67:別れと再会
その日、王都からエメの村へと帰るルカーシュの荷造りを手伝いに来ていた。彼はフラリアから戻った後、数日王都に滞在し――その際の宿の確保はもちろんこちら側でした――この後王都から出る馬車でエメの村へと帰ることになっている。
「ルカーシュ、忘れ物はない?」
私の問いにルカーシュはあまり自信がなさそうな、曖昧な笑みを浮かべて頷く。
「うん、多分。来た時よりも荷物がだいぶ増えてて……」
幼馴染の言葉に、私もまた苦笑を返した。
研修に助力してもらうからとこちら側が用意した服など、それらは全てそのままルカーシュに渡された。そのため彼がこちらに来た時の荷物と比べて、明らかに量が増えている。それにエメの村の人々へのお土産やオリヴェルさんから譲り受けた剣などもあるし――荷物を詰めるための大きな鞄を王都で新たに購入したほどだ。
「何か忘れ物があったら、今度私が帰省するとき一緒に持って帰るよ」
「ごめん、ありがとう」
眉尻を下げて笑った幼馴染に力強く頷いて、宿屋の一室を出た。
チェックアウトをするため、受付へと向かう途中の廊下でルカーシュは口を開く。
「しばらくは忙しくなる?」
「そう、だね。多分そうなるかな」
しばらくは精霊の飲み水の調合に追われることだろう。そもそも今回の研修の報告書もまだ書きあがっていない。それに、お師匠がルカーシュと入れ違いになるような形でこちらに来てくれるようだし、次から次へとイベントが舞い込んでくる。
「無理はしないでね」
「それはお互い様。ルカーシュも慣れないことばっかりで疲れただろうし、ゆっくり休んでね」
ここ一カ月ほど一緒にいたこともあって、いつも以上に別れが寂しい。宿屋の廊下を歩く速度も気持ちゆっくりだ。
チェックアウトをし、宿屋を出る。――と、扉を開けたその先に、見慣れた、けれど予想もしていなかった人物が立っていた。
黒の髪が風に揺れる。黒の瞳が私たちの姿をとらえる。その存在を認識した瞬間、驚きに固まってしまった私のもとに、彼はゆっくりと近づいてきた。そう、彼とは。
「アルノルトさん……」
隣に立つルカーシュが、ぐっと警戒するように佇まいを直したのが分かった。
なぜ彼がここに。緊急の用だろうか。
過去、何度か睨み合う幼馴染と職場の先輩を見てきているので、私の緊張も自然と高まっていく。ルカーシュは当たり前かもしれないがアルノルトまで口を開こうとしなかったので、意を決して「どうしたんですか」と尋ねてみた。そうすれば、ようやく彼は口を開く。
「上司から聞いた。ルカーシュ・カミル殿がこの宿屋に宿泊していると」
その言葉に、アルノルトの目的を悟った。そうか、もしかしたら彼はルカーシュに――
アルノルトは睨みつけるような眼光の鋭さでルカーシュに数歩近づいたかと思うと、勢いよく頭を下げた。
「協力に感謝する。ルカーシュ殿のおかけで、『精霊の飲み水』の発見に至った」
その言葉は、予想通りだった。
今回のルカーシュの働きは、結果的にアルノルトの妹であるエルヴィーラに救いをもたらすかもしれない。それを考えれば、アルノルトがルカーシュに感謝の気持ちを抱くのは自然なことと言えた。
しかしそれは一通りの事情を知っている私から見た場合であり、ルカーシュからしてみれば、突然なんの心当たりもない相手からお礼を言われたことになる。更にその相手は親しくない“幼馴染の職場の先輩”であり、顔を合わせる度相性の悪さを露呈してきた人物だ。
今まで散々高圧的な態度をとられてきた相手に、突然“殿”と呼ばれ、更には頭を下げられて。ルカーシュは明らかに困惑している様子だった。
しかしその一方でアルノルトは頭を上げようとはしない。どうやらルカーシュからの反応を待っているようで、それを幼馴染も感じ取ったのか小さくため息をついてから――ため息というより、気持ちを落ち着かせるための深呼吸だったかもしれない――口を開いた。
「……僕はただ、幼馴染の頼みを聞いただけですから。あなたに感謝されるようなことは、何も」
固い声――警戒しているのだろう――で答えるルカーシュ。いつもの彼の口調と比べると、幾分突き放すような響きだった。
アルノルトが顔を上げる。こうして改めて並ぶと、幾分アルノルトの方が身長が高く、体格もいい。しかしそれは年齢の差によるものだろう。年齢差を考慮した上で考えると、この二人の背格好は似ているのかもしれない。
数秒睨み合うルカーシュとアルノルト。相変わらず緊張感が漂う二人の間に立ち、若干の息苦しさを感じ始めた瞬間。
「ただお役に立てたのなら、よかったです」
僅かにだが、ルカーシュが纏っていた空気が緩んだ。見れば、控えめにではあるが口角も上がっている。
――ルカーシュは聡い子だ。どうやらアルノルトの言動から、“何か”を感じ取ったようだった。アルノルトの態度が随分と分かりやすく変わった、というのもあるだろうが、その理由を無理に聞き出そうとすることもない。その態度はアルノルトにはありがたいものだったに違いない。
「……ありがとう。帰り際に、邪魔したな」
もう一度小さくアルノルトは頭を下げると、踵を返した。その背中はあっという間に人混みに紛れていく。
すっかり見えなくなった背中を、それでも探すようにどこか遠くを見つめるような目をして、ルカーシュはぽつりと呟いた。
「悪い人じゃないのかな……」
アルノルトに向けられたのであろう言葉は、かつて私が抱いた感情と全く一緒で。口元を手で隠し、こっそり一人で笑った。
――その後、馬車でルカーシュはエメの村へと帰っていった。今度は私が帰省すると約束すれば、彼はとても嬉しそうに微笑んでくれて。その約束を早く果たせるように、と思う一方で、脳裏に浮かんだ一つの顔。それは悲しそうに、苦しそうに俯く我がお師匠――ベルタだった。
***
ルカーシュがエメの村に帰ったのと入れ違いになるような形で、お師匠が王都へと訪れた。
アルノルトと二人、王都の入口でお師匠を出迎えた。見慣れたローブを視界の隅にとらえた瞬間、緊張で思わず生唾を飲み込んだが、せめて話を聞くまではいつも通りの自分でいようと笑顔で声をかける。
「お師匠、わざわざすみません! 仰ってくだされば、私が帰省したのに……」
「いやなに、気分を少し変えようと思ってな」
そう言って笑うお師匠もいつも通り――とは言えず。長い時間馬車に揺られていた身体的な疲れか、はたまたこれから話さなくてはいけないことに対する心労か、その顔には色濃い疲労が表れていた。
「今日一日はゆっくり休まれてください」
その言葉と共にお師匠の荷物を預かろうとした瞬間、横から私ではない手が荷物をさらっていった。その手の持ち主はもちろんアルノルトだ。
お師匠とアルノルトが数瞬目線を交わす。アルノルトは「お久しぶりです、ベルタさん」と軽く会釈をしてみせた。
それきり二人の間に落ちた沈黙に、私は慌てて言葉を挟む。
「それであの、実は一緒に話を聞かせてほしい者がいまして。お師匠はもう、分かってるでしょうけど……」
「アルノルト。お主も苦労するのう」
全てを得心したようにお師匠は頷いた。深いため息と共にアルノルトへ向けられた「苦労するのう」という言葉には、同情のような感情が含まれているように思えた。
アルノルトはお師匠の言葉にはこれといった反応はせず、淡々と言葉を紡ぐ。
「王城に一つ客間を用意しました。王都に滞在中はそちらに――」
「ああ、いいんじゃいいんじゃ。わしは宿屋に泊まる」
思わずアルノルトと顔を見合わせた。
お師匠はかつて王属調合師であった身だ。当時と王城内部はそれなりに変わっているかもしれないが、馴染みのある場所なのは確かだろう。それに今の王属調合師の中に、久しぶりに顔を合わせる知人もいるのではないか――などと考え、すっかり王城の客間に泊まってもらうつもりでいた。それらの理由がなかったとしても、わざわざ向こうから出向いてもらっている以上、それなりにいい部屋を、とこちらが宿を提供するのは当然だろう。
つまりはお師匠が宿屋に泊まると言ったのは予想外だった。思わず「でも」と食い下がろうとしたが、
「もう部屋をとってあるんじゃ。悪いが、明日は宿屋まで来てくれるか?」
口を挟ませない、と言わんばかりに言葉を重ねられて、私はただ頷くしかなかった。
「そ、それはもちろん。何か用意しておくものはありますか?」
「……あの手記さえ持ってきてくれれば、それで構わんよ」
――途端、今まで辛うじて和やかだった空気が完全に凍り付く。あの手記、という単語で私もアルノルトも手記に綴られていた痛ましい内容を思い出してしまったのだ。
こちらを窺うように見つめてくるお師匠に出来るだけ気を遣わせないよう、それでもなんとか薄く笑って頷いた。
お師匠を宿屋まで送り届け、王城への帰路をアルノルトと二人肩を並べて歩く。私たちの間に流れる空気はすっかり重い。私はもちろん、彼もあの痛ましい出来事が綴られていた手記のことを考えているのだろう。
ふと、手記をアルノルトに預けっぱなしだったことを思い出した。彼のことだ、もうとっくに全頁読み終わっているだろうとは思ったが、確認の意味も込めて声をかける。
「あの手記、読まれました?」
私の問いにちらりとこちらを一瞥すると、アルノルトはゆっくりと頷いた。その眉間にはいつも以上に深い皺が刻まれている。
「何度も途中で読むのをやめようと思ったがな」
一度口を閉じて、言葉を探すように視線を彷徨わせる。数秒の沈黙の後、アルノルトの口から飛び出てきたのは、
「あまりに、辛い」
とてもシンプルな言葉だった。そしてシンプルなだけに、ぐっと胸に迫るものがあった。
見上げるアルノルトの横顔は険しい。唇も青白く、精神的にかなり参っている様子だった。
愛しい孫が病に冒されていく過程が祖母視点で綴られているあの手記は痛ましく、一頁読むのも辛いほどだ。大切な妹が同じ病に苦しめられているアルノルトからしてみれば、手記を綴った祖母に自分を、孫に妹を重ねてしまったのではないだろうか。
今回のお師匠の話は、エルヴィーラを救う上で参考になるはずだ。しかし、“大切な人を自壊病で亡くした話”をアルノルトは冷静に受け止めきれるだろうか。いつも冷静で頼りになるとはいえ、アルノルトだってまだ成人前の青年だ。与えられた才能を最大限に生かし、人並み以上の努力で強引に大人になろうとしているだけなのだ。
杞憂に終わるかもしれない。いや、杞憂に終わってほしい。けれど私は今回、アルノルトの精神状態が心配でならなかった。
(……人の心配してる場合じゃないかもしれないけど)
私としても、自壊病に対するどうしようもない絶望を突きつけられて自信を喪失してしまうかもしれない。アルノルトを心配している余裕があるのも、今日のうちかもしれない。そう考えると背筋が凍る。
明日の今頃、私は何をしているのだろう。自壊病の特効薬を生み出すため無心に調合を繰り返しているか、それすらも出来ないほど絶望に打ちひしがれているか、もしくは――
ただただ、明日が来るのが恐ろしかった。
【書籍化情報】
拙作「勇者様の幼馴染~」の書籍化について、以下の情報が公開になりました!
「勇者様の幼馴染という職業の負けヒロインに転生したので、調合師にジョブチェンジします。」
著者:日峰
イラスト:花かんざらし様
出版社:カドカワBOOKS様
発売日:2019年08月09日
詳しくは活動報告をご覧ください。




