92:聖水
アルノルトの答えをリーンハルトさんに伝えたその翌日、再び終業後の応接室で話し合いが行われることになった。
リーンハルトさんとアルノルトが机を挟んで向かい合うようにして座り、私はリーンハルトさんの隣に座る。そしてこの話し合いに参加しているのはもう一人、アルノルトの数歩後ろに控えているカスペルさんだ。
「万が一のことを考えて、万全の態勢で臨みたいと考えています」
アルノルトの言葉にリーンハルトさんは大きく頷く。万全の態勢で臨みたいのはルストゥの民も同じだろう。
リーンハルトさんは懐から地図を取り出し、机の上に広げてみせた。そして地図のある一点を指さして「ここです」と呟く。
「場所は今のところ我々の街の神殿を想定してるンですが、ご希望はありますか?」
どうやらリーンハルトさんが指さした場所はルストゥの民の街らしい。目を凝らして地図を見れば、王都・シュヴァリアから東に向かった先、海の近くに街はあるようだった。おそらくはエメの村より王都に近い。
「護衛は?」
「神殿内、外、どちらにもルストゥの民を配置します。中でも力の強い者はエルヴィーラさんを囲むように並び、異変があればすぐに駆け付けます」
リーンハルトさんの言葉をもとに、脳裏になんとなくのイメージ映像が浮かぶ。
神殿の中心にエルヴィーラ、その周りに円になるような形でルストゥの民が配置されるようだ。なぜか私の頭はエルヴィーラの足元に魔法陣を描いていたが、そのイメージ図はあながち間違いではないかもしれない。
不意にリーンハルトさんが私に目線を向けてきたかと思うと、
「ラウラさんに勇者・ルカーシュに声をかけてもらってるンですが、彼にはエルヴィーラさんのすぐ近くに待機してもらう予定です」
幼馴染の名前の前につけられた、勇者という肩書きにどきりとした。彼はこれからその肩書きを背負わされることが増えていくのだろう。
ちなみにルカーシュには既に手紙を書いて今回のことは知らせている。まだ返事はないが、彼ならばきっと力を貸してくれるはずだ。
アルノルトは私を一瞥してから再びリーンハルトさんに向き直る。
「場所はあなた方が言う神殿で異論ありません。しかし一つだけ条件を出させてください。シュヴァリア騎士団も護衛にあたらせて欲しい」
「もちろンです」
アルノルトが出した条件にリーンハルトさんは躊躇いなく頷く。ルストゥの民だけでなくシュヴァリア騎士団も集まるとなると、それなりの大所帯になりそうだ。
場所は決まった。お互いの要望も問題なく受け入れられた。となると、次は――
アルノルトは再び口を開いた。
「決行日は?」
「エルヴィーラさんの体調を第一に。準備には五日ほど頂ければ」
リーンハルトの言葉に対しどう答えるのかと、視線が自然とアルノルトへ向く。彼は数秒考え込むように顎に手をやって、しかしそう間を置かず答えた。
「ならばこちらから改めて声をかけさせてください。まだ何も準備できていない」
「はい。……当日の流れとしては、エルヴィーラさんにルストゥの民が力を使います。それによってどう変化が起きるのか、それを見極めたい」
言葉には出さず、しかし確かにアルノルトは頷いた。それを見届けてリーンハルトさんは立ち上がる。その横顔はどこかほっと安堵したように見えた。
リーンハルトさんに続くようにアルノルトも立ち上がる。ともなれば私も自然と席から立ち、二人から数歩離れた。――瞬間、カスペルさんの姿が目に留まる。
彼は真剣な表情でリーンハルトさんを見つめていた。表情が冷たい、という表現は些か適していないように思う。どちらかといえば、リーンハルトさんを見定めるような表情に私には感じられた。
「協力に感謝します、アルノルトさん」
「こちらこそよろしくお願いします、リーンハルト殿」
目の前でアルノルトとリーンハルトさんが握手を交わす。ようやく本当の最初の一歩を踏み出せそうだと安堵し――しかしこれからが本番なのだと気を引き締めた。
エルヴィーラの体の中に身を潜めている復活前の魔王。それによって引き起こされている自壊病。うまくいけば、大元である魔王を封印できるかもしれない。
成功でも、失敗しても、どちらに転んでも今回は大きな一歩になるだろう。まずはこの一歩を踏み出さなくては。
***
リーンハルトさんが退出後、彼を追うようにカスペルさんも応接室を後にした。もしかすると、今頃二人で話し込んでいるのかもしれない。
一方で、私とアルノルトは応接室に残ったままだ。特に会話するわけでもなかったが、お互い先ほどまでの緊張が解けたこともあり、心地よい沈黙だった。
「――……万全を期するといっても、何を備えればいいのかが分からない」
深く椅子に腰掛けて、アルノルトは空を仰ぎ見る。彼の切実な言葉に再び空気が重くなったように感じた。
アルノルトの言葉はもっともだ。シュヴァリア騎士団に護衛を依頼した上で、更に私たちに出来ることと言えば何があるだろう。
「精霊の飲み水の補充に回復薬の調合、勇者の力はルカーシュを頼るしかありませんし、あとは――……」
「特別な力を持たない魔術師の技が魔王に通用するかだな」
心の中でそれは心配ないのではないか、と思いつつも「そうですね」と相槌を打つ。
パーティーメンバーにも魔法を使う仲間はいたが、彼はいたって普通の魔術師だったはずだ。何よりエルヴィーラの魔法は魔王戦においてメイン火力となっていた。万が一、本編で明かされていない裏設定――パーティーメンバーは全員特別な血を引いているとか――があったとしても、アルノルトはエルヴィーラの兄であるから問題はないのではないかと考えているが、甘いだろうか。
(魔法の他に、魔王に対抗できるもの……魔物にダメージを与えられる”アイテム”……)
考え、前世の記憶を遡り――ふと脳裏に浮かんだのは、「ラストブレイブ」の戦闘画面。
“私”は戦闘画面でアイテムメニューを呼び出し、とあるアイテムを選択した。そうすればキャラクターが戦闘中の魔物に向かってアイテムを投げつける。すると魔物にダメージが入り、戦闘は終了した。
ダンジョンで迷った結果、戦闘中に仲間の魔術師のMPが尽きてしまったのだ。それだけでなく回復薬もほとんど尽きており、何かないかと藁にも縋るような思いでアイテムメニューを開いた私の目に飛び込んできた”それ”。確かダンジョンの中でのみ手に入り、道具屋では買えなかったと記憶している。
所持数の少なさに一瞬躊躇ったが、他に手立てはなく思い切って使用したのだ。そうしたら期待以上のダメージが出た。驚いたからよく覚えている。そのアイテムの名前は――
「――あ、聖水」
そう、魔物にダメージを与えられるアイテム【聖水】が存在していたはずだ。対魔王戦では使用したことがなかったため魔王にも通用するかは分からないが、試してみる価値はあるかもしれない。
「聖水?」
思わず口からこぼれてしまった単語をアルノルトは聞き逃さなかったようだ。黒の瞳がこちらを向く。
今回思い出した【聖水】についてはまだまだ記憶もあやふやで、ダンジョン内の宝箱等から入手するアイテムだ、この世界に存在するかどうかも怪しい。ゲーム内のシステム・調合で生成できた覚えもない。今世にはダンジョン内の宝箱、なんてものは存在しないだろう。となると精霊の飲み水のように自然の中に存在しているか、もしくは――それに似た存在を、調合で作り出すか。
とにかくまだ報告できるほどの情報ではない。情報ですらないだろう。そう判断し、咄嗟に誤魔化そうと口を開いたのだが、
「い、いえ、なんでも――」
じろり、と睨まれて苦笑する。隠すことは許さない、と言いたげな表情だった。
私は観念して口を開く。
「なにで読んだかは忘れてしまったんですが、悪しき魔物が嫌う、聖なる水があるという記述を読んだ覚えがあって」
当然前世で知りました、などと言えるはずもなく、それらしく聞こえるように嘘を交えて伝える。するとアルノルトは興味深そうに、椅子の背もたれに沈みこませていた体を起こした。
「精霊の飲み水とはまた別のものか?」
「そうだと思うんですけど……後で落ち着いて記憶を辿ってみます。何か思い出したらお伝えしますね」
私の言葉にアルノルトは頷き、それきり会話は途切れる。しばらくは己の本物の記憶力と戦わなければならない。【聖水】についてどこまで思い出すことができるだろうか。
応接室の入口を見やる。あの扉を開けこの部屋を出れば、また忙しく走り回ることになるだろう。
己を激励するように頬を軽く叩く。そして一歩、踏み出した。
【書籍版2巻発売・コミカライズ版連載開始のお知らせ】
いつも拙作を読んでくださりありがとうございます。
「勇者様の幼馴染〜」書籍・コミカライズについてのお知らせです。
今週初めに既に活動報告にてご報告させていただきましたが、「勇者様の幼馴染〜」2巻が【3月10日】、カドカワBOOKS様より発売になります!
2巻を発売できますのも、お手に取ってくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございます!
発売中の1巻と合わせて、ぜひ2巻もよろしくお願い申し上げます。
そして2巻発売に合わせて、FLOS COMIC様にて3月6日(金)よりコミカライズ版が配信開始となります!
ほんの少しだけお手伝いさせて頂いておりますが、小説版とはまた少し違った「勇者様の幼馴染〜」をお楽しみいただけるのではないかと思っております。
一読者として私もとても楽しみです!
「勇者様の幼馴染〜」2巻、コミカライズについて詳しくは活動報告をご覧ください。
今後とも「勇者様の幼馴染〜」をよろしくお願い申し上げます!




