
少女が部屋の中へと引き返して行く。
その後姿、桜色の長髪を団子にまとめた後頭部。
そこに刺された金色のかんざしが、月明かりに照らされて一度だけ光を反射させた。
「昨日は雪も降って寒かったねー」
「最近ずっとじゃない?」
「そうだよね。そういえば聞いた? つい最近この町の商人を盗賊が襲ったって噂」
「聞いた聞いた。他にも若くて可愛い娘を連れ去ったとか」
「えーこわーい。それ私たち危ないじゃん」
「自分で可愛いと思ってるの?」
「どういう意味よそれ!?」
ギルドの中にある休憩所で朝から甘味を味わっている私の耳に、そんな姦しい声が届いた。
ちらりと視線を向ければ二人の若い女冒険者――とはいえ私とそう変わらない年頃だろうけど――がギルドの入り口で立ち話をしていた。
そこにリーダーらしきもう一人の女冒険者が合流して外へ出て行くのが見えた。
あとには静寂。私があんみつを食べるときの音だけが聞こえる。
黙々と口を動かしていると、ギルドの奥のほうから恰幅の良いおじさんが私に向かって近づいてくる。
どんどん近づいてきて、とうとう私の目の前の席に座った。
渋い顔に不釣り合いなあんみつの乗ったお皿を片手に話しかけてくる。
「鈴ちゃん、そろそろ大物狙って見ないか?」
「ギルドマスターのお願いでも拒否させて頂きます」
「今度ギルドで新しく考案した”冬季限定・特別あんみつ”おごるから」
むっ、とその誘いに少しだけ心が揺れた。
限定。そして特別。一体どんなものかと興味をそそられる……けど。
「ここの休憩所で販売されるんですよね? それなら自分で買いますので結構です」
と突っぱねた。
「そう言わずにさー、錬が病気で亡くなって一年経つけど、あいつの穴を埋められるだけの実力者がいまだ出てこなくてさ。大物の素材が最近不足してるんだよね」
「父は父、私は私です。いま生活できる分だけ稼げれば私はそれで充分ですから」
「鈴ちゃんは実力あるから大物相手にしても危険はないと思うんだよ。お父さんの友達を助けると思って、ね?」
そう言いながらもいつの間にかあんみつを完食し、手の平を合わせてお願いしてくるギルドマスター。
「私はまだ父ほど強くはありませんから」
謙遜ではなく素直にそう思う。
子どもの頃から見知った父の友達を無視して、あんみつを食べ終えた私はギルドを発った。
厚手とはいえ動きやすさ重視の丈の短い袴姿だと、どうしても外の空気にさらされた膝より下が寒さで震える。
私は寒さに負けないようにと気を張って、日々の糧を得るため小型の魔物を討伐しに町の外へと向かった。
夜の気配が近づく黄昏時。
ギルドに戻ってきた私は狩ってきた魔物の素材をギルドに買い取ってもらっていた。
目の前の職員は大きめの袋に入った素材を一つ一つ丁寧に取り出しては状態を確認している。
その作業を眺めながら今日の夜は何を食べようかとぼんやりと考えていた。
「誰か! 手を貸してくれ!」
大きな音を立ててギルドの扉を開け放ち、一人の若者が飛び込んできた。
いきなり何事かと様子を見ると、膝に手を当てて肩で息をしている。よほど急いできたのだろう。
一体何があったのか――その疑問は受付を担当してる職員が若者に近づいて行き、話を聞くことで明らかになった。
「どうしたんだ? 落ち着いて話してみろ」
「さっき、たまたま見たんだ、俺! 町の外で盗賊たちが、三人組の女冒険者を攫って行くのを!」
「なんだと!? どこに連れて行ったかわかるか!?」
「貧民街のほうだ! あいつらこの町に住みついてたんだよ! ボロボロになった一番大きな屋敷!」
ギルドにいた数人の冒険者たちがざわざわと騒ぎ出す。
奥にいたギルドマスターも騒ぎを聞きつけて表に出てきた。
「何事だ?」
「はい。実は女パーティーが盗賊に攫われたと、そこの若者が申しまして……」
「何? ――っておい、鈴ちゃん! ちょっと待ちなさい!?」
ギルドマスターの制止も空しく、鈴は若者のすぐ横を走り抜けてギルドを飛び出した。
貧民街にある大きな屋敷。
破棄されてから長い時間が経っているせいか埃っぽく、悪臭の漂う薄暗い一室。
そこに三人の女性が縄で縛られ床に転がされていた。
猿轡を嵌められており、声を出すこともできない。
「なあ兄貴、こいつらさっさと食べちまいませんか?」
「気持ちは分かるがまだ手を出すなよ? 親分より先に俺たちが手を出したなんて知られたら殺されちまうぞ」
「そうなんですけどねぇ。あーあ、俺にもっと実力があれば盗賊団の頭になって金も酒も女も自由にできるってのに」
「ばーか。お前がなるぐらいなら俺がなってやらあ。まあもう少ししたら親分も帰ってくるだろ、それまでの辛抱だ」
下卑た笑みを浮かべる男が二人。捕まえた女たちを品定めするように立っている。
彼女たちはこのあと訪れる最悪の未来を想像し、声にならない声を上げて身を震わせた。
丁度そのとき――屋敷の入り口から悲鳴が聞こえてきた。
「兄貴いまの声……」
「ああ、見張りに立てた二人の声だ」
男たちは怪訝な表情で互いに顔を見合わせる。
女たちは何が起きているのか見当もつかずにますます混乱を深める。
静かに開け放たれた引き戸の先、そこには抜き身の真剣を右手に持った少女が佇んでいた。
その姿を見て男たちは表情を一転させる。
獲物を見つけた肉食獣のようなギラリとした笑み。
見張りの二人は目の前の少女の美貌に目を奪われ、不意を討たれたのだろう。
だが俺たちは違うと警戒を強めつつも、視線は少女の肢体をじっくりと舐め回すように上から下へと動いている。
「彼女たちを解放しなさい。そうすれば命だけは見逃してあげる」
私は男二人に一応声をかけた。
無駄な殺しをする気は無かったから。
必要であればするが、自ら望んで殺人鬼になりたい訳じゃない。
とはいえこんな言葉で解放してくれるような奴らじゃないことは最初からわかっているけれど。
「この女たちを解放する代わりに、お嬢ちゃんが俺たちを楽しませてくれるってんなら考えてやってもいいぞ?」
「そう残念ね。交渉決裂ってことかしら?」
「ちなみに屋敷の前に男の二人組がいたはずなんだがよ……どうした?」
「女冒険者たちを攫ったのはあなたたち? って質問したら襲ってきたから返り討ちにしたわよ。いまごろは三途の川でも渡っているんじゃないかしら?」
その答えを聞いた男たちは腰から刀を抜いて身構えた。
「やるぞ。痛めつけるだけだ、殺すなよ」
「わかってるさ。でも腕の一本ぐらいは仕方ないよなぁ?」
下品な顔ですり寄ってくる二人。
どうせ私のことも捕えてどうこうしようって考えてるんでしょうけど、そんな上手くいくかしら?
私が刀を構え直すよりも先に二人が動いた。
「せいっ!」
「はあっ!」
かけ声とともに一足一刀の距離まで迫り、一息に振り下ろされた二つの刃。
あくまでも殺す気はないらしく、急所を外れた攻撃。とはいえ当たれば腕に深い傷ができるだろう。
それを一歩後ろに下がることでやり過ごした。
相手が刀を戻す暇は与えない。
下げていた刀を片手で体まで引き寄せ、向かって右側にいる男の喉元を突くようにして浅く斬りつけた。
手首を時計回りに捻り、肉を抉る。
一歩踏み込むと同時、もう片方の男――向かって左側に向けて水平に腕を振るった。
刀は頭を下げた相手の頭上ぎりぎりを通り過ぎる。
助かった――そう男が安堵する間を与えることなく返す刃で男の命を刈り取った。
苦悶の声を漏らして倒れ込む男二人。
一瞬のうちに勝負がついた。
女冒険者たちは目の前で起きた出来事が信じられないとばかりに目を白黒させている
少なくとも私がいま倒した男二人、そして見張りの二人の合わせて四人。彼らに捕まるぐらいに弱い彼女たちでは、私の動きを目で追えなかったのだろう。
三人分の縄と猿轡を切って彼女たちを解放した。
刀を回して軽く血を払い、鞘に納める。
「動ける?」
「はい。ありがとうございます」
よくよく見ると今朝ギルドで見かけた三人組だった。
リーダー役の人がお礼を言うと残りの二人も頭を下げてきた。
「動けそうね。じゃあ早いところ外に出ましょ」
「ちょい待ちな、ねーちゃん。俺の子分たちを切っておいて、そのままさようなら……って見逃す訳にはいかないんだよなぁ」
背後からの声に振り返る。
そこには見えるだけで十数人の男たちが立ち並んでいた。
その奥から一人、周りに比べると豪華な衣装に身を包んだ粗野な大男が出てくる。
おそらくこいつは盗賊の親分。
彼女たちを助けたらすぐにここを出ようと思っていたのに面倒な奴に見つかっちゃったな。
「もう少ししたらギルドから大勢の人がやってきます。あなたたち、捕まりたくなかったら逃げたほうが賢明ですよ?」
「……なるほど。そいつら、へまやらかしたな」
すでに息絶えた子分たちを見て冷静に状況を分析している大男。
顎に手を当てて何かを考えているようだけど……
「そろそろ根城を移す時期だったから丁度いい。最後に楽しんでから別の町に移動するか」
「楽しんでる時間もないんじゃないかしら?」
「いまのギルドに俺を負かせるような奴はいない。錬ってやつが生きてたらやばかったんだろうが、もう死んでるらしいしな」
大男が声高に笑う。
「というわけだ。ねーちゃんとギルドから来た奴らを皆殺しにして、その後ろの娘たちで一晩楽しんだら別の町に移る。もちろん娘たちも連れて行ってやるから安心しろ」
はたしてそれのどこに安心する要素があるのか。
背後にいる彼女たちはまた捕まるのかと恐怖に震え、瞳に涙を浮かべている。
盗賊四人に捕まったのだからこの人数を見て絶望しても不思議ではない。
彼女たちを安心させるため優しく声をかける。
「あなたたち、巻き込まれないように少しだけ奥に下がってて」
「は、はいっ!」
慌てて部屋の隅に移動するのを見届け、盗賊たちの親分に向かって私は強気の態度で挑む。
「ねえ、あなたがさっき言っていた錬って……私の父親なのよ。知ってたかしら?」
一度仕舞った刀に手を添えていつでも抜刀できるように準備する。
私が打ち明けた事実に盗賊団の子分たちはわずかにうろたえる。
「馬鹿野郎、そんな与太話に騙されるな! それに例え本当だとしても娘が父親と同じぐらい強いとは限らない。この人数差だ、俺たちが勝つに決まってんだろうが!」
怒鳴りつけられた子分たちは徐々に冷静さを取り戻しているように見える。
私たちを囲むようにゆっくりと子分たちが広がっていき……ついに包囲網が完成した。
私一人なら無理やり突破することもできるけど、彼女たちも一緒にとなれば全員を倒すしかない。
「野郎ども! やっちまえ!」
号令の下、隠れていた盗賊たちも加わり一斉に沸き立つ。
戦いの幕が切って落とされた。
怒声とともに鈴へと迫る複数の影。
鈴は剣先を読んで躱し、抜いた刀で一人を斬り捨てた。
間髪を入れずに繰り出された背後からの一撃は返す刀で弾いた。
たたらを踏む男、そのがら空きの胴を横薙ぎの刃が通り過ぎる。
鈴の足元を狙った男の斬撃は跳躍で避けられ、跳んだ勢いの乗った後ろ回し蹴りの反撃を喰らう。
着地を狙った別の男の大上段からの振り下ろしは左手に握られた鞘によって受け流された。
一瞬の硬直――その隙を見逃す鈴ではない。二人の男は閃く銀色の餌食になった。
一人、また一人と倒れ伏す盗賊たち。
それでも男たちの士気は下がらない。むしろ仲間の仇を討つとばかりに殺意が増す。
しかし、鈴をとり囲む包囲網はほころびを見せていた。
襲い来る盗賊たちをひらりひらりと躱し、受け流し、一人ずつ確実に仕留めていく鈴。
戦いながら少しずつ外へと移動していた鈴たち。
戦いの舞台は自然と屋敷の中から荒れた庭へと移る。
剣劇の音と断末魔が断続的に寒空に響く。
吐いた息が白くなる戦場は、男たちの熱気に包まれていた。
少女が振るう刃とかんざしが光を浴びて月夜に踊る。
その演武を止められる者は一人としていない。
二十を超えるほどいた盗賊たちも、いまや両手で数えられるところにまで減っていた。
戦いの熱よりも恐怖が勝った一人の男が後退り、戦場を離れようとしていた。
その背後、そこにはギルドマスターが強面の冒険者たちを引き連れて陣取っていた。
「先に始めおって血気盛んなところは父親譲りだな、まったく。捕まっている女冒険者たちの保護を最優先、盗賊は可能な限り捕まえるんだ」
鈴を相手に苦戦していた盗賊たちは、鈴の宣言通りに現れたギルドの冒険者たちを前に戦意を失っていった。
しかし、それでも一人だけ戦意を失っていない男がいた。
「ちっ、結局頼れるのは自分の力だけか」
子分たちの後ろに控えていた大男が静かに言葉を発し、刀を抜いて殺意を露わにする。
ギルドマスターに連れてこられた冒険者たちはその気配に押されるように後退った。
ただ一人、鈴だけが前に出る。荒れた庭に積もった雪を踏みしめながら進み、大男の前で止まった。
「まだやるの?」
「当然だ。お前を殺して、ギルドのやつらを殺しておしまいだ」
「そう」
互いに正眼の構え。
一足一刀の間合いまでさらに二歩を要する。
冒険者たちと盗賊たちが剣を交える中、鈴と大男は互いに睨み合うだけで動かない。
数多の死線を潜り抜けてきた大男は剣を構えて向かい合った瞬間に理解した。
「――剣鬼」
それはかつて鈴の父親につけられた二つ名。
そんなことは知らないはずの大男が、無意識のうちに目の前の少女をその名で呼んでいた。
そう呼ばざるを得ないだけの実力を感じ取っていた。
「だが、だが……勝つのは俺だ!」
大きく声を上げて自らを鼓舞し、大男が先に動いた。
力強い踏み込みから繰り出される疾風の一撃。
ならばそれを躱した鈴の身のこなしは迅雷のごとく。
鋭い反撃を紙一重で防いだ大男の背中に冷たいものが走る。
数合の打ち合い。
甲高い金属同士がぶつかる音。
大男には無数の切り傷が手足に増える一方で鈴は無傷のまま変わらない。
技に劣る大男は鍔迫り合いに持ち込んで鈴を強引に抑え込みにかかった。
上からの圧力に抗う鈴。
だがしかし、硬く踏みしめた雪に足を滑らせ姿勢を崩して地に背をつけた。
「勝機!」
短い言葉とともに振り下ろされる死の刃。
鈴はそれを転がって避け、追撃を膝立ちの状態で受け流した。
すぐさま手首を返して首元を狙う。刃は相手の刀の背を滑るようにして放たれた。
大きく後退して鈴の攻撃を避けた大男。
それを追うようにして今度は鈴から鍔迫り合いに持ち込んだ。
狙いは力による押し合いではない。
大男と密着した状態で鈴は右手を刀から放し、その手を素早く後頭部へと伸ばした。
髪をまとめるかんざし、それを逆手で引き抜き――相手の首元へと突き刺した。
解ける春色の髪がふわりと夜に広がる。
その姿を目にして大男は口をパクパクとさせて何かを言おうとするが、結局何も言えずに崩れ落ちた。
逃げようとしていた一握りの盗賊はギルドマスターが連れてきた強面の冒険者たちに捕らえられた。
細かい片付けなどは強面の冒険者たちに任せて、私たちは夜道を歩いてギルドへと帰った。
捕まっていた三人の女冒険者たちには後日話を聞かせてもらうということで今日は帰らせた。
私はギルドに残り、盗賊団を壊滅させた立役者としてギルドマスターから”冬季限定・特別あんみつ”を一足早くおごってもらっていた。
季節の果物をふんだんに使い、遠方から取り寄せた黒糖を使った蜜が口の中に広がる。
それらを口の中いっぱいに含めて幸せを堪能していると、ギルドマスターも”冬季限定・特別あんみつ”を持って私の目の前に座る。
あれ、なんか今朝も同じような光景を見た気が……
「なんですか?」
「なに、戦いぶりを見て流石あの人の愛娘だなと感心したんだよ」
「剣鬼と呼ばれるほどだった父と比べればまだまだ弱いですよ」
「何を言うか。あれだけ戦えれば十分だろう」
「それに、愛娘って……私は父から愛されてなんかいませんよ」
ギルドマスターは不思議そうな顔をしている。
「なぜそう思うんだ?」
「……愛しているなら、娘が成人を迎える十五の誕生日に何も祝わないってことはないと思いますけど」
「なにを言ってるんだ? 錬がお前さんの成人を祝わなかった?」
「そうですけど何かおかしいですか?」
「じゃあそのかんざしはなんだ? あいつは俺に相談しに来たんだぞ。娘の成人の日に何かを送りたいって。そんで色々話して護身用にも使える見た目もいいやつを選んだんだ。いまでも身に着けているから、ちゃんと成人の日に渡したものかと思っていたが違うのか?」
私は自然とかんざしに手を伸ばしていた。
これが?
「だって、これは……何かの報酬でもらったって。しかも成人の日じゃなくてそれから結構経った何もない日に……」
それを聞いたギルドマスターは「あの馬鹿が」と呟き、天井を仰ぎ見た。
「あいつ自身が誕生日や祝い事をしない、戦う事しか知らない不器用な人間だってことを俺は知っていたのに……。安心しろ、あいつはちゃんと鈴ちゃんを愛していたよ。あいつは俺と会うたびに鈴ちゃんのことを何度も話していたんだ。それを聞かされていた俺としては、まさかそんなすれ違いがあったとは思いもしなかった」
「違いますよ。そんな、だって……」
ギルドマスターは首を振って優しく私を否定する。
「いいや、あいつは鈴ちゃんのことを愛していたよ。それが実の娘に伝わってないってのは皮肉だけどな」
「そんな」
「そうだな。あいつはこんなこと言ってたぞ? 例えばな」
そう言ってから語られたのは私の知らない、親馬鹿というのがぴったり合うような、そんな男の話だった。
ギルドマスターに色々聞かされてから一か月が経過した。
私は見晴らしのいい丘の上にある、父と母が眠るお墓の前まで来ていた。
膝を折り、静かに黙祷を捧げる。
父親から受けた様々な修行。そして不器用な態度。
それらは戦う事しか知らなかった男が見せた精一杯の愛情だったのだと、いまでは受け入れていた。
父との優しい思い出が少しずつ蘇る。
まだ幼かったあのころ。
寒い夜には一緒の布団で寝て抱きしめてくれた。
厳しい訓練をやりきったあとには頭を撫でて褒めてくれた。
あまり上手じゃない料理を毎日作って食べさせてくれていた。美味しくないと言って、いつからか私が作るようになっていたけど。
成長するにつれて父との距離は自然と離れていった。
ただでさえ年頃の娘の扱いなんてものはどこの父親も手を焼く問題だろう。
さらに私の父は、年を重ねるごとに死んだ母に似ていく私への接し方がわからなくなっていた……らしい。
母への接し方にも問題あったとギルドマスターが言っていたから、もともと女性関係は苦手なんだろう。
よく母と結婚できたなと疑問を口にしたら「鈴ちゃんのお母さんが錬に惚れてぐいぐい迫ったからな」と答えが返ってきた。
それでも娘の記念日に贈り物を渡せないってのはちょっとどうなの? と少なからず憤りを覚えたけど、私は許すことにした。
だって、私はちゃんと父親から愛されていたんだと思えるようになったから。
それに幼いころの日々を忘れていた私だって悪い。
いままで信じていた価値観が壊れるようにほころびを見せた。
だけどそれは悪いことじゃない。
瞼を開けて立ち上がる。
草木が風に揺れ、若葉の香りを運んでくる。
それをめいいっぱい吸い込み、温かな日差しに身を任せた。
「さーてと、今日はギルドマスターから頼まれた大物でも狩ってくるかな」
ゆっくりと丘を下る。
寒さに震える冬は通り過ぎ、温かい春の季節がやってきた。