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それら全てを統べるもの  作者: 小川桂興
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第12話 南方の嵐

 鬱蒼とした密林に近い森林。馬鹿みたいな雨量の驟雨。獣が樹の枝の上を飛ぶのが見える。

 邪魔な鎧を脱ぎ捨てて、手槍とナイフ一本をベルトに刺しただけ。息を凝らし、耳を澄ませる。

 カサリと落葉を踏む音が聞こえる。それは段々と近付いて来て・・・・。

 一瞬で大きな木の陰から、俺はその足音の主の前に躍り出る。凶悪な面構えの哺乳類らしき獣。刹那、驚いた様子の獣と目が合う。獣はまず俺を威嚇しようと吼えた。

 全身が震える程の咆哮が轟きわたり、それと同時に投げ放たれた手槍が奴に迫る。驚くべき俊敏さを発揮して、そいつは飛び上がった。俺に向けて。

 手槍は逸れて後ろの大樹にめり込んだ。右手を引き戻し、襲い来る巨大な筋肉の塊に、俺は拳をぶち込んだ。

 グローブについたトリタニウムの鋲が相手の鼻面を殴打し、左手で抜いたナイフが獣の肩の骨を叩き切った。痛みと激怒の中で、奴は夢中で爪を揮った。だが、そんな事で俺の攻撃は止まない。右手で奴の頭にもう一発上から拳を叩き込み、左手のナイフで脊髄を割った。しばらく奴は痙攣していたが、もう命は失せている。

「さあ、今日はたっぷりと食えそうだな。」まずは首を落として血抜きをしないといけない。完全にばらすのは、森を抜けてからだ。


「害獣退治おめでとう。すぐだったわね。」

 重い獲物を背負って森を出たところ、ベゼーラは既に集合地点に戻っていた。鼻の良い彼女は、血の匂いで事情を全て察したのだろう。

「こんな奴くらい、どうって事はない。村の者に来て貰え。この獲物じゃなかったとか言うオチは好かんからな。」

「わかったわ。」俊足のベゼーラは、あっと言う間に視界から走り去った。縄を使って獲物の足を括り、樹の太い枝に掛けて引っ張る。血がぼたぼたと地面を濡らして小さな池を作る。

”道具があったら、血液も無駄にはしないんだが。”、まあ無いものは仕方ない。

「じゃあ一服するか・・・。」背嚢の外に着けてあるスキットルから、とても濃い糖蜜から作った蒸留酒を口につけて呷る。

「旨い!」もう一口。更に旨い!懐かしのブラッドワインとはお別れだが、俺としては強い酒なら何でも旨い。近くの樹の乾いた樹皮を剥いで、細かく刻む。火打石と鉄を打ち合わせて火を起こし、小さな串に燻製肉を刺して炙る。更にもう一口。

 二の腕に付いた傷の痛みが消えて行く。酒で血を洗って、接着軟膏を擦り込む。これで明日には怪我も元通りだ。良い気分だ。


 しばらくしてから、ベゼーラは馬に乗った村の者とこちらに戻って来た。

 ウトウトしていたので、彼女と村の者の会話は聞き取れなかった。

「ルゴラン、あの獣で間違いないって。彼ら驚いてたよ。あんなのは村の大人が総出で狩れないって言ってたから。」

「あんな連中が総出で掛かっても、奴は素早いから逃げただろうな。もしくは数人ずつ殺されて逃げ帰っただろう。」随分酒が回って来たみたいだ。やはり少し眠くなっている。

「ところで、こいつの毛皮は剥いだら立派なもんだと思うがな。連中には入用だろうか?」

「どうでしょね?私も狩人やるなら、毛皮の剥ぎ方とかも覚えないとね。今のままじゃ、射殺した獣を売るだけの、肉屋の下働きにしかならないわよね。」

「違いない。お前は笑い方は覚えられても、肉の食い方は覚えられそうにないからな。この世界では木の実や果物には不自由しないだろうが。」

「お肉を食べたら、私の血の色も緑から赤に変わるのかな?」

「さあな?俺はタークを食べても、タークみたいに四つ足にはならなかったからな。お前も肉を食べても、血は赤くならないと思うぞ。緑のままだろうさ。」

「そりゃそうよね。」彼女の笑い声は極自然なものに聞こえた。むしろ、本当に楽しそうだった。

「よし、それなら、俺たちも村に戻るか。日が暮れるまでには着くだろう。」


 実際には、村の者が引いて来てくれた荷車のおかげで、俺たちは日の高い間に村に帰れた。

 村の入り口には、花を手にした数名の少女が待っており、俺に花束を渡してくれた。若い男や、小さな子供までが並んで、俺たちに歓声を送る。いや・・・これは・・・。

 荷車に載せられた獣の死体を見て、その大きさに皆は言葉を失う。若い息子と家畜を多数失った牧場の主も居て、俺を見て手を合わせる。

「全く・・・こんな奴、大したもんじゃないと言っているのに。何故ここまで騒ぐ・・・・。」

「照れてるの?」

「照れてなぞおらん!別に大した働きはしていないと言ってるだけだ。」俺はスキットルを更に口にしたが、空になっていた。憮然としていると、ベゼーラが横から水筒を出して来た。中身は、例のラム酒とか言う蒸留酒だ。

「ふん。別に大した事はないんだ。俺はもっと、手強い奴を狩りたいだけだ。」


「このたびは、私たちの村を襲うはぐれ魔獣を討伐していただき、感謝の念に堪えません。あ奴が討たれなければ、家畜だけでなく、村の者たちも安心して付近で仕事ができなかったでしょう。これは些少ではありますが、感謝の印といてお納めくださいますよう。」村長と助役たちが役場で俺たちに謝礼を渡すと言って来た。夜には宴も開くらしい。

 見れば、大きな金のコインと銀のコインの鳥目を縄で縛ったものである。革の袋も添えられている。結構な金額ではないか?

「この金で腕の良い狩人たちを雇うつもりだったのか?」俺はそう聞いた。

「はい、それでも、多分あ奴を狩ってくれる者はそう簡単には見つからなかったでしょう。貴方様が通りかかってくれなかったら、何か月も難儀が続いたやも知れません。」

「ふん、あんな奴がそれほど手強いと言うのか?」さっきから二の腕が痒い・・・。

「それはもう。あ・・・・その傷は?」村長が二の腕の傷に気が付いて驚く。

「奴が爪で引っ掻いた傷だ。怪我らしいものでもない。」

「いや、あ奴の傷には猛毒が?」

「やたらと痒いが、その猛毒とやらで人が死ぬとでも言うのか?」

 即座にベゼーラが医療用トリコーダーを取り出して、俺の腕と身体をバイオスキャンし始めたが・・・。「異常なし。肝臓の負担になってるのは、むしろラム酒の方みたいね。アレルゲンや抗体の形成も感知されず。」と言う見立てだった。

 見慣れない金属や樹脂の代物とぴかぴかした光に村長たちは驚いている様だったが、「こいつは妖精族だし、これはお前たちの知らない魔法の道具だ。」と説明すると納得したみたいだ。

「本当に、神話の中に出て来る神の眷属の様なお方だ。逞しく、頼りがいがある。」

「よさんか、あんな奴大した事なかったさ。お前は・・・・。」と見れば、ベゼーラはニヤニヤと笑っている。嬉しそうに・・・。

「ふん、少し酔い覚ましに歩いて来る。」革袋を掴み、それだけ言い捨てて、俺は村の中を歩き始めた。


 ほどなく、ベゼーラが追い付いて来て、横から俺の腕を取った。

「何をしている?」と言って睨んだが、彼女はどこ吹く風だ。コンパスの大きい俺に楽々ついて来る。

「どこに行くつもり?」「どこに行こうと、お前に何の関係がある?」「気になるのよ。」上目使いに、彼女は俺に話させようとするが、俺にその気はない。

 小さな村だが、結構な広さだ。豊かな水量の川には水車が置かれ、小麦に似た植物の粉を生産している。大人が見張る中、川遊びをする小さな子供たち。牧歌的な風景と言って良い。

「あの獣は、こんな平和な村を襲ったのだな。俺に殺されても因果応報と言うものだ。ろくでなしが・・・。」ベゼーラと反対方向に唾を吐いた。二つの切れ長の目が俺を見つめている。

 用事は早く済ませるに限る。橋を渡り、俺は川向こうに向かった。


「ここは魔獣に襲われた牧場よね?」それには答えず、俺は牧場を見回した。壊れた塀、家畜の鳴き声は聞こえるが、それらを外に出してはいない様だ。息子の葬儀は終わった筈だが、家族としてはまだ仕事に出る気になれないのだろう。ベゼーラの手を振り払って、俺は塀を飛び越える。俺の身長よりも高い塀だったが、その程度の高さは何でもない。彼女も同じく塀を飛び越えた。


 牧場内の居住区らしき建物(住居と言うのか?)は、厩舎と畜舎の間にあった。魔獣に畜舎が襲われた際に、真っ先に異変に気付いて飛び出した長男坊が、魔獣の餌食になったらしい。家のドアをノックすると、牧場主の奥方らしい女が出て来た。彼女は俺の目付きと面相に悲鳴を上げて逃げてしまったが、悲鳴を聞いて慌てて走って来た主人は俺の顔を見知っていた。

「お前の息子の仇は討って来た。」俺は革袋から金のコインの束を出すと、玄関口に投げやった。「これは息子の供養金と、失った家畜を買う金だ。俺が村長から貰った金だ。好きに使え。」とだけ言って、そのまま家から辞去した。

 主人は慌てて家から飛び出して来て、何やら喚いていたが、そんな事に取り合う暇はない。塀を再び飛び越えて、俺は村の中心に戻って行く。

 帰り道、ベゼーラは俺の手を取らなかった。振り向くと、ベゼーラはにっこりと、極自然に俺に笑い掛けた。彼女は何も言わなかったし、何も聞こうとしなかった。ただ、俺の後をついて来た。


 村のひときわ高い場所にある大きな堤防と、それを両岸で繋ぐ石造りの橋。その上から村の様子が伺えた。夜に催す宴の会場では、木材が積まれ、篝火も用意されていた。その時だ・・・。

「聞こえたか?」「うん、聞こえた。あいつと同じ獣の吼え声だった。」

「二匹いたのか。番いで流れて来ていた様だな。」「もしくは、誰かが放してここに住まわせたか。」

「村長に会うか。手筈を整える必要がある。」


 村長は、魔獣がもう一匹いると聞いて大きく慌て、畏れた。今回俺が仕留めた魔獣は牡だった。ならば、片割れは雌に違いない。魔獣は夜行性で、しかも手負いとなると必ず人里に報復して来るのだそうだ。村の狩人も同じ事を言っていた。

 身体は獣、心は復讐心溢れる人類並みの執念と憎悪。魔獣とは、小さくても大きくても、人と同じく怨念を抱き、敵対者には報復しないではいられない。そんな代物なのだと言う。

 基本、獣とは不必要な事はしない。生きて、繁殖し、テリトリーを守るだけで満足する。しかし、魔獣は違う。残忍さと人間に対する敵意を生まれながらに内包しているのだと言う。哀れな奴である。全く哀れだ。

「今晩の宴はしばらく延期だな。それと、今回はお前にも援護を頼む事になる。わかったな?」無言でベゼーラは頷いた。瞳孔が猫の様に細くなり、顔が全くの無表情になっている。これが本来の彼女と言う事だろう。

「さあ、狩りの時間だ。」彼女はコクリと頷いた。まるで美しい人形の様に。


 俺は敢えて村長に、血まみれの魔獣の毛皮を村の入り口に広げておくように指示した。牧場その他の川向こうの建物からは、村の中心近くの家に一時避難をして貰っている。

 血まみれの肉塊と、血が乾いていない毛皮。篝火を焚いて、俺は魔獣を待った。普通の獣なら、絶対にこんな挑発は通じない。しかし、魔獣は違う。

 人を襲うようにできているからだ。人を憎むように造られているからだ。人の醜い心と獣の心を併せ持っているからだ。一体、何のためにお前たちは生まれて来たんだ?

 俺も今回は鎧を着ている。額と鉢金の兜も備えている。そして、得物は戦斧と手槍だ。


 奴は来た、真夜中に。奴は足音を忍ばせて、暗がりから俺の方を窺っていたのだろう。その日は風の強い夜で、篝火は大きく揺れ動いていた。闇夜の中で、獣はいきなりベゼーラの放った矢を受けて、苦痛の叫びを挙げた。

 揺らめく炎の様に、ベゼーラが投げつけた塗料が闇の中で発光する。俺は叫び声を挙げる獣に向かって黙って突撃した。走りながら、手槍を30メートル程の距離から投擲する。この距離で、側面からなら必中と言えた。

 肋骨の間から、腹の下に向けて、手槍は貫通し、獣に深手を与えた。ベゼーラもほぼ同時に地球人の発明した武器であるウーメラと呼ばれる槍投げ機を使い、重い手槍を近距離から命中させる。瞬きの間に、俺は残りの距離を駆け抜けて、戦斧を魔獣の頭に叩き込んだ。断末魔の悲鳴すら上がらなかった。

 所詮、魔獣とはどんなに強くてもできそこないの存在である。勇士が魔獣を退治する話が、この世界の各所に多々あるのも頷ける話だ。何しろ、退治される危険よりも、憎悪を優先するのならば、いずれ狩人に狩られる運命を甘受しなければならないだろうから。

「哀れな奴だ・・・・。」俺は魔獣の死体を見下ろしながら呟く。

 俺の目の前にベゼーラが立った。彼女は返り血すら浴びていない。多分、彼女一人でもこの魔獣を仕留めていただろう。「良くやった。お前は本当に役に立つ。」彼女は無言で頷いた。

 彼女は獣の死体に一瞥を投げてから、そのまま俺の腕を取って、村の中心に足を向けた。

「喜怒哀楽の激しさは、その感情とともに実力までも滅ぼす。・・・か。」

「ハムレットよね?貴方たちの種族は何故シェイクスピアが好きなの?」

「何故だろうな。多分、俺の種族が強過ぎる喜怒哀楽の毒素に侵されているのを自覚しているからだろう。そのせいで起きた悲劇を楽しんでいる訳じゃない。きっと、地球人にも自分たちと同じ愚かしさがあるのが不思議でもあり、親近感が湧くのかも知れない。俺が戦斧を武器にしているのも、戦斧がデンマーク人の好んだ武器だからかも知れないが。」

「私の種族も同じよ。ただ、それを表面に出さないだけ。それを感じていない訳じゃない。」

「ふ・・・。お前の様な素直な女が同族に一人でも居るのか?」

「居ないでしょうね。でも、私は私だから。私は自分の心をもっと深く知りたいの。そのためにも、心は隠したくない。少なくとも、貴方にだけは。」

 後の僅かな道のりを、俺たちは黙って歩いた。真夜中の村役場に寝ずに詰めていた村長と役員たち、そして数名の武装した男たちは、俺たちの姿を見て大喜びで駆け寄って来た。

 数か月後には、俺たちの名はシャムター全土に鳴り響く事になる。不死身のルゴラン。そして神弓のベゼーラ。通り名は「南方の嵐」と呼ばれる事になる。

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