98:光の力
魔物の巣である洞窟に入ってからそう時間を置かずにディオナとレオンさんは出てきた。彼らに目立った外傷がないことにホッとしつつ――レオンさんが担いでいる捕獲網に目線がいった。
「今は魔術で眠らせてる」
レオンさんはそう言って捕獲網の“中身”を見せるように一度地面に置いた。
一見するとシンプルな網だが、レオンさんが掴んでいた部分に装飾――なにやら石が埋め込まれていた。その石はピカピカと点滅しており、その度に網に光が走る。もしかすると埋め込まれている石を媒介とし、魔術を網全体に巡らせて強化しているのかもしれない。
網の中で眠っていたのは大型犬ほどの大きさの獣型の魔物だった。毛は心なしかふわふわとしており、一目見て“子供”だと分かる。
ちくりと痛んだ胸に気づかないふりをして、私はディオナたちを見上げた。
「ありがとうございます。これ、よろしかったら」
二人とも大きな傷は見当たらなかったが、疲労しているに違いない。そう思い回復薬を差し出せば、レオンさんとディオナは笑顔で受け取ってくれる。
「ありがとうございます」
そう微笑んだディオナは凛とした美しさをまとっており、先ほどよりもずっと大人びて見えた。
魔物をレオンさんに担いでもらったまま、私たちはリーンハルトさんの家へと戻る。
家の近くに置かれていた檻にレオンさんは魔物を閉じ込めた。その檻には鍵がついている――と思いきや、ついていたのは先ほどまで魔物を入れていた網にも埋め込まれていた石だ。不思議に思っているとディオナのしなやかな手がその石に触れ、彼女は石に力を込めるようにそっと瞼を伏せた。
数秒の後、ディオナが触れた石が光る。かと思うと彼女は私に向き直り、口を開いた。
「簡易的な檻ですが、私の力で封じ込めています。この魔物には到底破れないはずです」
なるほど、ルストゥの民の知恵か、と納得する。どういった作りなのかは分からないが、彼らの光の力を石に込めることで強化しているのだろう。
檻の中ですやすやと眠る魔物を見下ろしていると、
「早速試してみますか?」
投げかけられたディオナの言葉に私は一瞬躊躇ったものの勢いよく頷いた。悩みなんて吹っ切らなければ。
作り置きをしておいた試作品を鞄から取り出して、三人が見守る中、魔物の前足に垂らしてみた。数秒魔物の皮膚をじっと見つめたが――何一つ異常はなし。
「ううーん、やっぱり効果はありませんね……」
「うちの調合台、使いますか?」
すかさず次の言葉をかけてきたジークさんを振り仰ぐ。彼は穏やかな笑みを浮かべていた。
幸い精霊の飲み水は容器に小分けにして持ってきているし、薬草もこの森には数多く群生している。彼の提案にありがたく乗っかることにした。
頷き、家にお邪魔すればアイリスが勢いよく飛びついてきた。留守番をしていて随分と暇を持て余していたらしい、事情を伝えれば目を輝かせて調合室へと私を引っ張っていった。
「あァ、ラウラセンセ。ご無事で」
調合室で出迎えてくれたのはリーンハルトさんだ。彼にも事情を告げると、調合器具の準備を手伝ってくれた後、「どうぞ」とそのまま退出してしまった。
一瞬彼の知恵も借りられないかと期待したが、エルヴィーラの件で色々と忙しいのかもしれない。去っていく背中に声をかけることはせず、私とアイリスは調合を開始した。
「ラウラ、この調合は試したー?」
「それはまだ試してない……かな。アイリス、お願いできる?」
「任せてー!」
持ってきた試作品、そして今までの調合メモと見比べつつ新しい試作品を作っていく。とにかく今は質より量だ。薬草、毒草関係なく、思いついた調合法を試していく。
――ふと調合室の扉が開かれた音がし、私は反射的に顔を上げる。入口近くに立っていたのはディオナだった。
「見学させてもらってもいいですか?」
「え、ええ。もちろん」
突然の訪問に驚きつつも、特に断る理由もないので頷いた。すると彼女はどこか照れ臭そうにはにかんで調合台の近くまでやってくる。
「これが精霊の飲み水なんですね」
邪魔にならないように少し離れた場所から興味津々、といった面持ちでこちらを見つめてくるものだから、精霊の飲み水が小分けにされた容器を一つ、ディオナに渡してみた。すると彼女は覗き込んだり容器を振ったりして、精霊の飲み水を観察しはじめる。
その姿がやけに幼く見えて、私は思わず微笑む。洞窟から出てきた彼女はすでに研ぎ澄まされた美を感じさせて――と、先ほど垣間見たディオナの“光の力”にふつふつと興味が湧いてきた。
対魔物に特化した力。そんな、光の力のような回復薬を生み出せれば、それが一番いいのだが――
「ディオナさんの力って、魔術と似たものですか?」
「そうですね。全く同じではありませんが、似たようなものです」
「どうやって使うんですか?」
「それも魔術と同じですよ。こうやって……」
――その瞬間。ディオナの手の中にあった精霊の飲み水が、光った。
「光った!」
咄嗟に声をあげる。「え?」と首をかしげたディオナに、私は慌てて駆け寄った。
「精霊の飲み水が光りました。今、力を使おうとされました?」
じっと数秒琥珀色の瞳と見つめ合う。突然のことにまん丸になっていた瞳は、徐々に私の質問を理解したのかゆっくりと頷いた。
――ディオナの持つ光の力に、精霊の飲み水が反応した。私の目の錯覚ではないはずだ。
「ちょっ、ちょっと一回、精霊の飲み水に光の力を込めてもらっていいですか?」
「光の力を込める?」
「ええっと……先ほど、檻に力を使ったみたいに、というか……精霊の飲み水に力をしみこませる、ううん、溶け込ませる、というか……」
魔術の才能が一切ない私は、悲しいことに魔術を使うという感覚がわからない。そのためかなり曖昧な説明になってしまったが、どうやら私の言わんとしていることを理解してくれたらしいディオナは、胸元に抱き込むように容器を抱えるとそっと瞳を閉じた。
――瞬間、精霊の飲み水が光る。私の見間違いではない。絶対に。
目を開けたディオナは戸惑いの表情を浮かべて私を見下ろしてくる。何が起こっているのか分からない、といった表情だ。
正直言って私も何が起こったのか、ほとんど分かってはいない。ただ一つ分かっているのは、ディオナの光の力が何らかの影響を精霊の飲み水に与えたということだけ。
私は「すみません」と一言断りを入れて、彼女が持っていた容器を受け取った。
容器の中の液体の様子を見る。刺激臭どころか無臭で、液体の色にも変化はない。実際何も調合をしていないのだから当然と言える。
しかし、何も変化がないとも考えにくい。なにせ、液体が光る、という明らかな反応を見せたのだ。
「もしかしたら……」
私は容器を持って外へと駆け出した。そして檻に閉じ込められた魔物の許へと向かう。後ろからディオナとアイリス、そして騒ぎを聞きつけたジークさんたちがついて来るのを感じつつも、脇目も振らず言葉も発さず走った。
檻の前で立ち止まる。捕らえられた魔物の前で息を吸う、そして。
「ごめんね」
吐き出す息と共にそう呟いて、容器の中身を魔物の前足にかけた。瞬間――魔物の唸り声が耳を劈く。
驚きに思わず尻餅をついてしまった私を、後ろに控えていたディオナが引きずるようにいくらか後退させてくれた。驚きに目を見開きつつも見やれば、魔物の足は焼け爛れてしまったかのように――溶けていた。
「光の力が精霊の飲み水に……反応した?」
ぽつり、と呟く。じわじわと現状を理解し始める。
どう表現するのが正解なのだろう。精霊の飲み水に光の力が反応した? 溶けだした? 調合できた? 何はともあれ、今までにない反応を示したのは明らかだ。
思い出す。精霊の飲み水――もとい、精霊たちはルカーシュの勇者の力に反応しているようだった。実際ルカーシュがいなければ精霊の飲み水の発見には至らなかっただろう。
勇者の力、そしてそれに似ている光の力と、精霊の力は相性がいいのかもしれない。そうだ、その可能性は十分ある。
精霊の飲み水に光の力を調合する――適切な表現が見つからないが、ともかく精霊の飲み水に光の力を反映させる――ことができたのなら、それは対魔物用のアイテムとして大いに役に立つことだろう。毒薬のように人間に悪影響を及ぼすこともなく、おそらくは毒薬より魔物に対して大きな効力を見込むことができる。
それに、それだけじゃない。
(光の力に反応したなら、勇者の力も、もしかしたら)
魔王を退けるための勇者の力もまた、精霊の飲み水にその力を反映させることができるかもしれない。そして精霊の飲み水を媒介とすることで、安全に体内に取り込むことができたなら、エルヴィーラの治療にも――
目の前がひらけた気がした。




