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72:重い期待




 ――エルヴィーラをフラリアに連れていくと決めてから、しかしすぐに行動には移せなかった。私が遠征研修の報告をある程度まとめなくてはいけなかったのはもちろん、アルノルトも何かと忙しくしていて、まとまった時間を取れずにいたのだ。

 それでもどうにかこうにか時間を捻出したアルノルトに連れられて、メルツェーデスさん、エルヴィーラと共に、私は再びフラリアの地を訪れるべく馬車に揺られていた。およそ遠征研修から一か月ほど間が空いたが、前回と比べて幾らか肌寒くなっている。前世でいう冬の季節だ。

 この世界には前世の日本のようなはっきりとした四季は存在していないが――北の国は一年中雪が降り、南の国は一年中あたたかい――それでも時期によって、多少の気温の変化はある。一年の流れとしては、基本的に前世の日本と同じだ。おそらくは「ラストブレイブ」の大半のプレイヤーである日本人に馴染みやすいように、と考えてのことだろう。「ラストブレイブ」をプレイしているだけでは分かりにくかったことであるが、一年という単位があり、それが十二カ月に分けられ、春夏秋冬に似た移り変わりがある。




「エルヴィーラちゃん、大丈夫? 寒くない?」




 隣で疲れた顔をして座り込んでいる黒髪の少女――エルヴィーラに声をかける。すると彼女はふるふると力なく首を振った。




「ほら、フラリアが見えてきたわ。降りる準備をしましょう」




 エルヴィーラ越しに薄緑の髪が揺れる。赤い瞳を細めた女性――メルツェーデスさんは私とエルヴィーラににっこりと微笑みかけた後、不意に眉を顰めて後ろを振り返った。そしてエルヴィーラとは逆方向の隣に座る黒髪の男――アルノルトの肩を叩く。彼は馬車に乗り込んでから今の今まで眠っていたのだ。




「ほら、アルノルト! もう着くわよ!」




 メルツェーデスさんに肩をゆすられ、緩慢とした動きで俯いていた顔を上げるアルノルト。そして寝起きで状況を把握しきれていないのか、きょろきょろといつもより幼い仕草であたりを見渡した。

 その際、目が合う。俯いている間に眼鏡を落とさないよう外していたのか、久しぶりにレンズ越しではない黒の瞳と視線が絡んだ。気のせいではなく、目元にはいつも以上に濃い隈が刻まれていた。

 忙しい中、絞り出すようにして確保した三日間だ。移動時間を考えれば、フラリアへの滞在は一日ちょっとになる。休日二日に申請してもう一日付け足した形だ。湧き水の許に直行し、すぐに帰らなければならない。




「少し心もとない案内になってしまいますが、ご案内します」




 止まった馬車から降り、私はメルツェーデスさん、エルヴィーラ、そしてアルノルトを先導するような形で歩き出した。

 まず目指すは宿屋だ。遠征研修の間はエミリアーナさんのお屋敷にお世話になっていたから、前を通り過ぎることは多々あったが、中に足を踏み入れるのは初めてになる。――今世では、という前置きがつくが。

 宿屋で受け付けを済ませ、キーを受け取る。この宿屋は二人部屋の用意しかないため、自然と二部屋とる形になった。




「宿屋は二人部屋を二部屋取りました。部屋分けは……」


「俺とエル、師匠とアンペールの二組が自然だろう」




 そう言ってアルノルトは手を差し出してきた。その手のひらの上に片方のキーをのせる。明らかに疲れが溜まっている様子の彼は一刻も早く横になりたいのだろう、妹の手を取り部屋へと続く階段を上っていった。

 アルノルトは調合師としての務めはもちろん、最近は魔術師としても騎士団から頼られているようだった。薄々感じていたことではあるが、アルノルトは自身の才能を自覚している。自分は人より優れていると分かっている。そしてその自覚故、他人から頼られることを自然だと思い込んでいる節があるのだ。

 驕り高ぶっているのではない。与えられた才能を持っていない者たちに分け与えるという、言うならば奉仕精神だ。




「私たちも今日は休みましょう、ラウラちゃん」




 私の手からルームキーをさらうようにして奪ったメルツェーデスさんは、私に向かってウインクをする。相変わらず老いを感じさせない美しい女性ひとの背中を追って、私もまた部屋へと足を踏み入れた。

 滞在期間が短いため、当然持ってきた荷物も少ない。荷ほどきもそこそこにベッドに腰かけてほっと一息をついていると、不意にメルツェーデスさんが口を開いた。




「……アネットさんのこと、聞いたんでしょう?」




 アネット。その名前に緊張感が部屋中に張り詰める。

 お師匠がしてくれた話からして、メルツェーデスさんはなんらかの形でアネットさんのことを知っているのだと分かっていた。




「はい。その……メルツェーデスさんもご存じだったんですね」




 なんと返すのが正解か分からず、口元で言葉を捏ね繰り回すように小さな声で呟く。しかし私の声は確かにメルツェーデスさんの鼓膜を揺らしたらしい、彼女はふぅ、と小さく息をついた後、昔を懐かしむような口調で言葉を紡ぎ始めた。




「私の父は変わり者でね、晩年、人間の調合師に弟子入りしたの。ベルタお師匠様の最初の弟子よ」




 メルツェーデスさんのお父さん。その人が一人目の弟子。

 彼とメルツェーデスさん、カスペルさん、そして私。高名な調合師・ベルタがとった四人の弟子がこれで全員分かったことになる。




「私は父がベルタお師匠様に弟子入りした後生まれた子どもなのよ。だから生まれた場所は王都なの。もっとも父はよく自身の村に私たちを連れて帰っていたから、故郷と言うとその村だけれど」




 王都で王属調合師として働くお師匠に弟子入りしたメルツェーデスさんの父、その後生まれたメルツェーデスさん。とすると、彼女の双子の弟であるオリヴェルさんも王都出身ということになる。

 そしてよく帰っていたという村が、アルノルトやエルヴィーラも生まれた村なのだろう。




「アネットさんは……アネットは、妹のような存在だったわ。オリヴェルは生まれつき体が弱くて、同時に気も弱かったから、年下のアネットに随分と振り回されていたわね」




 アネットさんが一体何年前に命を落としたのかが分からないため、メルツェーデスさんたちとの正確な年齢差等は分からないが、メルツェーデスさんたちの方が年上であったようだ。

 メルツェーデスさんは過去の思い出を愛おしむように目尻を下げていた。




「途中からは小さなカスペル坊やも加わって、アネットと私、そしてオリヴェルで見様見真似で子育てごっこをして……楽しかったわ」




 ――カスペル坊や。その名前に肩が跳ねる。

 不意打ちで彼の名前を聞くのは二度目だ。経緯は分からないが子育てごっこ、という単語からして、まだ幼いカスペルさんのことをメルツェーデスさんたちは世話していたのだろうか。

 ただ考えを巡らせる前に一つ、確認しておかなければならないことがある。




「カスペル坊やって、今王属調合師の……」


「ええ、そのカスペルよ。随分と出世コースを歩んでるみたいね。あの小さかった坊やがねぇ……」




 ほぼほぼ確信していたが、やはり私の上司・カスペルさんのことで間違いないようだ。

 騎士か宮仕えかはたまた調合師か、王城に勤める人を親に持っていたのだろうか。その親とベルタお師匠が仲が良く、家族ぐるみの付き合いだった、とか――

 まだまだ不明瞭な部分が多いカスペルさんとお師匠たちとの関わりを推測していると、メルツェーデスさんは俯いた。長く美しい髪が、彼女の顔に影を作る。




「アネットが自壊病を患っていると分かってからは、ラウラちゃんも聞いたでしょう。アネットが亡くなった後、お師匠様は私たちにも何も言わず消えてしまったわ。エメの村にいると分かるまで、随分と探したのよ」




 誰にも何も告げず、お師匠はエメの村へとやってきたようだ。良くも悪くも閉鎖的な村であるエメの村の住人たちは、調合マニアのオババが移り住んできたと深入りせず、一定の距離をとっていた。それが彼女からしてみれば心地良かったのかもしれない。

 誰も自分の過去を知る者はおらず、過去を暴こうとする者もいない。

 変わり者のオババが村にやってきたなどと村の外に漏らす住人もそうそうおらず――今でこそ私は王都に出て、ペトラは街に出て働いているが、基本的にエメの村の人々の生活は村の中で完結している――お師匠を探すのは相当手間だったはずだ。




「ようやく再会したお師匠様は、昔のお師匠様と変わっていなかったわ。でもアネットの死を受け入れた、というよりは、全てを諦めてしまったかのようで……」




 そこで一旦言葉を切ると、メルツェーデスさんは顔を上げた。その顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。




「それから定期的にやりとりはしていたんだけれど、弟子をとったと聞いた日にはとても驚いたの。そして出来のいい弟子により良い環境で調合をさせてやりたいからと、お師匠様自ら私の許を訪ねてこようとしたのには更に驚いたわ」




 一度口を閉じる。そして私の目をしっかりと見つめながら、一つずつ丁寧に、言葉を選ぶようにして再び口を開いた。




「あなたの才能が、お師匠様の知的好奇心に火をつけた……といったら良いのかしら。いえ、もしかすると無意識のうちに、あなたの才能に期待したのかもしれないわね。自分から全てを奪った“自壊病”の治療法を見つけられるかもしれない、って」




 メルツェーデスさんの口から語られているお師匠の弟子という存在が、自分であることは分かっているのに実感が湧かない。メルツェーデスさんが語った高名な調合師・ベルタの優秀な弟子の話が、なぜか他人事のように耳を通り過ぎてしまう。

 ――違う。正確には受け止めきれないのだ。自分が“そこまでの存在”だという事実を。自分の才能がお師匠の意思を、人生を変えようとしているという、あまりに重い事実を。




「アルノルトもそうよ。あなたという自分以上の天才に出会って、歯がゆい思いをしつつも希望を見出していた。ラウラちゃんなら妹を救えるかもしれない、って」




 ――向けられる期待が、重い。恐ろしい。

 私はそんな大層な人間ではないと叫びたくなった。しかしそれは叶わず、なんとか絞り出せたのは「そんな……」という情けない震え声。

 以前から、薄々感じてはいたことだった。自分の才能に何かを期待し、託してくる人物がいるということを。それはとても誇らしいことであるのに、なぜ底知れぬ恐怖を感じてしまうのか。それは自分に与えられた才能を、誰でもない、私自身が一番信じ切れていないからだ。

 なぜ私――ラウラ・アンペールに調合師の才能が与えられているのか。「ラストブレイブ」のラウラ・アンペールにもそのような描写があったのならば、神様スタッフがそう作ったのだろう、と根拠がなくとも納得できただろう。しかし、そのような設定が「ラストブレイブ」のラウラからは読み取れなかったため、私は未だ胸の奥底で、自分の才能を疑問視している。

 調合に関することに対してのみ発揮される異様な記憶力。何となく、でうまくいってしまう調合。実力を裏打ちできるほどの努力が出来ていないという自覚があるからこそ、ある日突然、この才能が私の手から零れ落ちていってしまうのではないか、という不安が影のように常に付きまとっている。

 ある日文献を開いたら、何一つ頭に入ってこなくなっているかもしれない。

 ある日調合を始めたら、火加減も何も分からなくなっているかもしれない。

 ――俯き、足元から暗闇に飲まれそうになった私の肩に、メルツェーデスさんのあたたかな手が触れた。ぱっと顔を上げれば、まるで母のような慈愛を感じさせる表情のメルツェーデスさんと目が合った。




「こんなことを言っておいて、と思われるかもしれないけれど、気負いすぎないでね。確かにラウラちゃんは類稀な才能を持っているけれど、ラウラちゃんの人生はラウラちゃんのものなんだから。あなたが自壊病の治療法を探しているのは、言ってしまえば親切心からで義務ではないのよ」




――義務ではない。その言葉に、肩が僅かに軽くなったのと同時に、胸がぐっと詰まるような感覚に陥った。

 そうだ、義務ではない。あくまでアルノルト個人から受けた“頼み”だ。けれど、ルカーシュのために、アルノルトのために、そしてこの世界のために、絶対に断れない“頼み”だ。

 数度大きく深呼吸をして、それから「はい」と頷く。それに応えるようにメルツェーデスさんは笑みを深めると、「もう休みましょう」とこれ以上会話を続けることはない意思を示した。

 期待が重いと感じてしまうのは、恐ろしいと思ってしまうのは、実力が伴っていないからだ。自分に自信がないからだ。ならば期待に応えられるだけの実力と自信を身に着けるしかない。

 気が付けば、王属調合師見習い試験に合格して、あと数か月もすれば一年が経とうとしている。助手になってからは何かと忙しい日々が続いているし、実際自分のために割ける時間はそうそう取れないけれど、一度原点に立ち返って調合の勉強をするのもいいかもしれない、と思った。




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