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66:報告




 王都へと帰ったその日、私は遠征研修の報告書を持ってカスペルさんの調合室を訪れた。報告書とは言っても紙一枚の、どこにいってどんな成果を上げてきたかを伝えるだけのものだ。精霊の飲み水についての報告は、これから随時行っていく。

 報告に現れた私を、カスペルさんは笑顔で迎えてくれた。




「おかえりなさい、ラウラちゃん。そしておめでとうっす!」


「ありがとうございます。無理を通していただいて、本当にありがとうございました」




 カスペルさんは笑顔のまま首を振る。気の抜けた上司の笑顔に、帰ってきたのだとほっとした。しかし彼の目の下にいつもより濃い隈を見つけてしまい、今回のことでやはり迷惑をかけたのではないかと心配が過る。無理を通してくれたのは重々承知しているだけに、それ相応の結果を持ち帰ることが出来て良かったと、改めて胸を撫で下ろした。




「いえ、お礼を言うのはこっちの方っす。ラウラちゃんたちが見つけてくれた『精霊の飲み水』のおかげで、今まで以上に多くの命を救うことが出来るっす。それは間違いないっす」




 真っすぐ見つめられて、私はどこか気恥ずかしさを感じつつも頷いてこたえた。自分の成果を真正面から褒められるのはどうも慣れていない。

 しかし同時に、誇らしさを感じているのも事実だった。自分の手柄だとは思っていないが、“私”の記憶がこういった形で役立ったのは初めてだ。状況的には強くてニューゲーム状態なのだから、今後もこういった立ち回りが出来ればいいのだが――まだまだ乗り越えなければならない壁はいくつもある。




「ただ、調合方法についてなんですが――」




 気の重い事実を報告しようとした、その時。部屋のドアが叩かれた。それに「どうぞー」とカスペルさんが軽い口調で返事をすれば、ドアが開かれる。そこに立っていたのは――




「あぁ、アルノルト」




 アルノルトその人だった。後で個別に報告に行こうと思っていたのだが、まさか向こうから出向いてくれるとは。

 彼は私を一瞥した後、言葉もなくカスペルさんの隣に並んだ。




「……さて、ラウラちゃん。改めて精霊の飲み水について、今わかる範囲で教えてください」




 カスペルさんの紫の瞳とアルノルトの黒い瞳にじっと見つめられて、思わず背筋が伸びた。当たり前だが彼らの表情は真剣そのものだ。

 んん、と咳払いを一つしてから口を開く。自分の口から出てきた声音は、緊張しているのかいつもより低く硬いものだった。




「精霊の飲み水は、精霊たちによって作られた結界の中に存在しています。精霊たち自らの意思で招こうとしてくれなければ、一生たどり着けません。私たちは運よく、精霊に招かれ発見することができました」


「招かれる基準は?」




 すかさずアルノルトが疑問を投げかけてくる。ちらりと彼を見上げれば、いつもより険しく細められた黒の瞳と目が合った。




「どうやら精霊たちは人間が好きなようです。正確には、彼らの親の様な存在……今は朽ちて大樹となり自然に還った大精霊様が、人間や動物といった生き物を好んでいたらしく。その性格故、怪我を負った人、大病を患っている人を招き、助けていたと聞きました。私たちも怪我をしたところを精霊たちに助けられたんです」




 答えにカスペルさんは興味深そうに頷き、アルノルトは考え込むように顎に手をあてた。




「その結界には、一度招かれればまた入れるのか?」




 再び疑問を投げかけてきたのはアルノルトだ。私は頷いてこたえる。




「はい。精霊たちが案内をしてくれます。私は既に三回結界の中に入りました」




 ――精霊たちに私が一人で来た際も精霊の飲み水の場所まで案内してもらえるよう、ルカーシュを介して頼んではみたが、それが本当に果たされるかはまだ分かっていない。もしかすると度々ルカーシュの手を借りなければいけなくなるかもしれないが、それでもあの場に行くことはできるだろう。

 私の答えにカスペルさんがほっと安堵した表情を見せたのを横目で確認しつつ、言葉を続ける。




「そもそも精霊の飲み水とは、大精霊様が我が子のような存在である精霊たちに、力を分け与えるためのものなんだそうです。大精霊様が生きていたときは直接力を分け与えていましたが、自然に還ってしまってからは、湧き水を介して分け与えているみたいで……」




 たどたどしい私の説明でも、きちんとカスペルさんもアルノルトも理解してくれたようだ。「子どもに与えるミルクみたいなもんっすね」とカスペルさんは分かりやすく表現してみせた。




「基本的な効力は回復です。ただ、調合方法はまだ見つけられていません。一通りの効力を持つ回復薬と調合してみましたが、精霊の飲み水の力が強すぎるのか、かき消されてしまって」


「ああ、なるほど……」




 カスペルさんの目が一瞬輝いたのは気のせいではないだろう。未知の調合にワクワクを感じるタイプの人間だったようだ。脳裏に似たタイプの調合マニアである、お師匠の姿が浮かんだ。

 一通りの説明を終えたので、私は口を閉じて顔色を窺うようにカスペルさんを見上げる。するとカスペルさんはそれを察してくれたのか口を開いた。




「ラウラちゃん。持ち帰ってきた精霊の飲み水を、オレたちに分けてもらってもいいっすか? 色々と試してみたいんすけど……」


「ええ、ぜひ。私たちが試した調合方法はノートにまとめてあります。よろしかったら使ってください」




 上司の言葉は願ってもないものだった。カスペルさんたちの力が借りたくて、私たちは早めに研修を切り上げたのだ。

 カスペルさんに調合方法を記したノートを手渡すと、彼はすぐさまそれを開いた。そして紫の目が忙しなく動き始める。かと思うと片方の手を顎にあてて、何やらぶつぶつと小声で呟き始めた。

 初めて見るカスペルさんの様子に驚いて、それから上司としてではなく、調合師としてのカスペルさんの姿を初めて見たことに気が付いた。普段はその軽そうな態度に騙されてしまうが、彼も相当優秀な人材であるはずだ。詳しい年齢こそ知らないが、外見からしてまだ20代後半から30代前半といったところだろう。それでいて若い王属調合師――見習いや助手――を束ねる立場にある。そう考えるとなかなかの出世頭ではないか。

 機会があれば今度カスペルさんの指導も受けてみたい、などと考えつつ、すっかり自分の世界に入ってしまった上司に、恐る恐る声をかけてみる。




「あの、カスペルさん……?」




 返事はない。彼の目線はノートに固定されている。

 一通りの報告は終わったため、このまま退出してしまってもいいのではないかと思うのだが、さて。

 どうするべきか悩んでいると、カスペルさんの隣に立つアルノルトがひとつため息をついてから動き出した。その足は扉へと向かっている。

 彼はドアノブに手をかけると、こちらを振り返った。




「こうなるともう俺たちの話は聞こえないだろう。いくぞ」


「え、あ、はい。カスペルさん、失礼します」




 促されるまま退出する。その際念のため声をかけてみたが、やはり返事はなかった。

 突然自分の世界に入るものだから驚いたが、あの様子だと知恵と技術を借りることができるかもしれない。

 こっそり期待に胸を膨らませつつ、数歩前を行くアルノルトに声をかける。彼にエルヴィーラの件で相談したいことがあるのだ。




「あの、アルノルトさん。ご相談なんですけど、エルヴィーラちゃんを精霊の飲み水の元に連れていけないでしょうか?」




 アルノルトは前を向いたまま頷いた。迷いのない反応だった。




「俺も同じことを考えていた。予定を調整しておく」




 精霊の飲み水の話を聞いてなにやら考え込んでいる様子だったが、私と同じ考えに至っていたらしい。相変わらず話が早くて助かる、と思う一方で、準備時間もそこまで取れないかもしれない、と今後の予定を考え始めた。

 ――と、突然数歩前のアルノルトが立ち止まる。その背中に激突しそうになりながらもなんとか足を止めた瞬間、目前に差し出された質素な封筒。それが手紙であることは瞬時に分かったが、それが誰からの、どのような手紙なのか私が確かめるよりも先にアルノルトが口を開いた。




「ベルタさんからだ。俺と、お前宛に。悪いが先に読ませてもらった」




 ――ベルタ。その名は私のお師匠のものだ。

 私とアルノルトに宛てられたお師匠からの手紙。そう聞いて脳裏に浮かんだのは、彼女の家の書斎で見つけた手記だった。それと、少し時間をくれと呟いた悲しそうな赤い目。

 途端に心臓が素早く鼓動を刻み始める。ぐ、と下唇を噛み締めて差し出された手紙を受け取った。そして封筒を開く――よりも早く、再びアルノルトが口を開いた。




「どうやら近々こちらにいらっしゃるらしい。そして話してくださるそうだ。――自壊病で亡くなった、ご自身のお孫さんについて」




 自壊病で亡くなった――お師匠の孫について。

 驚きのあまり私の手から滑り落ちた封筒には、こう書かれていた。親愛なる我が弟子へ、と。




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