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74:束の間のやすらぎ




 ――その日の夜、私とメルツェーデスさんの部屋をエルヴィーラが訪ねてきた。こんこん、と小さなノック音がしたので小さく扉を開けて誰が来たのかと確かめたところ、黒髪の少女がこちらを扉の隙間からじっと見つめていたのだ。

 思わぬ来客に驚いたが、すぐに目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。そうして下から覗き込むようにエルヴィーラの様子を窺うと、彼女は何やら気まずそうにあたりに目線を泳がせる。それと共に口ももにょもにょと動いていたので、何か話を切り出そうとしているのではないか、と思ったのだが、果たして。




「エルヴィーラちゃん?」


「……あの、ありがとう。あたしのために、色々調べてくれたって聞いた」




 ふい、とそっぽを見ながら早口で捲し立てるエルヴィーラ。しかしその耳は赤く染まっていて、照れているだけなのだと一目見て分かった。

 当たり前かもしれないが、“私”がよく知るエルヴィーラの面影を目の前の少女に見る。彼女もどうも素直になれないものの、根はとてもいい子だった。

 自然と上がる口角を自覚しながら、ゆるく首を振る。




「いいのいいの。私がやりたくてやってることだから」




 そう言えば、エルヴィーラはなんとも形容し難い、複雑そうな表情を浮かべる。答えに窮したのだろう。

 私としてはエルヴィーラと仲良くなりたいが、彼女は無理にぐいぐい歩みよっても仲良くなれるタイプのキャラクターではない。その分向こうから近づいてきてくれたこの機会に少しでも仲良くなりたかったのだが、生憎と私とエルヴィーラの間には共通の話題が皆無だ。

 沈黙が続き、気まずさを感じる前に部屋に返すべきだろう、と口を開きかけた、その瞬間。




「これ、お礼」




 ずい、と目の前に細長く切られた紙が差し出された。受け取ってみればそれは押し花が貼り付けられた栞だと分かる。

 思わぬプレゼントに驚き、それからじわじわと嬉しさが湧いて出た。




「いいの? ありがとう」


「お兄ちゃんにあげたプレゼントの余りだけど」




 照れ隠しでかわいげのない一言を付け足すエルヴィーラが“らしい”。

 それにしてもこのかわいらしい栞を使う彼の姿を想像するとなんだか少しだけおかしくて、自然と笑みが深まった。




「アルノルトさんにプレゼントしたの?」


「うん、誕生日だったから」




 ――誕生日。その単語に固まる。

 教えられていないから当然だが、私はアルノルトの誕生日を知らなかった。どうやら彼は知らぬ間に、十七歳になっていたらしい。

 アルノルトが自分から誕生日を言いふらすような性格でないのは明らかだし、本人としても後輩に祝われなかったぐらいで気にするような人ではないと思うが、それでも知ってしまった以上は申し訳なさが湧いて出てくる。何かとお世話になっている身だ、誕生日は恰好の“お返しチャンス”だったのに。




「そうだったんだ。それってもうだいぶ前?」


「ううん、最近」




 その答えにほっとする。まだ間に合うかもしれない、と。それと同時に王都へ帰ったら休日プレゼントを探しにいこう、と考えて――休日にゆっくり買い物をするなんて、随分と久しぶりな気がした。思えばここ最近はずっと忙しかったのだ。チェルシーも誘って二人で気ままなショッピングを楽しもうか、と考えるだけで楽しくなって。

 常に心の隅どころかど真ん中に引っかかっていた“エルヴィーラと自壊病”という大きな問題が、少しずつではあるが解決の方向に向かいつつある――はずで。昨日と比べると、ずっと身も心も軽くなったように思う。




「エルヴィーラちゃん、今は苦しくない?」




 私の問いに、目の前の少女は髪を揺らして頷く。




「うん。さっきまでお昼寝してたんだけど、久しぶりにぐっすり眠れた」




 とてもとても嬉しそうに目を細めてそういうエルヴィーラに、ぐっと目頭が熱くなった。

 アルノルトから聞いた胸やけのような症状が、彼女の眠りを妨げていたのだろう。まだ安心はできないが、“今この時”はエルヴィーラは久しぶりに穏やかな時間を過ごせているのだと、ただその事実が嬉しかった。




 ***




 あの後エルヴィーラをアルノルトとの宿部屋に送ろうとしたところ、「お兄ちゃんは一人で外出てる」などと言うので、一人にしておくのも不安で、メルツェーデスさんに後を頼んだ。エルヴィーラとしては元々そのつもりだったらしく、私たちの宿部屋の戸を叩くその寸前まで、アルノルトは妹に付き添っていたらしい。

 宿屋を出てすぐ、彼の姿は見つかった。宿屋から少し大通りを行った先、フラリア名物の花畑の前で星空を見上げていたからだ。

 どう声をかけたらいいものか分からず、結果的に隣に無言で並んだ。

 彼は私の存在に気づいたようだったがすぐに口を開くことはせず、お互い言葉もなく夜空を見上げる。しばらくの沈黙の後、ふ、と横から息を小さく吐く音が聞こえたかと思うと、ゆっくりとアルノルトは口を開いた。




「……実感が湧かない。確実に前に進めてはいるはずなんだろうが、夢の中にいるようだ」




 吐息交じりで、いつもよりゆっくりと話すアルノルト。常に地に足のついた言動を見せる彼が「夢の中にいるようだ」などと口にしたことに、私は驚いた。




「今までの出来事は全て夢で、目が覚めたら王属調合師になる前……お前とも出会う前に戻っているんじゃないか、なんて考えが過った」




 やけに饒舌だ。浮足立っている、という表現は些か適していないかもしれないが、一段落したという安心からか口が緩んでいるのかもしれない。

 ちらりと隣の様子を盗み見る。アルノルトは夜空を見上げたままだったが、常に険しく寄せられていた眉が、ゆるやかなカーブを描いていた。




「もし仮にそうだったとしたら、目覚めてすぐ、フラリアに来ればいいんです。それで森の中でちょっと怪我をすれば、精霊たちが招いてくれます――なんて」




 同じく星空を見上げながら冗談めかしてそういうと、横でアルノルトがふ、と笑った気配がした。彼に目線をやっていなかったためその表情を見ることはできなかったが、確かに緩んだ空気に私は言葉を重ねた。




「私も正直、実感が湧きません。まだまだ気は抜けませんけど」




 再び横を見やれば黒い瞳と目が合った。かと思うと、アルノルトはゆっくり私にむかって頭を下げる。




「改めて礼を言う。ありがとう」


「いえ、そんな……」


「お前には世話になってばかりだ。何らかの形できちんと礼をしろと師匠に叱られた」




 いくら大人びていると言えどまだ成人前の青年なのだと思わされるような、どこか幼い、拗ねた少年のような口調だった。

 アルノルトは頭を上げると、こちらをじっと見つめてくる。その黒の瞳はやはり穏やかな色をしていた。





「何か欲しいものでもあったら言ってくれ。もしくは俺にしてほしいこと……そんなことはないか」




 ――はは、と。今度こそ間違いなく笑った。すっかり日も落ちていたため暗闇の中、はっきりとその笑みを見ることはできなかったが、それでも緩められた目元と口元は分かった。

 初めて見た、無邪気さすら感じるアルノルトの笑みに、彼の今までの人生を思った。妹の病気が発覚してから今日まで、心休まる日はなかったのだろう。気を張り続けてきたのだろう。まだ全てが終わったとは言い切れないが、それでも“今”、多少なりとも彼の心が安らげているという事実が嬉しい。

 アルノルトの言葉になんと返すべきか数秒迷って、彼の誕生日を言い出すにはいいタイミングではないかと思いつきで口を開く。




「あ、そういえばアルノルトさん、ちょっと前にお誕生日だったんですよね? 私もお世話になってばかりなのに、お誕生日すら知らなかったから……おあいこということで」




 自然に誕生日のことを言い出せた上、最終的になかなかいい案を出せたのではないか、と思ったのだが。




「そういうわけにはいかないだろう。考えておけ」




 強い口調で否定されてしまった。

 こう言われているのに頑なに断って、機嫌を損ねては元も子もない。この世界の未来のためとはいえ苦労したのは確かだから、何か美味しいお菓子でもお願いしてしまおうか。

 王都にあるお菓子をいくつか脳裏に思い浮かべていたところ、不意にアルノルトが纏っていた空気も声も固くして、がらっと話題を変えた。




「王都に帰れば、おそらくは次の見習い試験の手伝いで忙しくなる。アンペールには次年度の見習いの教育係を任せるという話もあがっていると聞く。……なるべく外させるよう掛け合ってみるが、どうなるかは分からない」




 ――次の見習い試験の手伝い。その単語に月日の流れを実感する。“王属調合師見習い”試験に合格してからずっと慌ただしかったが、とうとう私やチェルシーにも後輩ができるのか。

 しかしそれより驚いたのは、私に見習いの教育係を任せる話が上がっているという点だ。先ほどまでどこか浮かれていた心に冷水をかけられたようで、知らず知らずのうちに眉根が寄る。




「きょ、教育係、ですか……」


「今、魔物の襲撃のこともあり明らかに王属調合師の数が足りていない。人手を増やすべく、次の試験ではいつも以上の人数を採用することが既に決まっている。そうするとそれだけ教育係も必要となってくるため、お前だけではなくガウリーもリナの許を離れ、後輩を受け持つことになるかもしれない。リナも、そして俺も」




 ガウリー、すなわちチェルシーも見習いの立場でありながら後輩の面倒を見なければならないのか。それを言うならリナ先輩だって、見習いでありながら私たち二人の世話を――現在、私はアルノルトが教育係になっているが――見てくれていたが。

 見習いは一人で調合してはいけないが、見習いを監督するのが同じ見習いでも問題は何もなく――つまりは一人で調合しなければいいのだ――新人の教育係を二年目の私たちが担当しても制度上は問題は何もない。

 また、現在人手不足であることは明らかで、未来を思えば早いうちから人員確保をしておくに越したことはない。正規の王属調合師は現場へ出ることが増えるだろうから、比較的時間に余裕がある新人に白羽の矢が立ったのだとわかる。

 理解はできるのだ。そしてその選択は正しい。その上で、チェルシー含め新人たちに負担がやや大きいのではないかと思ってしまう。




(でも教えることで私も改めて学べることもあるだろうし、前向きに考えた方が……)




 てっとり早く人手不足も解消できるし、私たちも改めて成長の機会をもらえる。そう考えればいいこと尽くしではないか。それでも新人がいい子だったらいいな、とこっそり思ってしまう甘えはどうか見逃して欲しい。

 しかし私は人に教えることが苦手なのだ。将来的にはその苦手を克服しなければと思っていたが、いきなり教育係として後輩の世話を一人で見るのはハードルが高すぎる。私の指導のせいで後輩に悪い影響を与えてしまったら、と考えると背筋が凍る。いや、しかし――

 そのとき、一人でうんうん唸っていた私をアルノルトが口元に笑みを浮かべながら眺めていたなんて、全く気が付かなかった。




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