07:“私”は私の未来を変える
『メルツェーデスの元気な顔も見たことじゃし、明日にでも帰ろうかのう』
今朝のお師匠の言葉だ。もともと長居する気はなかったらしい。メルツェーデスさんの元気そうな顔を見るだけ見て、満足したのだろう。
その言葉に私は焦った。今日中にアルノルトに聞かなければ、と。
昨晩なかなか寝付けなかったため、時間を有効活用しようとエルヴィーラのことを聞き出すための嘘を考えていた。自分にもうすぐきょうだいができるが実感がわかない、きょうだいがいるなら話を聞きたいといった旨の嘘だ。
考えついてはいたが、まだ心の準備ができていなかった。けれどもう、時間がない。――腹を決めるしかなかった。
はてさてどうやってアルノルトを誘いだそう、できればメルツェーデスさんも一緒だと心強い。
頭の中で理想のシチュエーションを思い描きながらも、そのシチュエーションに近づくためのいい案が浮かばず苦心していたところ、
『ラウラちゃん、私とアルノルトと一緒に薬草園に行かない?』
メルツェーデスさんから願っても無い申し出を受けた。
私はそのお誘いに全力で頷き、そのまま3人で薬草園へとやってきた。そして先程からアルノルトに声をかける機会を窺っているのだが、なかなか最後の一歩が踏み出せない。
しかしこのままでは帰れないと自分を奮い立たせて、アルノルトに近づいた。
「アルノルト……さん」
勇気を振り絞って、声をかける。すると、
「……なんだ」
長い間があったが、一応の反応を見せてくれた。
先日の本人の言葉、そしてその晩メルツェーデスさんが教えてくれた彼の言動から察するに、アルノルトは私をライバルと認識しているのではないかと思う。ライバルは自惚れすぎか。とにもかくにも、何かしらの関心と感情は抱かれているはずだ。しかし、それが全く見えない。表情に現れない。
緊張のせいで喉がカラカラだ。そんな状態で発した声は、どこか掠れていた。
「アルノルトさんって、妹さんとか、いらっしゃいますか?」
彼は私の問いかけを聞いて、どんな表情をしているんだろう。アルノルトの顔が見られない。
私は手元の薬草に視線を固定させて、言葉を続けた。
「今度、きょうだいができるかもしれないんです。でも、弟や妹に対する接し方とか分からなくて……きょうだいがいるってどんな感じかなぁって、色んな人に聞いてるんですけど……」
「答える義理はない」
エルヴィーラの存在を出来るだけ自然に聞きだせるようにと一晩考え練った嘘は、呆気なく切り捨てられてしまった。それきり、私たちの間に沈黙が流れる。
もう一度こちらから声をかける勇気は、もう残っていない――
「――アルノルトには可愛い妹ちゃんがいるのよ」
「師匠!?」
気まずい沈黙を破ったのは、私でもアルノルトでもなく、メルツェーデスさんだった。突然の師匠の登場に、アルノルトは驚きの声を上げる。
私も驚いたがそれ以上に、メルツェーデスさんの言葉に心臓が大きく跳ねた。
アルノルトには、妹がいる。
「せっかくラウラちゃんから声をかけてもらったのに、答える義理はない、はないでしょう。相変わらず照れ屋なんだから」
「なっ……!」
「昨日はアルノルトのプライドを思って愛想がない、なんて言ったけど、人見知りなだけなのよ。情けない話だけど、ラウラちゃんの方から話しかけてくれたら嬉しいわ」
「師匠!」
聖母様のようだったメルツェーデスさんが、ニヤニヤと幼い弟子をからかって楽しむような笑みを浮かべ、ポーカーフェイスで作り物のように綺麗だったアルノルトは、眉と目尻をキリリと釣り上げつつも、顔を真っ赤にしている。
――2人とも、今までと随分感じが違う。こちらが素、なのだろうか。
メルツェーデスさんは依然ニヤニヤと口元を緩めながら、アルノルトの背を押した。それにより、私とアルノルトの距離が近づく。
「ほらほら、きちんとお話しなきゃ。アルノルトには年の離れた妹ちゃんがいるのよね?」
「……いますよ。もうすぐ5歳になる」
――もうすぐ5歳になる妹。
“私”は必死に記憶を辿る。
未来の勇者様が村を旅立つのは、17の誕生日を迎える少し前。ルカーシュは現在9歳。つまりだいたい8年後だ。アルノルトの妹さんは現在4歳。単純計算で、ルカーシュが旅立つ頃には12歳になっている。
エルヴィーラは天才少女だった。パーティーメンバーの中で最年少。正確な年齢は覚えていないが――容姿からして、12歳前後はドンピシャだと言える。
「お、お名前は?」
震える声で尋ねた。
一瞬躊躇った後、アルノルトの口が、動く。
その口の動きが、“私”の記憶の中の、勇者様と重なった。
「エルヴィーラ」
動きも、思考も、全て止まる。
――エルヴィーラ。
エルヴィーラ・ロコ。
「ラストブレイブ」に登場する、仲間の1人。小さな体に莫大な魔力を秘めた、天才少女。そんな彼女を妹に持つ目の前の少年は――容量の関係で削られたという噂があった、エルヴィーラの兄。
彼はやはり、「ラストブレイブ」の没キャラクター? ――いや、その結論を出すのはまだ早い。
確かに、噂の真偽はともかく、作中に登場しなかったことは確かだ。しかし裏設定として存在していたが言及されなかっただけ、という可能性もある。“私”が勇者として旅をしたあの世界のどこかで、彼もまた生きていたかもしれない。
一旦考えは切り上げて、会話を続ける。
「かわいい、お名前ですね。仲、いいんですか?」
「……まぁ……」
赤い顔を隠すように、ふい、と視線を下に落とすアルノルト。その様子は年相応の男の子で可愛らしかったが――私はそれどころではなかった。
「とっても可愛がってるのよね? 妹は魔術の才能があるって私に自慢してきたじゃない」
「おっ、おい!」
魔術の才能がある。その情報はもはや駄目押しと言えた。
間違いない、アルノルト・ロコの妹は、エルヴィーラ・ロコだ。
分かったところで、どうするべきか分からなかった。ただ胸の中の靄がほんの少し晴れただけで、むしろそうと分かった前より沢山の疑問が湧き上がってくる。
アルノルト・ロコは「ラストブレイブ」の没キャラクターなのか否か。ただ単に作中で触れられることのなかった、裏設定には存在していたキャラクターなのか。“私”が知る「ラストブレイブ」の世界と、私が生きるこの世界は、全くの同一ではないのか。私が彼と接触して、この世界の未来に何か影響を与える可能性はないのか。そもそも私は自分に与えられた、勇者様の幼馴染という職業から外れて良いのか――等々。
先日からの思わぬ出来事の連続に、頭は混乱を極めていた。考えて、考えて、考えて――考えを、放棄した。
考えても答えが出る問題ではない。ならば考えるだけ無駄だ。私は私の信じた、そして選んだ道を行く。これは私の人生だ。ラウラとしての人生は一度きり。
“私”の記憶に頼ることもやめにしよう。前世は前世、現世は現世。多少の相違があったとしても不思議ではない。ここは、人の手によって精密に作られたデータ――ゲームの世界ではないのだから。人の意思によって、未来はいくらでも変わる。
私は私の未来を変えるために、今ここにいるのだ。
「さっきから何をベラベラと……!」
「あらあら? 本当のことを言って何が悪いのかしら?」
依然言い合っている2人を、凪いだ気持ちで見つめていた。考えはまとまった、迷いはもうない――そう思いたい。
言い合っていた2人が、ふと私の視線に気がついた。するとメルツェーデスさんは一瞬しまった、というように目を見開いて、それから慈悲に満ちた微笑を浮かべる。
「ふふふ、ごめんなさいね。少しはしゃいでしまったわ」
「化けの皮が剥がれてきてるぞ、師匠」
アルノルトの言葉から察するに、先ほどのメルツェーデスさんが本当のメルツェーデスさんなのかもしれない。美しく慈悲深いメルツェーデスさんは憧れの対象だったが、先ほどの親しみやすいお姉さんのようなメルツェーデスさんの方が、個人的には話しやすそうに思えた。
口元を手で隠して、ふふふ、と笑うメルツェーデスさんに、そんなことを思う。しかし当然そんなことを言えるわけもなく、誤魔化すようなメルツェーデスさんの笑顔に、私もまた微笑んで応えた。
気まずい沈黙。その空気から逃げるように、メルツェーデスさんは「あとはお若いお2人で……」とどこぞのお見合いおばさんのようなことを言い出した。
離れていきそうになったその背中に、思わず声をかける。
「あ、あのっ! この薬草園ってずっと昔からあるんですか?」
気にしないと決めたのに、やはり気になってしまうのは私の意思が弱いのか。
メルツェーデスさんは振り返ると、不思議そうな表情を浮かべながらも答えてくれた。
「え? えぇ、私が生まれる前からあるわ」
エルフは長寿だ。彼女が見た目以上に年齢を重ねている可能性は十分ある。つまり、メルツェーデスさんが生まれる前、とは私が思うよりもずっと昔かもしれない。
詳しい年月は分からないにしろ、この薬草園がここ数年でできたものではないことは確かだろう。
ほぼほぼ分かってはいたが、現在私が生きるこの世界のシッテンヘルムには、「ラストブレイブ」のシッテンヘルムとは違い、噴水広場は存在しないらしい。
そう考えをまとめたところで、不思議そうにこちらの様子を窺っているメルツェーデスさんに気がついた。突然どうしたのだと言いたげな表情だ。
私は慌てて言葉を続ける。
「す、すごいですよね、街中にこんな大きな薬草園があるなんて……」
「そうね。その分、手入れも大変だけれど」
メルツェーデスさんは苦笑して、今度こそ私たちの側から離れていった。となると自然とアルノルトと2人きりになる。
このまま2人並んで言葉もなく薬草を摘む、なんてことはしない。私もここからひっそりと離れてしまおう、と立ち上がったところ、
「……元気に生まれてくるといいな」
ぽつり、と隣のアルノルトが独り言のようにこぼした。
立ち上がりかけた中途半端な体勢のまま、私は固まってしまう。まさか、こんな言葉をかけてくれるなんて。
しかし申し訳ないことに私にきょうだいが生まれてくる予定はない。目標――エルヴィーラのことを聞き出すという目標――を無事達成して、私はすっかり空想のきょうだいのことなぞ記憶から消えてしまっていたが、アルノルトはもしかすると、その言葉を言おうとずっと機会を窺っていたのかもしれない。
いいお兄さんなんだ、と、直感的に思った。
メルツェーデスさんも言っていた。妹をとても可愛がっていると。その言葉が嘘だとは思わなかったが、アルノルトがかけてくれた言葉は、それを私に確信させた。
固まった私をアルノルトは不審に思ったのか、ちらりとこちらを見上げてくる。黒の瞳と視線が絡んで――自然と、微笑んでいた。
嘘をついてしまったことに対して、申し訳ない気持ちが強かった。けれど同時に、向けられた言葉が嬉しかった。将来この世界を救ってくれるエルヴィーラに、恐らくは優しいお兄さんがいるという事実が、“私”は嬉しかった。
「ありがとう」
――恐らくはこの先、このまま歩みを進めればアルノルトと深く関わっていくことになるだろう。そうなったとしても、うまくやっていけるかもしれない、そう思った。