09:王都・シュヴァリア
――王都・シュヴァリア。
今日は、アルノルト・ロコが受ける王属調合師の試験に同行させてもらう。2年後の予習だ。
アルノルトと出会ってから、3年。私は12歳になっていた。
この3年間、彼と会っていない。しかしどうやらお師匠とメルツェーデスさん――アルノルトのお師匠様――は定期的に連絡をしていたらしく、その中でお互いの弟子のことも情報交換しあっていたという。お師匠はしばしば私に「アルノルト、頑張っておるようじゃぞ」などと報告してきた。
お師匠が言うには、アルノルトにとって今日の試験は簡単すぎるらしい。あれからアルノルトは一層勉学に励み、天才少年との評判を欲しいままにしてきたのだとか、なんとか。
私も、順調に調合師としての知識と技術を身につけてきている。薬草の種類はほぼほぼ頭に叩き込んだし、基本的な調合・ある程度の応用が用いられた調合であれば目を瞑ってもできる――実際は危険なので絶対にそんな真似はしないが――と自信を持っていた。
難しいとされる複雑な調合も順調に成功させているし、お師匠の代わりにエメの村の人たちの回復薬を作ったことだって幾度もある。
そんな私をお師匠は「相変わらず教えがいのない弟子じゃのう」と笑った。そして「今試験を受けても、首席で通るじゃろう」なんて、これ以上ない褒め言葉もいただいて。
つまり、今日は2年後の下見といいながら、ほぼほぼ観光気分で王都・シュヴァリアにやってきた。
お師匠と、私。そして、もう1人。
「ラウラ、大丈夫?」
「うん、ありがとう」
馬車から降りる際、目の前に手が差し伸べられる。その手をとり、手を差し伸べてくれたその人――ルカーシュに微笑んだ。
12歳になったルカーシュは、3年前と比べると随分と大人びた、垢抜けた印象だ。幾分か幼さが削がれ、男らしさが加わったように思う。あくまで3年前と比べれば、の話で、まだまだ中性的な顔立ちと言えるのだが。
3年前はそこまでなかった私との身長差も、最近少しずつひらき始めている。すらっと伸びた手足に、大きくなった手のひら。これからどんどん背が伸びていくんだろう。詳細なプロフィールの数字は覚えていないが、「ラストブレイブ」開始時の身長は175cmぐらいだったように記憶している。
あれから、ルカーシュとは以前の“特別仲がいい2人”に戻ってしまった。もちろん他の子たちとも遊ぶが、2人でいる時間の方が多い。しかしそのことを憂うことはなかった。
ルカーシュは大切な幼馴染。幼馴染と仲が良いのは当然だろう。ただ――恋仲にはならない。そう、それだけの話だったのだ。それを私が神経質になりすぎていた。
今回ルカーシュは、私が王都に行くと話すとすぐさま一緒に行きたいと言い出した。勇者として旅立つ前にルカーシュを王都に連れていってもよいものかと悩んだが、ルカーシュのご両親、そして話を聞いたお師匠から「一緒にいってやれ」と言われてしまい、私にはもはや拒否権がなかったのだ。
一緒に行こうと告げた際、ルカーシュはとても嬉しそうに笑ったものだから、この笑顔でチャラにしようか、なんて思ったりもして。
「ベルタさんも」
「おぉ、すまんのう」
ルカーシュはお師匠にも手を差し伸べる。その手を取ったお師匠と目線が絡んだ瞬間、彼女は口元をにやけさせた。大方、ルカーシュのことを私の「騎士様」だとか思っているんだろう。
その視線を受け流して、私は王都の街並に目をやる。
「すごい……」
右を見ても左を見ても豪勢な建物が並んでいる。屋根や壁など外装には統一感が見られ、街全体がひとつの芸術品のようだった。
飛び交う声に、どこからか聞こえてくる軽快な音楽。景色が色に溢れている。「ラストブレイブ」をプレイ中も思ったことだが、実際に王都を目の前にすると情報量が膨大で、目が回りそうだ。
すっかり王都の雰囲気に飲まれてしまった私の手を、ルカーシュが握った。そしてそのままその手を引っ張られる。
「ここの宿屋じゃ」
お師匠が大きな建物の前で足を止めた。この建物――宿屋には見覚えがある。かつては“私”も、この宿屋に240マドカを払って泊まったものだ。
見覚えのある入り口をくぐり――広いロビーに待ち人を見つけた。
淡い緑の髪を揺らす美しい女性、メルツェーデスさんがこちらに向かって手を振っている。浮かべられた微笑は3年前と全く変わらない美しさだ。床につきそうなぐらい長かった髪は、今日は編み込みに編み込みを重ねて、とてもボリューミーながらあげている。
そして、メルツェーデスさんの横に立つ黒髪の男の子、アルノルトは――冷たさすら感じる美形具合に磨きがかかっていた。
「ラウラちゃん、お師匠様、お久しぶりです」
駆け寄り、3年ぶりの挨拶を交わす。
自然と私とアルノルトの距離も縮まった訳だが、
「……わぁ」
14歳になったアルノルトは、近くで見れば見るほど美少年だった。
3年前より鋭さを増した瞳に、相変わらずしゅっと通っている鼻筋。引き結ばれた唇の曲線すら美しい。輪郭からは完全に丸みが削ぎ落とされ、体つきも角ばってきているように見える。身長も随分とのびた。
相変わらず彼は、私が知る中で一番綺麗な男の子だった。
「なんだ、その変な声は」
声変わりもすっかり終えたようだ。
「いえ。なんか……雰囲気変わりましたね」
私のその言葉を受け流して、アルノルトは問いかけてくる。
「調合師の勉強、怠けてないだろうな」
「はい、もちろん」
王属調合師を目指し、日々勉学に励んでいる。それは3年前と変わらない。
私の、調合師に必要な知識に対してだけ発揮される異様な記憶力をもってすれば、すぐに調合師の勉強なんて終わってしまうのではないかと甘く見ていた時期もあった。けれど調合師の勉強に限りはない。常に新しい調合法が発見されているし、すでに使われている薬草から煎じ方によって新たな効力が発見されることもある。
俗っぽい言い方をすれば、調合に関してはチートに近い能力を持っている私でも覚えることにきりがないと思うぐらいなのだから、普通に勉強している人からしてみればとんでもなく大変だろう。
「俺は一足先に王属調合師になる。試験に落ちでもしたら、許さないからな」
「は、はぁ……」
まだ試験を受けていないというのに、すでに受かった気でいるアルノルト。優秀なのは分かっているが、なかなかにすごい自信だ。それだけこの3年間頑張って来たということか。
「君がルカーシュくんね? 私はメルツェーデス、こっちがアルノルトと言うの。よろしくね」
メルツェーデスさんが私の後ろに立っていたルカーシュに気がつく。
今まで黙って存在感を消していたルカーシュが、慌てて前に出た。
「は、はい。僕はルカーシュ・カミルです、よろしくお願いします」
「あらあら、可愛いわね。ラウラちゃんの幼馴染なんでしょう? 話は聞いているわ」
メルツェーデスさんに優しく微笑みかけられて、ルカーシュは顔をわずかに赤らめながらも頷いた。私が彼だったら今の微笑みで恋に落ちていたかもしれない、なんてくだらないことを考えながら、なかなか見られない幼馴染の照れ顔を微笑ましく見守る。
ルカーシュはアルノルトと目があったらしい。数歩アルノルトの方へ歩み寄ると、右手を差し出す。そして人好きのする笑顔を浮かべた。
「よろしくお願いします」
アルノルトは差し出されたルカーシュの手を一瞥し、その手を握る――
「……“僕”って一人称が良く似合う坊ちゃんだな」
と思いきや、開口一番に嫌味を口にした。
アルノルトは初対面の私にも悪意を向けてきた。けれどそれは同じ調合師を志す、謂わばライバルとして私に嫉妬していたからだ。
しかしルカーシュは違う。アルノルトとなんの共通点もない、全くの他人だ。それなのにまさか、いきなり嫌味を言ってくるなんて。
しかもよくよく見れば、アルノルトの口角があがっているではないか。明らかにルカーシュを馬鹿にしている。それにしても、初めて見るアルノルトの笑顔がこれとは。
3年前はもう少し可愛げがあったように思う。年相応の子供らしさがあった。この3年で、また一段と歪んでしまったのか。
「アルノルト! ごめんなさい、ルカーシュくん。こいつ、人見知りな上に口が乱暴で……」
メルツェーデスさんが慌てて口を挟む。しかしアルノルトは自分の師匠の言葉を遮るようにして、私に問いを投げつけてきた。その声音は明らかにイラついている。
「アンペール、なんでこんな奴を連れてきた。部外者だろ」
その問いに、私はなんと答えればいいか一瞬の躊躇いをみせる。
なぜと言われても、深い意味はないだけにうまい返しが見つからない。それにアルノルトの様子から察するに、ここで迂闊な返答をしてしまえば今でさえ悪い機嫌を更に損ない、面倒なことになりそうだ。
躊躇う私にかわって、
「ラウラを守るためだよ。そのためについてきた」
強い口調でルカーシュが答えた。途端、2人の間に険悪な空気が流れる。
――この2人は、合わない。
直感的にそう感じた。
アルノルトは明らかに気が強い。そしてルカーシュも、一見穏やかな性格をしているが、芯の強い性格をしている。これと決めたことに関しては頑固なところもある。
気が強い者同士、全員が気が合わないということはないだろう。しかしこの2人は明らかに、合わない。
一触即発の空気に私は何も言えなくなってしまう。
そもそもアルノルトが挨拶もなしに喧嘩をふっかけたことが始まりだ――そう思い、視線をアルノルトにやると、彼の黒の瞳がわずかに見開かれた。その視線はルカーシュの瞳に向けられていた。――いや、違う。ルカーシュの左目に浮かぶ紋章に向けられているのだと、気がついた。
「……その左目はなんだ?」
嫌味を言おうとしたのではない、思わず口から疑問が溢れてしまった、というような口調だった。しかしその言葉に、ルカーシュが明らかに動揺を見せた。
――ラウラはこの力が、怖い?
3年前の言葉と、怯えたような青の瞳が脳裏に蘇る。そして半ば反射的に、自分でも無意識のうちにルカーシュとアルノルトの間に身を滑り込ませていた。
「アルノルトさん、幼馴染を悪く言わないでください。ルカは私が心配でついてきてくれたんです」
私の言葉に、アルノルトは眉をひそめた。そして口を一瞬開きかけたが、何も言わずにその場から踵を返す。そして宿屋の奥へと消えていった。
――まったく、一体なんだったんだ。
アルノルトが消えていった方向に視線をやりながら、心の中でぼやく。到着早々のトラブルに、私は頭を抱えるしかなかった。