表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
83/178

83:琥珀色の瞳




 一人調合室で準備をしていると、扉がリズミカルに叩かれる。一瞬バジリオさんかと思ったが、それにしては扉を叩く音が軽やかだった。彼はもっとゆっくり、丁寧すぎるぐらい丁寧なノックをする。

 誰か見当が付かないまま、どうぞ、と返事をする。すると、




「ラウラちゃん、失礼するわ」




 調合室へ入ってきたのは、アルノルトの師匠であり現在エルヴィーラの世話を見ているメルツェーデスさんだった。

 彼女はエルヴィーラの付き添いで度々この調合室にもやってきていたが、こうして一人で私の許を訪れるのは王都に来てからというもの初めてだ。一体どうしたのだろう。




「メルツェーデスさん、おはようございます」


「早くにごめんなさいね。エルヴィーラからの伝言で、明日から数日、調合の勉強をお休みしたいって」




 明日から、ということは今日は来るのだろう。エルヴィーラが抜けるとなるとここ最近行っていた研修の形はとれなくなるな、と考え、明日以降の予定を組み立てなおす。

 そうだ、お師匠に後輩二人を紹介しようか、などと思いついたところで、メルツェーデスさんがぎゅっと眉間を寄せて申し訳なさそうな声音で言った。




「本当にエルヴィーラが我儘を言ってごめんなさい。あの子のせいで、新人の子たちにも迷惑がかかっているでしょう」




 大きく腰を折るメルツェーデスさん。そのせいで美しく長い髪が床についてしまっているのを見て、私は慌てて「顔をあげてください!」と声をかけた。しかし彼女は腰は折ったまま、顔だけ僅かに上げて私を見上げてくる。

 髪先は未だ、床に触れたままだ。




「休日にもラウラちゃんに付き合ってもらったって聞いたわ。毎日毎日、迷惑かけてばかりで――」


「迷惑だなんて思ってません!」




 メルツェーデスさんの言葉を遮るように、はっきりと言う。

 明るく朗らかな彼女らしくない、と思った。慣れない土地で自由に振る舞う娘のような存在に手を焼いているのかもしれないが、それにしてもメルツェーデスさんはこうも暗い顔をするような女性ひとだっただろうか。

 ――そこまで考えて、メルツェーデスさんもまた、この地に複雑な感情を抱いている一人なのかもしれない、と思い至った。

 父がベルタお師匠の弟子であったメルツェーデスさん。自壊病で命を落としたお師匠の孫・アネットさんとも仲良くしていたようだし、カスペルさんのことをカスペル坊やと呼んでいた。具体的にどこでどのように過ごしていたのかは知らないが、メルツェーデスさんの父が王属調合師であるお師匠に弟子入りしていたということは王城で過ごした時間は確実に存在していただろうし、この地と幼い頃の辛い思い出が結びついていてもおかしくはない。

 全て憶測にすぎないが、それらがメルツェーデスさんに必要以上に暗い顔をさせているのではないかと心配になってしまう。だから少しでもメルツェーデスさんの心労を減らしてあげたい、と再び口を開く。




「エルヴィーラちゃんはただアルノルトさんに感謝の気持ちを伝えたいだけでしょうし、そのお手伝いが出来るならって思っただけです。それにアイリス……新人二人もエルヴィーラちゃんに指導することで、普段はできないような研修が行えています。ありがたいことですよ」




 早口でそう捲し立てた。

 こうも饒舌な私を初めて見たからなのか、メルツェーデスさんは目を丸くして――それから柔く微笑む。その表情にほっとする。




「そんな風に言ってもらえると、心が救われる思いだわ。ありがとう」




 辛い思い出が残る地で、少女一人の世話を見るのは大変だろう。特定の誰が悪いわけでもないだけに、やりきれない思いが残る。

 一旦会話は終わり、そのままの流れでメルツェーデスさんに準備を手伝ってもらう流れになってしまった。恐縮する私に「これぐらいさせて」といくらか元気を取り戻した笑みを見せてくれるメルツェーデスさん。   

 和気藹々とした雰囲気のまま、今まさに準備が終わろうとした瞬間だった。バン! と大きな音をたてて調合室の扉が開いた。このように駆け込んでくる人物となると、無邪気なアイリスか、もしくは――




「ラウラ!」




 次の瞬間鼓膜を揺らした声は、最近ではすっかり聞きなれた未来の英雄・エルヴィーラのものだった。

 私が振り返るなりエルヴィーラは駆け寄ってきたかと思うと、なんと驚くことにそのまま抱き着かれる。向こうからの思わぬ触れ合いに数秒固まってしまったが、慌てて笑顔で取り繕った。




「おはよう、エルヴィーラちゃん」


「お兄ちゃん、喜んでくれた!」




 挨拶もなしに頬を紅潮させてそう言うエルヴィーラ。なるほど私に抱き着いてきたのも、嬉しさからテンションが上がっていたのだろう。

 疑っていたわけではないが、アルノルトは最愛の妹からのプレゼントを喜んだらしい。体全体を使って喜びを表すエルヴィーラに、こちらまで嬉しく浮足立つような気分になる。




「本当? それはよかったね」


「すっかり懐いてるわねぇ……」




 私が目線を合わせるように腰を曲げると、背後でメルツェーデスさんがこっそり呟いた。最近は心を開いてくれているように感じていたが、傍から見ても“そう”見えるのだと思うと、素直に嬉しくなる。

 えへへ、とだらしなく頬を緩ませていたら、不意にエルヴィーラが私の許を離れた。そしてそのまま入口の方へと駆けていき――そこに立っていたのは、どこか居心地が悪そうに目線を泳がせるアルノルト。




「アルノルトさん……」


「今日は見学させてもらってもいいか。……少し、休みをもらえそうなんでな」




 アルノルトの言葉にピンと来た。明日から調合の勉強をお休みするエルヴィーラと、休みがもらえそうだと言ったアルノルト。きっと明日からしばらく、ロコ兄妹は仕事に追われることのない穏やかな時間を過ごすのだろう。

 今日の研修を見学したいと申し出たアルノルトに、私は大きく頷いた。




 ***




 調合室に接点のない先輩が我が物顔でいた場合、後輩二人はどのような反応を示すのか。正解は――片方は顔を真っ青にさせて目を見開きその先輩を見つめているが、もう片方は興味津々といった様子でその先輩の周りをうろうろしている。絵に描いたような正反対具合に、こっそりと笑みがこぼれてしまう。

 顔を真っ青にさせている片方の後輩――バジリオさんは私の横にそっと立つと、小声で尋ねてきた。




「ラ、ラウラさん、どうしてアルノルトさん方が……」


「妹であるエルヴィーラちゃんの見学だそうです」


「そ、そうなんですか。緊張で手が震えちゃいますよ……って、アイリス!」




 一方で、目を爛々と輝かせアルノルトの様子を窺っていたアイリスはとうとう我慢できなくなったのか、アルノルトにぐっと近づいた。そして制止するバジリオさんの声を気にもとめず、溌溂とした笑顔で話しかける。




「ねぇねぇ、アルノルトって最年少で王属調合師になった人?」


「そうだが……」


「すごーい! あたしのししょーとどっちがすごいかな?」




 アルノルトの「なんだこいつ」と言いたげな鋭い目線をものともせず、アイリスは無邪気に笑う。後輩の強い心に感心していたところ、アルノルトが助けを請うようにこちらに目線を向けてきたので、私は慌てて彼ら二人の許へと近づいた。

 グイグイとくるタイプは、アルノルトからしてみれば大の苦手だろう。

 興奮している様子のアイリスの背後に立ち、そっと肩に手を触れる。こちらを振り仰いだ琥珀色の瞳はいつも以上に輝いていて、思わず苦笑してしまった。




「アイリスのお師匠って、リーンハルトさんだよね? 合格発表の日に挨拶させてもらった、赤毛の……」


「そう! すっごいんだよ、リーンハルト!」




 えへん! と胸を張ってみせるアイリス。とても仲がよいのだろう、と誇らしげなアイリスを微笑ましく見守っていたら、不意に彼女は「あ!」と声をあげる。

 突然の大声に目を丸くする私に、アイリスは歌うように軽やかな口調で提案してきた。




「そうだ、今度ラウラとバジリオをあたしたちの家に連れてってあげるね! 招待しろって言われてたの、すっかり忘れてた!」




 思わぬ方向に話題がずれたが、視界の隅でアルノルトが安堵のため息を漏らしたことに気が付いた。アイリスの関心が自分から逸れたことに心底ほっとしているのだろう。




「エルヴィーラも来る?」


「いかない」


「ええー! ししょー、ぜったい喜ぶと思うのになー」




 相変わらず正直に物を言うエルヴィーラと、そんなエルヴィーラに不満をこぼしつつも声をあげて笑うアイリス。

 相性のいい二人の会話に耳を傾けながら、二度ほど会ったアイリスのお師匠であるリーンハルトさんの姿をどうにかこうにか思い出していたのだが――




「あ、そうだ! ねね、ラウラ。明日からエルヴィーラはしばらく来ないんでしょ? だったらあたしたちの家に来て研修しない? 薬草もいっぱい生えてるとこだし、調合器具も立派なのあるし、楽しいと思うんだけどなー」




 思わぬ提案がアイリスの口から飛び出てきて、私は返答に困ってしまう。

 決まった環境下だけでなく、様々な場所で調合をするのは今後のことを考えると良い経験になるだろう。また、馴染みの師匠からの指導ともなるとアイリスにはばっちり合っているだろうし、バジリオさんにとっては新鮮な経験になる。

 ありがたい申し出だとは分かっているが、それでも明日からとなると些か急すぎる。




「王都から近いの?」


「近いよー! だって王都のすぐ近くにある森の中だもん!」




 王都近くの森。その単語にどきりとした。だって、その森は――




「あの森って、魔物が出たような……」




 私に代わるようにして、バジリオさんが不安げに呟く。

 ――そう、ヴェイクが右目を失った魔物襲撃事件の舞台となった森だ。王都の北部の森に魔物が押し寄せてきたのだ。

 にわかに硬くなった空気に、しかしアイリスはあっけらかんと笑ってみせる。




「そんなことないよー。あたしたち、一度も魔物に襲われたことなんてないよ? それにししょーたちに迎えに来てもらうし!」




 アイリスを信用していないわけではない。彼女は嘘をつかない子だ。魔物に襲われたことがない、というのは紛れもない事実だろう。しかし、どうしても魔物襲撃事件が心の片隅に引っかかる。

 思わず判断を仰ぐようにアルノルトを見た。そうすれば彼は静かに言う。




「……アンペール、お前に決定権がある」




 私の判断に全て委ねられてしまった。

 正直言って、興味がある。アイリスという天才少女を育成し、彼女にすごいと言わしめるお師匠・リーンハルトさんに。そしてアイリスに近しい人物が持つ、「ラストブレイブ」のヒロインと同じ“琥珀色の瞳”に。

 いい経験を積めるだろう。アイリスやバジリオさんさんだけでなく、私も。

 ぐっと拳を握りしめる。そして息と共に、その言葉を吐き出した。




「危なそうだと判断したら、すぐに帰るからね」




 私の言葉にアイリスとバジリオさんは顔を見合わせて笑った。その後輩二人の姿に、とりあえずは間違った判断はしていないはずだと安堵する。

 その一方で、今日研修を終えた後のスケジュールを考え始めていた。まずは騎士団に声をかけて、出来ることなら協力してもらえないかお願いしよう。それが叶わずとも、彼らなら森の様子について詳しいはずだ。とにかく話を聞きたい。

 それと、今日は遅くまで護身用の毒薬の調合に励むことになりそうだ――そう考え、ため息がこぼれそうになったが、嬉しそうな後輩二人に聞かせまい、と、ぐっと飲みこんだ。




 ***




 研修中、アイリスとバジリオさんがエルヴィーラの指導にいそしみ、私の手が空く時間がしばしばあった。

 明日から数日エルヴィーラが休むということで、特にアイリスは寂しがって彼女の傍を離れようとしなかった。今もバジリオさんがエルヴィーラの指導当番の時間だというのに、アイリスは私の許を離れ、エルヴィーラにつきっきりだ。

 残された私は時間を有効に使おうと、使用した調理器具を小まめに片づけていた。そんな私を手伝ってくれたのは――アルノルトだ。




「明日からエルヴィーラちゃんと一緒ですか?」


「ああ、そうだ」




 並んで調理器具を片付けている最中、ぽつりぽつりと雑談を交わす。

 私の問いかけに答えた声は心なしか明るかった。




「楽しんでください。せっかくの時間ですから」


「ありがとう。お前たちはくれぐれも気を付けろ」


「はい、ありがとうございます」




 それきり会話は途切れ、心地よい沈黙が私たちの間に流れる。

 調合器具を洗う水音に交じって、横からため息が聞こえてきた。どうしたのかと隣を見やれば、アルノルトは躊躇いがちに口を開く。




「アイリスとかいう新人、あの琥珀色の瞳に見つめられると、なんだか落ち着かない。見透かされているみたいだ」




 鼓膜に蘇ってきたのは、“私”が聞いた未来の勇者様の声。

 ――君に見つめられると、全部が全部、見透かされているみたいで少し落ち着かない。

 アイリスと同じ色の瞳を持つヒロインに、勇者様はそう言ったのだ。




「……どうした?」


「いえ。前に、アルノルトさんと似たようなことを言っている人がいたなって思っただけです」




 私も初めてアイリスに出会ったとき、そわそわと落ち着かなかったことを思い出す。今ではこちらを見つめてくる“琥珀色”の瞳はいつも楽し気で、その瞳を向けられることに喜びを感じていたけれど。

 「ラストブレイブ」のヒロインとアイリスは関係があるのか、ただの偶然の一致なのか。考えても答えが出ない疑問だと分かりつつも、ぐるぐると頭の中に浮かんでは消えていった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ