91:それぞれの想い
私の隣にはリーンハルトさん、そして前にはカスペルさんとアルノルトが立っていた。
――ささやかな遠征研修終了後の朝、王城へと帰る私たちにリーンハルトさんもついてきた。アルノルト、そしてエルヴィーラへの協力を請うためだ。
私たちは研修から帰ったその足でアルノルトの許を訪れた。そして交渉の場を、業務終業後の夕方に取り付けたのだ。
「――状況は理解した。すまないが……内々で相談させてくれないか」
リーンハルトさんが全てを説明し終えるなり、アルノルトは静かにそう言った。私の隣に立つリーンハルトさんはゆっくりと頷く。そして琥珀色の瞳が私に向けられたのを感じて、私はリーンハルトさんに向き合った。
「でしたら、私はリーンハルトさんを宿屋までお送りしてきますね」
アルノルトもカスペルさんも今までになく険しい表情をしている。それも当然だ。部下がいきなりルストゥの民だとかいう未知の一族を連れてきたかと思いきや、その男性の口から魔王の存在を知らされたのだから。
私も“私”の記憶がなければ戸惑い、告げられた事実を飲み込むのに時間を要しただろう。彼らにもしばらく考える時間が必要なはず。
そう思い、私はリーンハルトさんと共に退出しようと踵を返す。その瞬間、
「アンペール、リーンハルト殿を案内したら戻ってきてくれ」
背中にアルノルトの声がかけられた。
半歩振り返り、頷く。しかしアルノルトはもうこちらを見てはいなかった。
リーンハルトさんを連れ、宿屋への道を行く。その最中、彼は何も言わなかった。気まずい沈黙に何度か話題を提供しようかとリーンハルトさんの横顔を盗み見たが、彼もまた、考え込んでいるような険しい表情をしていて。
ルストゥの民からしても、今回のことは賭けに近いはずだ。
結局真剣な表情のリーンハルトさんに気の利いた言葉をかけることはできず、一言も言葉を交わさないまま宿屋で別れることになった。
「アルノルトの判断が決まりましたら、またお知らせします」
「あァ。……いや、よろしく頼みます」
リーンハルトさんは依然私に罪悪感に似た感情を抱いているのだろうか。一瞬砕けた口調で応えたかと思いきや、すぐに礼儀正しく頭を下げた。
沈みゆく夕日をぼんやりと眺めながら、わざとゆっくりとした足取りで王城への道を行く。恐らく今アルノルトとカスペルさんは頭をフル回転させ、相談しているに違いない。
しかしいくらゆっくり歩いたところで近い距離だ、あっという間に先ほどの部屋の前までたどり着いてしまった。一瞬躊躇ったが意を決して扉を叩くと「入れ」とすぐさま中から返事があった。
「失礼します」
「アンペール、どう思った」
部屋に入るなり、息をつく暇すら与えられずに投げかけられた問い。待ち構えていたようだ。
落ち着くためにも一呼吸おいて、私はゆっくりと答えた。
「ルストゥの民の話に矛盾点は現状見当たりませんし、試してみる価値はあると思います」
「そのルストゥの民とやらは信用できるのか?」
睨みつけるような鋭い視線だった。
アルノルトからしてみれば、最愛の妹の中に魔王が巣くっているなんて信じたくないだろう。それも、いきなり現れた一族が突然言い出した話だ。疑うのも無理はない。
“私”は「ラストブレイブ」の物語を知っているから信じられた。前世の記憶が彼らを信じる根拠になった。しかしこの根拠は“私”だけに通じるのであって、当然アルノルトたちには通じない。
「彼らはルカーシュの勇者の力を知っていましたし、自壊病の患者も長きにわたってずっと見守ってきたのは確かです。過去の患者のことも教えていただきました」
「突然現れて、神の使いだの魔王だの言われても正直なところ胡散臭さしか感じないっすけどね」
不意にカスペルさんの冷静な声が割って入った。慌ててそちらを見れば、ひやりと冷たい紫の瞳と視線がかち合う。
カスペルさんはどうやら、ルストゥの民に良い感情を持っていないらしい。それが一目見て分かる表情だった。
「まぁ、それを向こうも自覚しているからこそ今の今まで協力を持ちかけてこなかったんでしょうけど」
カスペルさんの物言いに、私は面食らってしまう。
彼がここまで誰かに対しての悪感情をのぞかせたのは今回が初めてだ。カスペルさんは口調こそ軽いもののその実いつだって冷静で、ここまで悪意を口調や表情にのぞかせることはなかった。
私が答えられずにいると「でも」とカスペルさんは続ける。
「魔王云々の話が本当だとしたら、オレたちではもう手に負えないレベルの話になってきてるっすよ。彼らの手を借りずにエルヴィーラちゃんを助けるのは難しいっす」
その言葉はもっともだった。アルノルトもそう感じたのだろう、顎を引いてカスペルさんをじっと見つめる。
「どの道を選んだにしろ、できる限りのバックアップはするっすからその点に関しては安心してください。アルノルトたちの判断に任せるっす」
そう早口で捲し立ててカスペルさんはそれきり口を閉ざしてしまった。それだけでなく、彼は部屋から退室してしまう。
カスペルさんが閉めた扉をぼんやりと見つめていると、背後でぎしりと木が軋む音がした。振り返れば、アルノルトが椅子に腰かけ頭を抱えるように俯く姿が視界に飛び込んでくる。
「魔王……神の使い……。なぁアンペール、本当に存在すると思うか?」
「……今、魔物が急速に力をつけ始めているのは事実です。それは魔王復活の兆しと言えるかもしれません。プラトノヴェナで出会った魔物が『あの方の復活はすぐ目の前に』と死に際に残したと、アルノルトさんも仰っていたじゃないですか。あの方とは魔王のことを指していたのかもしれません」
できるだけ冷静に、感情論ではなく過去の事実を述べようと試みる。
そう、魔王復活までのイベントは既に起きているのだ。そしてそのイベントにはアルノルトも巻き込まれている。プラトノヴェナの件に関しては、彼も不思議がっていたはずだ。
アルノルトは応えない。考え込んでいる様子の彼に、私は再び言葉を投げかけた。
「ルカーシュの不可解な力も、魔王を倒すために与えられた勇者の力なのだとルストゥの民は言っていました。幼馴染に突如として宿った不思議な力も、彼らは把握していました」
そこで一旦言葉を切る。数度深呼吸をして、再び口を開いた。
「説明は、つきます。今までの出来事と、彼らが言っていることは結びつけられます。でも……結びつけられるだけです。信じて大丈夫だという絶対的な証拠はありません」
アルノルトを見る。彼は未だ動かない。
どうにかして、アルノルトを説得しなければならない。この試みが絶対に成功するとは言えないが、そもそも成功するか失敗するか、それが分からなければこの場で足踏みするだけだ。前に進めない。
「確かに今は精霊の飲み水によって症状を抑えられていますが、ルストゥの民の言うことが本当だとしたら、この先何が起きるか誰にもわかりません。ルストゥの民の言葉を信じずにこのまま精霊の飲み水だけを処方した結果、エルヴィーラちゃんの身に何かあったらと思うと……それが一番怖いです」
アルノルトは顔を上げ、こちらを見た。私は黒の瞳をじっと見つめながら、言葉を続ける。
「もしあの時ああしていたら……なんて後悔だけは絶対にしたくありません。できることがあるなら、やっておきたい。自壊病で命を落とす人を、これ以上増やしたくないんです」
視線が絡んだ黒の瞳から視線を逸らさず、ゆっくりと言う。それは紛れもない、私の本心だった。
――エルヴィーラは絶対に死なせない。これ以上、自壊病というこの世界の理不尽に命を奪われる人を見たくはない。
アルノルトは再び俯き、深く刻まれた皺を伸ばすように眉間を揉んだ。そして大きく息を吐き、考えこむように再び俯く。
沈黙が落ちる。永遠にも感じられる長い長い沈黙の後、アルノルトは「そうだな」と小さく顔を上げる。
「この日の選択を後悔したくはない。万全を期して臨もう」
――その声に迷いはなかった。
腹を決めたアルノルトの行動は早い。すぐさま椅子から立ち上がると、そのまま足早に扉に向かった。
「騎士団に協力を要請する。場合によっては、この世界が巻き込まれるかもしれない」
アルノルトの言葉にドキリとする。しかしすぐに頷いて応えた。
これからは最悪の場合を想定して動かなければならない。準備には時間がかかるだろうし、私もできるだけの備えをしなければ。
まずはルカーシュへの声かけ、そして精霊の飲み水の補充を行うべきだろう。それから――
「……すまない」
ぽつり、と落とされた言葉に私はぱっと顔を上げる。するとドアノブを握り、今にも退室しようとしている様子のアルノルトと目が合った。
「頼りにしている」
眉尻を下げて、どこか困ったように――照れ臭そうに、アルノルトは微笑した。初めて見る表情だった。
***
宿屋にいるリーンハルトさんにアルノルトの答えを伝えるべく、私は足早に王城の廊下を歩いていた。中庭を抜け、両開きの扉を開け、城門をくぐり――
「ラウラちゃん」
背後から呼び止められた。
反射的に振り返る。その先にいたのは――
「カスペルさん……」
「急いでるところすみません。一つだけ聞いてもいいっすか?」
先ほどよりも更にトーンが落ちた声だった。
思わず身構える。眼鏡越しの淡い紫の瞳が、今までになく冷たく感じられた。
「ルストゥの民が今の今まで、自壊病の本当の原因を隠してきた理由は聞きましたか?」
――カスペルさんの問いかけに、この短い時間で彼はその事実に辿り着いてしまったのだと息を飲む。やはり彼は優秀な調合師だ。
一瞬躊躇って、しかし誤魔化すわけにはいかないだろうと素直に口を開いた。
「復活した魔王に対抗することができるのは、勇者だけです。勇者がいない時代に、大人しくしている魔王を万が一にも刺激しないよう――」
「人間たちに治療させないように、意図的に情報を隠していたんですね」
決定的な言葉を私が口にする前に、カスペルさんの声が遮った。こちらを見る瞳は真剣そのもので、普段とのギャップに私は頷くことしかできない。
沈黙が落ちる。カスペルさんとお師匠の間にどのようなことがあって、なぜ今疎遠になっているのかは分からないままだ。しかし間違いなく、彼は自壊病の存在を、そして自壊病によって亡くなったお師匠の孫・アネットさんの存在を知っている。
カスペルさんは一体今、何を考えているのだろう。
「……あの、カスペルさん?」
俯いてしまったカスペルさんに数歩歩み寄る。そして顔を下から覗き込んだその瞬間、彼は歪に口角を上げた。
「理解できるだけに、遣る瀬無いっすねぇ。この世界にとって勇者という存在はあまりに大きすぎて、他人事ながら怖いくらいだ」
カスペルさんの言葉にどきりとした。
――勇者という存在が大きすぎる。
それはこの世界の核心を突く言葉だった。この世界は勇者のために作られた、勇者が全ての中心となる世界なのだ。全ての過去は勇者がこの世界に干渉する本編のための土台であり、全ては本編に収束する。
しかし勇者――ルカーシュもまた、運命に翻弄される一人の少年だ。
「まっ、ルストゥの民の皆さんが仰っていることが本当なら、の話っすけど」
そう言ってカスペルさんはあははと笑う。その笑顔はすっかり普段の彼のものだった。それだけに、先ほどまでの冷たい紫の瞳が脳裏にこびりついてしまう。
カスペルさんはもう一度、きゅっと口角を上げると、
「頑張りましょうね、ラウラちゃん」
そう言葉を残し、踵を返した。
去っていく背中を見送る。疲れたように見える、猫背の背中。
彼も自壊病を憎む一人なのではないか――そう思いつつも、とにかく今はリーンハルトさんにアルノルトの意思を伝えるべきだと私は駆け出した。




