71:呪い
カスペルさんと別れた後、アルノルトと再びお師匠の許を訪れた。今日はもっぱらアルノルトが次から次へと質問を投げかけては、それにお師匠が答えるという形で話は進んだ。アルノルトは事細かにお師匠が孫・アネットに試みた治療方法を尋ね、私はその横でひたすらメモをとっていた。
――やっとアルノルトの質問が落ち着きを見せた頃、時間的にお昼を過ぎたところで。お礼もかねてと彼は三人分の昼食を買いに出た。
残されたのは私とお師匠の二人。自然と落ちた沈黙に、思い出したのはカスペルさんの寂しげな表情。
思わぬ形で知った兄弟子のことを聞く気にはなれなかったが、それでもどうも晴れないもやもやとした気持ちを少しでも振り払いたくて、かねてから疑問に思っていたことを聞こうと思いつき、考えなしに口を開いた。
「あの、お師匠。自壊病とは関係ないことをひとつ、聞いてもいいでしょうか」
「おお、なんじゃ」
少しばかり疲れたような声音と表情でお師匠はこたえてくれる。
一瞬躊躇ったが、勢いに任せて口を開く。
「なぜ私を弟子に迎えてくださったんですか? 小さな村の、ただの小娘を……」
それは心の隅にずっと引っかかっていた疑問だった。
アルノルトの弟子入りを断っておきながら、私の弟子入りを認めてくれた理由。深い理由があったわけではなく、ただの気まぐれ・暇つぶしではないかと考えたこともあったが、果たして。
ちらりとお師匠を見上げると、彼女は顎を手でさすって、何やら考えるような素振りを見せた。
「最年少で王属調合師助手になったお主をただの小娘と言うのは、些か適していない気がするのう……」
「で、でも、弟子入りした当時はそんなこと分からなかったじゃないですか。それとも一目見て、私の才能を見抜いてくださったんですか?」
からかうように私を見てにやりと笑ったお師匠に、なんだか答えをはぐらかされた気がして思わず問いを重ねる。すると、
「まさか、そんなこと出来る訳ないじゃろう」
けろりとした表情で答えた。
かと思うと、不意にお師匠は僅かに俯く。顔に影が落ちたが、口元は笑っていた。
「わしは元々弟子をとるような性格ではないし、隠居後わしの許を訪ねてきた志願者は皆、自壊病の単語を口にしたんじゃ」
――思わぬ地雷を踏んでしまったのでは、と私は下唇を噛み締める。
お師匠のお孫さんが自壊病を患っていたことは、隠されていたわけではなかったのだろう。立場を利用して様々な治療法を試したと言っていたし、当時の調合師界隈では有名な話だったのかもしれない。
だとすると実際に自壊病の治療にあたった高名な調合師として、お師匠の許を尋ねてくる志願者が多かったのも頷ける。しかしお師匠はそれが嫌だったのだろう。彼女は自壊病で全てを失い、エメの村という辺鄙な村にやってきたのだから。そういう理由があったのならば、なるほどお師匠が弟子をなかなか迎えなかったのも納得できる。
しかしアルノルトはその限りではなかったはずだ。私が伝えるまで、彼はお師匠の過去を知らない様子だった。それなのに、なぜ。
そう問いを重ねようかと迷ったところ、お師匠自ら疑問に対する答えを提示してくれた。
「アルノルト本人はアネットのことを知らなかったようじゃが、メルツェーデスは知っとったからのう。同じ村の出身としてアルノルトに相談されたメルツェーデスが、詳しいことは語らずにわしを紹介したようじゃったからな。今思えばあんな辺鄙な場所までやってきてくれた幼い子に、ひどい真似をした」
――さらっとお師匠は口にしたが、初めて知る情報が二つほど盛り込まれていた。
一つは、メルツェーデスさんもお師匠のお孫さん・アネットのことを知っているということ。私が見つけた手記に挟まっていた肖像画に、メルツェーデスさんによく似た少女が描かれていたが、やはりあれは彼女だったのだろうか。
そしてもう一つ、アルノルトとメルツェーデスさんが同じ村出身だということ。師弟になるより前に、同じ村出身ということで交流があったような表現だった。
どちらも気になる話ではあったが、ここで深く掘り下げるような話でもない。私はぐっと顎を引いて、お師匠を見つめた。すると私の視線に気が付いたのか、お師匠は顔を上げてこちらを見ると、その赤の瞳を細める。昔を懐かしむような表情だった。
「その点お主は村を出るために、と随分必死な様子じゃったからな。まあいいかと、戸を叩いたお主とその後ろにいるルカーシュを見て……そうじゃな、気まぐれで受け入れたんじゃ」
私が与えられた職業を変えようと一歩を踏み出したあの日を思い出しているのだろう、お師匠は穏やかな笑みを浮かべている。その表情にあたたかな気持ちが湧いてくる一方で、気まぐれで受け入れたと言ったお師匠が、わざわざ私だけではなくルカーシュの名前を出したところに、本編の存在をひしひしと感じた。
お師匠の言葉に嘘がないとしたら、早い話が私を受け入れた理由は気まぐれ――直感のようなものだ。それは神様によって仕組まれたものである可能性が高い。そう、すべては未来の勇者様のために。
しかし、そうだとしても感謝こそすれ、お師匠への尊敬が揺らぐことはない。私に未来の負けヒロインとは違う新しい道を与えてくれたのは、他でもないお師匠だ。お師匠がいなければ、私は今も小さな村で足掻いていたに違いない。
「それがまさか、こんなことになるなんてのう……。わしはもしかすると、一生自壊病から逃れられん呪いにでもかかっているのかもしれん」
呪い。その単語を口にしたお師匠の口調が、あまりに切なげで。
自壊病を憎み、もう二度と関わりたくないからと辺鄙な村に移り住んだお師匠。その未来で、気まぐれで迎えた弟子が巡り巡って自壊病の治療法を模索している。それは全て神様によって仕組まれた道筋なのかもしれないが、お師匠からしてみれば不運な巡り合わせでしかないだろう。
今回の件は無理強いしたわけではないが、それでもお師匠の心中を思うとそれきり問いを重ねることはできず、アルノルトが帰ってくるまで私たちの間に会話はなかった。
***
「わしはしばらく王都に滞在する。エメの村におってもすることもないしな。手伝えることがあったら言っとくれ」
部屋から退出しようとした私たちの背中にかけられた、お師匠の言葉。するとすかさず隣のアルノルトが振り返り、お師匠の許に歩み寄った。
「でしたらせめて、こちらで部屋を用意させてください。王城内であればお食事も用意しますし、宿屋であっても宿泊代ぐらいはせめて――」
「いいんじゃいいんじゃ。正直言って、金には困っとらん。それに自由に観光もしたいしの」
やはりお師匠は王城には近寄りたくないようだった。頑なに頷こうとはしない。それはただ単に堅苦しい場が苦手なのか、それともカスペルさんとの過去に引っかかる部分があるのか、はたまた別の理由があるのか。
お金に困っていない、という言葉は事実だろう。所謂高給取りである王属調合師を務め、隠居後はエメの村で質素な暮らしを送っていたのだ。いやらしい話、貯蓄はあるに違いない。
しかしそれとこれとは話は別だ。こちらの都合で来てもらっている以上、やはりこちらで出来る限り負担するべきだ。アルノルトと顔を見合わせてどうすればお師匠に納得してもらえるのかと首を傾げたが、良い案が思い浮かばず沈黙するほかなかった。
アルノルトもまた諦めたように一度俯いたが、すぐにその顔を上げると無言でお師匠を見つめる。そして彼にしては“らしく”ない様子で、おずおずと口を開いた。
「……近々エルヴィーラをこちらに呼び寄せます。そのときは、会ってくださいますか?」
「ああ、もちろんじゃ」
お師匠はとても嬉しそうに笑う。息子――いや、孫を愛おしく思うような表情だった。
その横顔を見て、お師匠はとても良い祖母だったのだろうと漠然と思う。それと同時に、なぜだろう、やけにお師匠が小さく感じられた。
私が成長したのか、それとも。
部屋から退出する。扉が閉まる。閉まりかけた扉の隙間から見えたお師匠は、微笑んでいた。
――私に違う道を与えてくれた彼女を、“呪い”から解き放ってあげたい。
そう強く思った。
本日8月9日、書籍版「勇者様の幼馴染という職業の負けヒロインに転生したので、調合師にジョブチェンジします。」が発売になりました!
花かんざらし様の素敵な表紙が目印となっておりますので、ぜひともお手に取っていただけたら嬉しいです。
また、書下ろし・書店別購入特典SSペーパー等も合わせて楽しんでいただければと思います…!
そしてこの度、「勇者様の幼馴染~」のコミカライズ化も決定いたしました!
今冬、FLOS COMIC様にて連載予定となっております。
こちらはもう少し先のお話になりますが、これから随時情報をお伝えしてまいりますので、引き続きよろしくお願いいたします。
詳しくは活動報告をご覧ください。




