第18話 ボリス博士
エレインに案内されて、やって来たのは大邸宅だった。とにかく大きい4階建ての邸宅で、ここに何人の人間が暮らしているのかもわからない位だが・・・・。
エレインの言うところでは、こんな大きな屋敷に、ボリス博士は一人で暮らしているのだそうだ。そう言えば、窓の大半は鎧戸がキッチリと閉まっている。
この家、塀がないが、入り口には鋼鉄の大きな門があり、そこにドアノッカーの大きな鋼鉄の輪があった。のしかかる様な大きな家は、その構え自体が塀に見えた。とにかく、威圧感が半端ではない。
エレインは慣れた様子で輪を握って扉を何度か叩いた。内側から声がする。
「ご用向きは?」若い女の声に聞こえる。あれ?人は一人しか住んでいないのでは?
「付与術士エレインです。お客を3人連れて、ボリス博士との会見を望みます。」
「お待ち下さい。」声が再び、その後・・・唐突に扉が上に引き込まれて行き、中庭に通じる通路が出現した。その先に女神像らしき物がある。声はあそこからしたのか?
「ドクター、この屋敷でいろいろと考えていたらダメです。そんじょそこらの変わった屋敷とは訳が違います。」エレインが私の疑問に丁寧に答えてくれた。
立派な屋敷である。緑滴る大きな庭園と池が中央にあり、それを囲むように四方に屋敷の建物が立っている。どれも似た作りで、中にいると方角がわからなくなりそうだが。
「ちょっとした宮殿みたいな建物ね。」バーバラが言うがそのとおりだ。
「博士はお金持ちですから。なにしろ商売上手ですし。それにも増して、仕事熱心ですから。」エレインの顔がちょっと暗くなっている。何か不快な事でも思い浮かべているのだろうか?
「それよりも・・・研究熱心なのが一番困りますね。」
「人間を解剖したりするのかな?やはり錬金術師的には?」と、マイルズがさらっと言うが「そこまで犯罪的じゃないですが、とにかく趣味が悪いんです。」バーバラの顔がちょっと蒼ざめた。
「趣味が悪いって、この屋敷を見てもそうは思えないがね。」
「以前に他の街から流れて来た・・・・そう無謀な盗賊がこの屋敷に入りました。」エレインが小さな声で話す。みんな固唾を飲んで次の言葉を待つ。
「すぐにその盗賊は捕獲されました。私もその場に居合わせたんですが、博士はその時に丁度作成してた”人間の老廃物や排泄物を栄養にする不定形生命”を縛り上げた男のズボンの中に丼一杯分くらい入れちゃったんですよね。」我々は言葉もない。
「翌朝に私はその時の用事を済ませて、届け物をするために屋敷に出向いたんです。で、その男を見に行ったんですが・・・酷いものでした。彼のお肌は赤ん坊の様にツルツルに変わってましたが、心も新品に変わっていた様で。”ダア”とか可愛い声を出してましたから。」
「私帰るぅ!」とバーバラも幼女に帰った様な声を出したが、私とマイルズに両脇を取られて連行されてしまう。
「大丈夫ですよ。今ではその不定形生物も改良されて、過剰にくすぐったい使用感も無くなっていますから。」とエレインは言った。バーバラは更に暴れたが、男二人には抵抗不能だ。横でエレインが笑いをこらえるために肩を震わせているのが見えた。
「まあ、あまり怖がらないで下さい。その不定形生物、お金持ちの婦人にリースしたらどれくらいのお金になったと思いますか?」我々3人はちょっとそれを考えてみた。
「気持ち悪いと思うのは確かでしょうけど、その需要は確かなものです。別に人を襲うような代物ではありませんしね。博士は、そう言うお金になる事に凄い嗅覚が働くんです。」うーむ、魔法世界で美容を売り物にするとは・・・。
「地球でも、ああ俺たちの世界でも、中世の錬金術師は美容を売り物にしていた。そして、錬金術師の売りつけた髭を生えなくする薬のせいで、頬と顎の肉まで溶かされた人がいたらしい。それに比べれば、彼はとても良心的じゃないか。」マイルズはそう言う。
「問題は、ボリス博士がその気になれば、人を襲う不定形生物とかも簡単に作れる事でしょうか。」バーバラの顔が再び引き攣る。
「やはりね・・・これだけ美人で、しかもからかい甲斐があるとなると、貴方は博士のお気に入り決定ですよ。」とエレインはお腹を抱えて笑い始めた。その姿は年齢よりも随分若く見えたが・・・つまりは我々はこの子の信頼を勝ち得たと言う事なのだろうか?
驚いた事に、この屋敷にはエレベーターがあった。もちろん、滑車を使った古いタイプの代物だが、それでもエレベーターはエレベーターだ。
「ボリス博士って、多分数世紀は進んだ考えの持ち主で、それを実現してしまう人なんでしょうね。」バーバラは素直に感心していた。あんまり弟子入り先の先生に恐怖心抱いているよりも良いだろうね。
「彼が一人でどれだけの仕事をしてるかを知れば、もっと驚くでしょう。彼は弟子を必要としない方法を考えて、実現しちゃったのよ。」エレインは彼の事を今度は手放しで褒め始めた。バーバラを怖がらせ過ぎたと反省しているのかも知れない。
「ところで、いつまで私を連行してるのよ。」とバーバラは不服を申し述べたが、「君の気がまた変わったら困るからね。」とマイルズにまであしらわれ、「そうだよ、ここで君が逃げて盗賊と博士に間違えられたら、一体君の身の上がどうなるかわからないしな。」と私にもからかわれて、バーバラはカンカンに怒り始めた。
「とにかく離してよ!自分の足できちんと歩けますとも。」と彼女が言うので、我々は離してあげた。
そして歩き始めた彼女は一歩も進まない内に、目の前に大きな男が立っているのに気が付いて、不覚にも大声で悲鳴をあげてしまった。
驚いた様な顔で、しゃがみ込んでしまった彼女を男は見下ろしていた。パッと見て、長身で革の背広で生身こそ見えないが、全身が筋肉に覆われた。年の頃は30代後半にしか見えない男だ。短い黒髪で、濃い黒い髭を顎に生やしている。顔は・・・結構な美男子ではないか?肉厚な顔でちょっと濃い口だが、佳い男なのは間違いない。
問題は・・・・あの悪戯者そのものの表情と瞳だろうか?大慌てしているバーバラの姿に満足しきっている。エレインの説明は大袈裟ではなかったのだろう。
「お嬢さん、私が驚かせてしまったのなら申し訳ない。この館の主人でボリスと申します。どうぞお手を。」と紳士的に手を差し出した。あれ、この男の右手は・・・・。私は瞬時にその事に気が付いたが、敢えて黙っていた。
バーバラは彼の手を掴んだ。と、その手がズルリと外れて、バーバラの手の中でピクピクと動いた。彼女は、多分生涯で一度もあげた事のないだろう、世も身もない絶叫をあげて、廊下を這って逃げようとした。
その姿を誰も笑わなかった。そう、声をあげては。しかし、滲む涙を誰も抑えられなかった。
ようやくバーバラが落ち着き、一同は彼の応接室に案内された。当然ながら、バーバラは怒り心頭で黙りこくっている。そりゃあ、あれだけの醜態を晒したら仕方ないだろう。
「”あの手”は最初の時に私もやられたのよ。一緒に居たセレネに大笑いされちゃったわ。」エレインはそう言うが、「ちなみに、私もあの時は凄く怒ったよ。もう5年前だけど。」
「そうだったな。エレインの場合は、悲鳴と共に蹴りを入れられたのが違うところだったね。」ボリスは耳に心地よい低音でそう言った。この男、声も魅力的だな。
「だってビックリしたもの。あんな驚かされ方初めてだったわ。」エレインは笑っているが、当時は凄く怒ったのだろうなと想像は付く。
「私は美人か、将来の美人にしか悪戯はしないんだよ。」と澄ましてボリスは言うが「子供相手にやる事じゃないわよね。」と切り返されて、苦笑いしてた。
「ちなみに、男相手なら何をするんですか?」と私が聞いたところ「知りたいですか?」と危ない笑顔で切り返されたので「遠慮します。」と言うしかなかった。
「お茶です。」とまたしても若い女性の声が聞こえ、ドアが開いた。入って来たのは、女中の服を着た何かだった。これは・・・・ロボットなのか?
「あれはゴーレムです。人間の言葉を理解して、雑用ができるようなレベルのゴーレムは全世界でも貴重なんです。」エレインが説明するが、確かに人間には見えない。しかし・・・。
「あのゴーレムの素材はなんでできているんですか?」と私が聞くと「あれは油脂を合成したものです。」とボリスは答えた。
「調べてもよろしいか?」私は医療用の探知器具を取り出した。「結構ですとも。」と快諾を受けたので、存分に調べた。
「骨格は鉄の合金、構造は・・・確かに油脂だ。表面は何等かのアラミド。筋肉にあたる部分はポリマーだが見た事のない組成だ。しかも複数種類が複合している。内臓は存在せず。筋肉しかない。そして、この心臓に当たる部分にあるのはわからない。見た事のない代物だ。」構造図をデータ保存する。
「ゴーレムどころか、これはある種のアンドロイドじゃないか。」マイルズも驚く。これがこの世界の錬金術師の仕事なのか?
「脳に当たる部分は何でできているんですか?」と私が聞くと「それは私の仕業ではないのです。今では失われてしまった技術です。」と彼は言う。
エレインの表情が変わった。「それは私の母が行った仕事です。ボリス博士の御父上と共同で。」
「君のお母さんも魔法使いだった?」マイルズが言う。どうやら、魔法の才能は遺伝する様だ。
「私の母は、かなり古株のマスターウイザードだったの。ネクロマンサー、つまり招霊術士で、数百年生きて来た人だった。」
「この街で父と出会って結婚して、私たちを産んでくれたけど、15年前に魔道士の再侵攻があって、一大決戦が起きた際に、父と共に行方不明になった。私が8歳の頃ね。ボリス博士のお父様もその後戦死したのよ。今は双方とも戦力の充実期でしか無いの。」私たちに期待するところが大きいのだろうね。
「エレインのお母様であるリンシア様は偉大なネクロマンサーでした。彼女は思考する核とも言うべき魔法装置を作り上げ、ある程度の量産を成し遂げたのです。その知能は限られていますが、自分の宿る器を完璧に動かす術は有しています。思考する核を他の肉体に移し替えても、それは正しく動作するのです。」ボリスはそう言うが、仰天すべき内容と言える。
「あの・・・。」黙っていたバーバラが口を開く。
「何ですか?」ボリスが促すと、バーバラは更に驚くべき事実を披露した。「あのゴーレムとかには、感情があるように見受けられるのですが?」
「ほう、貴方はその感情を感じられると?」ボリスは興味深そうだ。「はい、今も”仕事をしていると嬉しい”、”命令を下さい”と考えています。」バーバラはそう答えた。
「ふーむ・・・・。」ボリスの顔が輝く。私もマイルズもエレインも、彼の次の言葉は聞かなくてもわかった。
「欲しい、この方を、貴方を是非私の助手として!」ボリスは力強くそう言った。バーバラの顔が困惑に歪むが。
「大賛成です!」「それがイーデンのためでもあるだろうね。」「おめでとうございます、バーバラさん。」周囲は大賛成だ。
「ちょっと待って、私の意志はどうなるの?」バーバラが無駄に叫んだが・・・。
「そうなると、君に大地系魔法を伝授するのはジェルセム様と言う事になるが?」ボリスが沈痛な顔で呟くと黙った。
「ジェルセム様って?」バーバラが恐ろしい予感に震えながら聞くと「ボリス博士以上に危ないと言ってた人ですよ。いずれ会う事になると思いますが。あの人は弟子に対して厳しいので有名です。性格も変ですし。」エレインが応える。「多分、世間の人が魔法使いに抱く偏見、それを集約した様な危ない人です。」
「・・・・・・・。」バーバラも流石に黙ってしまう。
「そんなに凄い人なのか?」マイルズが心配そうな顔で尋ねる。
「奥方ができてるまでは、それは好き放題だったそうです。魔導士の再侵攻の時にセレネと共に引っ越して来たんですが、そりゃあ古巣では悪評が高かったそうです。今では奥さんと娘さんに頭上がらない様になってますが。」ボリスは苦笑するが、いずれにしてもその人だけは避けないと、バーバラは崩壊するんじゃないか?
「その人は凄腕なんですか?性格の悪さを皆が我慢する位に?」とマイルズが続けると「あの人が魔道士側だったら、私は遠くに逃げる事しか考えなかったと思う。その気になったら軍隊とか都市とかでも相手にして戦える位の人だから。」エレインから見ても凄い使い手みたいだ。
「退くも地獄、進むも地獄だ。腹を括れ、バーバラ。」私はそう励ましたのだが、バーバラの返事は後頭部への平手打ちだった。
「私は博士の助手に志願します。どうかよろしくお願いします。後、お手柔らかに・・・・。」バーバラは遂に諦めてそう言った。
「こちらこそ、貴方の様な美しい方に助手に来ていただけるなんて。」とボリスが言うと、バーバラも満更でもなさそうな顔で頷いた。こうして、我々のプランA最初の検体ができあがったのだった。
もちろん、次は私の番なのだろうが、そちらは覚悟ができている。生命系魔法とはどんなものなのか?まあ、やってみればわかるだろう。
ふと、目をいまだにそこに立っているゴーレムに向けると、心なしか、ゴーレムが嬉しそうにしているのを感じた。それが全く気のせいではなかった事を、後日私は知る事となる。




