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68:お師匠の過去




 翌日。

 宿屋を訪れた私とアルノルトを神妙な面持ちで出迎えてくれたお師匠は、私たちがソファに座るなり前置きもなしに口を開いた。




「孫のアネットが自壊病を発症したのは、四歳の誕生日を迎えてすぐのことじゃった」




 手記に綴られていたお孫さん――アネット。

 心構えが未だ出来ていなかった私は、いきなり本題に入られて動揺から視線を泳がせてしまう。その際、ソファの隣に座るアルノルトの横顔が意図せず視界に入ったが、思いのほかその表情は落ち着いていた。いや、私なんかと比べて既に心構えが出来ていた、と表現するべきか。




「はじめは指先に小さな火傷が出来ていたんじゃ。親……つまりはわしの娘も、孫のアネットも不思議がっておってなぁ……しばらくは自壊病だと気づけなかったんじゃ」




 火傷の跡は自壊病でよく見られる症状だ。しかしただの小さな火傷の跡を、自分の孫が難病に冒されているサインだと瞬時に見抜くことは極めて難しいだろう。気づかないうちにどこかで負ってしまったのだろうか、と考えるのが自然だ。

 お師匠は俯き、続けた。




「おかしいと気づいたのは発症から一年近く経った頃じゃった。……アネットの指先が発火したんじゃ」




 指先の発火。紛れもない、自壊病発病のサイン。

 知らず知らずのうちに、私は服の裾を強く握りしめていた。




「明らかにおかしいと思ったわしは、王属調合師という立場を利用して世界中の文献を読み漁り、ようやく似た症状の病を見つけた。――それが自壊病じゃ」




 そこまで言って、お師匠は一息つくように傍らのお茶を口に含んだ。

 自分の孫が難病にその身を冒されていると分かった時、お師匠は何を思ったのだろう。――自分の妹が自壊病だと分かった時、アルノルトは何を思ったのだろう。




「それが分かってからは病状の経過を手記に綴っていった。ラウラが見つけた手記は、数ある手記の中の一つじゃ」




 そう言って差し出してきたひとつの鞄。反射的に受け取ったその鞄の中には、何十冊もの手記が入っていた。

 私が見つけた手記は、明らかに途中から始まり、途中で終わっていた。であるからして、他にも病状の経過が綴られた手記があるのではないかと思っていたが――まさか、ここまで多いとは。

 一冊を読み終えるだけでも相当の体力と精神力を削られたというのに、これらを全て読むことを考えると正直言って気が遠くなる。しかし貴重な資料だ。今後の治療に役立つヒントが隠されているかもしれない。読まないという選択肢はなかった。

 私が渡された鞄を一旦傍らに置くと、お師匠は再び口を開いた。




「わしは自壊病の進行度合いを三段階に分けた。一段階目は火傷と指先の発火、それと風邪によく似た症状。二段階目は発火の規模が大きくなり、体を巡る熱に全身を掻きむしるようになる。そして最後の三段階目。全身に火傷が広がり、皮膚が爛れ、やがては骨も内臓も焼き尽くされ――死に至る」




 ぐ、とアルノルトの体が強張ったのを隣で感じた。思わず横を見やれば、アルノルトの眉間には険しい皺が刻まれている。

 お師匠の口から語られた自壊病の症状は、温度のない活字で綴られた資料よりもよっぽど胸に迫るものがある。実際にお師匠はその経過段階をその目で見たのだ。口調こそ冷静かつ端的なものだったが、その表情には隠し切れない悔しさが滲んでいた。




「アネットが死んだのは十五歳を迎えた翌日。わしが自壊病だと気付いてから死ぬまで、十年じゃった」




 数少ない記録によれば、発症から四十年ほど生きた患者もいる。自壊病は発症から死に至るまでの年数にばらつきが見られるため、エルヴィーラに残された時間がどれほどあるのか、全く分からない。

 四十年後も生きているかもしれないし、明日にも容態が急変して命を落とすことになるかもしれない。私は自分の中で、ルカーシュの旅立ちまで、というラインを設定している。そのラインは目前まで迫っていて、私はじわじわと焦りを募らせているが――それよりも先に、エルヴィーラの命が燃え尽きてしまう可能性だってあるのだ。




「最後の一年はほぼ動けず、ベッドに寝るにも体を燃やす炎で触れるものすべてを燃やしてしまう。もちろん服も着れん。泉の近くで一晩中回復薬を片手に世話をしたものじゃ」




 語られた言葉からその様子を想像して、ぞっと背筋が凍る。

 常に体のどこかが発火する可能性がある状態であるならば、当然ベッドで眠ることなどできない。火を最小限に抑えるためにも、水場の近くで世話をするというのは合理的だ。それは分かるが、想像した治療現場のあまりの悲惨さに下唇を噛み締める。

 焼け爛れていく皮膚を治すために回復薬を処方しても、必死の治療を嘲笑うかのように火は再び皮膚を焼くのだろう。その光景の、なんと絶望的なことか。

 自壊病の症状を知っているのならば、その光景は想像できたはずだった。しかし私の考えはとてもそこまで及ばなかった。自壊病を軽く見ていたわけでもなく――あまりにも痛々しい現実に打ちのめされないように、自分でも気づかないうちに想像力を“自制”していたのかもしれない。

 唇が震える。底の見えない絶望に、深い闇に引きずり込まれそうになって咄嗟に頭を振った。脳裏に浮かんだ光景を振り払おうとしたのだ。

 話は終わりだ、と言わんばかりに口を閉じたお師匠。彼女は私たちに視線を寄こし、何か質問がないかと目線だけで訴えかけてきた。こんな機会はまたとなく、今後のことを考えれば矢継ぎ早に質問するべきなのだと分かっているが、絶望的な事実を突きつけられるのが恐ろしくて、情けないことに声が出ない。

 このままではいけない、と一度大きく深呼吸をした。そして傍らのお茶で喉を潤す。それからようやく口を開こうとした、瞬間。私よりも僅かに早く、隣のアルノルトが問いを投げかけた。




「……自壊病の症状が、第二段階、第三段階にそれぞれ移行した年齢を教えてください」




 その声は震えてはいなかった。しかしいつも以上に固く、感情を押し殺したような声音だった。




「第二段階は十歳過ぎ、第三段階はなくなる一年ちょっと前……十四歳頃じゃな。第三段階に移行してからは、さっきも言った通りろくにベッドにも寝れんかった」




 すかさずアルノルトは問いを重ねる。




「試された治療法は?」


「その当時、わしがたどり着いた治療法全て。精霊の力を求めて、ノイット国にも定期的に赴いた」




 突然お師匠の口から飛び出てきたノイット国という名称に聞き覚えがあった。恐らくは「ラストブレイブ」に出てきた単語だろう。しかしメインストーリーに絡んでくる、重要な国ではなかったのではないか。なぜならその国の情報を“私”が思い出せないからだ。

 私が考え込むように俯き、顎に手を当てていると、




「エルフが住む国だ」




 すかさずアルノルトが端的な説明を挟んでくれた。

 エルフが住む国。その説明にようやく“思い出す”。

 そうだ、ノイット国はエルヴィーラのキャラクターの掘り下げとして作られたサブイベントで訪れた、エルフの国だ。エルフは世界各地にエルフの村を作り、そこで同じ種族同士まとまって生活をしている。その中のある村が大きくなり、国となったのがノイット国だ。

 全てのエルフがノイット国に属している訳ではなかったはずだ。実際、エルヴィーラの故郷はノイット国ではなく、この国・オストリア国の小さな村だった。そこで彼女の肉親と出会い――再三言うが、この世界では兄であるアルノルトはそのイベントに登場しなかった――イベントが進んでいくのだが、その中で何度かノイット国の存在を仄めかされた覚えがある。

 仄めかされただけで、実際にノイット国に行くことはなかった。メタ的な視点から言えば、メインストーリーに絡まないマップをサブストーリー用に作るというのはスタッフの労力が伴わなかったのだろう。ただ設定だけは作られていた、ということになる。




「エルフは精霊を祖先に持つと言われているからのう。人間を超越した力を持つ精霊ならあるいは、と思い何度も足を運んだが、結局力を貸してくれることはなかった」




 脳裏に浮かんだのは精霊の飲み水の存在だ。過去、お師匠もまた精霊に助けを求めていたのだ。

 精霊の飲み水が自壊病に効力があるかどうか、まだ分からない。けれど自壊病は最早、“人ではない超越した存在”に頼らなければどうにもできない難病なのだと改めて思い知らされたようで。

 患者が持つ強い魔力が、本人の体を焼き尽くしてしまう病。原因が自分の持つ魔力である以上、外から干渉しようにも限界がある。生まれつき人体に備わっている魔力を取り除く術も分かりやしない。つくづく厄介な病だ。

 お師匠は一つ大きく息をつくと、先ほどよりもワントーン高い声で言った。




「アネットが死んだあと、娘も後を追うように死んだ。わしは何をする気力もなくなって、王属調合師をやめエメの村に移り住んだ」




 幾分早口で語られた“その後”の話は、さらっと聞き流すにはあまりに重いもので。お師匠は何もかもをなくし、エメの村へとやってきたのだ。

 「ラストブレイブ」の“調合オババ”にもこのような隠し設定があったのだろうか。ただ回復薬を調合してくれる便利キャラだと“私”は思っていたが、その裏で彼女は何を思い、何を考えていたのか。こんなことを思うのは失礼かもしれないが、「ラストブレイブ」の“調合オババ”は暗い過去も何もない、ただの“調合マニア”であって欲しいと願ってしまう。




「すっかり遠い過去になったかと思ってたんじゃが、まさかこんな形であの日々を思い出すとはな」




 お師匠は赤い瞳で私を見つめてから苦笑した。頷くことも、笑顔で応えることもできなかった。

 赤の瞳は私を通り過ぎ、隣のアルノルトへと向けられる。




「アルノルト、妹さんの名はなんという?」


「エルヴィーラです。エルヴィーラ・ロコ」




 お師匠は教えられた名前を舌先で転がすように「エルヴィーラ」と何度か口にした。その表情はまるで大切な孫を愛おしむ祖母のようだった。




「わしに手伝えることがあれば言ってくれ。わしは自壊病の治療法を見つけられなかったが、お主たちならもしくは……」




 そう言って私とアルノルトを交互に見たお師匠の瞳には、微かに光が差し込んでいた。彼女はそのとき、私とアルノルトの背の向こうに未来を見ていたのだろうか。




追記:

活動報告にて、今回書籍版のイラストを担当して頂きました花かんざらし様のラウラ・ルカーシュ・アルノルトのキャラクターイラストを公開いたしました。

よろしければご覧ください。

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