77:初めての後輩
実技試験終了後、大急ぎで採点が進められ、今回の試験合格者が発表となったらしい。リナ先輩とチェルシーと私がカスペルさんに呼ばれて訪れた部屋には、五人の男女がいた。彼らが今年の王属調合師見習い試験の合格者なのだろう。
その中に、見慣れた人影を二つみかけた。成長しきった大きな体を持つ男性と、薄桃色の髪の少女。どちらも昨日、偶然出会った受験者だ。少女は薄々受かるのではないかと思っていたが、ラストチャンスだと思いつめたような表情で言っていた彼も無事受かったようだ。
こちらに向けられた色とりどりの目に見つめられつつ、昨年を思い出す。私もまさしくこの部屋で、チェルシー、そしてリナ先輩と出会ったのだ。
「皆さんの教育係になる先輩方っす。向かって右からリナ・ベーヴェルシュタムさん、ラウラ・アンペールさん、チェルシー・ガウリーさん」
対面した後輩たちに軽く会釈をすれば、彼らもまた頭を下げる。
カスペルさんは順番に今年の合格者を紹介していきながら、教育係となる私たちがどの後輩を受け持つのか説明してくれた。
まず一番右の内気そうな眼鏡の少女をチェルシーが、その隣の元気そうなツンツン頭の青年と複数色のメッシュをつけた派手目な少女をリナ先輩が担当することとなった。そして私が担当する二人は、
「――ラウラさんには、アイリスさんとバジリオさんの教育係をお願いするっす」
なんの偶然か、昨日出会った男性と少女の二人だった。
男性は私の顔を見るなり僅かに目を見開く。それから安心したようにゆっくりと微笑んだ。一方で少女はニコニコと上機嫌に、ラストブレイブのヒロインと同じ琥珀色の瞳で私を見つめてくる。
「さ、先輩方。それぞれ調合室に案内してあげてください。よろしくっす!」
***
「ええっと、改めまして、ラウラ・アンペールです。よろしくお願いします」
部屋を出て改めて自己紹介をする。正直不安しかないが、この二人は特に濃い付き合いを持つことになる、“特別な後輩”だ。出来るだけ友好な関係を築いていきたい。
気持ち頭を下げた私の顔を、すかさず少女が覗き込んできた。
「ねぇねぇ先輩、あたしのこと覚えてるっ?」
「試験の日に会った……アイリスさん」
「あははっ、そうそう! 覚えてくれててよかったー。先輩も一発合格なんだよね? だったらあたしのいっこ上だから『さん』なんていらないよー。よろしくねー、ラウラ先輩!」
「よ、よろしく、アイリス」
言われた通りに呼べば、少女――アイリスは大きく口を開けて笑った。彼女には天真爛漫という言葉がぴったりだ。そしてやはり彼女は一発合格の――おそらくは――天才型らしい。
昨日はポニーテールだったが、今日はツインテールにしている。何やら複雑そうなヘアーアレンジは健在だ。本人の動きに合わせてぴょこぴょこと動くツインテールを眺めながら、手先が器用なのだろうか、とぼんやり思う。
――それにしても、ラストブレイブのヒロインと同じ “琥珀色の瞳”についつい注目してしまう。髪色の違いはもちろんのこと、顔立ち自体はヒロインと似ているようには見えないが、琥珀色の瞳を持つ人物と出会ったのは初めてだったため、しばらくは何かにつけて思い出してしまいそうだ。
「あ、あの……」
不意に低い声が割って入ってきた。慌ててそちらを見上げれば、緑の瞳と視線が絡む。
ラストチャンスをモノにした努力家である彼――バジリオさん。立場こそ後輩にあたるものの、実年齢で言えば私よりずっと年上だ。
「よろしくお願いします、バジリオさん。……努力の結果ですね、おめでとうございます」
そう言えば、バジリオさんはどこか居心地が悪そうに控えめに笑った。
「そ、そんな……。ラウラさんにあのとき声をかけてもらったから、落ち着いて試験に臨めました。不出来な後輩ですけど、よろしくお願いします!」
大きく頭を下げるバジリオさん。廊下で初めて出会ったその瞬間から、おそらくは真面目な人だろうと思っていたのだがその第一印象が裏切られることはなさそうだ。
明らかに緊張している様子の彼を、年下でありながらも微笑ましく思っていたところ、
「あっはは! ガリ勉くんだー!」
アイリスが無邪気に笑った。その言葉がぐさっと胸に刺さったのか、バジリオさんは俯いて固まってしまう。
天才型と、努力型。一発合格の最年少と、最後のチャンスをつかみ取った最年長。全てが真逆の二人だ。
教育係が一緒ということは、昨年の私とチェルシーのように、同じ研修室で調合を共にする機会が多いだろう。私の心もとない指導も心配だが、この正反対の二人の相性も心配だ。
さっそく沈んでしまった空気をどうにか入れ替えようと、私は咄嗟に話題を変える。
「あ、そうだ。ご家族とはもう話しましたか? 寮生活になりますから、今日しっかりお別れを言っておいた方がいいですよ」
「えっ、そうなのー? だったら今からいこー!」
誤魔化しで口にした話題に想像以上に食いついたのはアイリスだ。彼女は驚いたように声をあげ、すぐに駆け出してしまった。
想像通り、いいや、想像以上に自由な子だ。直感派というか、感じたまま、思ったままに動いているような印象を受ける。
自由気ままな後輩に振り回される未来を思いつつ、バジリオさんとその小さな背中を追う。彼女が向かった先は、受験者の親族の待合室として用意された一室だった。試験の結果は既に出ているのでもう帰った人が大方で、人影はぽつぽつとしか残っていない。
アイリスはその中から目当ての人物を見つけると、勢いよく抱き着いた。そうして私に向かって手を振ってくる。
彼女が無邪気に抱き着いた人物は、
「ししょー、あの人があたしの教育係の先輩!」
「アイリス、センパイに何ため口聞いてンだ。……あァ、アンタ、あのときの」
昨日アイリスを探していたくすんだ赤髪を持つ男性だった。
男性は私の姿をその琥珀色の瞳でとらえると、僅かに眉間の皺を緩める。やはり目つきは鋭いが、アルノルトで慣れていることもあり、恐ろしさは感じなかった。
男性の両隣には、昨日は見かけなかった銀髪の青年と金髪の青年が立っていた。背格好はとてもよく似ており、赤髪の男性を二人で挟むと綺麗な谷が出来ている。両隣の二人がそれなりに身長があるのはもちろん、赤髪の男性も背が高い方ではない。
「師匠、もっと愛想よく」
銀髪の青年がそう赤髪の男性に助言するように囁いた。すると男性は一瞬怪訝気に眉根を寄せたが、すぐに気まずそうに目線を逸らす。
「あ? ――あー、いや、悪かった。生まれつき口も目つきも悪くてなァ。リーンハルトだ。アイリスは……アンタも薄々感じてンだろうが、随分と自由気ままに育っちまったから、色々と迷惑かけるかもしれねェ。だが才能は確かだ。どうか、よろしく頼む」
そう言って頭を下げる男性――リーンハルトさん。その態度から、弟子・アイリスを思いやる気持ちがありありと伝わってくるようだ。
口は悪いが、情に深いタイプと見た。王道ながら根強い人気があるキャラクター造形だ――などとメタ的な考えを巡らせる一方で、どう言葉を返すのが正解か分からずうまく返事をできずにいると、突然アイリスがケラケラと声をあげて笑った。
「ししょーが真面目モードで変なのー」
「こら、アイリス」
アイリスを窘めたのは銀髪の青年だ。彼は優しく目を細めて私を見た。
そこで気が付く。彼もまた、アイリスとリーンハルトと同じように、“琥珀色の瞳”を持っている。
「ジークと申します。アイリスに頭を悩ませるようなことがありましたら仰ってください。俺たちも何かと手を焼かされてきましたので」
柔らかな物腰でそう頭を下げる青年――ジークさん。彼の琥珀色の瞳を見つめながらも、私も応えるように会釈をする。
不意に、優しく微笑むジークの横からぬっともう一つの顔がのぞいた。
「レオンだ。アイリスはクソ面倒なガキだが、悪い奴じゃねェ。よろしく頼む」
リーンハルトさんと似た口調でそう言ったのは金髪の青年――レオンさん。こちらを見下ろしてくる切れ長の瞳もやはり、“琥珀色”だった。
四人が全員、同じ色の瞳を持っている。けれど髪の色は全員異なっており、顔立ちにも共通点はあまり見られない。それにアイリスもジークさんもリーンハルトさんのことを「師匠」と呼んでいる。とどのつまり、彼らは家族ではないのではないだろうか。
脳裏にラストブレイブのヒロインの姿を思い出す。彼女は銀髪だった。銀髪に琥珀色の瞳という身体的特徴はジークさんと一致している。けれど微笑んだジークさんの表情が、ヒロインと重なることはなかった。
「ラウラ・アンペールです。こちらこそ、よろしくお願いします」
繋がりがいまいち見えにくい四人の関係が気になるには気になるが、詮索しては失礼だ。それに詮索をしている暇なんてない。大切なお弟子さんを預かる教育係として、安心してもらうためにも少しでも早くしっかりしなくては。
一通りの挨拶を終えた後、アイリスはリーンハルトさんに上機嫌で話しかけた。その会話の輪はジークさん、レオンさんにも広がっていく。
アイリスはこれから彼らの許を離れ、研修を行うのだ。しばらく四人水入らずで会話を楽しんでもらおうとそっとその場を離れ――
「あ、ラウラさん!」
背後からかけられた声に振り返った。するとそこに立っていたのはバジリオと――彼によく似た紺の髪を持つ女性だった。よく見れば口元も似ている。恐らくこちらは母親だろう。
バジリオさんの母親と思わしき女性は、私に早足で近づくと、
「あなたがラウラ・アンペールさんね? バジリオの母です。この子は要領が悪くて色々とご迷惑をおかけするでしょうが、見捨てずにご指導いただけますと幸いです。よろしくお願いいたします」
そう言って深く頭を下げた。
突然後輩の母親に頭を下げられて困惑してしまう。とにかくこちらも挨拶をしなければ、と慌てて口を開いた。
「お、お母様? あの、私の方こそ至らぬ点があるかと思いますが、よろしくお願いいたします」
戸惑いつつもそう返せば、母親は眦にうっすらと涙を浮かべて何度も頭を下げた。息子の念願の合格に感極まっているのだろう。
その後も母親は私に話しかけたそうだったけれど、それはバジリオさんによってかわされた。ラウラさんは忙しいから、だとか、もう日も暮れ始めているから帰った方がいい、だとか、明らかに母親に帰らせようとする口ぶりを疑問に思いつつも、赤の他人が親子同士の会話に割って入るのは憚られ、そのやり取りを無言で見守る。
結果的に、バジリオさんに丸め込まれるような形で母親は帰っていった。何やら言いたげな視線を感じつつも笑みを浮かべて見送れば、最後にもう一度、大きく頭を下げられる。
母親が控室から退室した途端、隣のバジリオさんが小さくため息を漏らす。見上げれば、彼はため息を誤魔化すように苦笑した。
「騒がしくてすみません。うちの母、過保護で。というのも、母も言っていた通り僕は昔から要領が悪くて、人並みになるために人一倍頑張らないといけなくて。……これからもきっとそうだから、色々とご迷惑をおかけしてしまうかと思います。だから先に謝っておきますね、すみません」
バジリオさんは随分と自分に自信がないようだ。
確かに彼はアイリスのように王属調合師見習いの試験に一発合格したわけではない。何度も落ちている。しかしそれでも今回受かり、無事見習いになった時点で、十分優秀な人材であるというのに。
彼はどこか遠くを眺めるように目をすがめた。
「ずっとずっと、自分の子供を王属調合師にすることが夢だったんです。母の。だから、頑張らないと」
その横顔はどこか寂しげで。
彼は“母の夢”だったと言った。“自分の夢”だとは言わなかった。




